031
「大好きに決まってるだろ。…だから自分の命を賭けたんだよ。…そこに俺がいないのだとしても、君がいつか笑える日が来ると信じて、暁悠馬は死んだんだ」
悠馬は呟く。
きっとこっちの世界の暁悠馬も、生きていたら同じことを言ったはずだ。
嗚咽を漏らす夕夏の背を撫で、ゆっくりと落ち着かせながら天井を見上げる。
「たくさん苦しませたね。ごめんね。ずっと待ってたよね」
「うん…うん…何回も悠馬くん探しに行ったんだよ?…でも君の痕跡すらなくて…私しか君のこと覚えてないんだ…」
「ありがとう。君が記憶してくれているなら、俺はきっと安らかに逝けたはずだ」
この世界の暁悠馬がただの闇堕ちなら、本来物語能力には対抗できなかったはず。
しかしそんな常識を覆し、暁悠馬はティナを屠った。
その結果代償として人類の記憶から暁悠馬は消されたわけだが、夕夏だけは暁悠馬が生きていたことを記憶している。
みんなに忘れられたまま死ぬのは辛いけど、きっとこっちの暁悠馬は、夕夏なら覚えていてくれると安心して逝ったはずだ。
なんとなく、この世界の暁悠馬の死に様がわかったような気がした。
「死なないで欲しかったよ…一緒に歳をとって、一緒にこの家に住んで、貧しくても見窄らしくてもいいから、君と笑い合う人生が良かったよお…」
ありもしない架空を語る夕夏は、悠馬の方を向き、抱きしめるような形で服を掴む。
「……そうだな。そんな未来があったなら、きっと幸せだったろうな」
これから先、俺が死ぬ時も夕夏はこっちの夕夏と同じような苦しみを背負って生きていくのだろうか?
だとしたらすごく心苦しいな。
まるでこれから先に訪れる自分の死の後の物語を、予習しているような気分になる。
悪神との戦いで死ぬと言われている悠馬は、目の前にいる夕夏の反応を見て、胸を締め付けられるような気持ちだ。
胸元で泣き噦る夕夏をそっと抱きしめる。
「好きなだけ泣いていいからな」
「うん…うん!」
そこからしばらく、泣き噦る彼女をひたすら宥めた。
好きなだけ泣いていいという言葉。
その一言で我慢してきた全ての感情を吐き出す彼女の姿は繊細で切なくて、今にも消え入りそうなほど弱々しく見えた。
***
暖かかった紅茶が冷めた頃、夕夏はある程度落ち着きを取り戻す。
目を腫らす彼女の瞳からは、もう涙は出ていない。
鼻水を啜り、数度深い呼吸をして落ち着いた夕夏は、悠馬に回していた手を離す。
「…ごめんね。全く関係のない君に、情けない姿見せちゃったね」
「いいよ。俺は夕夏の性格をよく知ってるから。君がどれだけ我慢してきたのかは理解してるつもりだ」
全ては理解できないが、どんな気持ちでいたのかはわかるつもりだ。
伊達に高校時代から今まで夕夏と過ごしてないという自負がある悠馬は、夕夏の背中を撫でながら返事をした。
「ふふ、ありがとう。…そっちの私は幸せ者だろうね。なんてったって君がそばに居てくれるんだから」
「そう思ってくれてるといいな」
遠くを見るように、自分の世界の夕夏を思い返す悠馬は、フッと微笑む。
「…落ち着いたことだし、君がここへ来た目的を教えてもらってもいいかな?時間遡行じゃないんでしょ?」
ひと段落して、夕夏は尋ねる。
暁悠馬がここへ来た理由。
本来時間遡行者にしか許されないはずの、パラレルワールドへの移動に成功している悠馬に、彼女が疑問を抱くのは当然だろう。
悠馬は彼女になんと伝えるのが正確なのか、難しそうな表情をしながら口を開く。
「うーん…端的に言うとこの世界を救うっていう目的があるんだよ」
「世界を救う?」
「ああ…わかりにくいよな」
別途条件の話をすれば余計ややこしくなるだろうし、条件自体悠馬もわかっていないため、その件に関しては敢えて伏せる。
夕夏も世界を救うも聞いて、心底不思議そうな表情を浮かべている。
どうやら彼女にも思い当たる節は無いらしい。
悠馬の予想通り、ティナが滅びたこの世界は平和そのもの。
暁悠馬の死によって完成した世界に、救済が必要なほどの問題を抱えている場所はない。
「よくわからないけど、この世界と私の人生について知ってもらえたら、解決の糸口になったりする?」
「そうだな。情報は少ないよりも多い方がいいからな。夕夏が知っているこの世界の話、聞かせてくれるか?」
「うん、任せて」
まずは夕夏から話を聞いて、何をすればいいのか絞り込もう。
夕夏が自ら申し出てくれたことで、悠馬はそれに応じる。
2人の間に一瞬の静寂が訪れる。
しかしその静寂は、気まずさなど一切感じさせない、和やかな静寂だ。
互いが互いの理解者であると知っているからこそ、静寂があっても気まずくない悠馬は、大人しく夕夏の言葉を待つ。
「どこから話そうかな…あの日からがいいよね…」
どこか遠くを見ながら呟く夕夏は、どこから話すか決めたようだ。
「そっちの世界ではどうだったかわからないけど、私たちの世界では第6次世界大戦が起こってね。それの主犯が、6番目の王位継承者ティナ・ムーンフォールンだったの」
「ああ。こっちでも現れたよ」
多分時系列としてティナの出現は同じくらいのタイミングだろうが、そこから暁悠馬の物語は様々な結末に分岐している。
「じゃあティナの目的も知ってるよね。あの人は私の異能を欲していた」
「…そうだな」
ティナの目的は、夕夏の物語能力を回収し、混沌を倒した後に人類を滅亡させること。
そのことを知っている悠馬は、夕夏の言葉に小さく頷く。
「悠馬くんはね、ティナが私を殺すことを阻止するために、戦ったの。…私は悠馬くんに騙されて薬を飲まされて…起きたら全部終わってた」
彼女の意識があれば、ティナ戦に参加してくることは予想ができる。
だから暁悠馬は、彼女に睡眠薬を飲ませ、最後まで1人で戦った。
「起きて君を探したの。テレビでは戦争が終結したことになってて、理由は有耶無耶で訳がわからなくて、みんなに悠馬くんがどこにいるか聞いたの」
必死に探し回った。
大好きな彼がこの戦いを終わらせてくれたのだと直感し、彼が帰ってくるのを待った。彼を探した。
でも現実は残酷で、彼は帰ってこなかった。
「…みんな君のことを覚えてなかった」
初代異能王のエルドラがこの世から名前も異能も容姿も忘れ去られているように、暁悠馬も物語能力によって彼女を除くすべての人から忘れ去られるようになった。
初代だって、2代目異能王が記憶保持者だったから文献に文字化けした状態で残り、人々に魔王と勇者の話で語り継がれているが、暁悠馬の場合の記憶保持者は影響力のない美哉坂夕夏だけだ。
当然だが夕夏に影響力がない以上、彼が生きた証というのは、他人の記憶には何一つ残っていないことになる。
「それからね、異能島を卒業して、日本支部から逃げたの」
「そっか…」
「…異能島の友達と接すると、どうしても君の話をしちゃって、変な子だって思われるし、その度に私は君のことを覚えてないみんなに嫌な気持ちを抱いちゃうから」
美哉坂夕夏の人生は暁悠馬で彩られていた。
友人と会話をした際、ふと自然に悠馬の話題を振った時、友人たちの反応を見て、すごく嫌な気持ちになった。
誰も覚えていない彼の話。
戦争を終わらせた彼の話。
共に過ごした彼の話。
まるで自分の記憶が間違っているような扱いに耐えきれず、夕夏は日本支部を離れた。
「大学は中退したんだ。そしてこのイギリス支部に辿り着いた」
ここは暁悠馬の生きた痕跡もなく、暁悠馬の話題に触れるような要素もなく、暁悠馬の話をしたとしても、平等にそんな人がいたんだね。で完結する国。
それは一見冷たいように感じるかもしれないが、遠く離れた日本の情勢なんて、彼女の話の真偽なんてどうでもいい彼ら彼女らの反応は、夕夏にとって救いとなった。
「私がこの土地を買った後、司祭様が挨拶をしにきてくれて、その流れでミサに行ったの」
司祭的には、当時の夕夏の精神状態が不安で教会に呼んだのかもしれない。
社交辞令だろうが、律儀な夕夏はそれに応じ、ミサに参加した。
「最初はね、気を紛らわせるならなんでもよかったんだ。だけどミサに参加しているうちに、私も祈っていたら、いつか自分の罪も洗われるのかなって思って…縋ったんだ」
何かに縋りたかった。
娯楽なんかは気が引けて手をつける気にもなれなかった。
教会に行ってお祈りをして、心が救われたような気がした。
いつしか彼女は、教会に足繁く通うようになった。
自分が暁悠馬の人生の全てを背負い、贖罪のために祈った。祈っている間は、自分が罪滅ぼしをできているような気分になれた。
「情けないでしょ。私は宗教に縋って生きてきたの」
「そうは思わないよ」
悠馬は即答する。
宗教に縋るのだって、人に縋るのだって同じようなものだ。
もちろんあまりいい噂を聞かない宗教ならば戸惑いもしたが、彼女が縋っているのは王道的な宗教だし、別に情けないとは思わない。
「…ありがとう。それでね。私がお祈りをしてたある日、暁悠馬くんが現れたんだ」
「……」
きっとそれは悪羅百鬼だ。
暁悠馬がこの特異点に現れたのは今回で2回目、そのうちの1回目は悪羅百鬼である。
そのことを知っている悠馬は、何も答えることなく目を伏せた。
それはこの先の結末を知っているからだ。
「その暁悠馬くんはね。20年近く経ってたのに、見た目が高校生のままで…記憶を失ってたの。私ね、彼と出会って、私の祈りが届いたんだって嬉しくなった」
ずっと祈り続け、罪を背負い続けた彼女の前に現れた、自分の記憶のままの暁悠馬。色褪せない思い出。
それはもう嬉しいだろう。嬉しいなんてものじゃなかったはずだ。
願いが叶ったのだと思い、彼女は救われたはずだ。
「すぐに打ち解けた。会えなかった時間を埋めるように、私は君にまた恋をして、共に過ごして、深く知っていくうちに、おかしなことに気づいた」
夕夏ほど賢ければ、物語能力を保有していたら気づく、ある矛盾。
「私は物語能力で人を作れない。物語能力を使わなければ、人の年齢を止めるなんてことはできない。なら、目の前にいるこの人は一体、誰なんだろうって」
そう、物語能力がなければ、当時のままの暁悠馬なんてあり得ない。物語能力で人は作れないし、物語能力がなければ年齢は止められない。
少なくとも願いすぎて物語能力を発動させたなんて可能性はない。
年齢が止まっている理由も説明できない。
ならば目の前にいる彼は、一体何者なのか。
「その頃にね、イタリア支部でウルズの神器が見つかって。…教会では契約することで時間遡行ができるんじゃないかって話が上がってた」
夕夏は気づいてしまった。
彼が時間遡行をしたのではないかと。
「ほんと、バカだよね。自分のいいように君を解釈して、君が私の解釈に収まるようにしか理解しようとしなかった」
知りたくなかっただろう。
目の前にいる暁悠馬が、自分の知らない暁悠馬だったなんて。
再び恋に落ちて、その恋が自分の知る人との恋じゃなかったと知った時のショックは計り知れない。
ずっと偽物で穴埋めをしてきた自分に、ひどく苦しんだはずだ。
「結局ね…この世界って上手いように作られてて、時間遡行者が長時間滞在するとおかしなことが増えてくの」
時間遡行者がこの世界で永住することはできない。
それはそうだ。自分の都合のいい結末の世界で永住できたのなら、きっと誰もが時間遡行を行うはずだ。
だがそもそもこの世界は時間遡行の過程の世界であって、暁悠馬が死んだ世界線。
そんな世界に暁悠馬が存在してしまったのだから、矛盾も発生することだろう。
「私は仮説を立てた。彼は私の知らない悠馬くんで、何か目的を持ってこの世界に来たんだって。きっと時間遡行だったと思う。そしてそんな彼の時間遡行の障害は、きっと私なんだろうって」
暁悠馬…悪羅百鬼がこの世界に留まり続けた理由は、美哉坂夕夏がこの世界にいたから。
記憶を失っても本能的に惹かれ、再び恋に落ちた彼女と、共に過ごす決意をした。
「だからね、私、ソレで首を吊ったの」
夕夏は部屋にあるロープを指差して、平然と自殺をしたと吐いた。
悠馬は瞳の奥を黒く染め、茶色のロープを見る。
悪羅百鬼は怒っただろう。泣き叫んだだろう。発狂しただろう。
記憶を失っていたと言えど、彼女の死を眼前で受け入れるのは2度目。
しかし彼が時間遡行をうまく行うためには、美哉坂夕夏が生きた可能性を破壊しなければならなかった。
結果論だが、夕夏の仮説は正しくて、悪羅は夕夏が自殺したおかげでこの特異点を乗り切った。
「私ね、嬉しかったんだ。…こんな私でも、別世界の悠馬くんのためには役に立てるんだって。ようやく君の番から、私の番が回ってきたんだって思って…死んだんだ」
罪滅ぼしをしたかった夕夏にとって、その死は誇らしい死だったのだろう。
自分も好きな人のために死ねる、大好きな人がしてくれたように、次は私がしなくちゃいけない。
「…でもね。目が覚めたら、私はまた君を失ったところから初めてたんだ。2回目が始まっちゃったの」




