26話
澪side
ピンポーン
冷たく乾いた家の中に、チャイムの音が鳴り響いた。
私はネットで買った物なんて何もないし、ろくな近所付き合いも無い。なのに、こんな時間に誰が来るのか見当もつかない。
(……やだ)
胸の奥がまたざわつく。
玄関の床にしゃがみ込んだまま、動けなかった。
もう一度、チャイムが鳴った。さっきより、少しだけ長く。
しつこい、どっかいけ。私はお前なんかに関われるほど暇じゃないんだ。
ピンポーン
でも、ドアの前にいる人物は、チャイムを押すことをやめなかった。
私が家の中にいることを確信しているのか、それともただ意地になっているだけなのか。そんなことに興味はないけれど、いつまでもチャイムを押され続けるのは、胸の奥がざわついて仕方がない。
「ちっ、さっさとどっかに行けよ。クソ野郎」
あまりにもうるさいから、私はわざわざ立ち上がってドアノブを握った。
頭に血が上っていたせいで、ドアスコープで外を確認するのを忘れてしまって、勢いのまま鍵を外してしまう。
(もう知らない。文句のひとつでも言ってやる)
乱暴にドアを引いた。
冷たい外気が一気に流れ込む。
そして――
「いったい何のよ……う……?」
「こんちに……あれ、こんばんはかな? さっきぶりだね、黒瀬ちゃん」
「生徒会長……」
今一番会いたくない人が、目の前に立っていた。
彼女は、いつものクソみたいな柔らかい笑みを浮かべていて、私に温かく話しかけてくる。その笑みが、私の心の奥深くのものを鷲掴みにして、乱暴に揺さぶってくるみたいだった。
(なんで……なんで来るの)
喉の奥がひりつく。
さっきまで冷たかった玄関が、水族館の水槽のように見えてしまい、喉が詰まって息苦しく感じてしまう。
なのに、生徒会長は、まるで私の動揺なんて見えていないかのように、穏やかな声で続けた。
「ごめんね、心配だから来ちゃった」
「そうですか……なら、帰ってください。私は大丈夫ですから」
「待って!」
私は、私の世界から一秒でも早く生徒会長を消したくて、ドアを思いっきり閉めようとした。
けれど、生徒会長が手を伸ばして私の腕を掴んだせいで、ドアを閉めることが出来ず、それどころか生徒会長との距離が短くなってしまう。
「何ですか! 離してください!」
「ごめん、わたしが黒瀬ちゃんを傷つけたことはわかるけど、何でそうなったのかわからないんだ。だから、教えてくれない? 黒瀬ちゃんが傷ついた理由を」
「嫌です! 訴えますよ!」
声が裏返った。怒鳴ったつもりなのに、震えていて、全然強く聞こえない。
生徒会長は驚いたように目を瞬かせた。
けれど、手は離さない。むしろ、指先にほんの少しだけ力がこもった。
「黒瀬ちゃん、本当にごめん。でも……逃げられると、余計に心配になるんだよ」
「心配なんてしなくていいって言ってるでしょ!」
やめて、やめてよ。
私の心に触れないで。私を一人にさせて。私の世界に入ってこないで。
「私は今まで一人で生きて来たんです! だから、生徒会長の助けが無くても、ずっと生きていけるんですよ!」
「そっか」
私の叫びに、生徒会長は一瞬だけ納得した様子を見せ、掴んでいる手から力を抜いた。
そのせいで、私は生徒会長が諦めたのだと錯覚してしまい、ほんの一瞬、刹那の間だけ――気を抜いたしまったんだ。
「ごめんね、許さなくていいから」
「え……待って!」
気を抜いた一瞬のうちに、生徒会長は強引に家の中へと入って来た。
気づいた時のは、玄関に足を踏み入れており、私は反射的に後ずさってしまう。
「黒瀬ちゃんが話してくれるまで、わたしは帰らないから」
「なんで、そこまで……」
「知りたいから。黒瀬ちゃんが何に怯え、苦しんでいるのか。もし、知ることが出来れば、助けることが出来るかもしれないしね」
生徒会長は、真っすぐ私の目を見つめてくる。
その目には一点の曇りもなく、決して折れるのことのない決意が宿っていた。
胸の中が掻き乱される。出来ることなら、生徒会長を今すぐに家から追い出して、一人になりたい。
けれど、この目を見てしまったら、生徒会長を追い出すことは出来ないと理解してしまって、諦めのようなものが身体を染めていった。
「……どうして、そこまで。生徒会長に利なんてないでしょ」
「黒瀬ちゃんを助けることが出来るかもしれないんだよ。それ以上の利なんて無いよ」
「……あっそ。勝手にしてください」
私は投げやりに言い放った。
けれど、その声には力がなくて、自分でも驚くほど軽かった。
生徒会長は怒りもしなければ、勝ち誇りもしなかった。
ただ、ほっとしたように小さく息をついた。
「ありがとね、話してくれるだけで十分だよ」
「お茶でも用意するんで、先に座っててください」
負けだ。私には、生徒会長をどうすることも出来ない。
だから、私は流れに身を任せて、生徒会長を家に招きいれたんだ。
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雪乃side
黒瀬ちゃんの家は、アパートの一室のようなところであり、廊下と合体した小さなキッチンと、その奥にある八畳くらいの部屋で構成されていた。
一人暮らしをするには十分の大きさがあるのに、どこか“使われていない空間”のような静けさが漂っていた。
(あれ、空なんだ)
最初に目に入ったのは、小さな机の端に置かれたアクセサリー入れだった。蓋は開いていて、中には何も入っていない。
黒瀬ちゃんはいつもピアスを付けているから、それなりにアクセサリーを持っているのかと思っていたけれど、この家にあるアクセサリーは黒瀬ちゃんが付けている一つしかなく、アクセサリー入れの中は、まるで最初から空だったみたいに静かだった。
しかも、気になったのは、それだけじゃない。化粧品も、最低限の量しか家の中に無かったのだ。
黒瀬ちゃんは金髪で、いつもピアスをつけていて、学校でも人目を引くくらい整えている。
だから、もっと色々な道具があるのだと思っていた。髪を維持するためのものとか、メイクの種類とか、そういう手間の痕跡が。
けれど、この部屋にはそれがほとんどなかった。
洗面台の横に置かれた小さなポーチには、本当に必要なものだけがぎりぎり入っているような量しかなく、化粧を楽しむためのものは一つも見当たらない。これなら、わたしのほうが化粧を使っているくらいだ。
「え、待って……黒瀬ちゃん。これ、使ってるの?」
「勝手に部屋の中を見ないでください。……まぁ、ソレは仕方ないと思いますけど」
ただ、その化粧品のことが頭から吹っ飛んでしまう物を、わたしは見てしまった。
それは、本棚にぎっしりと並べなられた、無数の参考書だった。そこには、高校一年生の範囲である物だけではなく、高校二年生……いや、高校三年生でも使うようなものまで含まれている。
茜ちゃんによると、黒瀬ちゃんが授業を真面目に聞いたことなんて一度もないらしいのだが、 この本棚の前に立つと、その言葉が急に現実味を失った。
参考書は、ただ並べられているだけじゃない。
角が少し丸くなっているもの、付箋が何枚も貼られているもの、開き癖がついているもの。どれも使われた痕跡がはっきり残っていた。
(……どういうこと?)
外では派手で、授業態度も悪くて、先生たちからも問題児扱いされている。
でも、この本棚は――そのどれともつながらない。
(もしかして……)
だから、とある仮説が頭の中に浮かんだ。
理屈でもない、ただの勘。でも、それであっているような気がしたんだ。
「はぁ、座ってください。あ、クッションは私が使うので、マットの上に座ってください」
「あはは……ぶれないね」
「嫌なら帰っていいですよ。むしろ、帰ってください」
「じゃ、ありがたく座らせてもらうよ」
「……ぶぶ漬け作ろうかな」
黒瀬ちゃんが私を帰らそうとしているのはわかっている。
でも、今ここで帰ってしまったら、ここまで来た意味が無くなるし、もう二度と黒瀬ちゃんに向き合えないような気がするんだ。
だから、申し訳ないけど、ここにいることを許してほしい。
「で、何が効きたいんですか?」
黒瀬ちゃんが、顔をしかめながら尋ねてくる。
これを言えば、黒瀬ちゃんはきっと嫌がるだろう。でも、避けてばかりじゃ前に進むことは出来ないんだ。
「黒瀬ちゃんの過去に何があったのか。それと、なんで『いい子』として見られるのが嫌なのか、教えてくれない?」




