第一話 躯飛脚の監視塔
黒服おじさんの大群を、ちゃぶ台の高みより睥睨するダルシム矢野であったが、ふと糸が切れたかのようによろめき、ちゃぶ台より転げ落ちた。
転倒の際に、前頭部を畳に強打したダルシム矢野を心配し、おじさんたちが駆け寄ろうとする。
「待て」
おじさんたちをプロフェッサー・アナコンダが静止する。
「殿、まだ覚醒したばかりで力を使いこなせておられませんな。無理はしなさんな」
畳に転がりながら、芋虫のごとくもがきながら、ダルシム矢野は自身に起きた現象について考える。先程まで、尋常でない程に感覚が研ぎ澄まされていた。瞬きの内に無限の思考が加速し、ものの一秒のうちに部屋にいる全てのおじさんの人相を把握することさえできた。
そして、それと同時に、まるで神になったかのような究極の万能感に酔いしれてもいた。さらに、耐え難い破壊衝動、万物万象に対する激烈な苛立ちに心が支配されていた。無意識の内に、この場に集う全ての者共の肩に、強烈な鉄拳を叩き込もうとすら考えていた。
それがどう言うわけか、急に全身に強い倦怠感が芽生え、次の瞬間にはこの有様。失神からの覚醒より自身に起こった現象を振り返り、事態の推移は把握した。しかし、全くもって理解が出来ない。
わからないなら聞いてみよう。ダルシム矢野は、横たわる自分にブランケットをかけてくれようとしているプロフェッサー・アナコンダに話しかけた。
「今のは……なんだ?」
「ふむ。わしもよくわからんのです」
「……ふざけているのか?」
「………声がするのです。わしの頭の中に声が響くのです。その声に従い、わしと殿はここにいる。それが全てでございまする」
「意味がわからない!! 分かるように言ってくれ!!」
「わしから話せることはないのです」
「そんなわけ無いだろ!! なんでもいいから知ってることを教えてくれ!!」
「う、うううるさあああああい!!!! わしは何も知らん!!! 聞かれても分からあああん!! 声がするんじゃあ!!!」
ダルシム矢野は翁の焦点の定まらない瞳を見て理解した。この爺は狂人だ。頭がおかしい。話にならない。ダルシム矢野は翁を見限ると、瞬時に反転寝返りを決め、最寄りのおじさんの眼前に転がり出た。
「おじさん、なにか知ってますよね? 教えて下さい!!」
「……せん」
「はい?」
「知りませええええん!!! 分かりませええん!!! 殿、すみませえええん!!!」
ダルシム矢野が周りを見渡すと、翁が、老女が、おじさんたちが、気まずそうに視線をそらしていた。ダルシム矢野は否応なしに察した。
ここに集いし集団は、すべからく頭がおかしい。黒尽くめの気狂い倶楽部。そして、なぜだか知らないが自分は、この倶楽部の殿様になってしまったらしい。
しかしこれは、利用できる。願ってもないチャンスだ。ダルシム矢野は強かにも現状を受け入れた。先程行われた正直ゲームにて、自分の犯した償うことなど到底出来ぬ大罪を自覚した。
最初は死のうと思った。いや、死にたいと懇願した。この世の誰にも、人一人の命の対価すら払うことなどできない。それが6,667。それも見知ったスラムの仲間たち、そして最愛の家族。罪悪感で押し殺される。気が狂いそうになる。己が命で僅かでも償えるなら、喜んで差し出そう。
そう考えると、映るのだ。瞼の裏で鮮明に。心の底に焼き付いた己が業の心象風景が、死など許すものかと燃え上がるのだ。
それは、煉獄にそびえる骸飛脚の監視塔。塔はいついかなる時も、その13,332の眼球でダルシム矢野を観測している。そしてうめきながら、のたうちながらダルシム矢野に贖罪を求め続ける。
もし一瞬でも、その歩みを止めようものならば、地面から老女の腕が伸びてきて、奈落の底へとダルシム矢野を引きずり込もうとする。
無限に続く贖罪の煉獄に、ダルシム矢野はその身を捧げる覚悟を決めた。なぜなら、悪いことをしたら謝らなければならない。直接謝ることが叶わないならば、行動で示さなくてはならない。
奪ってしまった命の代わりに、あまねく全ての命を救済する。そのためなら全てを捧げよう。すべてを利用しよう。この不可解な力も、狂人倶楽部も、何もかも。必ずや覇王となって、自分が地獄に落ちるその日まで、世界のすべての命を照らす希望となろう。
ダルシム矢野は、痺れる体を叱咤して、翁の優しきブランケットを引きむしる。自分には生涯優しさに触れる資格などないのだから。
ダルシム矢野は畳より、静かに立ち上がる。そして、気狂い倶楽部に向き合い声高らかに宣言する。
「者共、僕に従え!! わけがわからないが、僕が皆の殿様になってやる!!」
「「ははぁ〜!!」」
部屋に集いし臣下たちが一斉に頭を垂れ平伏する。
「僕はこれより、セカンドゲームに進撃する。者共よ、諸君らはドーム内に潜伏し待機せよ!!」
「「ははぁ〜!!」」
ダルシム矢野はひれ伏す臣下に一瞥もくれることなく、玄関のドアを蹴飛ばし四畳半を後にした。ダルシム矢野が立ち去るやいなや、プロフェッサー・アナコンダは屹立し声を張り上げた。
「これより、殿の勅命に従い作戦を開始する!! 壮年黒服部隊は北へ!!」
白髪交じりのおじさんたちが、部屋から駆け出してゆく。
「第二黒服隊は南へ!!」
普通のおじさんたちが、小走りで部屋を後にする。
「くの一小隊は東へ!!」
老女がゆっくりと玄関に向かって歩いてゆく。
「わしは臨時本部にて指揮を執る!!」
プロフェッサー・アナコンダはロビーのソファーに向けて進軍を開始した。
ここからが本当の始まり。ダルシム矢野の贖罪の聖戦の火蓋が爆発四散した。




