156.女神の胎を破る術
「え?」
「いや、何でもない。賢者よ、ルカ殿がここで行方知れずとなったのは本当か?」
「ああ、本当だよ」
実際目撃者が限られている以上、彼女が消えた原因がこの場所だと言う事を証明する手だてはない。目撃者はパトリックだが、彼の証言だけしかないのだ。
それを理解した上でソルソフィアに確認したメルディアスがこちらを向いた。
「本来なら色々と追及すべき所だが、今は差し迫った状況だ。彼女は私の憂いを払ってくれた唯一の人だ。だから私も微力ながら手を貸そう」
そう話すメルディアスの表情は真剣だった。そんな堅物の司祭の変化にソルソフィアの隣にいたクラヴィスが目を細めたがそれは一瞬のこと。
「お待たせソル、調べてきたよ」
屋敷の資料室で過去に催された感謝祭と聖歌隊の記録を改めて確認していたルーデウスが姿を見せた。
いつもの面々以外にメルディアスの姿がある事に気づいたルーデウスがうげっと苦い顔をしたが、すぐ元通りの顔になった。
「ここは人目があるから、話は向こうの部屋でしよう」
「そうだね。でもまずはパトリック君を病院に運んでくれるかい?」
「わかった」
魔力を抜き取られ体が動かないパトリックを、ルーデウスが転移魔術で賢者関連の病院に連れていった。それらが終わったルーデウスが控室に戻ってくる。
控室は念のため防音魔術を施した。その合間にも床が揺れる。地震が絶え間なく続いており、空も厚い雲で覆われていた。まるでこの世の終わりのような様相である。
皆を前にしてルーデウスが調査内容を話し始めた。
「まず聖歌隊に参列した行方不明者の件だけど、これは条件は不明だけど数年に一度の割合で発生していた。そしてその家族や身近な者達には強力な暗示がかけられていた」
今回のように何故かパトリックだけが消えたバルタスの事を覚えていたのは異例で、ルーデウスが調査した限りでは殆どの者が彼らの存在を覚えていなかった。
「それは忘却魔術に似た類いのものか?」
魔術の中には精神に干渉するものも存在するとメルディアスは知っていた。もしかするとその魔術を使った者がいるのではと思ったのだ。
「いや、それが魔術の痕跡は確認できなかったんだ」
「どういうことだ」
事前に対象者の関係者達を調べておき、感謝祭後に彼ら一人一人の記憶を改竄しにまわる事は不可能ではないが、時間と手間がかかる上、目撃者の存在にも気を使わなければならない。その為この手段は考えにくい。
室内が微妙な空気になる中、ソルソフィアが重い口を開いた。
「……おそらく、それ以上の力が働いた。感謝祭は女神の力がより強まる時期でもあるしね」
メルディアスがソルソフィアを睨んだ。
「バカな! 女神が人間に干渉したというのか」
「干渉したのは神力であって、女神の意思か否かは別の話だ。わかるかい、メルディアス君?」
女神デライアは豊穣と恵みを司るこの世界における創造神だ、謂わば母のようなもの。その善き神が彼女の子ともいえる人間を仇なすなど――
ソルソフィアの淀みない金の瞳はメルディアスの心を刺した。
「神学家の君は神に従順だが、君は女神の一側面しか見ていない。善性は確かにあるが、それ以外の顔もあるんだよ。古の伝承によれば昔彼女は自分の夫を喰った事がある」
「……は?」
古代、女神デライアは世界の創造を他の神々と共に粛々と進めていた。精霊や動植物、人間を少しずつ増やし世界を構築する。神には眷属という神力行使の補佐を担う存在がいるが、彼女は生涯通し眷属を選定しなかった。
「でもね、一人だけいたんだよ。眷属に一切興味を示さなかった彼女が唯一心底夢中になった人間の男がね。当時はまるで人間が行う婚姻のように男と契った彼女は共に幸せな時を過ごし、そして最後に彼を――喰った」
「……」
喰ったというのは言葉通り「食べた」という意味だ。絶句し言葉の出ない一同を前にソルソフィアは苦笑した。
「ふふ、野蛮だろう? 君達が嫌悪するのもわかる。だが古の神には獣性がありそれ以外の性も宿している。古来神が唯一と定め見初めた者と本能のままに一つになる行為は彼らの究極の愛情表現だったんだ」
「……それはあくまで伝承で、真実とは限らない。適当なことを言うな、私は……信じない」
通常なら女神を貶めるなと怒り狂うであろうメルディアスは意外にも僅かに俯くのみだった。そんな姿にソルソフィアはおや、と拍子抜けした。
「まぁでもそれはたった一度だけ。その後はずっと彼女は誰も選ばなかったよ」
神はこれと定めた相手には一途だが、相手が人の場合接し方に気をつけなければならない。
互いの命の長さも障害となる。女神がそのような行動に出た理由、それは瞬き程しかない命の人間と自分との間で確かに繋がった証を欲していたのではないか。
同一化した手段は見解が分かれる所だが古き神とはそういう性があるのだとソルソフィアは思っている。
「それはさておき、パトリック君の話だと壁の向こうに閉じ込められているのはルカだけで他の者はいなかったそうだ。メルディアス君とリオン君の二人にはすぐに扉を開ける儀式の再現をしてもらいたい」
リオンが目を瞬かせる。
「聖歌隊の、ですか?」
「いや同じでなくて構わない。必要なのは壁を抜ける事だ。ルー、あれ持ってきた?」
呼ばれたルーデウスは手にした資料をメルディアスとリオンに渡す。その資料を見てメルディアスが驚いた。
「なんだこれは――女神の胎?」
「おや凄い、メルディアス君は古代文字が読めるんだね。勉強熱心で良いことだ。そこに書かれた術式は女神の力に干渉する為の式でね。昔の魔術師が使っていたんだ」
一体何処から引っ張り出してきた物なのか、不審に思いながらもメルディアスが読み進めていくと、ふとあることに気づいて顔をあげた。
「賢者、まさかこの術式は禁書から写したものではないか?」
「あ、緊急事態だから」
軽口を飛ばすソルソフィアにメルディアスは顔をしかめた。彼女のこの軽さがとても苦手だ。禁書は外部貸し出し複製禁止とされており、罰則もある。にもかかわらず安易に複製した。賢者権限だか何か知らないが、全く悪びれる素振りのないソルソフィアを見ると苛々した。彼女とは根本的に合わないのだ。
だが途中でクラヴィスが部屋にいない事に気付き、辺りを見渡す。
「所でルドシエル殿は?」
ルーデウスが展開したとおぼしき魔方陣へソルソフィアが歩いていく。
「クラヴィス君ならもうとっくに準備に入ってる。彼は私が言わなくても自分のやるべき事をちゃんと理解している、感心するよ。私もこれからトゥーラ遺跡に向かわなくてはならない。あとの事は頼んだよ!」
上空で流れる黒灰色の雲はトゥーラ遺跡に向かっている。ルーデウスとソルソフィアは現地の確認をするため転移魔術を使い移動していった。
後に残されたのはメルディアスとリオンのみ。そして控室の扉が開き、魔術師団の制服に着替えローブを羽織ったクラヴィスが入ってきた。
「二人とも準備は?」
「ああ、大丈夫だ。これから祭壇へ向かう」
「僕もこの式は覚えました」
メルディアスもリオンも地頭が良く、二人共魔術式なら一目見ただけで記憶してしまう。
そして三人は控室を出ていった。




