第41話 はじめまして、叔母さん
メレルスが荘園の差配を任せている家令ヨアニムは、命じられればなんでもする。それが誘拐、監禁でも。だからダニール・ジートキフの家族を狙うのにも連れてきた。
宿を探らせたら、妻が一人で洗濯しているという。ならば娘がいなくても、その女――マルーシャだけでよかろうと即、行動したのだった。
マルーシャのおまじないには驚いたが、それ以上の抵抗はされなかったので馬車に乗せる。そしてヨアニムが馭者をつとめ、荘園へと夜道を走らせていた。月明りと馬車に掲げる松明だけが頼りなのでゆっくりだ。メレルスは車内でマルーシャと向かい合った。
マルーシャはほとんど何もしゃべろうとしなかった。うっかり余計なことを言いそうで怖い。情報を与えてしまうのも、メレルスを怒らせるのもまずいとわかっていた。おとなしく時間を稼ぎ、助けを待つつもりだ。
「ふむ。ジートキフ夫人も無口なのか。冬告げの姫と同じだ――冬告げのご夫婦は、あなたのことを知らないと言い張るのですよ。兄嫁に対して失礼じゃありませんかね」
ならば二人とも無事なのか。よかった。ミュシカを泣かさずに済みそうだ。黙っているとメレルスは探るような視線をよこす。
「……あなたにはよほどの秘密があるのか」
マルーシャは目を窓の外の暗闇に向け、動揺を押し隠した。
どんな秘密が自分にあるというんだ。モテないことか。ケチなことか。ろくなことを思いつかないが、そういえばファロン侯爵の隠された孫娘ではある……のか?
「ダニール・ジートキフのご夫人となれば、おまじないの名手であってもおかしくはないが――」
メレルスのねっとりした視線が気持ち悪い。しかしそれ以上に「ジートキフ夫人」呼びに気を取られてマルーシャの心は千々に乱れた。先ほどダニールと交わした言葉を思い出したのだ。「素敵な女性です」。そう思ってくれているのは本当なの――?
「――」
思わず深くため息をもらしてしまい、マルーシャは顔をおおってうつむいた。誘拐された女としての緊張感がなさすぎて自己嫌悪におちいる。
「おやおや――ふふふ、どのような事情を抱えているのか、俄然興味が湧きますね。それを知るまでは我が館にご滞在願いましょう」
取り乱し気味のマルーシャをどうとらえたのやら、余裕をみせるメレルス。マルーシャはやや安堵した。
ない秘密は明かせない。明かせない秘密を探られる間に、ダニールは来てくれるはずだった。
ダニールとつながる紅い石にふれたい、と思った。でも目立つ動きで石にこめられた術に気づかれてはいけない。
マルーシャは目を伏せたまま、夜道を馬車に揺られていった。
夜の静寂に響いた馬車の音とかすかな馬の声に、館で眠ろうとしていたルスランとリージヤはハッとなった。メレルスはもう計画を実行したのだろうか。
「もう? 仕事が早いな」
「その能力、別のところに向ければいいのに」
ガウンを羽織り、窓から外をうかがいながら夫婦はつぶやき合った。
松明の灯りがチラリとしたが、よく見えない。玄関の方がざわめいているのでおそらく間違いないと思う。
「私たちが逃げる間もなかったわね」
「そうだな……」
二人はここから抜け出してザラエの街に向かうべきか迷ったのだった。どこかの宿にいるはずのダニールを探して危険を報せようかと。
そのためには物理的に窓を壊すなりして外に出、馬を奪うという強硬手段しかなかった。馬が無理なら歩くことになってしまう。その場合すぐに日が暮れる時間は危険すぎるという判断でこの日の決行を保留したのだった。まさかメレルスの方がこうも瞬時に動くとは。
燭台を持ち、ルスランはそっと廊下に出た。
すると玄関の方からも、揺れる灯りが近づいてきた。メレルスと、女性が一人。あれがダニールの妻という人なのか。ルスランはため息を我慢した。
「おやおや、お騒がせして起こしてしまいましたかな」
メレルスはニヤリと笑った。獲物を見せて自慢する猫のようだ。なるべく冷静にルスランは尋ねた。
「そちらは?」
「まだシラを切りますか。ジートキフ夫人でしょう」
その女性――マルーシャは静かに頭を下げた。自分を見つめる男性が、少しダニールに似ていると思った。この男性がルスランか。こんな形の初対面なのは気まずいかぎりだが、マルーシャはできる限りきちんと挨拶した。
「今晩は。マルーシャ・アヴェリナ・ジートキフです」
メレルスの前なので、そう名乗った。本当の名はマルーシャ・アヴェリン。でもジートキフ夫人を詐称する。アヴェリナ・ジートキフとは、アヴェリン家からジートキフ家に嫁いだ者という意味だ。
「アヴェリン――?」
ほんの少し開いた扉の中から声がして、マルーシャはそちらを向いた。リージヤが目を見張っていた。
マルーシャ・アヴェリン。リージヤはその名前に心当たりがある。
姉アレーシャが愛した男は、クリフト・アヴェリンだった。そして生まれた娘にはマルーシャと名付けたと手紙がきた。
ならば連れてこられたこの女性は、姉の娘――自分の姪だ。




