第2話 各国の王たち(後編)
「オルフェっ!!」
やぁっと、満面の笑みで片手まであげて見せたのは、間違いなくこの国の王子様だった。
「ナタリー。どう、楽しんでる?」
「う~ん。なんだか緊張しちゃって。」
「最年少生命師でも緊張することってあるんだね。」
「当たり前でしょ。それに、こうして公の場に顔を出すなんて生まれて初めてだもの。しかもお城で、こんな素敵な祭典に参加できているなんて、今でも夢の中にいるみたい。」
「隣には王子様だしね。」
わざとらしく胸をはったオルフェに、ナタリーの顔にも笑顔が戻る。
「よかった。」
周囲が騒然となるほどの笑みをオルフェがこぼしたせいで、ナタリーは何が?と、聞く声が上手く出てこなかった。
「ナタリーが笑顔になって。」
「えっ?」
「だって、ずっと壁の花決め込んでるんだもん。みんな、ナタリーをダンスに誘いにくそうにしてたよ?」
さすが王子様だと、ナタリーはお世辞がうまい誘い主に差し出された手に、自分の手を静かにのせる。
お城の舞踏会で王子様と。それこそ夢のようだと、ふわついた気持ちのままナタリーはオルフェに腕をひかれた。
「私、ダンスってしたことないんだけど。」
「いいよ。僕が知ってるから。」
「足踏んだらゴメンね?」
言ってる傍から踏みそうになったオルフェの足に、ナタリーは苦笑する。それでも、社交界の基礎を身につけている相手は、モノの見事に誘導してくれた。
「テトラは?」
「今日は、ギムルたちと一緒に宿でお留守番。」
「ギムル?」
「ほら、昨日話したでしょ。外見からは想像がつかないほど口が悪い、私のハーティエスト。」
曲に合わせて足を動かしながら、オルフェは「ああ」と、思い出したようにうなずく。
「明日、ここに連れておいでよ。」
「えっ!?」
驚きのあまりに、今度こそ確実に足を踏んでしまった。が、ナタリーは、さっきの言葉が聞き間違いじゃないかと、痛みをこらえるオルフェを見上げる。
「今日は父の招待だけど、明日は、僕の友人として招待させてもらうよ。」
にこりと笑顔で左手の甲に口づけを落としてきたオルフェに、ナタリーは顔を赤くなるのを感じながらお礼をいった。会場の視線をいっしんに集めた場所で、どうどうと顔をあげるオルフェは、昨日街で見たのとはまた別の人物のように見える
あらためて王子様なのだと痛感した。
「それじゃあ、ナタリー。明日、楽しみに待ってるよ。」
「うん。」
優雅に立ち去って行ったオルフェを見届けていたナタリーは、へぇ~っと、前触れなく肩にのってきた人物に身体を震わせる。
「ナタリーもやるじゃねぇか。」
「ハティさん、ルピナスさんも。」
振り返ったナタリーは、ホッと胸を撫で下ろした。知っている人でよかったと、緊張しかけた顔をゆるめる。
「もぅ…っ…いきなりビックリするじゃないですか!」
「わりぃ、わりぃ。だけど、王子様相手じゃ、あいつに勝ち目はねぇなぁ。」
「あいつ?」
「テトラに決まってんだろ?」
からかうように笑うハティのせいで、ナタリーはゆるみきった顔を思いっきり引きつかせる羽目となった。
「テトラは、そんなんじゃないですっ!!」
「んじゃ、オルフェ様が本命か?」
「だから、そんなんじゃないんだってば!!」
「それはよかったです。」
「えっ?」
ハティに言い返していたナタリーは、グイッと引き寄せたルピナスに目を瞬かせる。そのままダンスへと誘い込まれたナタリーは、リナルドが帰宅の声をかけてくるまで思う存分楽しむことができた。
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宴も終え、各国の王たちも帰国の途につくか、用意された宿に戻った頃。月明かりに照らされた王都ラティスの暗い路地裏をふたつの影が走っていた。
前を行く影は、ひどく怯えたように何度も後ろを振り返る。
人がごった返す場所に出ようと必死に動かす足は、深夜の暗闇の中で何かにつまずいてこけた。
「…っ……」
痛がる素振りも見せずに、前のめりに倒れた身体を急いで起こすが、後方から追いかけてきた影にそれは叶わない。
「ヒィッ!?」
情けないほどあわれな声をあげた影は、自身を踏みつける足の持ち主を見上げようと顔をわずかに振り向かせた。
月明かりがわずかにのぞく。
照らし出されたふたつの影は、見事なまでに対照的だった。
「いいいしっイシス・バダーリ!!」
赤い髪に右腕のイレズミ、獣のように鋭利な瞳で見下ろしてくるのは、間違いなく"反ハーティエスト"をかかげるクレイヴァーのイシス・バダーリ。
「名前なんかいちいち叫ばれんでも覚えてるわ。」
「な…ッ…なぜ?!」
「お前、三代名家のひとつ、アラカイト家のハーティエストやろ?」
自分が間違えるわけがないとでもいいたげに、イシスは足元で青ざめる青年の顔をのぞき込む。
「顔見ただけで逃げんでもええやろ。お前らにも恐怖っちゅーもんがあること自体、俺らには恐怖やけどな。まぁ。今は、そんなんどーでもええ。」
恐怖のあまり何も答えられないのか、精巧に作られた人間のようなハーティエストは、噛み合わない歯の音を鳴らしていた。彼の上に足をのせながら、イシスは眉をよせる。
「また逃げられたら困るから、このまま聞くけどやな。レオノールの滅亡に関して、なんか知らへん?」
「れ…ッ…レオノール?」
「せや。そうやなぁ~例えば、王女が生きてる。とか?」
「ッ!?」
あきらかに動揺をみせたハーティエストに、イシスの顔が当たりを見つけた子どものように輝いた。
「その調子やったらプレイズの在処も知ってそうやなぁ?」
「クレイヴァーがどこでそれを!?」
「ん。とある筋から、ちょっとな。」
「やはりヴェナハイム王国と…ぐっ──」
ノドをつかんで引きずり起こされたハーティエストは、声のでない口を動かしながら宙に浮く。
軽々と片手でハーティエストをつかみあげたイシスは、月明かりの下でその口角をあげてみせた。
「ゆっくり話す気はないんやわ。王女とプレイズについての情報くれたら、気分次第で主人の元へ帰したるかもしれへんで?」
「───っ!?」
「五体満足かは、保証出来ひんけどな。」
痛みも感じない、どんな形でも生きていけるだろうとイシスは笑う。それを恐怖のまなざしで見下ろしながら、ハーティエストは必死に足をばたつかせていた。
「「──ッ!!?」」
突然、二人は天から降り注いだ何かによって分裂する。
「そんなとこで見てないで、早く逃げなさい!!」
地面に突き刺さったままの鉱石が怒声を発したおかげで、助け出されたハーティエストは一目散に逃げ去った。
月が再び暗い路地を照らし出す。
キラキラと美しくその身体を周りの風景に溶け込ませていた宝石は、青く輝きながらそのくちばしを地面から引き抜いた。そして当然のように、飛び立っていく。
「ッ!?」
高い交差音が一度だけ鳴り、鈍い光を放つ刃をはさんで、ふたつの視線が交わっていた。
「なんの真似や。シオン・ヴェナハイム。」
怒りを隠しもせずに尋ねてきたイシスに、シオンは何色も宿さない瞳で見つめ返す。
「俺の意思じゃない。」
「なんや。したら、モノが勝手に判断して、"同士"を助けたとでもいうんかい?」
「モノですって!?コロンには、きちんとコ・ロ・ンという名前がありますのよ!?それよりもなんということ…あぁ…シード様に向かって刃を向けるなんて…っ…さぁ!!イシス!!今すぐ、それをおろしなさい!!」
再び急降下してきた青い鳥のくちばしに、イシスの腕が赤い線を描いた。
バッと眉をしかめて、イシスはシオンから身体をはなす。
「ホンマ…っ…なんでこいつ、生かしとかなアカンねん。」
「雇い主の息子だからだろ。」
「最悪や。せっかくレオノールの情報持ってそうなアラカイト家のハーティエストを見つけたッちゅーのに、まんまと逃がしてまうしやな。」
ガックリと肩を落としたイシスの姿に、シオンはいぶかしげに顔をゆがめた。
聞き間違いでなければ、イシスはたしかにこうぼやいたはずだ。
「レオノール?」
わずかに首をかしげてみせたシオンに、イシスは傷口をおさえながらハッと口角をあげた。
「金髪、金眼の王女様や。」
「なぜ、お前がそれを探している?」
「誰かさんが、チンタラやってるからに決まってるやろ?」
驚愕に目を見開いたシオンに満足したのか、イシスはどこか上機嫌に体制を立て直す。
しかし、戦う構えは見せなかった。
「王女は見つけたもん勝ちや。」
自分の方が有利だとでもいうように、イシスはシオンを見つめながらその姿を闇に溶け込ましていく。
「自由の夢が叶うように、せいぜい足掻いてみるんやな。」
あざ笑うかのように闇が深まった先には、もうイシスの姿はなかった。まるで溶けてしまったかのように、静寂が戻ってくる。
「なんて不気味な男なのかしら。イシス・バダーリ。さすが、クレイヴァーの幹部として長年活動してきただけありますわね。コロンは急所を狙ったはずですのに、しっかりかわされてしまいましたわ。ああ、シード様。お怪我はございませんか?」
「あぁ、平気だ。」
「それは、よかったですわ。シード様の美しいお体に傷ひとつついていようものなら、今すぐにでも串刺しにしてやる!!ところでしたわね。それよりも、どういうことなんでしょう。グスター王は、クレイヴァーにも同じ命令をなさったのかしら?」
ひとしきり喋った後で、コロンは困ったようにシオンの頭上を旋回した。それに見向きもせずに、シオンは路地から抜けようと歩きだす。
「別に、あり得ない話じゃない。」
「シオン様。」
「これで、ますます休めなくなったな。」
はぁ~っと、ここ数日まともに休んでいない身体を光の差す道に誘いながら、シオンは疲れた息を吐き出した。祭りの活気を引き継ぐ宴で、繁華街は喧騒に湧きたったまま夜と朝の狭間を楽しんでいる。
「だが、確証は得られた。」
「ええ。」
「レオノールについての情報を集めよう。」
コロンが頭上高く飛んでいくのを見送りながら、シオンはその喧騒の中に身を投じていった。
クレイヴァーが介入しているのなら、それこそ先に金色の王女を見つけなければならない。そして、彼らに横どられる前に、父親に差し出さなければならなかった。
自由のために。
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一歩その頃、シオンの前から姿を消したイシスは、明朝未明に、とある場所へとたどりつく。
「ッたぁ!!もうちょい、優しくできひんのか!?」
巨大な十字架をかかげた白い石造りの建物の最奥の部屋で、痛みに叫んだイシスの声が無遠慮に響いた。直後に、バシッと治療を終えた合図の音がこだまする。
「治療してやったのだ。まずは礼をのべろ。」
「はぁ。それが司教の言葉かいな。普段から仏頂面やけど、本性もそのままやな。昔っからそうやけど、どないかならんのか?」
「ならん。」
フイッと無表情で顔をそむけながら、イシスの治療に当たっていた司教クレア・バーディは、そっと腰をあげた。いつもそうであるように、クレアは必要以上の口をはさまない。
しかし、逆にイシスがクレアに口をはさんだ。
「なんや、いつにも増してエライ気ぃたってるやん。」
当たりやろ?と、イシスは得意げに笑って見せる。図星と言うか、なんなく心境を感じ取られたクレアは一瞬、いやそうな顔を見せたが、すぐに深い息とともに一枚の写真をイシスへと放り投げた。
「なにこれ?」
軽い音をたててその写真を受け取ったイシスは、げんなりとしたクレアの表情を不可解そうに見つめた後で、その写真に視線を落とす。
そして、すぐに笑いをふき出した。
「いつから女の写真、持ち歩く趣味になってん。」
親友の意外な一面にか、その写真にうつるのが年の離れた少女だからか、そのどちらにもか、イシスは大口を開けながら笑い転げる。それを冷めた目で眺めていたクレアは、再び深いため息を吐き出した。
「あ~、おもろ……ん?」
「どうした?」
ひとしきり笑った後で、涙をためたまま写真を見返したイシスが目をまたたかせる。今度はクレアが、普段あまり見せないイシスの表情に驚いた。
「どこかで見たことあると思ったら、なんや。あの時の───」
「知り合いか?」
「───いや、フリーシアの水面橋近くで一度おーただけや。んで、この子がなんて?」
ヒラヒラと、イシスはクレアに向かって写真をふってみせる。
イシスの顔をどこか物珍しそうに眺めていたクレアは、写真を見て思い出したのか、頭を抱えるようにして苦悶の言葉を吐き出した。
「次期公妃候補だ。」
クレアの吐き出した言葉に、部屋は一瞬静まり返る。
「え~…あ~…なんて?」
よく聞こえなかったと、イシスは耳掃除をするかのようにクレアへと尋ね返した。
二度も言わせるなと、クレアの目が物語っているが、それを気にしてはいけない。
「次期公妃候補だ。」
丁寧に二度言い返したクレアに、今度こそイシスは言葉を失った。それを当然の反応だとでも言いたげに、クレアは眉間をわずかにおさえる。
「昨日の祭典でハウ王子が気にいったとかで、その少女を妻に迎えるといってきかんのだ。」
「この子、生命師ちゃうの?」
思わず口をはさんでから、イシスはしまったと口をつぐんだ。が、遅かった。しっかりとその言葉を耳にしたクレアが、バンっと勢いよく立ちあがって、ズカズカと歩み寄ってくる。
「ここはどこだ?そう、バビロイ公国だぞ!?ハーティエストも生命師も必要ない。気高い神の領域として、代々人間だけで築いてきた国家なんだ。」
「あぁ、せやな。」
「それをあの…あの…こともあろうか、次期"公"の称号を背負うものが、生命師を妻にすると…っ…無理なことは、この国の人間でなくてもわかるはずだ。」
怒り心頭といった様子で、クレアは悠然と座るイシスを見下ろした。ひきつった顔のままクレアを見上げていたイシスは、何かを思いあてたかのように提案する。
「似たような女で、誤魔化したらええんちゃうか?」
「そんなこと出来るか。」
「まぁ、初恋でひとめぼれ。今まで欲しいものは何でも手に入ってきた王子様には、あきらめろ言うても無理な話しやわな。」
イシスは、クレアに心底同情しながら、頭の中で恋に浮かれた王子の姿を思い浮かべた。丸々と太った高級な豚が浮かんだが、大差ないと肩をすかしながら、その王子に見染められた写真の少女を照らし合わせる。
「俺がなんとかしたろかと言いたいとこなんやけどな、今は別件で手ぇいっぱいや。」
「例の王女探しか?」
幾分か落ち着きを取り戻したらしいクレアが、写真を見つめたままのイシスに視線を向けなおした。
「十五年前に根絶やしにされたレオノール王家の最後の王女だろ。生きているとは思えんがな。大体、それを執り行ったのはグスター王のはずだ。」
間違いないと言いきったクレアに見向きもせずに、イシスはフッと笑ってみせる。
「せや、ヴェナハイム王国が隣国するレオノール王国を徹底的に弾圧し、虐殺した。あの史上最悪と言われるマリオット戦争で、レオノールに関する全ては葬り去られた。血も、歴史も、書物も何もかもや。」
「だったら、王女の生存は──」
「王女の死は確認されてへん。」
「──なっ?!」
「一歳になったばかりの王女が殺されたって言う記録はどこにもあらへん。ヴェナハイム"城"の書物庫で見たんやから、これは確かや。そこで、ひとつの噂話が持ちあがる。」
驚愕に固まるクレアに、写真から顔をあげたイシスは指を一本つきたてた。
「レーヴェ大陸が炎の島と化すさなか、一体のハーティエストがホンプレコへと流れついた。その朽ち果てた身体の中は空洞で、人々がそれに気を取られる脇をひとりの老人が赤子を抱えて走っていったそうや。」
にやりと顔をゆがめたイシスに、クレアの顔も恍惚にゆがむ。二人とも十五年もの間、秘密に隠されてきた事実に直面しているかもしれないという興奮をおさえきれずにいた。
「それが本当なら、世界中を揺るがす一大事件だな。」
クレアは想像しただけで鳥肌がたつといわんばかりに、自身を抱きしめる。
「せやろ。それをこの俺が手に入れるんやから、ぞくぞくしてしゃーないんやわ。ってなわけで、ハム、ちゃうわ。ハウ王子の方は、クレア一人で頑張ってや。」
はいっと、イシスは満面の笑顔でクレアに写真を押し返した。半ば、強制的に手渡された写真をクレアは不愉快そうに聖書の間に挟み込む。
「仕方ない。最年少生命師のナタリー・ロベルタの件は、俺がひとりでなんとかしよう。」
はぁっと、苦笑の言葉をもらしたクレアは、イシスに背をむけて部屋を出る扉へと手をかけた。その刹那、背後でイシスの気配が消える。
「イシスにバイパラの加護があらんことを。」
そっと瞳をふせたクレアは、司教とともに朝の祈りをささげようと集まる人々のもとへと、その足を踏み出した。
──────next story.




