032
「また君がいなくなった後から、私は2回目をはじめなくちゃいけなくなった。わけわからないよね、私この人生2度目なの…って言っても、信じられないだろうけど」
夕夏は力なく笑って見せる。
普通なら頭のおかしな女だと思われる発言を、信じてもらえるとは思っていないのだろう。
八神と同じく、悪羅の影響で1度目の物語を終えた彼女は、目が覚めると2度目を始めていた。
「すごく嫌だったんだ。…どうせ2度目が始まるなら、悠馬くんがいなくなる前に時間を戻してくれたっていいじゃん。なのになんで、悠馬くんがいなくなった後から2度目が始まるの?」
ようやく終わった物語。
自分が悠馬と同じように、今度は悠馬のために喜んで命を差し出したのに、再び同じ物語を歩む必要が出てきた。
悠馬の死が確定した後から2度目を始めさせられた夕夏は、この世界を憎んだことだろう。
「2度目が始まった理由はわからないけど、意外とすんなりと受け入れられたんだ。…これも私の罪、そんな簡単に許してもらえるわけがないって思ってたから」
好きな人を犠牲にして生きてきた自分の罪が、一度の死で許されるわけがないと考えた夕夏は、この地獄のような2度目を大人しく受け入れることにした。
生活を変えず、日本支部を離れ、教会に行き祈り、娯楽に手をつけず、ただひたすら慎ましく過ごした。
「そうして17年が過ぎた。そして今日、また君に出会った」
どこかでまた会えるかもしれない、再び記憶を失った彼が現れるかもしれないと思っていたからこそ、道端で簡単に悠馬を見つけることができた。
どこへいたって必ず見つけ出す自信がある夕夏は、亜麻色の髪を耳にかけながら嬉しそうに微笑む。
「多分ね、君がこの世界に来た目的は、私に大きく関係してると思うよ。だって前回は、私が死ぬことで彼を送り出したんだから」
「…俺もそう思う」
夕夏を殺すことで悪羅がこの世界を破壊したなら、夕夏を生かすことこそがこの世界を救うことに繋がるはずだ。
これは時間経過で解消するようなものではなく、この世界で傷つき歪んでしまった美哉坂夕夏という少女の精神を救うことで初めて解決するのだろう。
別途条件っていうのは、美哉坂夕夏の精神を救うことであると見ていいだろう。
じゃあ何をすればいいのか。
夕夏の精神を救うために何をすればいいのか考える悠馬は、真っ直ぐな彼女の茶色の瞳を見る。
「君の世界の話を聞かせてくれるかな?そしたらきっと、私は大丈夫だから」
彼女はそう呟く。
まるでそれだけで自分の精神は救われると言うように話す彼女の表情に、曇りはない。
「えぇっと…どこから話そうか」
夕夏に君の世界の話と言われた悠馬は、少し恥ずかしそうに頬をかく。
「そうだな…まずは…俺、高校卒業と同時に異能王になったんだ」
「…夢だったもんね、おめでとう」
自分が高校卒業後、どんな進路に就いたのか話す。
夕夏はこっちの世界の悠馬も異能王を志望していたのか、特に驚くこともなく祝ってくれる。
「ありがとう。…それで…花蓮ちゃんや夕夏と結婚してね。子供は今高校生なんだ」
「もう高校生かぁ…男の子?女の子?」
「男だよ」
遠くを見るような眼差しを向ける夕夏は、高校生の子供がいると聞いて感慨深そうにしている。
彼女自身、悠馬を失ってから恋愛をしていないようだし、精神的なところは高校時代で止まっているから、まさか別世界の自分が高校生の子供を育ててるなんて想像できないんだろう。
「男の子なら悠馬くんに似て、きっとかっこいいだろうね」
「俺に似てるかはわからないけど、夕夏の血を引いてるだけあって顔は整ってると思うよ」
実際性格も夕夏似で素直で真面目だし、なずなに聞いた感じ学校ではかなりモテてるみたいだしな。
「見てみたかったなぁ…黒髪?茶髪?」
「黒髪だよ。目は夕夏に近いかな」
「それはモテるだろうね。あー…私も子供欲しかったなぁ」
悠馬の話を聞く夕夏は、自分も子供が欲しくなってきたようだ。
元々悠馬と生涯を添い遂げる気だった夕夏は、家庭を持つこと自体抵抗はなく、むしろ憧れに近いものがあった。
しかしそんな憧れは打ち砕かれ、残念なことに生涯独身ルートになったわけだが、やはり話を聞くと欲しいものは欲しいままだ。
一度悠馬を確認した夕夏は、ふぅっと息を吐き、瞳を閉じる。
「なんだか、想像するとそっちの私は幸せそうで安心したなぁ。君の世界と私の世界で、幸福と不幸の釣り合いが取れてる感じっていうのかな?」
夢を見るように、目を閉じて嬉しそうに呟く。
彼女だって、そんな世界に生きたかったはずだ。
自分の不幸で他の世界の自分が幸福になれているなら、それで大丈夫とも取れる発言をしたこの世界の美哉坂夕夏は、精神的には未熟なはずなのに、随分と大人びて見えた。
心は高校生の頃で止まっているのかもしれないが、彼女は人の幸福を心から祝える人間だ。
そんな彼女を見ていると、なんて声をかければいいのかわからなくなった。
別に、励ましの言葉や同情の言葉が欲しいわけじゃないってのはわかってる。
ただ、彼女の姿を見ていると、この先この世界の美哉坂夕夏は、一生1人で生きていく覚悟なのだろうと思うと、なんて言葉で彼女に声をかければ最善なのかわからなくなっただけだ。
夕夏は言葉を選ぼうとする悠馬に気づき、ふっと微笑んで見せた。
彼女のまっすぐな瞳と、柔らかな笑顔が向けられる。
「大丈夫だよ。悠馬くん。私はまだ生きていける」
今の話を聞いて、少し気持ちが楽になった。
過去は消えないけれど、都合よく時間は巻き戻らないけれど、別の世界の自分が幸せに生きているのを知って救われた気がした。
「それで?君がこの世界を救いに来た本来の目的って何なのかな?別に慈善事業できたわけじゃないんでしょ?」
「…夕夏」
「ん?どうしたの?」
なんでそんな顔してるの?
悠馬の寂しそうな表情を見た夕夏は、なぜ彼がそんな表情をしているのか理解できずに戸惑う。
「俺さ…俺も死ぬらしいんだよ」
「な…え…?」
彼女は表情を大きく変える。
悠馬の死ぬ発言を聞いた瞬間、夕夏は手を伸ばし、悠馬をベッドに押し倒していた。
ドサッという音が室内に響く。
彼女の柔らかな右の手が悠馬の胸元を掴み、胸元に鈍い痛みが走る。悠馬はそれを大人しく受け入れた。
「どういうこと?…どういうつもり?許さないよ?許すわけないよね?」
馬乗りになる彼女の華奢な身体から、重量が伝わってくる。
悠馬は仰向けのまま、馬乗りになっている夕夏を見上げた。
レッドパープルの瞳と、茶色の瞳が交錯する。
彼女からすると信じられないだろう。
いや、信じたくないだろう。
別世界の幸せの絶頂にいると思われる暁悠馬の死。
自分とはまた別の結末になることは違いないが、結局暁悠馬が死ぬという残酷な現実を突きつけられ、彼女は絶望に打ちひしがれる。
「ティナと混沌の物語能力、誰が授けたか知ってるか?」
「確か以前、天照が…悪い神が授けたって…」
「その悪神が、俺の世界に現れたんだ。そしてどうやら、俺はソレと戦わなくちゃいけないらしい」
「でも…いくら君でも神が相手は…そうだ!私がもう一回死ぬから、時間遡行しよ!?そしたらきっともっといい結末が…!」
「夕夏。君の命はそんな軽いものじゃないだろ。冗談でも本気でも怒るぞ」
自分が死ぬから時間遡行をしてくれ。
人が神に勝てるわけがないと思っている夕夏は、真っ先に自分を犠牲にして望む結末を手にするように提案した。
しかしそんな夕夏の提案を、悠馬はあっさりと拒否する。
怒った表情で、自分が死ぬと言った彼女を見上げる。
夕夏は悠馬の眼差しを受けて、俯きながら目を瞑った。
「だって…あんまりだよ…君も必死に生きてきたはずなのに…その仕打ちが天寿を全うするんじゃなくて…神に…」
「…死ぬつもりはない。…って言っても、他の神に俺は死ぬって言われてるんだけどな」
星屑に死ぬと宣言されている悠馬は、運命に抗うつもりではいるものの、自分が死んだ時のための準備を始めている。
「そんな…」
自分の世界の夕夏に打ち明けることはできないが、こっちの世界の夕夏に気持ちを吐露する悠馬の姿は、これまでに見たことがないほど弱気に見える。
「夕夏、悲しむかな…」
「悲しむに決まってるでしょ!?私がこんなにも好きなんだから、そっちの私だって私以上に君を好きに決まってる!」
どんな美哉坂夕夏だって、暁悠馬の死は悲しむに決まっている。
自分自身が美哉坂夕夏だから、ハッキリとそう断言できる夕夏は、ふと記憶の片隅にある黒い影を思い出し、頭痛のようなものを感じて額に手を当てる。
何か重要なことを忘れている気がする。
今の光景、悠馬の弱気な姿を見て、一瞬記憶の何かがリンクしたような気がして、目を細める。
何かあったはずだ。何かを伝えなくちゃいけなかったはずだ。誰かと約束をしていた。伝言を預かってたはずだ。
黒い影に何かを囁かれた記憶を思い返し、夕夏は本能的に鳥肌を立てた。
「そうだ…あの子…。君の世界には時間遡行者が2人いる…」
夕夏は何の記憶なのかもわからない記憶を掘り起こし、そんな言葉を発する。
「…1人の間違いだろ?」
時間遡行者は悪羅百鬼だ。
しかし1人の間違いだと言うと同時に、それだと夕夏の呟いた〝あの子〟の意味がわからなくなる。
夕夏は険しい表情のまま、記憶の底に沈む何かを思い返す。
「悪羅に会えって…」
「っ!?」
悪羅に会えだと?
悪羅百鬼という名前は、この世界の美哉坂夕夏が知り得るものじゃない。
それはそうだ、この世界に訪れた悪羅百鬼は、まだ悪羅百鬼になる前の暁悠馬で、挙句彼はこの特異点で記憶を失っていたから、名前なんて名乗っていないはず。
ならばなぜ彼女は悪羅の名前を知っている?
ここに訪れてからの記憶を思い返しても、暁悠馬の話はしても悪羅の話をした覚えはない。互いに悪羅という単語すら発していない。
「夕夏…どういう意味だ?」
考えても考えてもわからない。
彼女が悪羅を知っている理由、時間遡行者が2人いるという話。
異能王として16年勤めてきたが、未来を知っているような動きをしている人物はいなかったし、悪羅以外の時間遡行者なんて可能性も考えていなかった。
しかも悪羅に会えと言ったって、悪羅はもう死んでいる。
あの日、空中庭園で彼の消失は確認しているし、間違いなく悪羅が死んだという確信がある悠馬は、額に手を当てている夕夏を見上げた。
「わからない…でも伝言なの。私、大丈夫だよ。あの子と約束したんだ」
何かを思い出しているのか、その子と約束したから大丈夫だと話す夕夏は、徐々に頭の痛みが引いてきたのか、落ち着いた様子に戻っていく。
「…いずれわかるのか?」
「うん。君の努力は無駄にならない」
星屑が選択を迫ってこないということは、2人目の時間遡行者は味方だということだ。
すでに出会っているのか、まだ出会っていないのかは知らないが、秘密裏に動いているのを見る限り、まだ知られてはいけない理由でもあるのだろう。
悠馬がそう判断すると同時に、体は光り輝く粒子で覆われる。
「え…?夕夏、これ…」
目的を達成したってことか?
この世界を救ってくださいって、まだ何もしてないぞ?
なぜ自身の体が光っているのかわからない悠馬は、唖然とした表情で夕夏を見る。
夕夏は悠馬が消滅し始めるのを見ると、優しい笑顔を向けた。
「本当に私は大丈夫だからね。君は君のやるべきことをやるんだよ。どうしようもない時は、必ず私が助けるから」
夕夏がそう呟くと同時に、暁悠馬は消滅した。
まるで最初からいなかったように、部屋に1人取り残された夕夏は、少し晴れた表情で立ち上がる。
「さて、あの子も頑張ってる。悠馬くんも頑張ってる。私も頑張らないとな」
オレンジ色の夕焼けが窓から差し込む部屋の中、そう呟いた彼女は、正面に見える黒い影に向かって手を振る。
「⬜︎⬜︎…これで良かったの?」
彼女は1人、そう呟く。
別に幻覚が見えているわけでも、精神がおかしくなったわけでもない。
彼女はこの世界に現れた、2人目の時間遡行者と会話をしている。
彼女は2人目の時間遡行者と出会い、その人物と色々な会話をすることで、この世界の暁悠馬を失った記憶を受け入れることにした。
だって目の前にいるこの子は、美哉坂夕夏なんかよりももっと過酷な人生に立ち向かっているのに、こんなにも真っ直ぐに輝いているのだから。
彼女の前で弱音なんて吐いてられない。
黒い影は夕夏が笑顔を見せると、コクリと頷いて小さく手を振る。
人の物語には大なり小なり壁が立ちはだかる。
生きていればよくあることだ。
それがトラウマになって立ち直れない時だってある。
乗り越えられない時だってある。乗り越えられる時だってある。
乗り越えられなくたっていい。
逃げたっていい。
遠回りしたっていい。
その回り道が、きっと貴方の人生をより輝かせる。
きっとその回り道は、貴方を裏切らない。
それは貴方の積み上げてきた人生の奇跡。
これから一生、貴方の糧となり、貴方の人生を支えてくれる。
20年近く遠回りをした。
暁悠馬の記憶を遠ざけ、贖罪のために教会に通った。
それは間違いじゃなかった。
ふたたび暁悠馬に出会った。
彼のために死んだ。
彼のために生きた人生だった。
だから彼のために死んだってよかった。彼のために死ねることが誇らしかった。
そうして幕を閉じたはずの人生がもう一度途中から始まった時は絶望したけれど…
またこうして暁悠馬と、そしてこの子と会えたのだから、きっとこの回り道は間違いじゃなかったんだと思う。
この日のために、回り道をしてきたんだと思う。
彼女は黒い影を笑顔で送り出す。
「⬜︎⬜︎、いってらっしゃい!疲れた時は休むんだよ?無理しちゃダメだからね?」




