039
激昂し接近してきたルナの腹部に蹴りを入れる。
鳩尾部分に容赦なく、悠馬の膝が入る。
悠馬が蹴りを入れると、彼女の身体は一瞬、重力に逆らったように浮かんだ。
「かはっ…」
「冷静さを失った時点でお前の負けだよ」
技術でもなんでもない、強力なクソ異能だけで成り立っていた戦いは、彼女が冷静さを失ったことで幕を下ろす。
行動からして、犯罪を犯したのはジャックザリッパー事件の被害者1人目が初めて。
大きく目を見開き、必死に呼吸をしようとしているが、鳩尾を蹴られたことで上手く呼吸ができず、上天しかけている。
涎を垂らし、地面に項垂れる彼女を見下ろす悠馬は、ようやく感覚が元に戻ってきたのを感じ、身体強化を解除した。
「っし。ソフィ、もういいぞ」
「ええ…意外と呆気なかったわね…」
意識を失わないように抗っていたようだが、急所を蹴られて呆気なく倒れたルナを見下ろしながら呟く。
ソフィアは発動させていた超重力を解除した。
「ああ…多分素人だ。裏に指示役がいるはずだ」
異能自体はかなり強力なものだった。
悠馬が脅威として認識するレベルの異能ではあったものの、それ以外に特出したような力はない。
身体能力もごく平凡、ナイフ捌きだって熟練のそれには遠く及ばない。どこかで習っていた可能性は低いだろう。
そこから割り出される答えは、指示役がいる可能性だ。
悠馬はゲートを発動させ、黒い石で出来た首輪をルナにつける。
「異応石。彼女の異能を考えると妥当ね」
「ああ…俺やソフィアになんのデメリットもなく使用可能な異能だ。目が覚めた時に再度使われると厄介すぎる」
方向感覚が急に正常になったから変な気分だが、ルナの首に異応石の首輪をつけて無力化した悠馬は、続いてスマホを取り出してノーマンへと連絡を始める。
ノーマンに電話をかけると、さっきまで食事をしていたとあってか、3コール目で電話が繋がる。
「何かあったかい?」
「ジャックザリッパーを捕まえた。尋問をお願いしたい」
「…!」
一瞬、電話越しのノーマンの声が途切れる。
彼にとっては待ち望んだ瞬間なのだろう。
この国から無くならない差別、それを無くすために動く国王。
声には出さないが、電話越しに明らかな動揺を感じ取った悠馬は、場所だけ伝えると電話を切る。
「まったく…まさか私たちが初めて接したこの女がジャックザリッパーなんてね…」
「そうだな…」
強がってはいるものの、彼女の動揺は見て取れる。
きっと同じ紫髪で、ルナの力になりたいと思っていた気持ちは本当だったはずだ。
だからこんな遅い時間に助けを求められても、ルナを追い払うことなく一緒に悠馬を待っていた。
まさか被害者だと思っていた女が、犯人だったなんて想像もつかないだろう。
もう少し怒るかと思っていたが、ソフィアは表に感情を出さない。
「…それで?悠馬、司令役がいるってどういうこと?」
ソフィアは紫色の瞳で、じっと悠馬を見据える。
「ああ…戦ってる間、主って単語が出てきただろ?」
「ええ。何度か言ってたわね」
「最初は悪神の可能性も考えたが、悪神の場合、俺を猿なんて言わないと思うんだ」
悪神はアレでも、暁悠馬に強い興味を抱いている。
だから直接対面した時も悠馬呼びだったわけだし、そんな悪神がここへ来て、あのアジアの猿を始末してきて。なんて指示を出すわけがない。
主というからにはキリストや神をイメージしてしまうが、表現の仕方からして正しくないのだ。
そもそも悪神が指示を出してるなら、暁悠馬を殺せと言うはずだ。
こんな遠回しなやり方は考えられない。
「なるほど…確かに、猿なんて表現だと、誰を指しているかなんてわからないものね」
「ああ。それに俺を美しい絵画にするって話してた時、それが主の願いだって言ってた」
「たしかに…」
「そこから察するに、俺を選んだのは自分の意思ではなく主の意思ってことだ」
自分の意思だったなら、主なんて言葉は使わないだろう。
この世のために容赦なく醜い猿を駆除してやる!と切り掛かってきてもおかしくなかった。
「だから俺たちは、次は主が誰なのかを探らないといけない」
「そのために私を呼んだってことだね。暁悠馬くん」
そう言って颯爽と現れた紺色のスーツを着た男、ノーマン。
両手をポケットに突っ込み、片眉を上げて状況は大体わかったと言いたげな彼は、一度悠馬を確認した後に、異応石を装着されているルナを見下ろす。
「…君にしては随分と手こずったようだね」
「まぁな…クソ異能の使い手だった」
ノーマンはルナの意識がないのか、革靴でコツンと蹴って確認する。
どうやらジャックザリッパーが相当お嫌いらしいな。
ここ数日の様子からして察していたことだが、まさか触れて確認せずに蹴って確認するとは。
「クソ異能か…ということはレベル無視系か。軍人になっていれば重宝したものを…」
クソ異能は世界共通認識らしく、ノーマンは彼女の異能が強力であることを理解する。
クソ異能で有名な日本支部の黒咲律のように、レベル差を無視して攻撃ができる異能は、どこの国でも大切にされる。
そんな貴重な異能を、こんな犯罪に使われてしまったのだからノーマンの喪失感はとんでもないだろう。
なにしろルナは今から刑務所行きだ。
更生したところで重要なポストには就けないだろう。
「彼女の異能は?」
「身体の感覚を全体的に狂わせてた。方向感覚の狂い方が特にひどかった」
「なるほど。レベル差があっても無効化できないなら、かなり強力になる…」
「ああ。切られた時は快感に近い何かを感じたから、被害者に防御創がなかったのも頷ける」
それに加えて、方向感覚も狂っているからろくに抵抗できないだろうしな。
そこから詳しく、ノーマンに彼女の異能について話した。
ターゲットという異能で殺害対象をマークしていたこと。
その異能を使うことで対象を容易く見つけ出し殺せていたこと。
そして感覚を狂わせる異能で、抵抗なくスマートに殺していたこと。最後に、裏に指示役がいる可能性が高いこと。
話を終える頃には、ノーマンは満足そうな表情を浮かべていた。
「ひとまずジャックザリッパー本人はこれで逮捕だ」
「あとは主と呼ばれる人物の逮捕だな…」
ジャックザリッパーは逮捕したが、それで満足してはいけない。
主という存在が一体何者なのか、どういった関係なのかまだわかっていない。
このまま満足してしまえば、結局指示役の主は見つからないことだろう。
最悪の場合はそれでいいのかもしれないが、指示役が見つからなければ、事件解決とは言えない。
ここが折り返し地点、もしくはスタート地点だと認識しておいた方がいいだろう。
「この女はこちらで尋問しよう。主についての話が聞き出せたら、また連絡する形でいいかな?」
夜も遅いことだし、一旦はお開き。
今からルナを警察に引き渡し、尋問に移ろうと判断するノーマンに、悠馬は頷く。
「あまりにも時間が掛かりそうなら呼んでくれ。洗脳を使う」
「ははは…なるべくその異能は避けたいところだな」
ルナが答える気がなさそうなら、洗脳を使う。
そう発言した悠馬に、ノーマンは苦笑いで返した。
洗脳は異能の中でも、国際的に禁じられている類の異能だ。
悠馬がクソ異能と評したように、洗脳は催眠の完全上位互換で、その気になれば人格そのものを別人へと歪めることだってできる。
例えば悠馬がルナに対して洗脳を発動し「お前は10年前から俺と結婚している」と発言すれば、ルナはその通りに洗脳されてしまう。
国際的にも大きな問題がある異能、この力を使えばなんでもできてしまうという都合上、尋問で洗脳を使ったとなると、批判は免れない。
それもイギリス王室も関わった洗脳ともなると、事態は大ごとになるだろう。
いくらジャックザリッパーに怒りがあるとしても、そこまでのリスクは背負えないと判断したノーマンは、「万が一の時は頼むよ」とだけ告げて手を振る。
「わかった。…それじゃあ、あとは頼んだ」
「任せてくれ。朝には何か進展の連絡ができるといいんだが…」
「あまり無理しない方がいい。ノーマン陛下、寝てないでしょう」
こっちは今から帰って寝るが、朝に進展の連絡なんて言ってたら、徹夜で仕事しないと間に合わないだろう。
時刻は午前3時、ルナを引き渡してその場を後にする悠馬とソフィアは、眠たさがピークに達した体で、自宅へと向かった。
***
そこからは深い眠りについた。
久しぶりにダメージを負ったこと、ソフィアの重力の負荷、ルナの異能で神経を研ぎ澄ませたことなどもあり、熟睡できたと思う。
目を開き、ようやく正常に回転し始めた頭を動かし、時計を見上げる。
時刻は午前10時。
午前3時過ぎに帰宅をして、風呂に入って寝たのが4時過ぎだから、大体6時間ほど眠ることはできた。
少し遅めの朝、普段絶対にありえない時間に起きた悠馬は、疲労感の取れた身体で伸びをする。
「ん〜っ…よく寝た」
一度寝たからか、方向感覚なんかに違和感を感じることはない。
綺麗さっぱり、ルナの異能の感覚が抜けた悠馬は満足そうだ。
伸びをして手を下ろすと、左手に柔らかな感触が伝わる。
「……」
ゆっくりと視線を下すと、左手には真っ赤なネグリジェを着たソフィアの姿があった。
出会った時から派手な色の服を着るのが好きだった彼女は、今もその趣向は変わっていない。
艶やかなピンク色の唇、熟睡でセラフ化を解除している紫髪のソフィアを見下ろす悠馬は、そっと彼女の唇に手を伸ばす。
「んん…」
当然のように唇に指で触れる悠馬だが、ソフィアは一向に起きる気配がない。
ま、ソフィアは爆睡中起きないからな。
そのことを知っているからこそ平然と彼女の唇に触れた悠馬は、ベッドから起き上がるとリビングへと向かう。
慣れた様子で部屋を出て、廊下へ向かい、リビングへ入る。
さて、ここからはじっくりと主と呼ばれる人物を追い込んでいきたいところだが、その前にやることがある。
リビングへ入り、部屋の隅に置いてあるスマホを手にした悠馬は、そこに重要な着信がないことを確認すると電話帳を開く。
ノーマンからの連絡はない。
そのことから察するに、思ったように尋問が進んでないようだ。
ルナには重傷を負わせてないし気絶させただけだから、目が覚めないということはないはず。
目が覚めたらすぐに尋問するか、無理やり叩き起こして尋問しているだろうから、ルナも粘ってるらしいな。
特にルナ自体には興味なんてないが、できれば今日中に進捗は欲しいところだ。
そんなことを考えながら電話帳を少しスライドさせ、目的の名前を見つけてタップする。
すると電話のボタンを押した瞬間、すぐに目的の人物は通話に応答した。
「もしもし」
聞こえてくる淡々とした女性の声。
「おぅアメリア。元気?」
「…暁悠馬。私は貴方と友達ではないのですよ?」
電話の相手はイギリス支部前総帥秘書のアメリア。
ソフィアの親友である彼女へと電話した悠馬は、いつになく能天気な声で挨拶をした。
それと同時に返ってくる、アメリアからの呆れた声。
特別仲が良いというわけでもなく、ただ親友の旦那程度の認識なのか、フレンドリーに挨拶をしたのが気に入らなかったようだ。
通話端末越しから小さなため息まで聞こえてきた悠馬は、微妙そうな表情を浮かべる。
「それで?どうかした?やっぱり囮でも頼みたくなった?」
アメリアは訊ねる。
つい先日のやり取りで、ジャックザリッパーの一件に協力しようとしていた彼女は、ついに自分の出番がきたのかと言いたげだ。
親友のためなら多少のリスクくらい背負う気の肝が座っているアメリアの声に、思わず笑みがこぼれそうになる。
ソフィアは本当にいい友人を持ったなと思う。
「ぁー…そのことなんだけど、昨晩ジャックザリッパーは捕まえたんだ」
「はい…?」
「一応その報告をと思って電話しただけだから、囮の件はもう大丈夫」
「いや、早くない…?」
悠馬がイギリス支部へ訪れたのは一昨日で、アメリアと話をしたのも一昨日。
ほぼ2日の間にジャックザリッパーを捕まえたと話す悠馬に、驚愕するのは無理もないだろう。
わけがわからないと言いたげな声を出すアメリアは、数秒ぶつぶつと何かを呟いた後に、大きくため息を吐いた。
「お疲れ様…って労った方がいいの?先にありがとうと伝えておくわ」
「なんだよ労ってくれるのか。こちらこそありがとう」
ジャックザリッパーの一件はある程度片付いたから大丈夫だと伝えたかっただけだが、まさか労いの言葉と感謝の言葉をもらえるとは。
いつになってもお疲れとありがとうという言葉は言われると気分がいい。
その言葉を聞けるだけでも頑張った甲斐があると思えてしまうのだから、人間は不思議なものだ。
悠馬はアメリアに感謝されフッと微笑む。
「それじゃあ、それ伝えたかっただけだから。じゃあな」




