第12話 母の愛-バルアレス王国編③-
双子が殺し合うように仕向けたのは自分だと告白するエドヴァルドに対しトワージはなかなか信じなかったがアイラクリオ公もアハルツィ公も純血派で繋がりはある。
「亡くなった方を気にするより、貴方は自分とお母上の身を案じなさい。公表はされておりませんでしたが、使用人達からここ貧民街まで噂は広まっています。おっしゃるようにカトリーナの取り巻きの夫人達が毒を盛ったに違いありません」
「やはりそうだろうか・・・でも兄上も飲んでいた」
「茶碗の方に毒が塗ってあったのかも」
となると匂いに警戒していたエドヴァルドの勘違いになってしまう。
スーリヤの離宮には毒見係などいなかったし、エドヴァルドも狩りが好きな父につきあって獲物を持ち帰って料理長やメッセール達と捌いて食べた事もある。
時折スーリヤ自身も調理するし平和な離宮で毒に対する備えなどしていなかった。
自分で毒を盛られたのだと主張しつつも、エドヴァルドには証拠が無いので父に訴える事も出来ない。
スーリヤの病の悪化で使用人達も一斉に辞めたと聞いていて、追跡も困難である。
「あんな奴でもカトリーナは父上のお気に入りだ。ギュスターヴ兄上は母上にも僕にも優しいし反抗する気はない、周りに僕を後押ししようとする連中がいるけどはっきりいって迷惑なんだ」
エドヴァルドはまだ10歳ながらもこんな国の王になどなりたくはないという気持ちが固まっている。カトリーナが嫌いだからといって彼女を追い落とせば、それはギュスターヴを追放する事にもなる。
「でしょうね。スーリヤ様にはこの国の貴族に対抗できない。ギュスターヴ殿下の一家の中で争わせる方が現実的です」
「ああ、もう」とエドヴァルドは心の中で地団太を踏む。
争いが起きて国がどうなろうと彼は知った事では無いのだ。エドヴァルドはこれ以上誰にも死んでほしくない。兄が哀しむ所も見たくない。国に混乱が起きて戦争にもなって欲しくない。
王族に生まれた者と一人の騎士ではこうも考え方が違うのだろうか。
エドヴァルドからすると純血派のアイラクリオ公やアハルツィ公は敵といっていい相手だが、アハルツィ公がトワージを追放した事には理解できる。
アルシア王国と戦争になろうかという時に内部に敵を利する者がいては戦えない。
トワージの発言には憶測だけで証拠が無い。
エドヴァルドが主でも追放するか幽閉していただろう。
個人的な恨みよりも国益を優先せざるを得ない。
「もし、誰もが納得するような証明が出来るのなら行政長官や東方候に直訴してくれ」
「その時は王子も共に」
エドヴァルドは答えなかった。
こんな男達を率いて『敵』と戦うのは恐ろしい。母が願ったように彼は政争に関わらない一人の戦士でありたかった。
◇◆◇
エドヴァルドは帰宅の途中、知り合いの家の軒先で水を貰ってそのまま思い悩んでいた。
メーナセーラのように国を捨ててヴァルカに行けば良かったのでは無かっただろうか。そうすれば母は病に倒れずに済んだのではないだろうか。
「殿下、殿下!」
ぼーっと考え込んでいたエドヴァルドは自分を呼ぶ声になかなか気が付かなかった。エドヴァルドを呼んでいたのは離宮の警備を担当しているベローという初老の兵士だった。彼はメッセールと共にエドヴァルドがいそうな場所を捜索してここに辿り着いた。
「ん、ああ。ベローか」
「『ああ、ベローか』ではありません。御父上が大変お怒りですぞ。リーラ様がいらっしゃっているのに」
「先約があったんだ。それにお婆様にどんな顔をして会えばいいのかわからない。いっそお婆様に頼んでヴァルカに連れて行って貰おうか」
親しい相手なのでつい思いつきを口にしてしまう。
「そんな事をすればヴァルカは我が国からの最恵国待遇を失い、人々は飢えて苦しみスーリヤ様もお嘆きになります」
「そうか、そうだよね。ヴァルカはアルシア王国とは違う・・・」
悩みはますます深くなり身動きが取れないエドヴァルドだった。
「身の危険を感じておいでですか?」
「・・・まあね」
スーリヤとエドヴァルドに仕えている使用人や兵士達も巻き添えを恐れて逃げ出している。ベローのような忠実な兵士は稀だった。
「素直に御父上にご相談されてみては?」
「もうひとりの奥さんの一派に殺されそうだって?父上はカトリーナを愛している、誰かを選ばなければいけないならカトリーナを選んで僕を捨てる道を選ぶと思うよ」
勝手にエドヴァルドを後押しする者がいるせいで、エドヴァルドの意思に関わらず存在自体が危険とされてしまう。生き延びたければ戦うしかないが、後見人もいない10歳の子供が父や兄と戦っても勝てる筈もない。勝ち目があったとしても家族と殺し合いをしてまで生きたくもない。
少年ながら彼は既に世を悲観し始めていた。
いつまでもぼんやりしている訳にもいかず王宮に戻ったエドヴァルドは父からこってり絞られると覚悟していたが、父は既にリーラと共にスーリヤの離宮に向かった後だった。
父はともかく祖母には挨拶をせねばと彼も離宮に向かった。
しかし、エドヴァルドはもう長い事、離宮に戻って会うのを母に禁じられている。
なんといってもベルンハルトの息子は今やギュスターヴとエドヴァルドだけなのだ、彼まで感染し亡くなった場合喜ぶ者もいるだろうが、国家としては損失であることは間違いない。
◇◆◇
離宮は正門を通り抜けた時点で異様な臭気に満ちていた。
庭園の草木は枯れ、池の水は腐って魚が浮き、虫がたかっていた。
シセルギーテが高収入の帝国騎士を辞めてまで世話をせねばならないほど人がいない。
年配で人を差配する役目だったトゥーラは辛くも免れていたが、誠実で義務感、責任感からスーリヤの世話を熱心に務めたものほど早く感染して死んでいった。
奴隷の使用人達も逃げ出してしまっている。
「義母上、本当に会うつもりですか」
「ここまで来て今更何をおっしゃいます」
ベルンハルトは最後にもう一度念を押して忠告した。
リーラも離宮の異様な空気を感じ取って義理の息子が止める理由を段々理解してきたが、今更引き返す事も出来ない。スーリヤの乳母のトゥーラも止めたが、リーラは聞き入れなかった。再会を懐かしむ余裕もない。
ヤブ・ウィンズローという魔術師兼医師がマスクと手袋をして病魔の正体を分析しているが、今の所該当するような病気はない。毒を疑ってベルンハルトは錬金術師に分析させようとしたが、成果がないまま感染死してしまっている。
ベルンハルトがウィンズローに御簾を上げてスーリヤの容態を見せるよう手つきで促した。するとスーリヤの体の皮膚がひび割れたようになり、その隙間からじゅくじゅくと膿が吹き出しているのがリーラの目にも見えた。体の内部にも外側にも腫瘍でおおきな瘤が発生してしまっている。これがあの美しい熱砂の国の舞姫スーリヤだといわれてもリーラには信じがたい姿だった。
急に入って来た日光にスーリヤが顔をゆっくり上げた。暴れて飛沫が飛び散るのを防ぐ為、ウィンズローは芥子の汁をスーリヤに与えているので久しぶりに母を見てもスーリヤの反応は鈍い。
スーリヤは患者用の粗末な服を着せられていた。
その服は体から吹き出す膿で赤茶けた色に変わっており、毎日焼き捨てる事になっている。
本来寝台があった所に、粗末な椅子がありスーリヤはそこに座らされていた。
椅子の隙間から膿が滴り落ち、椅子も膿を受ける桶も毎日焼き捨てる。
「スーリヤ、スーリヤ?聞えますか?母ですよ」
卒倒しそうになりながらもリーラはなんとか呼びかけてみたがスーリヤはあ、う、くらいの声しか出せなかった。瞬きしたり指先はなんとか動いている為、話しかけられた事は認識しているようだ。
「義母上、もういいでしょう。彼女だって見られたくない姿の筈です。誰にとっても苦しみが増えるだけ・・・医師達に任せましょう」
なんとか話し続けようとするリーラにベルンハルトは小声で忠告した。
彼らが悪臭をマスクで遮り、小声で話しているとスーリヤが何かに気づいて視線を別の方向へ向けた。ベルンハルト達もその仕草に気づいて後ろを振り向く。
◇◆◇
「タッチストーン、本当に母上に会えるの?」
「ええ、今ならきっと会えますよ。ほら、あそこから覗いてごらんなさい」
王の道化、タッチストーン。
護衛に騎士や魔術師を連れているベルンハルトの一行に一人場違いな男がいた。
怒りっぽいベルンハルトは女癖の悪さの皮肉を言う道化を処刑した前科があるので成り手は少なかったが、暗い事件が続くバルアレス王国の宮廷では高額の俸給を提示して明るい話題を提供し皆を楽しませてみせろと道化に要求していた。
タッチストーンは無難に世間の話題を提供し、手品も得意でベルンハルトの不興を買わない程度に慎重に芸をこなしていた。彼は離宮であぶれて暇を持て余していた所にエドヴァルドが戻って来た為、長い間母に会えずにいた少年をベルンハルト達の所まで導いてしまった。
ベルンハルトが息子を母親から引き離し離宮から出したのは感染させない為であり、遠目に会う事すら禁じていたのは病状が悪化したスーリヤを見てショックを受けさせない為の親心からである。
しかし、エドヴァルドは今の状態の母を見てしまった。
そしてスーリヤも息子の姿に気づいた。
もはやまともに受け答えの出来ない彼女の中にどんな感情が渦巻いていたのか、身近なシセルギーテにも推し量れなかった。
だが、今のスーリヤの胸の内は誰の目にも分かる。
彼女は息子の姿を見て涙を流していた。
奇跡的に今まで生きていたスーリヤもこの病状では到底長生きは出来ないと医師達は口を揃えて言っていた。もう息子に会えるのはこれが最後だと思ったのかもしれない。
スーリヤの目の淵から流れた”モノ”は涙であって涙ではなかった。
粘りつく粘液のようなものが双眸から流れ出て、それは赤い血の涙のようであった。
涙を流すのと同時に悪臭もより一層酷くなる。
香木の香りを沁み込ませたマスクでも急に強くなった悪臭を防ぎきれなくなった。
エドヴァルドが見た母の姿は、記憶にあるものとは全く違っていた。
最後に会った時の姿はまだ熱砂の国の舞姫と言われるだけの美貌を残していたが、今は違う。地獄に縛られた女神アイラカーラのような姿だった。
そも、アレがスーリヤの成れの果てだとはまだ誰も教えてくれていない。
だから、エドヴァルドはみたままの感想を言った。
――言ってしまった。
「ば、化け物・・・!」
次の瞬間スーリヤの口からは泣いているような笑っているかのようなアーっという悲鳴が上がった。どこにそんな体力が残っているのかわからないほど離宮全体に、いや、地獄まで響き渡るような大きな声だった。誰もが目を瞑り、スーリヤの口から迸った絶望の哭き声に耳を塞いだ。
唯一魔術師のウィンズローだけがいち早く立ち直り、この場から逃げよう背中を向けたエドヴァルドに声をかけた。
「若君、ここに来てはいけないと言われた筈でしょう?さあ、感染を防ぐ為に薬湯を・・・」
ウィンズローが薬を差し出そうとすると、スーリヤの悲鳴がさらに激しくなった。
そしてスーリヤの悲鳴と共に体の全身のひび割れから膿が吹き出し、蚯蚓のような形になって隣にいたウィンズローを襲った。




