番外編 方伯家の女性達:エウフェミア
◆1408年3月12日
突然婚約破棄を言い渡された。
どういうことかといえば、幼馴染で少し年上の聖堂騎士コンラートと将来を約束していたのだが、わたくしに言い寄っていた方伯家の若様に遠慮したらしい。
いくら主筋にあたる方とはいえ、自分の妻となる予定だった女を差し出すなんて情けない。
◆1408年3月19日
ニコラウス様とのお見合いの感触は悪くなかった。
とても優しく労わりのあるお方だった。
慈善活動にも熱心で、わたくしにも協力して貰いたいという。
◆1409年9月1日
婚儀も済み、出席されなかった一族の長老にあたるメルセデス様に紹介された。
わたくしとほとんど変わらないか、あるいはいくらか若く見える。
噂には聞いていたけれど、本当にわたくし達と同じ人類なのだろうか。
魔術に長けた方で、わたくしに護身用の魔術装具をいくつか下さった。
◆1410年4月1日
一族に子供が出来ないのは大地母神への感謝が足りないせいだといわれて、巡礼の旅に出る事になった。
◆1413年1月2日
一族の集まりで巡礼から戻って来ても未だに子供が出来ない事を非難された。
まるで自分が失敗作のような気持ちになる。
メルセデス様に相談に行ったが、一心不乱に何かを作っては捨てていた。
普段は愛想のいい方だが、あの赤い瞳を見ると恐ろしく感じてしまう。
初めて会った時から容姿も変わっていない。
◆1413年1月9日
改めてメルセデス様を訪問したが、前衛音楽家とやらを招いていて、一緒に踊る様要求された。あの方の趣味がさっぱりわからない。
芸術家の一人がメルセデス様の首につけている装飾に目をつけて市販したいと言っていた。
とりあえずメルセデス様に妊娠しやすくなる薬を処方して頂いた。
そういえばあの方は市井に人気だが、誰とも結婚した事は無い筈だ。
子作りに興味はあるのだろうか。
◆1413年5月9日
メルセデス様の衣装が市井で大流行している。
首輪のような装飾品と可愛らしいドレスだが、大半の女性には似合っていない。
大分利益が出たと言ってわたくしにもお小遣いを頂いた。
子供を諦めたかのように夫はわたくしに最近構わなくなってきた。
それならそれでもいい。
◆1413年7月7日
ベルチオ家のクラウスが夜会で酔ってニコラウスの昔の不行状を明らかにした。
そして誰とも子は出来ず幸運だったと笑い話にした。
彼はあちこち浮気して子供が出来てしまった為、奥方にはずいぶんにらまれているそうだ。
養育費や将来の奉公先を世話してやらねばならないとクラウスは嘆いている。
◆1413年8月15日
メルセデス様の屋敷に呼ばれて、クラウスの話や夫婦間の性交渉の問題について聞かれた。
恥ずかしかったが努力していると嘘をついた。
◆1413年9月22日
今度はお義父様の屋敷に呼ばれて・・・彼に抱かれた。
拒否は許されなかった。
このまま子供が生まれなければ親類の誰かを養子に迎えて夫は廃嫡されてしまう。
お義父様に役立たずになった夫は追放される。
お義父様自身が養子だった為、彼の父の兄弟の子孫は今も方伯家当主の座を狙っている。
夫は名家から追い出されて生きていける人ではない。
お義父様との性交渉は事務的で痛い。
◆1414年1月15日
アンナに新たな命が宿っている事を知らされた。
複雑な気持ちだ。
でも、これでお役目を果たせる。
少なくとも私に問題があったわけではないと証明された。
◆1414年2月22日
ようやく妊娠を自覚し始めた。
アンナはどうやってあんなに早く知ることが出来たのだろう。
シレッジェンカーマのお力なのだろうか。
これからは食事の内容にも気を付けなければならない。
お義父様の態度がこれまでと一変して気持ち悪いくらい優しくなった。
でもお義父様がお腹の子の父親になってしまう事になる。
人前でお呼びする時どうしても口ごもる事が増え、侍女も不審がっている。
◆1414年3月29日
夫に妊娠を知られた。
長い間寝室を別にしていた為、自分の子ではない、誰と浮気したのかと詰め寄られた。
話す事は出来ないというとさんざん殴られ、蹴られた。
気弱な人だと思っていたのに。
でも仕方ない。実際他の男に抱かれたのだから。
私はエイラシーオの誓いを破り、夫を裏切った。
◆1414年6月12日
お腹が大きくなって傍目にもわかるようになってきた。
体調は悪くない、だがニコラウスにはまだ殴られる事がある。
昼間は侍女達が庇ってくれるが夜はそうもいかない。
殴りながら犯され、必死にお腹を庇った。
◆1414年7月4日
私が夫に虐待されている事を知って、お義父様が屋敷にやって来て守ってくださった。
そしてお腹の子を心配された。
お医者様からは順調だと言われたと伝えるとよく耐えたと褒められた。
奇妙だが、初めて愛情を持って自ら抱かれに行った。
気弱で頼りない男より、年老いても強い男の方がいい。
愛情と背徳感から初めての絶頂を得た。
◆1414年9月7日
なにもかもうまくいっている。
実家の両親やメルセデス様との関係も良好になった。
メルセデス様の御屋敷ではニコラウスが卑屈な目で私を見つめてきた。
暗い喜びが胸を満たす。
◆1414年10月12日
もうすぐ産まれる。
実家の借金はお義父様が面倒を見てくれるそうだ。
幼い頃将来を誓いあったコンラートも祝福してくれた。
コンラートはいつの間にか聖堂騎士総長になっていた。
あんなに若い総長は初めてらしい。
私と別れた後任務に随分と邁進していたそうだ。
旧都の亡者払いをしに行っているのだとか。
◆1415年1月17日
日記を書くのはしばらくぶりになる。
生まれた子は女の子だった。
名前はコンスタンツィアに決まった。
エンスヘーデの後、マグナウラ院を再建した皇后の名前だ。
そしてメルセデス様のお婆様も同じ名前だ。
男達が名前を決めないのでメルセデス様と私で決めた。
お義父様は娘の誕生を喜んでくれなかった。
次は男の子を産めと言われて、まだ事務的な抱き方に変わってしまった。
今はニコラウスとの屋敷を出てお義父様の下で暮らしている。
彼はメルセデス様特製の精力剤を服用しているらしい。
表向きはニコラウスからの暴力を避ける為とされた。
◆1414年2月24日
クラウスによるとニコラウスは別の女に手を出し始めたらしい。
今更どうでもいい。
お義父様に夫と離婚させて欲しい。
そして今度こそ男の子を産むから貴方の後添えとして迎えて欲しいと頼んだが、拒否された。
そんな不名誉な真似は出来ないと。
息子の妻に手を出しておきながら今更不名誉だなんて!
◆1414年3月15日
コンラートがお義父様に対して反乱騒ぎを起こしたが、副長ジェラルドが即座に鎮圧して事なきを得た。
コンラートは死んだ。
彼は何を考えていたのだろう。
旧都を監視するのが嫌になったのだろうか。
◆1418年5月23日
昨日、メルセデス様が自殺された。
そしてメルセデス様の遺言をエイレーネ様から知らされた。
遺品は全てコンスタンツィアに受け継がせるように、と。
◆1418年5月29日
銀行で遺品を受け取った。
メルセデス様やそのお母様達の日記と一緒に。
日記はあまりに長く、途中で読むのを諦めて流し読みになった。
どうして生前に教えてくれなかったのだろうか。
嫁いできた私が信用出来なかったのだろうか。
わたくしにこの家に殉じる義務はない。
◆1418年9月1日
ぼちぼち日記を読むのを再開した。
大昔のコンスタンツィアは夫を殺害されて方伯家に嫁がされたのに気が付いていない。
その娘はただの売春婦だ。最後には気が狂って自殺している。
そしてメルセデス様は自分のしでかした事で母が狂ったというのにずっと気がつかなかった。
最後には母が自殺した者の魂が行くという地獄にいると思い込んで、自分も自殺して神と戦いに行くなど馬鹿げている。
コンラートが突然婚約破棄などと言い出したのもメルセデス様が何かしたに違いない。
血統の維持に拘る男達のせいで女の人生は皆狂ってしまった。
コンスタンツィアにはそんな人生を送らせない。
◆14??年?月?日(判別不能)
むざむざところされてたまるものか
■エウフェミア(?年-1427年)
ダルムント方伯家の陪臣の娘だった為、紋章院にも貴族名鑑にも生年について特に記録は無い。
小身の貴族だったが、方伯家に嫁いできてからは浪費癖が顕著になっていったという。メルセデスから莫大な遺産を受け継いだ筈だが、大半は失われていた。




