第33話 メレルスの館にて
何世代も前にファロニアから出た妖精族は、人前でおまじないを使うことが禁忌だとわかっていない。普通でない力は迫害のきっかけにもなり得るのに。
人族とまじわり薄まった血にも先祖がえりする者が現れることがあり、それがロジオン・メレルスなのだろう。
彼は代々口伝えされたおまじないを唱えてみて、その力に気がついた。ならば利用したくもなる。だが妖精の世界から切り離されていたせいで、それが危険だとは考えられない。
「それにしたって、おまえの追跡術をはね返したってのはおかしいぜ。そんなにおまじないに詳しいなんて」
「僕にやられたことだからかな……僕の研究を調べて勉強したんだろうか」
「うわー努力家」
ファロニアにおいてダニールは学者だが、他国では不思議な言い伝えを集め歩く物好きとしか思われていないはず。記した書物も各地の寓話集の体裁だ。ファロニアの図書館にならばひっそりと収蔵されているが、それを見つけたのか。
「なにそいつ、本気で暗い性格!」
「……さすがに引く」
憎まれた側もあきれる執念の持ち主ロジオン・メレルス。だがどんな男が相手でもルスランとリージヤを救出しなくてはならない。ダニールはこぶしを握った。
「ザラエに行くしかないな」
「いちおうファロニアからの指示待ちだ」
「連絡したのか?」
「ここはバルテリスでの窓口の街だし。報告は上げなきゃ駄目だろ」
ファロニアに近い大きめの街といえばこのヴェデレだ。ここに拠点をかまえるファロニア商人が本国との連絡を請け負ってくれている。鳩を飛ばしたので人が行くより早く伝わるはずだった。
それでもダニールはジリジリした焦りを感じた。弟夫婦を取り戻さなくては。そして本当の両親にミュシカを返してやるのだ。
だがそれにはダニール独りで行くことになるだろう。マルーシャを巻き込むわけにはいかない。
ここで、お別れなのか。そう思うとダニールの胸はざわざわと波立った。
✻ ✻ ✻
ザラエの商人ロジオン・メレルスは郊外の地主でもあった。そこで荘園を経営するために、農地の中に田舎風の館をかまえている。元はこちらが本拠地だった。
低い石塀に囲まれた頑丈な石造りの建物。先祖は地道な農業で財を成し、それを元手に商売を始めたらしい。
それを可能にしたのはメレルス一族が妖精の力を持っていたからだった。土地の恵みを引き出し、他が不作の年も食糧を生産してきたのが富の元。
「――そうして、ただ生きていけばよいものを。季節をあやつろうなど大それたこと」
館の二階に広い部屋を与えられているリージヤ・ファローナ・ジートキフは冷ややかにつぶやいた。
彼女がここに強制的に招かれて、もう一ヶ月ほどになる。窓の外の田園は滞在中に晩夏から秋へと表情を変えてきていた。
「僕しかいないのに、その〈冬告げ姫ごっこ〉はやめようよ」
ほがらかに笑いながら、夫のルスランがリージヤに寄りそった。ポスンとその肩に頭を預け、リージヤはいたずらな瞳になる。
「だって、お稽古は欠かしちゃいけないでしょう」
「熱心だねえ」
「――ミュシカは、元気かしらね」
娘を守るためならば、演技だってする。
『ご同行願おう、冬告げの姫』
拉致された時に犯人のその言葉を聞いて以来、二人はそれっぽく振る舞ってきたのだった。
リージヤは薄氷のように冴えざえとした笑みを浮かべ。
ルスランはその妻にかしずくようにし。
本来のリージヤはふうわりしたお茶目な女性なのだが、そこは押し隠してなるべく突き放した物言いで通している。
「僕らを害することも解放することもないんだから、ミュシカのことはバレてないよなあ。でもあの子の面倒は誰がみてくれてるんだろう」
「侯爵家で保護してるでしょうけど。甘えんぼちゃんは我がまま言ってそうね」
覚悟の上で囚われたのだが、さすがにこんなに長期に渡るとは予想していなかった。兄のダニールがすぐに追跡し居場所を突きとめるはず。そうすれば異国のこととはいえファロン侯爵が対応するだろうと思ったのに、なかなか助けは来ない。
バルテリス側との何らかの折衝がうまくいかないのだろうか。王国内に侯爵の手の者を入れることを拒まれている可能性もなくはない。ルスランはまさか犯人がダニールのおまじないを邪魔するほどの相手だとは知らなかったのだ。
メレルス家当主だという犯人は常にここにいるわけではない。忠実な家令だか何かと女中が世話してくれている。
ここの使用人たちは皆、人族のようだった。なので客人に逃げられないよう、さまざまな仕掛けがしてある。
冬告げの姫というメレルスの思い込みに反してルスランもリージヤもごく普通の妖精だった。簡単なおまじないなら日常的に唱えるが、効果もさほど強くはない。そんな二人ではまったく歯が立たない、おまじない阻害術がこの邸には掛けられていた。
むしろ物理的になら出て行けるか。ルスランは最初、考えた。つまり窓を叩き割って、とか。
そうしなかったのは、メレルスを放置して逃げ帰るよりは叩きつぶしておきたかったからだ。ファロニアとしても理由なく異国の商人をどうこうできない。二人がここにいるのが最も有力な証拠になるだろう。なので、待つ。
しかし意外と遅くて退屈だ。ルスランはぼやいた。
「兄さん何してるんだろう」
「ミュシカに手こずってるのかも」
「子育て未経験者だよ? 子どもの世話なんて任されっこないさ」
実際にはイグナートとラリサ夫妻が補助につきミュシカを連れ歩いているのだが、そんなこと本物の両親は知らない。
リージヤは小さく笑った。
「ルスランと二人ですごすのも、昔みたいでいいんだけど」
リージヤは夫の背に手をまわし、胸に顔をうずめた。ルスランも優しく腕で包む。娘に妻を取られないのは、確かにちょっと嬉しかった。
でもそろそろ、家に帰りたい。




