第7話 生活力のない学者さま
「イグナート、遅れて悪かった」
「おう」
ダニールに気安い声をかけられた赤毛の男は、マルーシャにもニカッと笑ってみせた。やはりこれが騎士団員だというイグナートのようだ。
「迷子探しの噂は立ってたから心配しなかったけどさ」
「おまじないは人の目についてないと思うが」
「おまえとミュシカはめっちゃ目立ってたみたいだぞ、アホめ」
なかなか容赦ない。友人だと言っていたが、気の置けない相手なのだろう。妻のラリサもおおらかな笑顔だ。
「市場でねえ、マルーシャさんの夫と娘があらわれたって言われてたわ」
「ひゃあ!」
マルーシャは悲鳴をあげた。ちゃんと否定したのに、市場のみんなったら面白がりすぎだ。
青くなったマルーシャをラリサは楽しげに見つめた。
「ミュシカがお母さまって呼んだせいでしょう? ごめんなさいね」
「いえ……私でミュシカの気がまぎれるなら別にいいんですけど」
「わあ優しい! ミュシカよかったわね」
「うん!」
ミュシカは腕にくっつきマルーシャに甘える。こんな可愛い子になつかれちゃあ、ご近所でからかわれるぐらい仕方ないかな、とマルーシャは思ってしまった。
「ええと、とにかくユーリィの家がすぐそこだから送り届けます」
「そうね……ってダニール、あなた粉まみれ!」
「あ。この子、粉ひき馬車にもぐり込んでたので……」
恐縮してしまったマルーシャに、夫妻はそろって首を横に振った。
「こいつが悪いのはわかってるから」
「そうよ気にしないで」
「どうしてだ? 女性に物を持たせたりするなと言ったのはおまえだろう」
ダニールが困惑気味に抗議する。というと、この学者先生は女性の扱いについてイグナートから教わったのか。
「子どもは荷物じゃねえし。あとな、その上着には裏地ってもんがついてんだ。この場合の正解は、上着でくるんで抱いてくること! 融通きかねえよなァ」
「う……そうか。確かに」
「ま、汚してしまったものは仕方ないわ。とにかくこの子をお母さんに渡しましょう。案内してくれるかしら?」
しゅんとするダニールに苦笑いし、ラリサはマルーシャをうながした。
その後、マルーシャの家へ向かいながらあらためて名乗ってくれた二人は、イグナート・クレヴァ三十二歳と妻のラリサ二十九歳。
ダニールと違って気安い話し方がマルーシャにはありがたかった。年齢は十いくつも下なのだし、マルーシャは普通の町娘なのだから。
クレヴァ夫妻はダニールたちと正午に市場のある広場で待ち合わせしていたのだとか。それから時計工房を訪ねるつもりだったらしい。
「ベルドニッツといったら広場の仕掛け時計だもんな、見ておこうと思って。ダニール来ないから俺とラリサだけで見物してきた」
「え、お父さんの時計を?」
広場の時計塔にはクリフトが作った時計が設置されていた。昼の十二時にだけオルゴールが鳴り、人形が出てきてクルクルと踊るものだ。
「あれクリフト・アヴェリン氏の作品?」
「父のですけど……やだ、何か有名なんですか?」
「ベルドニッツの名所ってことになってるよ」
「うそ……」
マルーシャはぼうぜんとした。父の趣味を詰め込んで製作したあの時計が他所で知られているなんて。どうりで遠くの町から客の指名が入るわけだ。
「なのになんでウチ、貧乏なの……?」
つい心の声がもれてしまったらラリサが笑い出した。
「そんなに? 苦労してるのねえ」
「あはは、まあなんとか暮らしてます」
「……でも、不幸せではなさそう。閣下に悪い報告はしないですむんじゃないの、ダニール?」
「そうだな……そうですね」
ラリサに返答するべきか、マルーシャに言葉をかけるべきか、迷ったダニールの話し方がおかしくなる。あきれたイグナートが隣から裏拳でツッコミを入れると、ボフン、と白く粉が舞った。
「おまえ、ほんと不器用」
「うるさい」
ダニールはギクシャクと横を向いてしまう。その前を女三人並んで歩きながら、ラリサは小声で言った。
「もうわかったかもしれないけど、ダニールは学者馬鹿というやつなの」
「はい……?」
言われたマルーシャは曖昧な返事をした。
意味はなんとなくわかるが、賛成も肯定もしづらい。こき下ろされているのは祖父侯爵からの使者だ。
「遠慮しなくていいのよ。ダニールったら頭はいいし研究熱心だけど、おかげで浮き世離れしてて人づきあいも会話も苦手。私たち以外あまり友人もいないわ」
「聞こえてるんだが」
後ろからボソッと恨みがましい声がした。だがラリサはチラリと振り向くと余裕の微笑みで苦情をはね返す。
「ダニールはねえ、公の仕事はできるのよ。でも女性への礼儀とかは心配で。失礼があっても悪気は絶対にないから、教育するつもりで接してもらえると助かるわ」
「……なんかひどい言われようですね」
「お父さま、かわいそう?」
間にいるミュシカは左右をきょろきょろ見上げていた。つないだ手をマルーシャはぶんと振る。
「ううん、立派に働いてきた人なのね。それにミュシカの先生までしてるなんて、すごいじゃない」
「マルーシャさん、包容力あるねー」
後ろからイグナートの感心した声が飛んだ。
それはそう。
だってこちとら、クリフトみたいな父親を支えて長年暮らしてきたのだから!




