第13話 母の愛-バルアレス王国編➃-
スーリヤの全身から吹き出した異様な膿はウィンズローを襲い、服の隙間から入り込んで体の柔らかい部分を喰い破り体内に侵入した。目、鼻、耳、尿道口、肛門、ありとあらゆる部分からも。
エドヴァルドは既にその場から逃げ出していたが、ウィンズローの口から凄まじい叫び声が上がった。
「あ、あいつ!」
その光景も恐ろしいものだったが、ベルンハルトは逃げ去る我が子を優先して追いかけた。
「お、お待ちなさい。それでどうなさるのですか?」
ベルンハルトが剣を抜いてエドヴァルドを追おうとするので、リーラが立ちはだかる。
「母親を化け物と呼ぶような奴は俺の息子じゃない」
一度立ち止まって義母に返答したベルンハルトは義母を押しのけて走り去った。
「アシュラーフ、止めて!」
リーラの言葉に頷いてアシュラーフがベルンハルト達の追跡を開始する。
ベルンハルトの騎士はどうしたらいいか迷ったものの、結局王やアシュラーフを追いかけた。
その間にウィンズローの絶叫は止まり、体が跳ねるように脈動していた。
蚯蚓のような形の膿は、桶に溜まっていたものも含めてスーリヤの体に戻っていく。
だが、その光景を見る者はいなかった。
◇◆◇
夫と息子が去った離宮でスーリヤは「キヒ、キヒヒッ」と狂った笑い声を上げていた。体の膿は時々ひび割れから吹き出してはまたスーリヤの体に戻っていくが、先ほどのように大きく飛び出す事は無い、どうやら安定しているようだった。
離宮に残っていたリーラはひとまず侍女のトゥーラや他の魔術師と相談しウィンズローの遺体を魔術による焼却処分にして憂いを断った。
それからトゥーラはふと疑問を口にした。
「わたくしが襲われなかったのは何故でしょうか?」
トゥーラもウィンズローと同様に全身に防護服を来て側に居たのに、彼女は攻撃の対象にならなかった。
「わかりませんが、何かの邪術にスーリヤはかけられたのかも。ひょっとしたらあの医師を恨んでいたのかもしれません」
焼却に協力した魔術師は早まったかと思ったが、結局感染拡大を防ぐ為にはすぐに燃やすしかなかったと残った面々は結論づけた。
南方圏の人々にとって炎は断罪と浄化の象徴である。
大神オーティウムとナーチケータに加護を祈るだった。
◇◆◇
一方ベルンハルトはエドヴァルドを追いかけたが、あまりに彼の足が速かった為離宮内では追い付けず門で待たせていた馬に乗って遠くへ走り去ろうとする息子を追いかけた。
「クソっ、速いな、あいつ。馬並みか」
とはいってもさすがに少年の体力。
段々と速度は落ちてきて距離は縮まって来た。
ベルンハルトは大剣を振り回し、エドヴァルドは必死に避け、身軽な体を利用して近くの民家によじ登って逃げた。
道の向こうにはベローからの知らせを聞いてメッセールとシセルギーテが離宮へと戻って来ていた。
「おい!お前達、エドヴァルドを止めろ!」
メッセール達は何が何だか分からなかったが、とりあえず王命の為、屋根から転げ落ちてきたエドヴァルドを捕まえた。抜き身の剣を持ったまま近づいてくるベルンハルトの様子にただ事では無いと思ったメッセールがベルンハルトに事情を尋ねる。
「陛下、その剣をどうなさるおつもりですか?」
「知れたこと。親不孝者のエドヴァルドを叩き切ってやる。いや、もう息子ではないのだから親不孝という言葉もおかしい。ただの罪人として処罰してやる」
エドヴァルドを助けてやりたいが、主君には逆らえず「ぐぅ」押し殺した声をあげるメッセールとは違いシセルギーテは素朴に疑問に思って聞き返した。
「『知れた事』といわれても私は何のことか知りません。この子はリーラ様がいらした時に王宮にいなかった事ではないようですが」
エドヴァルドは庇ってくれたシセルギーテの後ろに隠れて縮こまった。
「ぬう。仕方ない。話してやる」
ベルンハルトがスーリヤの容態が悪化した一幕を彼女達に伝えている間にアシュラーフや騎士達も追い付いた。そしてエドヴァルドを庇う側に回ったメッセールやシセルギーテ、アシュラーフとベルンハルトの騎士達に別れた。騎士の従士や王の警護の兵士達がエドヴァルド達を取り囲む。
メッセールはあまりに短絡と王を諫めた。
「陛下、一時の感情で息子を殺めてはなりません」
「何が一時の感情か!」
「スーリヤ様が回復された時、息子が殺されていたら陛下をお恨みするでしょう。断じてなりません。お前達もお止めしないか!陛下に子殺しをさせれば近隣諸国から我が国への評価は地に落ちる。どの国も事情など考慮しない、伝わるのは子殺しの事実だけだ!」
メッセールはベルンハルトの騎士や兵士達にも呼びかけた。
「そうとも、貴国では不忠の行いというのではないかな」
アシュラーフもメッセールに同意する。
「王命に反する事こそ不忠というものだ」
ベルンハルトの騎士の一人が代表してアシュラーフに答える。
「王が完全な人間かな?決して間違いを犯さないと?補佐する為に諸君らがいるのでは?」
「そうですとも。頭を冷やしなさい」
シセルギーテが魔剣の力を使って周囲に宝玉から霧雨のような優しい水の空間を作り出して覆った。
雨を象徴するのは慈愛の女神ウェルスティア。
その力で実際に頭が冷えたのか、或いはアシュラーフとシセルギーテを敵に回して戦ったら死亡者が続出すると判断したようでベルンハルトの護衛達もこの場でエドヴァルドを処刑する事に反対し皆でベルンハルトを止めた。
「どう裁くにしろ、万民が納得するような罪状をはっきり公開しませんと」
「クソッ。もういい!シセルギーテ、エドヴァルドを連れ戻せ。アシュラーフは義母上を連れてさっさと帰国しろ。これは我が国の問題だ、もう二度と来るな」
◇◆◇
王城に戻ったベルンハルトとリーラが事の次第を明らかにしたが、ベルンハルトの廷臣達はさすがに息子の処刑には反対した。
とはいえエドヴァルドをこのままにしておくことをベルンハルトは許さない。
リーラがエドヴァルドを引き取ろうとしたが、他国に王位継承権を持つ王子を出すのは将来の禍根になると大貴族達は許さなかった。
協議の末、ベルンハルトはエドヴァルドを王国最南東にあるエッセネ地方に形ばかりの太守として追放する事を決めた。さらにヴァルカへの援助も停止し、何と言われても義母達の訪問を二度と受け付けなくなった。
こうしてエドヴァルドは処刑こそされなかったものの父親に見捨てられたと感じ、失意の中辺境の地へと向かった。
スーリヤはエドヴァルドに対する審問が行われている間、魔術師を閉じ込めるものと同じ、魔力を封じる檻の中に入れられて人目に触れないよう覆いをかけられ馬車で連れられて都を落ちて行った。
イーデンディオスもこのエドヴァルドの都落ちに従って連れてきた妹弟子と共にエッセネ地方へ向かった。
◇◆◇
イーデンディオスは肝心な時に弟子の側にいられず、所用があった帝都から戻ってきた時、ベルンハルトと対話している。
「まさか本当に我が子を殺すおつもりではなかったでしょうな」
「フン、知恵者の老師には分かっているだろう」
イーデンディオスは頷いて何も言わなかった。
「少々帝都でも問題があり、帰還が遅れて申し訳ありません」
「皇帝が暗殺されようがどうしようが、俺にはどうでもいい。スーリヤの病の事は何かわかったか?」
イーデンディオスは不在の間にここまで状況が悪化しているとは思わなかったので残念ながら真面目に調べてはいなかった。
「申し訳ありません。私には役に立てそうもありませんがわが師もスーリヤ殿の事は気にかけており直接容態を確認させて頂く予定です。ですが、もしスーリヤ殿を『あの状態』に追い込んだのがカトリーナ殿だった場合、どうなさるおつもりですか?」
どう考えてもただの皮膚病ではなかったが、どう言い表したらいいものかイーデンディオスは困った。
「・・・あいつのわけがない。あいつは無学だが優しい娘だった。子供の時からずっと俺の嫁になる事だけを考えていた。俺にはもうあいつだけだ・・・。もうこれ以上家族を失いたくない」
ベルンハルトはスーリヤが狂神アクトールに魅入られてもう回復しないと諦めていた。
カトリーナ自身が毒を盛ったり呪術を行えるような知識があるとは思えない。取り巻きか、親のアイラクリオ公が何かをしたのだろうと疑っていても、カトリーナの政敵がこれで完全にいなくなった以上、これ以上の不幸は訪れない。
それならもういいと心にけりをつけた。
「済まない、老師。契約を切りたくなったらそういってくれ。続けてくれるならあいつの親代わりになってくれ。俺はもうあいつの面倒は見れない」
ベルンハルトは珍しく頭を下げた。
逆説的なようだが、エドヴァルドを守る為にはベルンハルトがエドヴァルドを捨てるしかないと考えた。
イーデンディオスは頷いて王宮の孤児になってしまったエドヴァルドの面倒を引き受けた。
そして師と妹弟子達をエドヴァルドの任地であるラリサへ招いた。




