151.悪食の呪花と異質な力
「……!?」
絶句し言葉がでないパトリックから、一歩後退した形でバルタスが重い口を開く。
「私はもうすでにこの世にいない存在なのです。じき私の魂は女神様の元へいくでしょう。ですが貴方は生者で私とは違う。帰らなければなりません」
「女神だと? ああ、そうか……それなら僕も同じだ。僕だって選ばれたんだ奴らに!」
自分もバルタス同様に贄なのだと彼は答えた。手を伸ばし、共に行くという姿勢を示した。
「いいえ、助けます。貴方を贄にはさせません」
「……?」
温かな光がバルタスの重ねた両掌から生まれた。それは彼に残った僅かな魔力で、それはパトリックの胸の中心に吸い込まれていった。
「貴方は俺にとって大切な主でもあり、友人、兄弟のような存在でもあったんです。だからどうか最後くらい、守らせてください」
魔力を受け取ったパトリックは彼の思いを理解したのか、大粒の涙を溢して拳を握った。
「――すまない、バルタス。僕のせいで」
バルタスは柔らかく微笑んだ。
「さぁ、行ってください。今ならまだ間に合います。どうか急いで、見つかる前に」
その言葉を合図に一気に景色がぐるりと変化する。美しい草原は跡形もなく消失し、再び白い空間に戻った。
隣には彼女がいた。バルタスと話していた時間はどれ位だったのか。不思議な面持ちでパトリックは瞬きした。
「……君は?」
「憑き物が落ちてるね、良かった。ああ魔力も増えてる。これならどうにか戻れそうだ」
パトリックの言葉を遮り、彼女は彼の体の向きを変えた。突然背中もこそばゆくなる。慣れた手つきで彼女は何か文字を指先で書いていた。もしかしたら、何かの魔術かもしれない。
「うん、これでよし。このまま一直線に真っ直ぐ進みなさい。決して後ろを振り返ってはいけないよ。君は今から『空気』になったのだから。風は後ろから吹く――物事が思い通りに進む時はそういうものだ」
さっきまでと口調が変わった事に若干驚きつつも、まるでこの娘は少年のようだとも思った。
彼女は魔術師か。パトリックの方が絶対年上のはずなのに随分な言い方である。
「さあ、行って。壁を抜けたらきっと誰かがいるはずだから」
そして彼女はふっと背中に息を吹きかけた。すると足が意思を持ったように勝手に前へ動き出す。やがてそれは小走りに、段々駆け足となり、最後には信じられない程の速度になった。
パトリックの姿が見えなくなったのを確認し、彼女がぱんと手を叩く。白い影であったバルタスが現れた。
肩越しに彼女は辺り一帯を一瞥した。パトリックはバルタスのことに手一杯で全く気づいていなかったが、彼らの足元は様々な色彩に妖しく咲く呪花が幾つも群生していた。
その下にある地面は見るも憚られる程、腐敗した肉塊がおびただしい数点在し、蔓や根が這っていた。
腐敗した肉塊は彼らの本体であり、即ち遺骸だ。呪花から発生する芳香が空間内を占めていた為、死臭に気づくことが出来なかった。
それで良かったと思う。ただでさえパトリックははじめから精彩を欠いており、遺骸など見つけていたら、さらに精神を惑わせる事になっただろう。
彼女は白い影を見上げた。
「無事に別れの挨拶は済ませられたんだね」
「……はい。ですが貴女には謝らなくては」
「いいよ、気にしなくて。どのみちこの部屋から出入りできるのは一人だけ。あなた達だって被害者だ。……それよりコレ、どうにかしないとねえ。参ったな」
肩を竦めて下半身をみる。彼女の体は呪花から伸びた蔓に巻き付かれ、拘束されていた。彼女の魔力は最早枯渇している。この世界で魔力欠乏になると、禁断症状もしくは死に至る場合がある。
だが彼女は平然とした顔だ。
「そんな顔しなくても大丈夫だよ。この空間を弄る時に力の質が変わったから」
正確には魔力が事切れる寸前で生命を維持する為に、体の機能が変化した。どういう訳か面白い事に、今は『霊力』という力に切り替わっている。
これはこの世界には存在しない。あちら側のもの。
さらに分かったことがある。それは呪花は魔力を好むが霊力はお気に召さないらしい。呪花メリシアにとって、まだ理解出来ない未知なる力なのだ。
立ったままではさすがに辛くなってきたので、どうにか地面に腰をおろして白い影に声をかける。
「あなたはさっき女神の元へ行くと話していたけれど、できるならそれはさせたくない。あなたが行くべきは輪廻の輪だ。そこに行く手伝いを私はしたい」
「……」
この空間を何とかして破壊する事ができれば、外にさえ出れば彼らの魂は天へ還る事ができるはず。
ふと彼女の中に眠る神剣を顕現させるべきか迷ったが、魔力にしろ霊力にしろ、これ以上の消耗は避けるべきと一旦思いとどまった。
白い影バルタスの返事はない。彼女同様、彼も魔力を使い果たし、今は意思を伝える事さえ難しい状態だ。このまま時間が経過すれば魂もいずれ消滅する。
「とりあえず一度、アカシャの所行って調べて来ようかな」
それが今考え得る最良の選択に思えた。そう結論づけ、ひとつ瞬きする、
――だが、
「え?」
何度瞬きしても何も起こらない。刹那の刻を越える事ができない。
叡知の世界へ行くには『刹那』の刻を掴めば問題ないはず。今迄だって何度もそれを繰り返してきた。
珍しく狼狽する。
「なぜ? ……まさか、この花が原因?」
呪花の蔓はすてに腕にも巻き付いている。胸元にさげた昔の杖の欠片に触れ、神剣を顕現させようとした。
が、掌から反応はなく、蠢く蔓を見つめて彼女はハッと顔をあげた。
「! この蔓、いや花は進化し始めている。魔力だけでなく違う世界の力も取り込もうといるのか」
なんという悪食か。
さすがに霊力も枯渇すれば彼女の身が本当に危うくなる。神剣には意思があり、彼女の呼び掛けに応えなかった。これ以上の力の消耗を防ぐためだ。
「不味いことになった。これでは――」
「……きゅ、きゅう~」
生死にかかわる緊張の漂う中、この場にそぐわない音が鳴り響いた。自分の腹からのものではない。
服の裾から、茶の毛並みをした小さな獣がひょっこり顔を出していた。音の正体はこの獣の鳴き声だ。
「ついてきてしまったのか」
彼女は目を見開き驚いた。獣はこの世界で拾った。これはごくわずかの魔力を糧とする。けれどその魔力は今はない。次に起こり得る事態を想像し、彼女は眉を寄せた。
「ごめんね、魔力がなくて餌があげられない。でも大丈夫、きっとすぐに助けが来るから。それまで眠っていよう」
胸元に守るように獣を抱き締めた。
植物が水を吸うように、少しずつだが霊力も減ってきている。体も変わらず怠く重い。これは意味のない時間稼ぎ、気休めかも知れないが、思考を停止し動かなくなった彼女はゆっくりと瞼を閉じていった。




