ダビデ像
私が務める会社の業務で、とある障碍者団体と関わることとなった。その担当になったのが私だった。人当たりがいいから、と上司には言われたが、単に誰も行きたくなかったというだけだろう。私としては仕事であればどうだってよかったので、障碍者団体だろうがなんだろうが気にも留めていなかった。滞りなく取引ができればいい。それだけの話だ。
実際に向かってみると、そこには日当たりのいい立地に居を構える平屋の建物が鎮座していた。牧歌的だ。どことなく幼稚園を彷彿とさせるようなのどかな光景だった。子供特有の甲高い声が聞こえないのが不思議なくらいだ。周りに高い建物はない。どちらかというとここは田舎の方で、少し車を走らせればすぐに田んぼがあった。広い敷地を持つのであろう日本家屋の間に、挟まるようにしてその建物は佇んでいた。それでも、どこにも肩身が狭そうな様子は見受けられない。悠々としている。そう形容するのが適切だろう。社用車から降りてネクタイを締め直す。建物の入り口に向かって足を踏み出すと、丁度やや高齢の男性が引き戸を引いて出てくるところだった。見慣れない車に気付いた彼が、こちらに足早にやってくる。
「こんにちは。ナカタ様…でよろしいですか?」
彼の発音には独特な抑揚があった。ほんの少しだけ聞き取りにくい。不躾にならない程度に目を凝らせば、その両耳に補聴器が見えた。
「ええ、はい…半田です。恩田様、ですね。本日はよろしくお願いします。」
ビジネスマナーを忘れてはならない。頭を下げつつ、名刺を渡す。慌てた様子の恩田さんが、立ち話ではいけないからと言って私を建物の中に入るように促した。
建物の中は静まり返っていた。うちの会社より静かなくらいだ。時折囁き声のような話し声が聞こえるばかりで、ほとんど紙を捲る音ばかりだった。応接室と思しき部屋に通されて、取引について話す。今回はうちで出版している雑誌で、障碍者団体紹介のインタビューの確認をするために来たのだ。うちの会社は小さな出版社だ。
想定していたよりも、話し合いはトントン拍子に進んだ。途中で恩田さんと同じくらいの年の頃の女性がにこやかにお茶菓子を持ってきてくれた。顔立ちが二人ともどことなく似ていた。奥さんかもしれない。恩田さんと一言二言楽しげに話してから、彼女は退室していった。お茶は恩田さんが手ずから淹れてくれてあった。珍しい。そう思った。
予定していた時間よりも話が早くまとまり、余った時間で恩田さんが建物内の案内をしてくれることになった。先ほど静かだと思った部屋は、事務室兼作業室なのだと聞いた。あまり声を立てすぎると、どうしても集中できない人が多いために囁き声だけが使われるようになったそうだ。恩田さん曰く、聞き取りにくくて少し大変なときは筆談をするのだそうだ。合理的だと思った。この環境なら仕事も捗るだろう。
いよいよ帰る頃になって、出入り口からややふくよかな体つきの男性が入ってきた。私よりも頭一つ分ほど背が低い。重たそうな眼鏡の向こうに、ひどく歪んだ玄関が見えた。視力が悪いのかもしれない。
恩田さんを見て何か楽しげに口を開きかけた彼がこちらを見て、両目が見開かれる。その目は分厚いレンズの奥で、著しく縮小されていた。眼鏡のせいでその目だけが妙に小さかった。彼に親しげに話しかける恩田さんが、私に彼を紹介してくれた。
「ナカタさま、こちら、折田です。私らの…息子のようなものです。」
こちらが何か言う前に、紹介された彼が慌てて頭を下げる。その様子も、どこか恩田さんに似ていた。
「折田です。お仕事中にお邪魔してすみません…」
その声は柔らかだった。男性にしては高めかもしれない。喉仏ははっきりと見えるのに、体型と声のトーンが相まって、話していてまるで女性を相手にしているかのようだった。こちらも頭を下げて挨拶をしていると、ポケットに入れていた社用携帯が振動した。彼らに断って電話に出ると、上司からどこにいるのかと聞かれた。端的にまだ団体の建物にいることを伝えると、早く戻ってくるようにと言われた。右腕に嵌めているアナログ時計に視線を落とす。昔、結婚記念日に妻に貰ったものだ。盤面に傷ができてしまって少し針が読みにくいが、時刻は終了予定時間にちょうど回ろうとしていた。
ポケットに携帯をしまう。時間切れだ。折田さんについて少し興味が湧いてきたところだったというのに。
優しそうな彼らに、また近いうちに来ることを伝えてその場を去る。車に乗り込んでも、取引のことよりもあの折田の方が気になっていた。




