149. パトリックと入れ替わりの青年の行方
翌日、ティナは賢者ソルソフィアの屋敷に向かった。教会の裏庭で栽培し管理されていた、メリシアと呼ぶ白い聖花を偶然にもメルディアスから貰ったからだ。
その花を屋敷地下、第三階層にいるトリニティに調べてもらう為、ここにやってきた。
出迎えにきたルーデウスに籠に入れた白い百合のような花を出して見せた。その途端、彼は精霊王の森での事件を思い出したのか、思いきり顔を曇らせた。
「この花、メリシアだね。どこで手に入れたの?」
「教会の裏庭に咲いていたものよ。ある人に貰ったの。色は違うけど、これに似た花が精霊王ユールディウス様のお墓で呪花に使われていたのを覚えてる?」
「勿論、忘れたくても忘れられないさ」
「あの花だけが特別だったのか、それともメリシアも呪花の機能をもつのか調べて欲しいの」
ルーデウスが驚き、目を見張った。
「すごいね。僕らは基本教会へ入る事はできるけど、その奥へ行くのは禁じられている。裏庭などもってのほか、ましてやメリシアを手折るなんて司祭職以上の地位でなければ出来ない。……ん、あれ?という事はティナもしかして司祭と知り合いなの?」
「えっ、まぁその……」
(メルディアスさんとちょっと話して偶然貰った、なんて言ったらびっくりするよね?)
不思議そうに首を傾げるルーデウスに曖昧に濁して返し、花の入った籠を彼に渡した。
「と、とにかくお願いします」
「わかった。ソルに伝えておく。後でトリニティと解析してみるね」
「ありがとう」
ルーデウスにメリシアを預け屋敷を出ようと向きを変えた所で、常に出入りしている作業員の姿が目にとまった。そして思い出したように、ふと立ち止まる。
「……ティナ?」
「そうだ、ルー。ここの人達の中に髪の毛で悩んでる人って、いないかな!?」
もしかしたら作成した『育毛剤』の治験者がここで見つかるかも知れない。きょとんとしている彼に私は卒業試験の事を話した。
話を聞き終えるとルーデウスは頷き、「待ってて」と姿を消し、すぐに年輩の男性作業員を連れてきた。
その作業員は頭髪が無く、もし可能なら治験を受けてみたいと希望してくれた。
「この頭、オレんとこの家系でさ、親父も爺さんもそのまた爺さんもこんなカンジだったからなー!でもそれが生えてくるなんて、面白そうだし試してみたいぜ!」
「――だ、そうだよ」
禿頭の作業員の隣でルーデウスが顔を弛めた。
「! ありがとう。助かります」
思いの外、すんなり育毛剤を試させてもらえる人が見つかり、安堵した。二人に感謝した。
卒業試験は期間が定められており、その期日内に提出すれば良い。早速後日、作業員の彼を薬師養成所へ共に来てもらい、試験官の前で開発した育毛剤を使用する。
この薬は通常と違い、即効性が極めて高い。育毛剤塗布後、まもなく数センチの発毛効果があるのだ。
薬の実証実験を披露し、製造法が書かれた用紙を試験官に提出する。
そうして卒業試験は滞りなく終了した。
◇◇◇
感謝祭に向け練習した歌も形になり、いよいよ本番の日を迎えた。
聖歌隊の服は白を基調とした全身を覆うローブ、可愛らしいベレー帽が準備されており、ティナ達は素早くそれに着替えた。
いつも持ち歩くようにしている杖は鞄の中にある。念のため、御守り代わりに以前破損した子供用の杖をコルク状に整え、それに麻紐を通し首にかけた。
「歌が終わったら、そのまま帰っていい。その後の司祭様の説教を聞いていってもいいそうだよ」
「わかりました」
聖歌の後、司祭が教徒達に説教を行い、聖花メリシアを魔法で天井から降らせ教会内の感謝祭に纏わる儀式はお開きとなる。
その後は町中で賑やかな祭りが開かれる。
(……まぁ、もうとっくに外でお祭りは始まってるんだけどね)
教会の窓はまだ数ヶ所開いており、そこから賑やかな音楽、人々の笑い声が聞こえている。
今日、クラヴィスは魔術師団の仕事で登城している。業務は午後には終わるらしいので、お互い終わり次第、町の大きな噴水のある場所で落ち合おうと約束してある。
準備も整い、皆が発声練習を始める中、ただ一人控室の隅でどこか思い詰めたような表情のパトリックがいた。
(パトリックさん?)
「……」
先日、誰も居ない白壁前でぼうっと佇んでいた時と同じだ。こちらから何かを話しかけられる雰囲気が感じられない。
やがて時間になり、司祭の一人が控室に入ってきて、皆を整列させた。
「さぁ、皆さん順に並んでください。そのまま前の方について進んでください」
私達は誘導され中央に設置された壇に並ぶ。前にある祭壇には美しい聖花メリシアが大きな花束にアレンジメントされ置かれていた。
パイプオルガンの音が流れ始めた。女神デライアがこの地に与える豊穣、恵みに祈りを捧げ、感謝を送る歌を奉納する。
皆が歌う中、中央に立つパトリックの美声は一際異彩を放っていた。彼はソロパートを難なく終え、祭壇上のメリシアを恭しく抱えた。
事前のリハーサルでその後の動きはおおよそ把握している。この後すぐ聖花を携え、教会奥にある一般立ち入り禁止区域に入っていくのだ。
瞬間、私は魔力を放つ。
(お願いします。セレスティア様、ユールディウス様……!)
聖歌が続く中、精霊王ユールディウスと風の神セレスティアを事前の手筈通り、同時に召喚した私は自分の分身を形成し維持するよう頼んだ。
そして自らに認識阻害の術を施し、教会奥に向かうパトリックの後を追った。
(……ユールディウス様とセレスティア様の力なら、万が一の事があっても私の姿を維持できるはず)
二人共、この計画に気乗りしない様相であったが、渋々ティナの頼みを聞き入れてくれた。あとで沢山礼をしようと思う。
聖歌は彼らに任せ、前を行くパトリックの背を急ぎ足で追いかける。
教会奥、目的の場所にたどり着いたパトリックはそこに設置してあった小さな祭壇にメリシアを置いた。そして膝を落として両手を組み、祈りを捧げ始めた。
その祈りに呼応するように、眼前にある白壁が光りだす。彼は壁が輝いている事には気づかず、祈りを終えふっと顔をあげた。
だがその瞬間、壁から幾つもの白い腕が這い出てきた。ティナは思わず声をあげそうになった。
「……ようやく、ようやくだ。この時をずっと待っていた」
(!? もしかしてパトリックさんにはコレ、見えてるの?)
その囲まれるように現れる白い腕を見回し、パトリックは今にも泣き出しそうな顔をしていた。ティナにしか聞こえない、か細い声で彼はポツリと呟くと伸びた手に体中を拘束され、一気に壁に引き摺られ飲み込まれていく。
私は慌ててパトリックの手を掴み、必死に力を込め呼びかけた。
「パトリックさん!ダメよ。早くこっちへ逃げて!」
「! 君は――」
誰も居ないはずの空間から娘が現れた。さらに自分の名を強く呼ばれ、彼は驚きを隠せないでいる。それも当然だ。なにせティナは魔術で姿を隠していたのだから。認識阻害の術を解除し、尚も呼びかけ頭を振った。
「この壁の向こうには何もない。ここから今すぐ離れましょう。パトリックさんの求めるモノはないのよ」
「……いいや、ある。聞こえるんだよ声が。三年前、彼は、バルタスはここで消えた。早く行って助けてやらないと!」
三年前とはどういう意味だろう。仮にバルタスという人物が壁の向こうに存在するとしても、そこで生きている可能性は皆無に等しい。
ティナの中に動揺が走った。こちらの手を強引に振りほどこうとするパトリック。彼の意志が強く、白い手から発せられる不気味な魔力もそれに呼応し強まった。これは彼の魔力を吸っている、そう直感的に私は思った。
「離してくれ、頼む」
「……くっ、」
果たしてこの壁の向こうに何があるのか分からない。このまま手を離せば彼はもう戻ってこない恐れがある。絶対に離すものかと私はさらに力を込めた。
(シア、私はこのまま彼と一緒に壁の向こうに行くわ。……だからごめん、姉様かラヴィにこの事を伝えて)
髪にひそむ白銀の精霊シアを喚び、助けを呼ぶよう求めた。シアが承知したと頷く。
『わかったよ、でもティナ……えっ?』
そのすぐ後、シアが返す間もなく、私とパトリックの姿は壁の向こうに消えた。
◇◇◇
三年前の感謝祭、聖歌隊にパトリック・エルドナも参加する事に決まった。彼はエルドナ商会の一人息子で幼い頃から歌が特別上手かった。
女神教でも有名なパトリシア聖教会で聖花を捧げる役に抜擢されるならば、これほど栄誉な事はない。
そうなればエルドナ商会の良い宣伝にもなろう。周囲の薦めもあり、パトリックは聖歌隊に参加する事になった。
――だが
「……けほっ、」
「ああ、いけませんね。また熱が上がっています。今日の練習は休みましょう。俺、ちょっと行って教会の方に伝えてきます」
「すまない、バルタス」
「いいんです。謝らないでください。それより安静にしていてくださいね」
バルタスと呼ばれた男が伝達を請け負い、部屋を出ていった。彼はエルドナ商会の使用人でパトリックの身の回りの世話をしてくれる者だ。パトリックは熱っぽい額を抑え、再び寝台に潜り込んだ。
(ああ、どうしてこんな体に生まれてしまったんだろう)
パトリックは生まれつき体が弱かった。医師によれば大人に成長すると、徐々に体力がつき、丈夫になっていくと言われていたがそれがいつになるか、いつも歯痒い気持ちだった。
皆から望まれて聖歌を歌うと決めたは良いが、教会の練習も殆ど参加できていない。
教会へ連絡してくれたバルタスはパトリックと同い年で髪色や背格好も似ており、歌もなかなかに上手かった。
そのうちパトリックは彼にある頼みごとをするようになった――
「ごめん、バルタス。申し訳ないが、また頼まれてくれるかい?」
バルタスはパトリックに気にするなと微笑んだ。
「パトリック様の代わりに俺が行って練習終わらせてきます。すぐ帰ってきますから休んでいてください」
病弱な主を気遣い、バルタスが屋敷を出ていく。幸い司祭達や聖歌隊の仲間には二人が入れ替わって練習に参加しているなど気づく者はいなかった。
パトリックはそんな状況に甘えつつも罪悪感を抱いていた。
(バルタスのお陰で練習は休みながらでも何とか参加できている。でも本番の日は絶対に僕がやらないと……!)
まさか本番までバルタスに迷惑をかけるわけにはいかないと、そう固く心の中で誓っていた。
だがそんな大事な日の朝もやはり熱があり体調が悪かった。
「いけません!パトリック様、無理をして歌えば倒れてしまいます!」
「大丈夫だよ。熱くらいいつもの事だ。歌くらい歌える」
頭がぼうっとする。心なしか声も掠れている気がしたが、少しの間我慢さえすれば良いだけだ。
教会に行くため着替えている最中、説得に応じないパトリックにバルタスが困り果てていた。
「お願いです。俺が行ってきます、だから、」
「大丈夫。僕の担当パートを歌って聖花を置いてくれば良いだけさ。簡単だ」
すると扉がぎぃと開いた。
「パトリック、話は聞いた。その体調では無理だ。お前は私の跡継ぎなのだから無理をしては困る」
開いた扉の向こうにはパトリックの父親が立っていた。
「父さん」
「バルタスの言う通りだ。たしかに聖花を捧げる役は名誉だが、お前の体の方が心配だ。今回は代わってもらいなさい」
父は知っていた。
体の弱い息子が、聖歌の練習を度々休んでいた事など分かっていた。
そしてバルタスと入れ替わって練習に参加していた事もあったと、父は驚きつつも今まで何も言わず黙認していたのだった。
「入れ替わりの事は大体知っていた。でもお前が気に病む事はない。私達も悪かった。商会の利になると思って、お前は断れなかったんだな」
「ごめんなさい。僕こそもっと早くに父さんに相談していればよかった」
そうしてパトリックは寝台に再び寝かされ、パトリックに扮したバルタスが教会に向かった。
だが感謝祭が終わってもバルタスはエルドナ商会に戻ってくることはなかった。
エルドナ商会の使用人の一人が教会に当時の状況を尋ねに行き、パトリックはその後の知らせを受けた。
「……バルタスが帰ってない?」
「はい。聖歌を終え、教会奥に花を捧げに行ったきり姿が見えぬので、おそらく帰宅したのだろうと司祭様が――」
「でも商会や家にも帰ってない。それにバルタスは必ずいつも僕の様子を見に来るんだ。そんな彼が何も言わずどこかへ行くわけないだろう!」
ここはそれなりの規模の町だ。今回は女神デライアの感謝祭で外部からの人間もやって来る。通常より警邏を増員し配置しているので、暴漢が襲うとしても人の目が多く困難だ。
商会の者達はすぐに町中を捜索したが、ついにバルタスの姿を発見する事はできなかった。
のちにパトリックの父親が教会に事情を説明したことで、当日の聖歌担当者の名はパトリックにバルタスに修正された。




