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荒くれ騎士の嘆き歌  作者: OWL
第二章 母の愛(1427~1428)
75/372

番外編 方伯家の女性達:シュヴェリーン

◆1305年12月12日


7つの誕生日を過ぎた途端に家庭教師がつけられました。

お婆様が選んだ各界一流の教師だそうです。

お婆様曰く「貴女は母親と違って生まれながらの選帝侯家の女。我が家の恥、無作法、無教養は許しません」


お母様は今日も呑気に畑仕事だ。

この冬に?

ええ、この冬場に。


◆1306年1月1日


新年です。

朝の五時から家庭教師に算術を習っています。

遊ぶ時間なんか貰えません。


◆1306年1月7日


わざと風邪をひいてやろうと裸で寝ました。

自動的に部屋の空調が働いて室温が上がっていました。

我が家の設備が憎い!


◆1306年2月4日


母の庭が年々拡張されていきます。

お婆様がいくら叱ってもお父様が庇うので止められません。

帝国最高峰の魔術師評議会の先生方まで駆り出して、お庭を魔術で改造して年中暖かくしています。


自由な母が羨ましい。


◆1308年4月1日


今年はマグナウラ院に入学します。

お婆様はまだ早いっていってたけれど、お母様のごり押しが通りました。

できれば寮生活が良かったけれど、さすがにそれは認められませんでした。

お婆様からは行くなら皇家以外のいい男を見つけて早く男の子を産んで欲しいといわれています。


自分が生きている内に。


◆1309年12月22日 


お母様は毎年のように女の子を産むので、妹がどんどん増えていきます。

男の子が生まれない限りお婆様の嫌味は止まりません。

お母様には効果がないので私にばかりあたって来ます。

男の子が出来ればそちらにかかりきりになるでしょう。


これまで耐えてきたのだからもうあのお婆さんが死ぬまで産んでやる気はありません。


◆1310年6月7日


と思っていたのですが、気になる男の子が出来ました。


◆1310年7月12日


女の方から言い寄るなんてはしたないと思っていたのですが、留学生の話だと北の方では女の方から実力で押し倒す習慣があるそうです。


◆1310年7月13日


マリア先生に聞いてみたらその話は本当だけど、さすがに勧められないといわれました。私もそこまでする気はありません。

彼はカーマ様の神殿の近くを通るときよく見かけます。

先生が特別に恋愛の女神エロスの矢を貸してくれました。


◆1310年8月21日


夏祭りの最中に偶然を装って彼に倒れかかって手のひらに隠したやじりで彼の胸に傷をつけました。


さあ、どうなるでしょうか!


◆1310年8月31日


駄目っぽいですね。

やっぱり信徒じゃないと神器は真の力を発揮しないんでしょうか。


これからはお母様と一緒に毎週礼拝に行く事にします。

お母様はシレッジェンカーマの信徒で私はカーマの娘のエロスの信徒になるということですね。今度こそ恋の花矢で彼を撃ちぬいてくれましょう!


◆1310年11月2日


ついにお婆様が亡くなりました。

晩年はあまりに口うるさくて誰にも嫌われて寂しい最期になりました。

私は子供が出来たら自由にさせてあげたいと思います。


◆1311年6月1日


今年は学院で弓を習い始めました。

お婆様が生きていたら、絶対反対されましたね。


今度はマリア先生に鏃ではなく弓の本体のほうを借りてマナの矢で彼を狙いますので、その練習です。東方圏の女生徒達は意外と弓が達者で女性でも武術を習っていいそうです。同志がたくさんいて助かりました。


ちなみに北方圏の女生徒達は大抵魔術の方が得意みたいです。

やっぱり寒くて家の中で出来る事に専念するのだとか。


◆1311年6月24日


ついに、ついに彼の方から話しかけてきました。

というか想像上の弓矢で狙っていたら、彼が殺気?を感じてしまったようです。


エロスに感謝を!


◆1311年7月1日


彼はアル・アシオン辺境伯領の封臣なので皇家とは関わりあありません。

つまり方伯家のお婿さんとして迎えてもなんの問題もありません。


いやっほう。


◆1311年10月10日。


どうも妊娠していたみたいです。

きっかけは夏祭り最後の夜ですね。

彼と相談してカーマ様の神殿でお見合いして結ばれた事にしました。


◆1311年10月14日


出産については母が毎年のように産んでいたのであまり不安はありません。

妹達は全員健康に育っています。

三人に一人くらいは産後に亡くなってしまうそうなので稀な事だとか。


お父様は子供が出来たのは喜んでくれていますが、彼の事は怒り半分でまだ許して貰えません。お父様の説得はお母様がしてくれるそうです。

選帝侯間の仲が悪くなるきっかけになるのではないかと世間は騒ぎ立てています。

他人のお腹の事で世間が騒ぐのはなんだか気持ち悪いです。


◆1311年10月17日


お父様が私の体調を心配して学院は休学になりました。

庶民だったら誰と結ばれようがこんなに注目されずに済むのに!


◆1312年4月21日


自由に動けるようになったので久しぶりに日記を書きました。


ついに方伯家に待望の男の子ゲオルクが誕生しました。

お父様もようやく喜んで彼との仲を許してくれました。

叔母様達もやってきて次々と贈り物を頂きました。


来月正式に結婚します。

辺境伯も皇帝陛下もいらしてくださるそうで、急遽大宴会の準備が進んでいるそうです。


◆1312年9月15日


お父様が彼に領地を割いて下さいました。

彼も一国一城の主になりましたが、あまり喜んではくれていないようです。

もともと帝国軍人になりたかった彼としては領地経営は乗り気になれないようです。

家中の人達は前線勤務は絶対に駄目といって軍務省にまでおしかけて彼を軍人にしないつもりです。


◆1313年5月5日


ゲオルクも一歳になりました。

お母様も男の子の子育てはした事がないので誰も頼れません。

夫は軍人に育てたいみたいですが、選帝侯家の男子が軍人になれるものでしょうか。


◆1313年5月12日


やはり夫はゲオルクを軍人に育てたいようですが、お父様は許さないようです。

アル・アシオン辺境伯の封臣は全員10年間軍務を務めないと後を継げない決まりなので夫とお父様では常識が違うようです。


夫は古代帝国時代はダルムント方伯家こそが辺境覇王だったのに!と不満を漏らしています。我が家の領土は昔は辺境でも今はもう平和な本国に組み込まれているので、軍人さんは多くありません。


◆1313年5月17日


お母様は大宮殿に滞在していてお父様と夫の間を取り持ってくれません。

おかげで私が板挟みで苦労しています。。。


◆1313年5月19日


あの人が初めて私に暴力を振るいました。


◆1313年5月20日


あの人が花束を持って謝罪に来ました。

私の赤くはらした顔を見て、とても後悔している、と。

二度と暴力を振るわないとアウラとエミスに誓ってくれました。


夫は軍人として10年勤め上げないとどうしても男として家長として自信が持てないのだそうです。苛立ちをぶつけてしまった弱い自分を許して欲しいと涙ながらに謝ってきました。


仕方ないので今度だけは許してさしあげます。


◆1313年5月22日


同窓生にオレムイスト家の御曹司がいたので、夫を軍務省で適当な役職に就けられないか尋ねてみました。


◆1313年5月29日


できそうです。


◆1313年6月2日


選帝侯家と皇家の癒着と言われると困るので内々に進めて貰っています。

いちおう義理でゲオルクが大きくなったらオレムイスト家に感謝するよう言い含めておく事にします。


◆1314年9月21日


また妊娠してしまったので学院は中退しました。

お母様は大きなお腹のまま通った筈なのに。

私だけ中退させられました。

お父様も理不尽です。大嫌い!


◆1314年11月15日


終古万年祭に合わせて、各地から巡礼者が帝都に集まって来ています。

巡礼騎士も多く集まって来てお父様に口々に訴えていました。

どうも世界各地で唯一信教徒達が巡礼の妨害をしているそうです。


我が家は古い神々の信徒の守り手を自認していますのでどうしても彼らと対立しがちです。夫からしてみると唯一信教徒の義勇兵はナルガ河防衛線に多く参戦している為、同盟者に近い間柄のようです。


少し複雑ですね。


◆1315年6月3日


またまた男の子が誕生です。

お母様が羨ましがっています。

ま、後継ぎの男の子を産まない事には女の務めを果たしたとはいえませんからね!


◆1315年9月1日


夫が軍務省入りしました。

制服姿がなかなかかっこいいです。

省内で兵站管理とやらの事務仕事をするそうです。

省内には唯一信教徒が多いそうで、夫は居心地が悪いようです。

領地は代官を雇って差配を任せています。


◆1315年9月12日


二年前にお母様に挑発されて大司教が面目を失った件について夫と二人でお詫びに行ってきました。今の軍は彼らの協力が無いと困るので橋渡しを務めなければなりません。


お母様ももっと立場を考えてくれればいいのに。


夫はまだダルムント方伯家に仕える小貴族に過ぎず、宮中の序列はとても低いのです。1198年以来、大司教は選定権を与えられておりお父様と立場上は同格です。


◆1316年6月21日


ゲオルクは早くも魔力に目覚めて大人並みの濃さらしいです。

そろそろ三人目が欲しいのですが夫は仕事が忙しくなかなか夫の義務を果たしてくれません。

任される仕事が増えて、今は仕事が何よりも楽しいみたいです。

ゲオルクとも会話をしてあげて欲しいのですが・・・。


◆1316年6月29日


大きな地震があってびっくりしました。

さっそく連絡用の使い魔たちが空を飛び交っています。


◆1316年7月1日


北部で大きな地震があったみたいで、うちの領地もかなりやられてしまったようです。お父様はこういう時贔屓(ひいき)をしてくれません。


一番被害の大きな所から順に救援隊を組織して派遣しています。

軍も緊急物資を解放して救助に向かいました。

夫は領地に戻ってもいいといわれましたが、今こそ自分の仕事が役に立つといって家にも帰らず省内で寝泊まりして仕事に専念しています。


◆1316年7月17日


台風が被災地を直撃して状況はさらに悪化しているそうです。

雨が止み次第、魔術評議会の方々も水を土地から排出させに行くそうです。


◆1316年8月1日


被災地で疫病が発生している為、大規模な救援活動が止まりました。

大司教様は30年前の水害の時に対策を講じていれば、とおっしゃっています。

帝国議会でも提案したのに治水事業は進まなかったそうです。

名家の多くには守護神がいる為、唯一絶対神を提唱する彼らに貴族階級は渋いのです。でも提案内容が正しいのであれば、偏見は捨てて採用するべきだったと思います。


お母様達の世代と違って私は生まれて一度も神の奇跡なんて見た事も感じた事もありません。風や雨の神様達が洪水を引き起こすのに、何で敬わないといけないんでしょう。


◆1316年9月12日


サウカンペリオンの市民達が救援が遅いと帝国政府を非難しているみたいです。

軍も本土を優先しているので北方圏までは手が回りません。

北方候は蛮族と対峙していて動けないそうです。


夫はサウカンペリオンに救援物資を手配する為にリーアンに向いました。

東方軍の物資集積所があるそうです。


◆1316年10月1日


大司教の訴えで今年の終古万年祭は中止になりました。

今は余裕のある物資を北方に送るべきです。


◆1317年4月3日


夫の代わりにゲオルクを連れて領地に入って初めて領民に接しました。

もともとはお父様の直轄領だったので私には敬意を払ってくれますが、顔役たちの口ぶりでは夫に不満のようです。

代官任せだったので仕方ない面もありますが、やはり余所者なのが気に入らないのでしょうか。またまた橋渡しの役目をしなければなりません。


こういう宿命なのでしょうか。


◆1317年4月21日


帝都で調達した物資も届き領民たちにも笑顔が戻りました。

お母様のお庭で収穫された野菜も一緒です。

今年の収穫を確保する為に大急ぎで田畑の再建が進んでいます。

唯一信教の奉仕者達がなんと南方圏からもやってきて被災地の復興作業を手伝ってくれています。


◆1317年6月12日


田畑が青々と成長してきています。

唯一信教徒達が教えてくれましたが、彼らは象徴としての神を尊ぶものの、人は人が導いていくべきだと考えているようです。

そして、何万もの不完全で欠点の多い旧来の神を統合して一柱の絶対神を創造するのだと。


家族がいない人の為、弱い人の為、困った時の為の精神的支柱としての神です。

どんな災害があってもこうして私達は再び立ち上がる事は出来ますが、差し伸べる手が間に合わない時、絶望して死んでいく人は出てしまいます。


やはり支えは必要でしょう。


◆1317年10月1日


今年も万年祭は中止です。

収穫物を巡って争いが起き、あちこちで山賊が出ているようです。


旧来の神々を信じる人達は雨の女神や地震の神に苛立ちをぶつけて争いになっています。この世界から去って行った神々は争いの種にしかなりません。


神は一つで十分です。


◆1318年4月3日


休暇を貰って夫も領地に姿を見せました。

免除していた税を今年から通常の状態に戻すと通告した為、反発が巻き起こっています。


◆1318年4月22日


話し合いで、通常の半分に戻す事で折り合いがつきました。

代わりに賦役を増やして水害対策の工事を進めていきます。

これはゲオルクの提案です。

夫には反発していても我が子には若様と呼んで慕ってくれています。


◆1318年5月2日


保険会社が災害保険事業を始めたそうで、こちらにもやってきました。

海難保険は聞いた事がありましたが、災害保険というのは初耳です。

我が家に残る現金では少々厳しいですね。


今後の収入を担保に入る事になりました。


◆1318年6月21日


夫が帝都に帰った直後に三人目の妊娠が判明しました。

とんぼ返りで戻ってくれるそうです。


◆1319年1月12日


またまた男の子でした。

そろそろ女の子が欲しいですね。


◆1319年3月12日


お父様とお母様が孫の顔を見にうちの領地にやって来ました。

ゲオルクと次男のヨハンは会うのが久しぶりなのでとても喜んでいます。


◆1319年3月15日


お父様がゲオルクに乗馬と狩りを教えてくれました。

ゲオルクは辛抱強く、先を読む力が長けているとお父様が褒めていました。

厳格なお父様が手放しに誉めるのは珍しいですね。


◆1319年3月21日


お父さまにゲオルクを方伯家の後継ぎにしたいと相談されました。

我が家の領地はどうすればいいのでしょうか。

次男のヨハンに?

領民たちはゲオルクに懐いてしまったので残念がるでしょう。


お父様には女の子しか生まれなかったのでこうなる事は考えていましたが・・・。

お母様が男の子を産んでくれていれば取り上げられずに済んだのに。


◆1321年4月12日


憂鬱です。

四人目は流産でした。

お城の神官が安産をアーナディアに祈ったのに何の恩恵もありませんでした。


領民たちも涙を流して我が事のように哀しんでくれています。


◆1321年5月18日


領民達が唯一信教の教会を作って神官達と対立を始めました。

以前、救援にきてくれた奉仕活動の人達に感化されていたようです。

近隣の領主達と相談した所、そちらでも信教と旧教の対立が起きているようで困った事になりました。


お父様に知られたら大変な事になります。

領民たちの気持ちも分かるので、集会は隠れて行うよう言い含めました。


◆1321年9月21日


お父様が病気がちな為、ゲオルクの手を借りたいとの事で方伯家の方へ出向する事になりました。夫は軍を退役して私と領地に戻ります。


◆1323年2月12日


また流産です。

領民たちが役立たずのアーナディアの神像を破壊して回っています。


◆1323年3月19日


二回流産した私を労わってくれているのか夫はこれ以上子供を望まないようです。

気持ちは有難いのですが、わたくしは娘が欲しいのです。


息子達は皆本家からやってきた教師や使用人が面倒を見ていて奥様の手を煩わせるなんて、といわれてしまっています。


◆1323年4月1日


次男のヨハンと三男のオットーも大きくなってきました。

ヨハンが我が家の後継ぎになる予定ですが、オットーには割いてあげる領地がありません。

夫と辺境伯の家臣から適当な婚約者を探して婿に出そうと相談しています。


◆1323年4月21日


ヨハンやオットーの婚約者探しとお父様の仕事を手伝う為、夫がしばしば帝都に出かけるようになりました。乗馬が達者なので数日で行き来できるようです。


話によるとお母様も乗馬が出来るそうです。

わたくしはそんな事させて貰えませんでした。


◆1323年5月1日


ひさしぶりにゲオルクが我が家に帰って来ました。

夫はまだお父様を手伝っているようです。


◆1323年5月2日


ゲオルクが、夫が浮気をしているって・・・。

軍務省時代の副官と。

既に子供までいるとか。


◆1323年5月2日 追記


領地の収入から養育費まで支払っていたようです。

あんなに拘っていた軍をあっさり辞めたのは発覚したから?


わたくしがもっとしっかり帳簿を見ていれば・・・。

ゲオルクがお父様にいいつけてやろうなんていうけれど、そんな事が明るみに出たら我が家の恥。まずは夫に確認しないと。


◆1323年5月12日


ゲオルクに夫を連れて来て貰いました。


既にゲオルクに責められていたのか、観念していました。

もう三歳になる子がいるそうです。

二度と浮気しないといっていますが、もう信用できません。

彼とはこれまでです。


◆1323年5月19日


ジュディッタ叔母様がやってきて離婚を思い止まるようにいってきました。

世間体もあるし、せっかく夫の弱みを握ったのに、手放すなんて勿体ないと。


一番の問題は再婚するとなると子供達を手放さなくてはならない事。

お母様も再婚する時、子供を三人置いてきたそうです。


今、離婚すると夫もわたくしもそれぞれ実家に戻る事になり、領地はお父様に返上してヨハンは継げる筈だった男爵領を失う事になります。

お父様に無理を言って結婚を許して貰ったのに、離婚するとなると不興をかってゲオルクが方伯家を継ぐ話も無かった事になるかもしれない・・・。


わたくしがこの家の当主になれればいいのですが、前例が無い、と。

プリストクス家のエイレーネ様は女当主であらせられるのに・・・。


◆1323年5月23日


仕方ないので許す事にしましたが、もう夫に愛情は感じていません。

養育費の支払いは止めさせました。

帳簿はわたくしが管理します。


夫は帝都に戻り、わたくしが実質上の城の主です。

ヨハンやオットーの教師もジュディッタ叔母様の紹介で選び直しました。


◆1323年6月1日


唯一信教の教会の建設を認めました。

百年前に定められた大法典に信教の自由の権利が認められていますので、法的には問題ありません。


◆1323年10月31日


ジュディッタ叔母様が気晴らしに近隣領主達を招いて夜会を開催してくれました。

帝都と違ってここではわたくしが最上位の扱いを受ける為、居心地は悪くありません。

いちおう夫がいるのに声をかけてくる男性も多いです。

彼が領地に戻ってこないので寂しいだろうと慰めてくださいます。


◆1324年1月6日


考えてみればわたくしもまだ26歳。

やはり離婚すればよかったかと思わなくもありません。

新年の集まりで帝都に行き、久しぶりに夫と会いましたが、あまり子供を作る気にはなれませんでした。


◆1324年1月21日


帝都ではお母様と比較されるのが辛い。


何故お母様は学も無いのに、皆に好かれるの?

何故お母様は好き勝手するのが許されるの?

わたくしはお婆様から厳しい教育を受けて来たのに学院を中退させられたのは何故?

何のために学問を学んだの?


結局女はたくさん子供を産んだかどうかでしょう?

こんな世の中にした女神達なんて大嫌い。


◆1324年4月22日


せめてもう一人だけ子供が欲しい。

実家では自分でお乳をあげる事も許されなかった。

今なら自分の自由に出来る。


◆1324年6月12日


初めて夫以外の男性に抱かれた時、罪悪感を感じたけれども押し切られてしまった。夫はまた浮気しているようだし、夜会で知り合った男性も妻を失くしていて姦通罪は成り立たないと。他国では違うらしいけれど、帝国では片方に配偶者がいなければ倫理的にはともかく罪には問われない。


◆1325年7月21日


ジュディッタ叔母様の協力で何度か逢瀬を重ねている。

やはり恋に生きてこそ女の幸せ。


叔母様も離婚が容易でない家の生まれなので随分恋を重ねたらしい。


◆1325年12月21日


お母様と男性の趣味が似たのだろうか。

年配の男性の方が心惹かれるようになってきた。


子供は欲しいけれど、子供を作るのは年末年始で夫が戻る時期にあわせないと面倒な事になる。


◆1326年1月14日


年末年始のご挨拶で帝都に行ってきたものの、お墓や神殿参りばかりでうんざりする。妹達は皆、夫より高位の貴族に嫁いでいるのでわたくしだけが身をつまされる。


どうして身分の低い男と結婚してしまったのだろうか。


具合が悪いと言って今年は途中で戻ってきた。


◆1326年12月24日


お母様が今年は帝都に来ないのか?と便りを寄越してきたけれど、今年はもう行く気は無い。


お小言ばかりでうんざりする。

もうわたくしは子供ではない。


◆1326年1月4日


お父様が会いたいと便りを寄越してきたけれど、どうせお母様の差し金だろう。


◆1326年2月1日


お父様からまた連絡が来たけれど、わたくしは具合が悪い。

回復したら帝都に行くと返事をした。


◆1326年2月14日


お母様が自分で馬を走らせてやって来たけれど、仮病でずっと寝込んで追い返した。


◆1327年6月20日


お父様が天に召された。

急いで馬車を走らせて貰ったけれど、臨終には間に合わなかった。


今日ばかりはお母様と哀しみを共にしようと思う。


◆1327年10月19日


ゲオルクがどうして新年に帝都に来てくれなかったのかとわたくしをなじった。

お父様はその頃から具合が悪かったらしい。

わたくしに厳しかったお父様を好いてはいなかったけれど、もう少し話をしてみればよかったかと思う。


離婚したいといっていたら案外あっさり許してくれたのだろうか。


ゲオルクはわたくしの不倫を察しているようだった。

もともとは夫の不貞が原因なのだからそれは許してくれるのかもしれない。

でも今更言い出す勇気はない。


清い体のうちに離婚してしまえばよかった。


もう何もかも手遅れだ。

 

◆1328年1月24日


ゲオルクは領内から唯一信教を追放したいらしい。

でも信教の自由がある以上それはできない。

わたくしにも領内から追放するよう言ってきたけれどヨハンとオットーには従う義務はないと言い含めた。


これは第十三回人類法廷で定められた万国共通の権利。

そして今、大司教は奴隷解放を帝国議会に提言しています。


夫にも賛成に一票入れるよう指示しました。

ゲオルクは反対のようですが構いません。


◆1328年3月20日


大司教様に諭されてわたくしも洗礼院で肌を脱いできました。

あのような所を方伯家が運営していたなんて恥ずかしい。


◆1328年5月31日


ついに奴隷解放宣言が採択されました。

帝国本土内に限りますが、自由都市連盟も追従する見込みです。


これで方伯家が経営していた洗礼院の女性達も解放されます。

シレッジェンカーマの神殿に務めていた神聖娼婦達も望まない仕事をする必要は無くなりました。神の前に全ての人間は平等で自由であるべきです。


◆1329年6月1日


オットーも帝都の学院に入ってしまったので我が家には誰もいません。

領地を管理して、裁判にも出席して実質的に領主も同然ですが何の喜びもありません。近隣領主達との夜会だけが慰めです。


身代を崩してもわたくしと一夜を共にしたいという若い男が大勢言い寄って来ます。


◆1330年9月24日


男達が次から次へと贈り物を持参してきます。

一度寝たくらいでわたくしが離婚して嫁入りすると勘違いしている可愛らしいお馬鹿さん達です。


選帝侯の母が下級貴族に嫁ぐわけないでしょう。


◆1331年9月21日


いつの間にか容色も衰えて焦っていたのでしょうか、困った時期に妊娠してしまいました。ジュディッタ叔母様はこっそり堕ろすよう提案してきましたが、それは出来ません。

もともと夫が悪いのですから何も言ってこないでしょう。


◆1331年11月9日


貧血で倒れる事が多く、あまり食事もとれません。

家中の者達の目がどうしても気になります。

幸い誰にも喋ってはいないようですが。


◆1331年12月27日


新年祭の準備で忙しい筈なのにお母様がお見舞いに来てくださいました。

ヨハンが知らせたようです。

妹達は誰も来てくれないのに。。


やはり母は母なのですね。


◆1332年1月4日


お母様はまだこちらにいます。

二度流産しているのでわたくしが不安になっているのだろうと励ましてくれています。帝都といっても広いのでお母様は夫が妊娠時期にこちらに戻っていなかった事を知らないようです。


夫は今は一応こちらにいますが、わたくしとは顔を合わせないようにしています。

来週には仕事があるからと帝都に戻るようです。

そういえば軍務省に戻ったのでした。

もうどうでもいいのですけれど。


◆1332年1月15日


真実を知っても母はわたくしの面倒を見てくれるのかしら。

息子達は?

生まれた子は父親が誰だかわからないと知ったらどう思うでしょうか。


去年は少し精神的に参っていていろんな男と寝てしまったので、頼れる相手がいません。

御免なさい、お父様、お母様。


◆1332年1月20日


気が付いた時には娘が誕生していました。

意識が無かったので産んだ実感がまったくありません。

いつの間にか夫も戻って来ていました。


当然ですが、娘の名前は考えてくれません。

ジュディッタ叔母様に娘の名を尋ねられたので咄嗟に神官に名付け親になって貰う事にしました。わたくしの心を惑わせた憎い女神の神官に。


◆1332年1月27日


わたくしは本来は母子共に死んでいた筈だったそうです。

助からない命を助けて下さったのは慈愛の女神の聖女だそうです。

お礼をと思ったのですが、既にこの地を去ってツェレス島の大神殿に戻っていました。


◆1332年2月1日


娘を産んだ実感が無いせいか、自分でお乳をあげても愛情を感じられません。

娘の名前も自分でつけなかったせいでしょうか。


唯一信教徒の侍女に頼んで大司教に来て頂いて不貞の罪を告白しました。


そして、諭されました。

まだ古い神々の呪縛に囚われている、と。


◆1332年2月2日


大司教は今日もわたくしを慰めてくださっています。

自分を責め過ぎではないかと。


もともと神に頼らず、医学を発展させていればこんな風に辛い思いをする必要は無かった。

困れば大金を神殿に寄付して簡単に奇跡を起こして助けて貰える。

神殿に寄付する金があれば医学の発展に力を注ぐべきだった。

資産家たちは汚れた聖職者に寄進して医学の学問所には投資しなかった。


その通りだ。


◆1332年4月15日


大司教シクストゥス様が帝国議会で医学の発展の為、人体解剖の解禁を提唱し、わたくしはそれに一票を入れるよう周囲に説いて回った。


◆1333年1月2日


ゲオルクに呼ばれて夫との離縁に同意するよう要求された。

形式上夫の浮気を責めていたが、今更おかしい。

家はヨハンが継ぐ事になった。


わたくしに否が応もない。


◆1333年1月12日


ヨハンの婚約者が決まった。オットーにもすぐに決まりそうだ。

わたくしとメルセデスは何処に行けばいいのだろう。


◆1333年1月19日


もう一年も経つのにメルセデスの夜泣きが酷い。


◆1333年1月21日


気がついたらメルセデスをぶっていた。

侍女が止めてくれなかったらどうなっていたことか。

自分が恐ろしい。


◆1333年2月19日


また大司教に来て頂いた。

自分の罪深さを自覚して反省出来るならまだ救いはあるとご助言を頂いた。

地元の教会に聴罪司祭を派遣して貰えないかと頼んでみたけれど、ヨハンの許可が降りないようだ。


◆1333年4月11日


息子達の頼みでわたくしはお母様の下へ行く事になった。

いつの間にわたくしは息子達に疎んじられるようになったのだろうか。


◆1334年5月2日


わたくしとお母様では掃除の順番の仕方が違う。

本来は侍女の仕事だが、この環境では夜遊びも出来ずメルセデスの世話もあるので雑事も自分でこなしている。


些細な事でお母様とは喧嘩してしまうが、お母様はひょうひょうとしていて簡単に流されてしまう。真剣に相手をして貰えない。


娘はわたくしよりお母様に懐いている。


わたくしは何故、あの子を産んでしまったのだろう。

わたくしは何故、まだ生きているのだろう。


◆1334年6月9日


せっかく帝都に来ているので毎週大司教様の説教を聞きに行っている。

この時ばかりは娘の世話をお母様に頼んで置いてきても大丈夫だ。


教会で御奉仕をしている時だけがまだ生きていてよかったと感じられる。

こんなわたくしにも彼はとても優しい。


◆1334年9月1日


大司教様が他の大司教様の推薦で総主教という最高位に着いた。

選帝権はこれまでの大司教の議会から総主教に移るそうだ。


◆1334年10月12日


お母様からメルセデスの為に頂いているお小遣いを唯一信教に寄進しているのが財務官にばれてしまった。収支が合わないと。


◆1335年1月1日


皇帝が亡くなってしまったので新年祭が無い。

ゲオルクがずっと屋敷にいる。

わたくしを見る目が冷たい。

母親を見る目ではない。


いつの間にかお父様に似てきた。


メルセデスの養育だけは取り上げさせない。


◆1335年1月21日


久しぶりに帝都を馬車で回ってみた。

皇帝がいなくても市中の活況は変わっていない。

人と物で満ち溢れている。


総主教様もおっしゃっていたが、皇帝などそもそも必要なのだろうか。

政策は議会と閣僚が決めるのに。

皇帝が出席しなければならないような裁判も稀だ。


帝都滞在中のジュディッタ叔母様も散策に付き合ってくれてメルセデスの教育方針の相談に乗ってくれた。わたくしのようにならないよう大身の領主と結ばせてあげなくては。


わたくしの不貞を知る由もない遠い異国の王子がいい。

となるとやはりマグナウラ院に入れてあげるのが最適になる。


◆1337年1月1日


メルセデスへの教育が厳し過ぎるのでは?とお母様に小言を言われた。

あと五年でメルセデスを大国の王子に見初められるくらい教養のあるお姫様に育てなければならないのだ。邪魔しないで欲しい。

自分はわたくしを守ってくれなかったくせに。


娘は可愛く無くても孫は可愛いらしい。


◆1337年2月14日


ジュディッタ叔母様からもメルセデスへの教育方針に疑念を抱かれた。

わたくしは7歳の時から朝の五時に家庭教師と一対一で教育を受けていたのだ。

わたくしより立派な人間にするにはもっと厳しく育てないと。


◆1337年2月17日


メルセデスが咳き込む日が増えた。

仮病に違いない。わたくしも幼い頃はよくやったものだ。

騙されない。


◆1337年2月24日


メルセデスが高熱で三日も目を覚まさない。

霊峰ツェーナ山に連れて行けば冷えるだろうか。


◆1337年2月25日


治療の為、メルセデスを連れ出そうとしたらゲオルクに止められた。

そして、わたくしからメルセデスを取り上げると脅された。

やはりこの家の男達は子供を皆取り上げてしまうのだ。

息子ですらも。


この家はもう駄目だ。総主教様に助けて頂こう。


◆1337年3月1日


総主教様も家族と仲直りするようにという。

ジュディッタ叔母様まで。


何処にも味方はいないのか。


◆1337年3月12日


少し落ち着いてきた。


ジュディッタ叔母様だけが頼りだ。

メルセデスは仮病じゃない。メルセデスは仮病じゃない。


ただ体が弱いだけ。

母親のわたくしが守ってあげなくては。


◆1337年5月1日


メルセデスが勝手に部屋を抜け出して変な馬と遊んでいたので、叱りつけて部屋に連れ戻した。あの子は体が弱いのだから動物と遊ぶなんてとんでもない。


◆1337年5月2日


ジュディッタ叔母様が少しは女の子らしいことも教えてあげては?と提案してきた。

確かに教養だけでは駄目だ。

男は自分より賢い女に劣等感を持つ。

お母様くらいがちょうどいいのだろう。


◆1337年5月9日


今日何が起きたのか。

目の前で何が起きたのか、理解できない。


お母様は朝元気そうだった。

庭で家族一同が集まって皆で昼食を楽しんでいた。

食事中に急に喉を抑えて苦しみ始めていた。

医師の処置が間に合わずそのまま亡くなってしまった。


ゲオルクがその場にいた人間を全員拘束して尋問したけれど、食事を用意したのはわたくしやメルセデスと長年仕えている料理人だ。

給仕もそう。


◆1337年5月14日


検査の結果毒物は無いようだった。

食材も何も不審な点は無いと。

もうお歳だし、気管が弱っていたのだろうと医師が解説して落着となった。

魔術でご遺体は維持されていたが、明後日火葬になる。


◆1337年5月15日


大勢の人が集まるので長女として葬儀で何といおうか原稿を書いていた。

一息ついてゲオルクに借りた調書を見ていると食材の中にわたくしが承知していないものがあった。


アンドラー種のゴマだ。

お父様に昔聞いた覚えがある。

この家の料理人も承知していた筈だ、お母様にこのゴマを食べさせてはいけないと。


急いでゲオルクに話していったん葬儀を止めて貰った。


◆1337年5月16日


夜通し調査した所、ゴマを料理に混ぜたのはメルセデスだった。

確かにメルセデスなら入れてしまってもおかしくない。

ゲオルクはもちろんメルセデスの罪を問わない事にした。


でも何処で手に入れたのだろう。

料理人は在庫に無かったと言っている。


メルセデスを問い詰める事になるが仕方ない。

ゲオルクが尋ねた所ジュディッタ叔母様が持ち込んだものだった。


◆1337年5月17日


ゲオルクが叔母様を逮捕して幽閉した。

事情はわたくしには何の説明も無かった。

わたくしにも外出禁止が命じられた。

幼い頃から知っている門番達も皆、ゲオルクに従ってわたくしを通してはくれない。


◆1337年5月23日


母の葬儀もいつのまにか終わっていた。

わたくしとメルセデスは監禁されている。


◆1337年6月1日


遺言執行人にされていたらしいエイレーネ様がやって来て母の遺言により遺産は全てわたくしが受け継ぐ事になった。母と仲が良かったせいか、だいぶやつれていた。


妹達もいるのに、何故わたくしに全て譲ったのだろう。


◆1337年6月2日


母の貸金庫にあった鍵で日記を開いた。

どうも出来の悪い娘を随分と心配していたらしい。


◆1337年9月21日


館が騒がしい。

使用人達に尋ねてみるとエイラシルヴァ天爵が事故死したとか、暗殺されたとか。

侍女は皆、変えられてしまって誰も長話につきあってくれない。


◆1337年10月1日


館を抜け出して街中で話を聞くと総主教様が選帝の開始に同意したとかで騒然としている。ゲオルクはオレムイスト家に一票を投票してくれるだろうか。

総主教様に支持を伝えに行こうとしたら家の者が追い付いてきて拘束された。


◆1337年10月2日


部屋に外から鍵をかけられるようになった。

メルセデスとはずっと会っていない。

古い馴染みの使用人が監視を務めている。


◆1337年10月7日


メルセデスと会わせてくれない限り食事を取らないと宣言して3日。

ゲオルクがメルセデスを連れてきた。

この子がお母様を殺してしまったとは言わないと条件付きで。

もちろんそんな事を言う訳がない。


ゲオルクはわたくしが狂ってしまったと思っているのだろうか。


今後メルセデスとは月に一度しか会えない事になった。

わたくしが信仰を捨てない限り。


◆1343年5月31日


メルセデスがマグナウラ院に無事入学した報告をしてくれた。

彼女は古い神を信仰しているらしい。わたくしは話を聞くだけ。


新皇帝も決まりオレムイスト家から新帝が出たらしい。


監視に聞かれていたが、大きな領地を持つ素敵な王子様をみつけて来なさいとだけ言った。


娘には笑われた。

夢見がちな事を言う母だと思ったのだろう。

抱きしめたかった。


でもわたくしは他人に移すと危険な病気を持っている事になっているのでそれは出来ない。


人のぬくもりが欲しい。


◆1343年7月8日


監視の男を寝台に誘っていた事がゲオルクに露見して、囚人同様の扱いになった。

メルセデスの教育に悪いと反省するまで会わせてくれないという。

ゲオルクが尊ぶ大地母神達は大勢の男神と寝ていたのに。

何故わたくしは許されないのか。


もう生きていても何の喜びも無い。

母を見習って遺言を書こうと思う。

財産は全てメルセデスに託す。

息子達には何も残してやらない。


◆1349年12月1日


メルセデスに会いたい。

もう卒業した筈だ。

ゲオルクは婚約者を見つけてくれたのだろうか。

反省したといって会わせて貰う事にした。

ゲオルクの話ではメルセデスは在学中誰とも恋をしなかったらしい。

周囲から縁談が持ち上がっても拒んでいるらしい。

好きにさせてやって欲しい。母の最期の頼みだと頭を下げた。


もしあの子が幸せになれるなら、わたくしの人生にも唯一意味があったと言える。


◆1350年3月21日


ようやくメルセデスに会えた。

少し線が細いがちゃんと食べているのだろうか。

わたくしやお母様に比べて大分背も低い、まだ大人になり切っていないようだ。

でも美少女に育っているのできっと引く手数多だろう。


当時まだ幼かった彼女は『お婆様』、わたくしの母が死んだ日の事を覚えていた。

彼女の中ではジュディッタ叔母様が毒、に近いモノを混ぜ込んだ事になっているらしい。


◆1350年3月22日


どうやったのかメルセデスの方から会いに来た。

ゲオルクは頼めば大抵の事は聞いてくれるらしいが、わたくしにだけは会わせなかったのに。


彼女はジュディッタ叔母様をそそのかしたのが、総主教だといった。

昔の恨みを晴らしたのだと。


そして、わたくしを哀れんでいた。

唯一信教徒だった叔母様や総主教に騙されて母を殺して気が狂ってしまったのだと。

それでもいい。あまり間違ってはいない。


◆1350年3月23日


ゲオルクを呼んだ。

ここ数年で皇帝が3人亡くなっているらしい。

世間は唯一信教徒と旧教の争いが激しくなっているそうだ。

何故早く総主教を殺さないのかと聞いた。


彼は哀れむような目でわたくしを見た。

彼一人を殺しても何の解決にもならないし、それではただの殺人だと。

お母様を意図的に殺害した証拠も無い。


だらしない。

選帝侯でもある大司教に対抗できるのは選帝侯だけ。

アル・アシオン辺境伯は本土外の守り。

本国はダルムント方伯家の務め。


法律上の問題はフォーンコルヌ家とシャルカ家が解決してくれる。

特にお母様と親しかったフォーンコルヌ家なら協力してくれる筈だ。


◆1350年9月1日


久しぶりにメルセデスが会いに来た。

ゲオルクが全大陸から巡礼騎士を呼び集めて聖堂騎士団を再結成して唯一信教徒を駆逐し始めたらしい。

市中で争いが起きているのが、幽閉の身にも聞こえてきていた。

やはりそうだったのか。

ああ、世間に自慢したい。わたくしの産んだ子が帝国を救ったのよ、と。


線の細かったメルセデスは少しふっくらして女性らしくなってきたようだ。


◆1350年10月27日


メルセデスが大きくなったお腹を見せに来た。

どうやら好きな人が出来たらしい。

尋ねても恥ずかしがって教えてくれない。

未婚らしいがわたくしも同じだったので気にしない、大丈夫だと安心させてあげた。

恥ずかしがる顔がとても可愛かった。

彼女を射止めた男は幸運だ。


◆1350年11月12日


メルセデスはまだお相手を教えてくれない。

メルセデスと産まれてくる子供の為に、体を冷やさないよう服を編んであげる事にした。


◆1350年12月17日


メルセデスは産まれたら赤ん坊とお相手を連れてきてくれると約束してくれた。


◆1351年2月1日


メルセデスに無事子供が生まれたと監視が教えてくれた。

今日ばかりは口を開いてくれた。有難い。


1週間後、顔を見せに来てくれる。

ああ、良かった。



■シュヴェリーン(1298-1351)

―――聖堂騎士団を再結成したゲオルク・ヴィーラント・ダルムント方伯の母。

生涯で三人の男の子と一人の娘を産んだ。

選帝侯の母でありながら記録は少ない。恋多き女性だったと伝えられる。

彼女の恋についていくつかのゴシップが新聞に出ては消えていった。

不敬であるとしていつしか取り上げる者はいなくなった。

醜聞はあったが、礼節を尊び、常に優雅で気品のある微笑みを浮かべていた彼女の信奉者は多く、新聞を信じる者は少なかった。方伯家と敵対していた唯一信教徒が流したデマであったとされる。晩年は世に出る事もなく、世間はいつ葬儀が行われたのかも知らなかった。




※1

”洗礼院”

名称の由来は洗衣院から。

靖康の変で北宋が金に破れるとの皇女達はこの妓楼に入れられて娼婦とされた


本物語においては帝国による征服期において東方圏北西部アル・イル・ロワール地方の諸国家の后妃、公主、女官達は帝国本土に連行されて大地母神群の一柱シレッジェンカーマの神殿(妓院)に入れられ改宗を強要、教化され神聖娼婦となった。幼い王女達も成長するとやはりそこへ入れられた。

洗礼院で産まれた子供達は帝国人として大地母神への信仰を教え込まれ、男子は奴隷とされたり女子はアル・イル・ロワールへと戻されて洗礼院に入れられた。

帝国がリーアンに持つ直轄領を解放するまで元王女達の家系は長らく娼婦として扱われていた。リーアン連合王国が今も女性に対して扱いが厳しいのはこの故事に由来する。


古代帝国時代の辺境覇王だったダルムント方伯家がこの妓院を管理し、聖堂騎士団の金融部門と並んで収入源でもあった。


※2

”メルセデスは仮病じゃない”

シュヴェリーンの1337年4月12日の日記から毎日何百行も続く


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2022/2/1
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