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歩ける距離が、歩きたくない距離に変わる日



今日の金沢は、陽射しが強かった。


観光地に人がいないわけではない。

だが、多いわけでもない。


東山を見た。

観光バスが三台いた。

人もいた。


けれど、その多くはバスの客だった。


団体で来て、団体で帰る。

バスで来た客は、バスで動く。


タクシーから見れば、人の数がそのまま需要になるわけではない。


武家屋敷跡も見た。

人は少なかった。


兼六園も、東山も、二十一世紀美術館も、観光地としての顔はある。

しかし今日は、観光需要そのものが強い日ではない。


そう思った。


今日は弱い日だ。


そう認定した。


ただし、弱い日にも理由はある。

そして、乗る客にも理由がある。


今日の理由は、暑さだった。


歩ける距離が、歩きたくない距離に変わる日。


それが今日だった。


東山から広坂。

東山から本町。

東山から博労町。

東山から香林坊。

東山から駅方面。


距離だけを見れば、歩けないわけではない。

観光客なら歩くことも多い距離だ。


だが、今日の陽射しの下では、その距離の意味が変わる。


地図の上では十五分。

体感では、もう歩きたくない。


日陰の少ない道。

照り返しのある舗装路。

人混み。

荷物。

汗。

次の予定。


そういうものが重なると、人は急に楽をしたくなる。


観光客は、少しオシャレをして歩いている。


旅先だからこそ、写真に残る服を着る。

お気に入りの靴を履く。

きれいなシャツや白いパンツで歩いている人もいる。


汗をかきたくない。

靴を汚したくない。

服をくたびれさせたくない。

せっかく整えてきた格好を、次の目的地に着く前に崩したくない。


そういう小さな心理も、タクシーに手を上げる理由になる。


二十一世紀美術館へ向かったお客様も、車に乗ってすぐに「暑い」と言った。


答えは、車内にあった。


観光客の絶対数は少ない。

だが、そこにいる人の利用意欲は高い。


魚の数は多くない。

しかし、水温や流れが合えば、食う魚はいる。


今日は、そんな日だった。


東山のバス停には、周遊バスが停まる。


つまり、そこに立つ人は、ただ歩いている人ではない。

すでに「乗り物で移動する」選択肢を持っている人だ。


周遊バスの一回の運賃は大人二百二十円。


さっき乗せた二十一世紀美術館のお客様は四人だった。

タクシー代は千百円。


一人あたりにすれば、二百七十五円。


四人で乗れば、周遊バスとの差は、ひとり五十五円ほどしかない。


五十五円の差で、待たずに済む。

歩かずに済む。

暑さを避けられる。

目的地の近くまで行ける。

四人でまとまって動ける。


それなら、タクシーを選ぶ理由は十分にある。


観光地の移動は、単純な料金比較では決まらない。


金額だけならバスが安い。

だが、暑い日に人が買っているのは、移動だけではない。


涼しさ。

早さ。

楽さ。

迷わなくていい安心感。


そこに金を払っている。


兼六園では、タクシーが長蛇の列を作っていた。


普通なら、そこに並ぶ。

あるいは、そこから乗る。


だが、外国人のお客様はUberで呼んだ。


乗り場は目の前にあった。

それでも、その人の乗り場はスマホの中にあった。


行き先を説明しなくていい。

支払いを考えなくていい。

現金を出さなくていい。

チップもアプリで済む。


知らない街で、知らない言葉で、細かいことを一つずつ処理しなくていい。


その安心感は大きい。


タクシー乗り場が目の前にあっても、スマホを開く人がいる。

列に並ぶより、アプリで呼ぶ人がいる。


スマホの中にも、乗り場はある。


この感覚を持っていないと、観光地の景色を見誤る。


タクシーが並んでいるから、もう需要は取られている。

そう考えるのは早い。


実際には、乗り場に並ぶ客と、アプリで呼ぶ客は別にいる。


バスに乗る客。

歩く客。

タクシー乗り場へ行く客。

Uberを開く客。


同じ観光地にいても、客はそれぞれ違う動きをする。


だから、ただ人の多い場所に行けばいいわけではない。


どの客が、どの理由で、どの乗り物を選ぶのか。


そこを見ないといけない。


やはりタクシーは釣りに似ている。


魚が多い場所に行けば必ず釣れるわけではない。

有名ポイントに立てば必ず釣れるわけでもない。


流れがある。

ヨレがある。

石裏がある。

瀬尻がある。

反転流がある。


同じ川でも、ルアーを通す角度で反応は変わる。


ワンキャストで、いくつものポイントを舐める。

流芯の脇を通し、石裏をかすめ、最後に瀬尻で食わせる。


ただ巻いているように見えても、狙っている。


タクシーも同じだと思っている。


東山へ行く時。


武家屋敷跡を見て、広坂を見て、兼六園を見て、東山へ入る。

通り道の電波も拾う。


一つの移動の中で、複数のポイントを舐める。


今日は東山のバス停でよく手が上がった。


俺は、そこで待っていたわけではない。

バス停のそばで、ただ張っていたわけでもない。


観音町方向から一回通る。

鳴和方向から、もう一回通る。


同じバス停の前を、角度を変えて二回通す。


釣りで言えば、同じポイントに対して、アップクロスで一投、ダウンクロスからもう一投入れるようなものだ。


魚がいれば、違う角度で食うことがある。


客も同じだ。


一台目のタクシーには手を上げなかった人が、次のタクシーには手を上げることがある。


速度が違う。

距離が違う。

タイミングが違う。


客にも迷う時間がある。


乗ろうかな。

歩こうかな。

バスを待とうかな。

タクシー来たな。

止まるかな。


その一瞬の迷いの間に、車が通り過ぎれば終わりだ。


だから信号を見る。


あえて信号で待つ。

あえて速度を落とす。

客がこちらを認識できる間を作る。


手を上げさせに行く。


これは、ただの手上げ待ちではない。


食わせの間を作っている。


ルアーを速く巻きすぎれば、魚は追いきれない。

遅すぎても見切られる。


東山の客も同じだ。


速すぎれば、手を上げる前に通り過ぎる。

遅すぎれば、不自然になる。


ちょうどいい速度。

ちょうどいい距離。

ちょうどいい信号待ち。


その間に、手が上がる。


今日、東山で五連続で乗せた。


単価は高くない。


千五百円。

千百円。

七百円。

千百円。

千五百円。


大きな魚ではない。


だが、弱い日の午後に、同じ筋で五本出たことには意味がある。


一匹なら偶然かもしれない。

二匹なら、たまたまかもしれない。


しかし、五本出たなら、そこには理由がある。


東山に人が溢れていたわけではない。

むしろ、観光客の絶対数は少なかった。


それでも乗った。


なぜか。


暑かったからだ。


歩ける距離が、歩きたくない距離に変わっていたからだ。


バス停に立つ人は、すでに乗り物を待っている人だ。

そこにタクシーが、止まれそうな速度で現れる。


四人で割れば、バスより少し高いだけ。

でも早い。

涼しい。

楽。


そう思った瞬間に、手が上がる。


五連続という結果は、東山に客が多かったことを意味しない。


少ない客の中で、乗る理由を持った人を拾えたということだ。


それは、たくさん魚がいる場所で釣った一匹とは違う。


魚が薄い川で、流れの筋を読んで拾った一匹に近い。


派手ではない。

だが、納得がある。


今日は、GOで組み立てる日ではなかった。


Uberが鳴った。

会社依頼があった。

手上げが多かった。


手上げで取る。

正直、不本意ではある。


本当は、GOやUberで狙って取りたい。

迎車料金を上乗せしたい。

GOの順位を上げ、了解率を保ち、発地を読んで、アプリで取る。


その方が、自分の営業としては納得しやすい。


だが、街がそういう日ではないこともある。


その日は、その日の釣り方をしなければならない。


ミノーに反応がないなら、スプーンを通す。

表層で食わないなら、少し沈める。

流芯で食わないなら、ヨレを舐める。


GOが鳴らないなら、手上げを見る。

観光地が薄いなら、バス停を見る。

人が少ないなら、暑さで歩きたくない人を探す。


釣り方を変える。


それでも、理由は探す。


今日の理由は、暑さだった。


歩ける距離が、歩きたくない距離に変わる日。


バス停が、タクシー乗り場に変わる日。


タクシー乗り場の横に、スマホの中の乗り場が生まれる日。


そういう日だった。


東山は、俺と相性がいいのかもしれない。


だが、相性という言葉だけで片付けると、少し違う気がする。


たぶん、東山の通し方を少し覚えてきたのだ。


茶屋街のどこに人が立つか。

バス停で迷うか。

信号で間が作れるか。

どの方向から入れば、客にアピール出来るか。


それを少しずつ覚えてきた。


釣り場に通うと、川の顔が見えてくる。


同じ流れでも、朝と昼では違う。

晴れと雨では違う。

水位が十センチ変われば、魚の着き場も変わる。


街も同じだ。


同じ東山でも、日によって違う。

人が多い日。

人が少ない日。

バス客ばかりの日。

外国人が多い日。

暑くて歩きたくない日。


今日は、暑くて歩きたくない日だった。


その日に、どう通すか。


それだけを考えて走った。


待っているだけではない。

流しているだけでもない。


ポイントを選び、角度を変え、信号で間を作り、打席を増やす。


そうやって、弱い日の中にある小さな時合を拾っていく。


大きな魚はいないかもしれない。

でも、食う魚はいる。


大事なのは、客が乗る理由を探すことだ。


今日の金沢で、客が乗った理由。


それは、暑さだった。

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