8 魔王とオタク
第八話。新キャラの登場です。
八月も二週目に差し掛かり、暑さは今年最高を記録する日々が続いている。
TVではアナウンサーが今年最高の気温がどうのこうのと、毎日変わらない台詞を読み上げている。
その暑さの中、冷やした麦茶を美味そうに飲むフェリシアを見ながら、俺はある事を思い出していた。
「そういやフェリシアって部下が残した転移の魔法を使ってここに来たって言ってたよな」
のどを鳴らしながらジョッキに入れた麦茶を一気飲みするTシャツ短パン姿のフェリシア。その大きな角が無ければそこらの女子高生にしか見えないな。
「んっ。そういやそうだったわね。すっかり忘れてたわ」
忘れてたのは俺だけじゃなかったようだ。
フェリシアがここに来るための魔法は、フェリシアの部下が開発したもの。そしてその部下はその魔法を使い失踪している。
ここで思い出して欲しい。あの世界から異世界にわたろうとすると大概はこの部屋に転移してしまうという事を。
つまり、その魔法の開発者は、自ら開発した魔法でここに転移してきている。
という事を、フェリシアに伝える。
「確かに冷静に考えればそうなるわね。そいつがまだ私達の世界に返ってきてないという事は、まだこの世界に居るって事なの?」
「この世界、というかこの上の部屋に住んでるな」
「っ! げほっ」
二杯目の麦茶を飲んでいたフェリシアが咳き込む。あんまり飲みすぎると腹を壊すから気をつけた方がいいと思うぞ。
「……この上って、このアパートに住んでるってこと? あいつリッチーよ? 死者の王が人間に混じって暮らしてるってこと?」
「まあその辺は実際に見て確かめてみたほうが早いか。じゃあ早速」
「今はやめたほーがいいんじゃない? この時間は忙しいと思うよー」
「あー、そうか。確かにマズいか」
「何? 仕事でもしてるってこと?」
まあ仕事、見たいなもんかな。
とにかく今行っても恐らく出てこないと思うので、しばらく待ってから尋ねる事にした。フェリシアはゲームを始め、俺は仕事、フィールは原稿を進める。
まったりとした時間。最近こういった時間がやけに心地よく感じる。一人で住んでた頃はこんな感覚は無かったな。
「よし、そろそろ行くか」
時刻は丁度夕方五時を回ったところ。この時間なら大丈夫だろう。
家の外に出て、階段を上り二〇一号室へと向かう。ちなみに俺の部屋は一〇一号室だ。
「そういえば、何でこの時間まで待ったの? 仕事みたいなもんだって言ってたけど……」
「仕事じゃないな。夕方四時から五時まではネトゲのイベントの時間だからだ」
「……は?」
「あいつに会っても驚くなよ? お前の知ってるのとは別人になってると思うから」
理解が追いついていないフェリシアは放っておいて、二〇一号室のチャイムを鳴らす。
リンゴーンというアナログ音が鳴る。このおんぼろアパートにインターホンなんてものはついていない。
少し間を空けて、ガチャリと木製のドアが開く。
中から出てきたのは、少し前のオタクを体現したような男。
小太りの体型に、萌え系キャラの描かれたTシャツ、丸眼鏡。建物の古さもあいまって、一瞬自分達がタイムスリップしてしまったかのような錯覚にとらわれる。
「おお? ソーイチロー氏ではありませぬか。 拙者に何か用ですかな?」
喋り方も正にアニメなどに出てくるオタクキャラそのもの。完璧なまでのオタクである。
「ねえソーイチロー。部屋を間違えてない? あいつはこんな感じの人じゃ無いわよ?」
うん。フェリシアの言う事はもっともだと俺も思うよ。
フェリシアが探して居るのは、元魔王軍の軍師にして、魔界最強のアンデッド。エルダーリッチのヘルフリッツ=ワーグナー伯爵である。
酷薄にして冷酷。まるでこの世の恐怖を体現したかのような姿であり、目の前に居るオタクとは対極に位置するような人物だ。
「まあフェリシアの気持ちは分かる。でもこの部屋で間違いないんだ」
オタク氏を目の前にして、こそこそと内緒話をする俺とフェリシアを見て、オタク氏が声を掛けてくる。
「おお! これはこれはフェリシア氏ではありませんか。こんな所で会うとは奇遇ですな。オウフ、まさか拙者を探しに来たのでありますかな? それでしたら心配無用ですぞ、このようにピンピンしておりますからな」
おっふ。オタク特有の高めの声で捲し立てて来る。残念ながら、現在目の前に居るのが、そのヘルフリッツなのだ。
「え、嘘やん」
あまりの衝撃にフェリシアが関西弁になってるな。
オタク氏ことヘルフリッツが俺の部屋に転移してきたのは今から三ヶ月ほど前。最初に出会った時はそれはそれは驚いた。何せ部屋の押入れが開いて中から空中に漂うガイコツが現れたのだから。
ヘルフリッツはエルダーリッチ。所謂アンデッドの一種で、本来の姿はガイコツそのものだ。
まあ本当に色々あって、彼はこの二〇一号室に住む事になった。フィールに勧められてとあるアニメを見てからというもの、気がつけばオタクになり、見た目までもがこのように変貌していた。
「おや、フェリシア氏はフリーズしてしまったようですな。これは失敬、確かに拙者、昔とはちょっと変わりましたからなwww驚かせてしまったようで申し訳ない」
程よく突き出た腹を抱えて笑うヘルフリッツ。その変わり方がちょっとで済まされるならこの世にかなり、なんて言葉は存在しないだろうな。
「それにしてもいいのか? フェリシアはアンタにとっちゃ上司みたいなものじゃないのかよ」
「いえいえ、拙者はもはや魔王軍の軍師ではござらん。今はただ一人の萌えに命をささげる戦士なのですから」
キリッ。と擬音の付きそうなキメ顔だが、もはやうっとおしいとしか思えないな。あの頃の禍々しい気配はどこへ行ったのやら。
「おい、こんな事言ってるけどいいのかフェリシア」
ゆっさゆっさとフェリシアを揺さぶって、どこかへ漂ってしまっている彼女の意識を戻す。このときその胸も揺れているのはご愛嬌だ。
「っは! いや、まあそうね。軍師としての引継ぎは済ませてから出て行っているから、確かに問題は無いのだけれど」
「フフッ。そこらへんは抜かりありませんぞ。何せ拙者はまだ見ぬ未知を求めて世界を渡る決断をしたのですからな」
まだ見ぬ未知を求めた結果がこれか。
「おっと、そこに居るのはフィール氏、もとい天使フィル先生ではございませんか。トゥイッターとペクシブで先生の絵はいつも拝見しておりますぞ! 夏コミでの新刊も楽しみにしておりますゆえ」
「ああ、うん。ありがとね」
天使フィルというのはフィールのペンネームだ。そのまんまだな。
それにしてもこの男、こちらに来てまだ三ヶ月だというのに、順調にこの世界に染まってやがるな。
「おっと、もうこんな時間。今から魔法少女マジカル☆リリアが始まるので拙者はこれで失礼させてもらいますぞ!」
リリアたんリリアたんとスキップしながら部屋に戻っていくヘルフリッツを見て、なんとも言えない虚無感が俺たちを包む。
「はあ、ヘルたんはどこであんな間違ったオタク像を仕入れて来たんだろうね……」
「たぶん3ちゃんとかで適当な事言われて真に受けたんじゃねーの? しらんけど」
たかだか十分程度の会話だったというのに、疲労感が凄いな。
隣に立つフェリシアも、なんとも言えない表情で二〇一号室の扉を見つめている。
「しばらくはヘルフリッツは行方不明だという事にしておこう……」
何かを諦めたような表情でそう呟くフェリシア。
俺もそれが賢明だと思うよ。
色々と酷い回でした。次の投稿は明日の夕方あたりを予定しています。
次回「異世界人とコミケ」
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