第15話 母の愛-ダルムント方伯家編②-
コンスタンツィアの母の遺言が託されているのは帝国祭祀界の頂点に立つ女祭祀長がいる大神殿。法の神エミスと契約の神アウラの大神殿となる。
旧都ではもっとも高い丘の上にあった神殿だが、現在の帝都では平地にある。
これはもっとも敬われる神殿でも皇帝の権威よりも低い事を表している。
旧都が亡者に飲まれ各地で総督の反乱が起き、その後混迷した帝国を再建した第三帝国期の人々は第二帝国期(神聖期)の神殿勢力の横暴の歴史を繰り返させない為、彼らの権力を削いできた。
皇帝のもっとも近しい友人の立ち位置であり、祭祀界の長であり、宮中序列二位だったエイラシルヴァ天爵家が断絶した今、神殿勢力の権勢は歴史のなかでもっとも地に落ちた時代に入っている。百年前のシレッジェンカーマの神殿に端を発した『魔女狩り』も大きく影響している。
だが、それでもこの大神殿は大陸中から多くの巡礼者がやってきていた。
現在の人間国家は法と契約が重視されそれらの概念をもたらした神々は貴族達からも平民たちからも未だに尊ばれている。
法治が尊ばれる現在の帝国ではその神殿も特別な地位にあり、民衆からも絶大な信頼が置かれている。立場の弱い者達のよりどころであり、統治者側もそれをうまく利用する事で人心を安定させていた。
◇◆◇
コンスタンツィアは母の遺品を馬に括り付け、また一人で大神殿まで向かった。
貴族街に近い病院と違って、大神殿の周辺はもう平民の居住区だ。
大神殿には寄進も多く、芸術家が腕を競って装飾を凝らしているので観光客も多い。人が多いと治安も悪くなりがちなので、衛兵もそこかしこにいる。
帝都で最も立派なアイン・フィンタム万神殿は聖堂騎士団が警備しているが、こちらは大神殿から雇用されている衛兵だった。
古風なドレスを着て、おしゃれな羽根飾りをつけた帽子を被り、馬に横座りで走らせているコンスタンツィアは注目の的だったが、大勢の観光客や衛兵の前で堂々と手を出す馬鹿はいなかった。しかしながら馬に括り付けている荷物に手を出す不届きものはいたので、その度にコンスタンツィアは馬の鞭を振るった。
叩かれて文句を言おうとした男はコンスタンツィアに馬上から冷やかに見下ろされると、怖気づいて何も言わずに消えた。
大神殿の入り口は貴族用と庶民用の二ヵ所があった。
もちろん身分制社会故の事だが、お互いにトラブルを避ける為に必要な措置でもある。南方圏の場合は貴族用でもさらに男性用と女性用は別である。
東方圏の場合も大きな神殿だと男女別だが、基本的に女性用の方が道は通りやすく優先される。
コンスタンツィアも東方圏と南方圏の行政府がある自由都市ヴェッタハーンに行った時に知ったのだが、南方圏の場合女性は夫が死ぬと、火葬の際自らも火に投じて自殺する習慣があった。
南方圏では女性は男性に完全に従属すべきもの、東方圏でもやはり従属すべきとされたが、同時に守るべき対象という意味あいが強かった。
巡礼中ヴァネッサやヴィターシャとヴェッタハーンの大運河の工事を人柱となって成功させた聖女達の墓を訪問したが、彼女達は皆寡婦だった。
現地の人に聞いた時、今はそういった習慣は薄れて未亡人は全て王の財産とされて再婚を斡旋されるという。
◇◆◇
平日の日中帯なので訪れている貴族はそう多くは無く、コンスタンツィアは遺言書を受け取りたいというと早速女祭祀長エイレーネに地下深い保管庫へ案内された。
保管庫への階段は下るにつれて徐々に、湿気も強くひんやりとしていく。
途中で松明を警備の神官に渡して代わりに魔術による灯りを渡された。
自然にマナを集める特殊な鉱石に魔術がかけられていて持続時間が長いかなり高価な代物である。
コンスタンツィアは沈黙に耐えきれず、エイレーネに尋ねた。
「これは間違って書類を燃やさない為ですか?」
「ええ、そうです」
「でも・・・こんなに湿っていては文書の保管に難が出ませんか?」
「心配要りません。保管庫は先人の結界で維持されていますから。内部では劣化しません」
ああ、あの神殿みたいなものかとコンスタンツィアは納得した。
「エイレーネ様は母と親しかったのですか?」
「いいえ?何故ですか?」
「宮中序列では母と並んでいたかと思いましたので知り合いなのかと思っておりました」
今度はエイレーネの方がああ、なるほどと納得した。
「わたくしのは形式だけですよ、政治には一切関わりませんし宮殿に行くのは大宮殿内にあるルクス・サンクタ・モレス大聖堂で神事を行う時だけです。その時必要になりますからね」
面識はなくとも各方面からエイレーネは絶大な信頼を置かれているので母から託されたのだった。
階段を降りた先に扉があり、エイレーネの魔力に反応して開いた。
常人では開くことも出来ない血族封印の扉だ。
「厳重ですね」
「歴史に名を残す偉人達の一生をかけた想いが込められていますからね」
エイレーネはこちらの棚は皇帝セオフィロスが出征前に残した遺言、あちらはサガの恋文兼遺言、向こうは南方圏の宝石王が1,000人の愛妾に向けた資産分配の指示書だとかの説明を行った。
「そんなに古いものもあるのですね。遺言としての役割は終えているかと思いますが」
「代々の祭祀長が歴史家に保存を頼まれていたそうです。皇帝も何人か見えられたことがあります」
古代の皇帝や将軍達がどんな思いで出征前に書き残したのか知りたくなるのだという。
「さて、エウフェミア様の遺言はこちらです。わたくしは出ていますから読み終えたらお知らせください。持ち出す必要があればおっしゃってください」
◇◆◇
エウフェミアの遺言が入った箱を開けると何通かの手紙と鍵があった。
コンスタンツィアは鍵とその包みを小物入れにしまい、早速手紙の封を解いて読み始めた。
一枚目はかなり短い。
==コンスタンツィアへ==
この手紙が無事貴女に渡っている事を祈ります。
もし、ニコラウスに既に再婚して子供が、男の子が生まれているようならこの先を読む必要はありません。貴女は何処か遠い国へ嫁いで穏やかに暮らしなさい。
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「そんなこといわれてもね・・・。この鍵だって何なのか気になるし」
エウフェミアの予期した通りの状態ではあるが、コンスタンツィアは構わず次の手紙を読み始めた。
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もしこの先を読むのでしたら覚悟してからお読みなさい。
主筋であるニコラウスの妻として迎えられた事はわたくしにとって名誉であり望外の喜びでしたが、それも長くは続きませんでした。なかなか子供を産めなかったわたくしに家中は段々冷たい視線を向け始め夫から虐待を受ける事もありました。
そして、わたくしは耐えきれずに何度か貴女を連れて実家に帰りましたが、その度に連れ戻されました。離婚を申し出ましたが、両親からは許しを貰えませんでした。
両親は主君である義父クリストホフに離婚などという恥晒しを強行すれば領地を召し上げると脅迫されていたのです。
さしたる学も無く一人で社会に出て生きていける自信の無かったわたくしは裁判所に調停を依頼して強引に離婚する事も出来ませんでした。そして、両親への恩もありました。
夫婦喧嘩の噂が世間に漏れるようになるとクリストホフから巡礼に出るよう言い渡されました。大地母神ゆかりの土地を巡り子が授かる様祈ってこいと。
道中で盲人の守護者として名高いフィアナ神聖王国のセシリア王女の紹介でシレッジェンカーマの結社に入り、不妊に利くという薬も処方して貰いましたが帰国後も二年間子供が出来ませんでした。
ある時、夜会でベルチオ家の当主に子供が出来ない事を慰められましたが、彼は酒に酔っていたのかわたくしのせいではなくニコラウスに問題があるのではないかといいました。
真に受けたクリストホフはその夜わたくしを自分の寝所に連れ出しました。
貴方の年齢ならもうどういうことかわかりますね。
そう、貴女の実の父はニコラウスではなく『祖父』のクリストホフです。
クリストホフは息子の妻を犯し貴女を仕込みましたが、男子が欲しかった為その後も度々わたくしを求めました。わたくしは実家に逃げましたが、追い返されていたのは貴女も知る通りです。結社は本来子を産むのを助けてくれる組織ですが、嫌気がさしていたわたくしは結社の医師に子を産むのは無理だと相談すると避妊薬を処方して頂けました。こうしてわたくしはこれ以上あの男の子を産むのを拒みました。
ニコラウスはわたくしが度々寝所から姿を消しても何もいわずその仕打ちを受け入れました。
わたくしを取られた後、別の女性に浮気するようになりましたが、彼女もまた妊娠せずクリストホフの元に訪れるようになりました。わたくしが死んだ後は恐らく貴女の継母になるでしょうが彼女を恨んではいけません。彼女もわたくし同様の犠牲者です。
年老いたクリストホフは再婚する事も、息子の妻を取り上げるのも恥と感じて形式に拘るでしょう。貴女も巡礼をしたのであれば東方圏や南方圏では様々な結婚の形があり、子に恵まれないのであれば他にやりようがあることを学んでいる筈です。
ですが、クリストホフは己の体面に拘ってさらに歪んだ道を選びました。
クリストホフもまた呪われた子でした。
彼の父と母は実の兄妹で近親相姦によって生まれました。
クリストホフの父、ゲオルク・ヴィーラント・ダルムントは唯一信教を追放し帝都を救った英雄ですが、彼は妹のメルセデスを愛していました。仮初の妻はいましたがそれは世間を欺く嘘です。
彼だけでなく、この家は歪んでいます。
ダルムント方伯家代々の妻達が語り継いできた欺瞞について詳細が知りたければ同封の鍵を持ってアルヴィッツィの銀行の貸金庫を開けなさい。
愛するコンスタンツィア。
貴女を連れて逃げる事が出来なくて御免なさい。
どうか貴女は自由な人生を生きて。
この家が滅んだところで貴方が責任を感じる必要はありません。
ムイセリオンで貴女に再会出来る事を祈っています。
-母より-
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読み終えたコンスタンツィアは何も言わず、母の手紙を捨てて保管庫を出て行った。彼女の去り際、手紙は地面に落ちる前に火がついて瞬時に燃え尽きた。




