第6話 ラリサの統治
エッセネ地方全体の統治を放置してひとまずラリサの整備に精を出す事にしたエドヴァルドだが領地経営については何もわからなかった。
「老師・・・何から手を付ければいいと思いますか?正直僕にはまだ何も思いつきません」
エドヴァルドはイザスネストアスやイーデンディオス達に相談する。
ラリサの統治に専念するにしても、全体的に城壁には亀裂が入っていて侵入するのも崩すのも容易そうだった。
「王の不興を買ったといっても、詳しい情報を知らない諸侯がいきなり攻撃してくることもあるまい。イオラ殿はどう思う?」
「私もそう思います。皆権威に弱いですし、もし公爵閣下に兵を向ければ報復に国王陛下が領主達の土地を召し上げに来ると思うのではないでしょうか」
かつて国王自らシロス公を討ち取ってしまったことが広まっており、あの王は何をするかわからないと小領主達は恐れていた。積極的に従おうとはしないだろうが、正面切って逆らう者もいないというのがイオラの見解だ。
「周辺地域の関所や鉱山はどうかの?」
「関所では管理している領主に税が納められてダリウス様に収入はありませんでした。鉱山もありません、採石場もありませんから城塞を修繕するには輸入する事になります。ここはラリサの収入が全てです」
ナイアス家の支配圏はラリサの城下町と周辺の集落にしか及んでおらず別の州との関所や東の同盟市民連合との関所は諸侯に任されていた。エドヴァルドがやって来たからといって取り上げても。
「なるほど。他に知っておくべき事はあるかの?」
「もともと収入が少なかった事もありますが、錬金術師や魔術師に煉獄罠を作って貰う必要があった為、ベルナルド商会から借金があります。それと大事な事ですが、森の奥に住まう神獣アトラナートは泉の女神ゲリアを守っているとされます。古代からここに住むエッセネ人の中にはゲリアを信仰している者がおりますのでご注意ください」
バルアレス王国のナイアス家も征服者側と見なされているのであまり人心は城主に懐いていなかったという。
「注意というと具体的にはどんなことに?」
「その集団は財産を共有し、結婚制度に拘りません。王国の法よりも共同体の規律を優先します。女性はゲリアに習って一人の男性に身や心を捧げる事はありません、男性もそれを期待しません」
森の女神の一柱ゲリアは生命の泉の女神として知られている。
また、アイラクーンディアと争って神々の時代を破滅させた原因としても知られており、邪神ではないのだが排斥の対象となっている。
排斥されると熱心な信者は逆にゲリアをより神聖化し排他的になっていた。
泉の女神だけあって誰にも分け隔てなく水場の恩恵を与える為、変じて誰でも受け入れるふしだらな女神としても知られている。
「皆、服がかなり・・・控え目にいってもみすぼらしいのは?」
「擦り切れて肌が露わになってしまうまでは使い続けます。高温多湿でよく汗を掻きますので一日に何度も沐浴する事を好みます。7歳くらいまでは男の子も女の子も一緒に裸になって水浴びしていることがあります。ですが蒸し暑くとも大人は貴族も平民も人前で肌を露出することは好みません。これはエッセネ人を征服したバルアレス王国の貴族達もエールエイデ伯を含めて同様です」
イオラは王都の人間のままのつもりで振舞うと反感を買うと注意を促した。
「なるほど。原住民と融和したか。それにしてもゲリアか・・・」
「エッセネ人は古代から帝国や周辺国の攻撃を受け続けて来たので共同体の意識がとても高いですが、元来憐み深く、平和を愛する人々です。彼らの戒律に口出ししなければ揉め事を起さずに統治できるでしょう」
イオラの言葉にエドヴァルド達は頷いた。
ダリウス達は彼らに溶け込もうとしていたのだが、根本的に王制下の代官であるダリウスと彼らでは相容れない存在だった。
「しかし財産共有制とは国家の統治を否定するようなもんじゃの・・・。同盟市民連合やガヌ人民共和国でも似たようなお題目は掲げておったが徹底は出来ておらんかったというに」
「徴税に難が出るのも無理はありませんね。というか財産どころか夫、妻子まで共有ですか・・・群れ全体で子育てする蛮族の風習に近いですね」
一代や二代で片付く問題ではなさそうだ、とイーデンディオスは感想を漏らした。
エドヴァルドは前途の多難さに目が眩むかのような錯覚を覚えた。
◇◆◇
ラリサの城下町の住人はバルアレス王国の主流であるザカル人が多く、続いてフージャ人、エッセネ人の順だった。ダリウスもそうだったが、自分達はもはやエッセネ人であると考えるザカル人も多い。しかし、エッセネ人の中でも郊外に住むゲリアや聖エイペーナを信仰するグループは帝国人や征服民族を嫌っていてなかなか同化出来なかった。
エッセネ人のエイペーナは第一帝国期の帝国軍が侵入してきて森を焼き払った際に、対抗して雨を降らせ森を回復させたとして崇拝の対象になっている。
郊外に出るとたいていの村はエッセネ人が農民として暮らしていた。
街道沿いのエッセネ人は水車や農具に種籾などを維持したり商人を呼ぶのに領主の力が必要だということは理解しているらしくある程度は税を支払ってくれるらしい。
エドヴァルドの支配下にある住人は各民族あわせてせいぜい五千人といった所。
ナイアス家に好意的だった貴族がそのまま従ってくれても一万五千人ほど。
書庫の記録を読むとエールエイデ伯は五万からの人口を抱えていると想定される。
この地方全体では二十万人くらいの人口はいると予測されるが、半数以上はエーエルエイデ伯と繋がりがある貴族の支配下にあるようだった。
「まあ、まずはこの地方の最大の誇りであるエッセネ女公を手本とするとかいって住民を慰撫して味方につける事じゃな。ゲリアの神殿に寄進するのもいい。金は無いじゃろうが、無い物を無理に出してこそ威服されるじゃろう」
イザスネストアスはこの地方の特色を聞いた後、貴族達の足元を崩してから従わせるようエドヴァルドに提案した。
「有難うございます老師。その・・・何故私を助けて下さるのですか?」
イーデンディオスが連れてきたので受け入れていたエドヴァルドだったが、これまでは大分距離があって深く尋ねた事は無かった。
「なに、シャールミンに・・・東方候に頼まれたからのう。古い友人を助けてくれと」
「古い友人・・・ですか?」
誰の事だろうか、とエドヴァルドは疑問に思う。
「スーリヤ殿の事でもあり、お主の父バルアレス王の事でもある。シャールミンは最も古き民、妖精の民の王子が来たという事で帝都で虐められるかも、と思っておった所がそなたの父らに普通の人間として学友として接してくれたと僅か三年ほどの付き合いでも感謝しておったらしい」
「へぇ・・・あの父上が」
剣を振りかざして鬼の形相で追ってきた父を思うとエドヴァルドの心はまた苦しくなる。
自分の浅はかさで兄弟も父も母も全てを失った。
好き好んで死にたくは無かったが、あのまま殺されていればよかっただろうか・・・。
いやいや、後になって冷静になれば子殺しに後悔していたかも、と父の事を想うエドヴァルドだった。
そして、母のスーリヤは最も高い白い塔に幽閉されている。
感染力がある病にかかっていると言われているので相変わらず会いに行けていない。
母に投げてしまった言葉を後悔しているが、母があそこまで酷い状態になっていると教えてくれなかった周囲を恨んでもいる。
塔の周辺には常に警備がいて、イザスネストアスも魔術による警報装置をおいているので中に入れない。エドヴァルドはラリサ周辺を巡回して山賊の残党を警戒しつつ、警備の目を盗んで塔の外壁をよじ登り、母に一目会いに行こうと試みるのを日課とした。
シセルギーテに会うなと言われてはいたが、最後に母にかけた言葉がしこりになっていて心に区切りをつけるのが難しかった。




