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  作者: 鈴生
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ロワンの運河

 作家として在り続けることを諦めてから、俺は目的もなくふらふらと生きるようになってしまった。今までなら、目に入る全てが、耳から聞こえるすべてが、体験するすべてが、作品を描くインスピレーションとなっていたのに、今はそれもない。断片的な情報は集められるのに、それをまとめ上げて一つのものとして完成させる必要が無くなってしまった。

 ゴールのないマラソンのようだ。走り続けて、途中で給水して、前を向いて走り続けるのに、そこにはゴールがない。どこまで走ればいいのか分からなくなって、忙しなく動いていた足はいつの間にか止まってしまう。視線は下を向いて、俯きがちになる。ここまで走って来た道のほうが、ずっと煌びやかで鮮やかで華やかで楽しそうに見えるのに、もうそこに戻ることは叶わない。足を止めてしまった者はその道に戻ることができない。

 もしかしたら、俺は道を間違えてしまったのかもしれない。走り始めた場所すらも、間違えていたのかもしれない。小説家になることを決めて、走り出したことが一番の間違いだったのかもしれない。俺が書いた作品は、大して売れなかった。誰からも感想を貰うことすらなかった。俺が書いてきたものは、俺の自己満足のための道具に過ぎなかったのだろうか。


 自作小説を売り払い、印象派の画家の画集ばかりを買い集めるようになってからも、小説家だった頃の自分について思いを巡らせることは止められなかった。後悔ばかりが募っていく。俺が書いた物語は、きっと他の人の記憶には残らない。誰の心にも残らない。そんなものしか書けなかったのだろう。

 俺の愛し方は、間違っていたのかもしれない。その思いだけが跡を引き続けていた。

 手持ち無沙汰だったので昨日届いたばかりの画集を開く。ぺらぺらと捲っていくと、少し目を引く絵があった。白樺の木々の向こうに、幅の広い運河か何かが見える。奥には家が立ち並んでいた。どことなく郷愁を感じさせるような絵だ。絵の具の重ね合わせによって表現された木々の輪郭をなぞる。俺も、こんな作品が書きたかったのに。


 自分の作品を売った古本屋には、その後も何度か足を運んだ。

 自分の本の売れ行きを見るためだけに店に行く時も、俺は何か一冊以上の本を買うことに決めていた。これといった理由はない。冷やかしであんな狭い店に入る方が気まずいからだった。

 結局最後の一冊まで売り切れるのを見届けた後も、興味のある古本を買うために顔を出すことがあった。余程奇特な客だと思われたのか、店主に顔を覚えられる羽目になった。そもそも街角の小さな古本屋に足繁く通う客の方が今時珍しい。それも相まって、最近では特に買い物の当てもないのに、店主と話すことを目的にして店に行くことがあった。時間はいくらでもある。俺はしがないフリーターだ。メインにしているのは時給のいい夜勤なこともあって、日中は基本的に暇を持て余していた。不規則な生活を送るのがこれまでの常で、暇さえあれば執筆活動に勤しんでいた俺も、今ややることがない。そんなときに、あの古本屋との出会いはいい契機になった。


 その日は、店主と話す中で、自分の出身についての話題が上がった。その話題だけはどうしても触れたくなくて、自然と口数が減ってしまう。それを見た店主は、何かを察したのか自然と話題を切り替えてくれた。

 実家に、嫌な思い出があるわけではなかった。俺には、ごく自然な家庭で育ったという自負があった。父親はサラリーマンで、母親は専業主婦。両親の祖父母も健在で、姉が一人と俺の二人姉弟だった。姉弟どちらかに優劣を付けられることもなく、俺たちは仲良く育った。年に一回は必ずどこかに家族旅行に行っていたし、年末年始はどちらかの祖父母の家に遊びに行った。従兄弟たちとも仲良くしていたし、ずっとそうすると思っていた。

 俺が、一人で家を飛び出さなければ。

 両親からは、大学を卒業してからそこそこの企業に就職することを期待されていた。姉もそうしていたし、年上の従兄弟たちもそうしていた。それが当たり前の世界で、俺もそれするべきだと思っていた。

 そんななかで、大学生活をしていて、俺は一冊の本に出会ってしまったのだ。作家は、俺と同じくらいの年の男性で、デビュー作から世間で注目されるような賞を掻っ攫って行った。その話題のデビュー作を、俺は友人からの勧めで読んだのだった。

 圧倒される、壮大な世界の作り込み。頁を捲るごとに、目の前に立ち上がっていく荘厳な建物と、老年の主人公。淡い筆致で人間関係を描きながらも、その世界の在り方はどこか苦しくてほろ苦い。世界の輪郭はどことなく朧気で、老年の主人公の世界の認識を緩やかにそれでいて克明に描き出しているのに、そこには確かな存在感があった。

 俺はどうしようもなくその作品に惹かれた。その文体に憧れた。その世界に焦がれた。作家の彼がどうやって世界を見ているのかを、知りたくて堪らなかった。きっと、さぞ鮮明な眼差しで、物事を見つめているのだろう。俺も、そうやって周りを見たい、そう思ったのだった。

 ある意味、それが運の尽きだったのかもしれないが。

 就職活動もせずに、俺は執筆活動に勤しんだ。家族はいい顔をしなかった。団欒の時間が険悪になり、徐々に会話も減っていった。卒業直前にもなると俺がそれに耐えきれなくなり、下宿している友人の家に転がり込んで生活をしていた。

 大学を卒業してからは、家を飛び出してアルバイトを掛け持ちして生活をした。全ては小説を書くためだった。家族とはそれから連絡を取っていない。俺が何作目かの作品で小説家としてささやかにデビューを果たしたときも、連絡はしなかった。


 今日は仕事がない日だったので、家に帰ってからはまた画集を眺めるだけだった。先日興味を惹かれた絵画の載っている本を開く。時間も忘れてそれを眺めながら絵の解説を読んでいるうちに、俺はどうしてこの絵にこんなに執着しているのかに気が付いた。

 実家の近くの風景に、その絵はどこか似ているのだった。家の近くには小さな用水路が流れていて、その対岸には低木の雑草が生い茂っていた。小さい頃はよくそこに入り込んで遊んでいた。昼過ぎになると母親が家から昼の時間だと呼びかけてくれて、用水路を飛び越えて家に帰って昼ご飯を食べて、また遊びに行った。そのときの、川を挟んだときに家を眺めるその瞬間を、この絵は彷彿とさせたのだった。



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