第10話 母の愛-バルアレス王国編-
「お久しぶりです、陛下」
「こちらこそ義母上。今回は急なお越しでいったい何用でしょうか」
新帝国歴1428年春。
突然バルアレスの都にやってきたのはスーリヤの母であるヴァルカ王妃だった。
ヴァルカは多くの小部族からなる国で、もともと国家の概念は薄かったのだが、帝国は統治しやすくする為に南方圏行政長官指導の下でヴァルカ国として成立させた。
「娘と孫の顔が見たくて寄らせて頂きました。今はどちらに?」
義母であり、他国の王妃の訪問ということで宮廷には多くの人間が集まっていたが、その中にスーリヤとエドヴァルドの姿はない。いちおう先触れは出していたのに、娘が顔を見せない事に彼女は疑心を持った。
「娘をだしにまた物乞いに来たのでは?」「まあ、本当に?浅ましいわね」「恥ずかしいこと、どちらに滞在するつもりなのかしら?王宮は嫌よ、これ以上外国人が増えるなんて」
居並ぶ廷臣の影でペルトロット夫人らがこそこそと噂話をしていたが、チャンテクレール夫人の声が大きすぎて一角がざわつきはじめた。
ヴァルカの王妃リーラには幸い聞こえなかったが、護衛のアシュラーフは腰にさした曲刀に指をかけた。どうしようか、どうしてくれようか、と考えるように指で何度か柄を弄びそれをベルンハルトの騎士が見とがめて緊張する。
アイラクリオ公がベルンハルトに耳打ちした。
「帯剣をお許しになったのですか?預かっては如何でしょうか」
「公、義母相手に警戒する必要はない。かよわい女性を警戒するよりむしろ義父を警戒するべきではないかな」
「しかしアシュラーフは・・・」
アイラクリオ公は嫌味に耳を貸さずに言葉を続ける、彼や騎士達が警戒するのは無理もない。アシュラーフはシセルギーテに武術を授けた実の父であり、ヴァルカ王の懐刀。帝都の闘技大会で百人抜きを達成したという伝説的な戦士だった。
頭巾のせいでリーラにはよく聞えていなかったが、後ろで控えるアシュラーフにも廷臣とリーラ達の間に立つ騎士や宮廷警備の兵士にも聞えていた。
玉座のベルンハルトにはいつもの小うるさいご婦人方が何か言ったのだろうな、という事くらいしかわからなかったが騎士達の顔つきをみて廷臣を下げる事にした。
「義母上と家族の話がしたい。皆、下がれ」
◇◆◇
「それで陛下。娘は何処に?」
「残念ながら昨年から臥せっています。エドヴァルドなら宮廷の何処かにいるでしょう。公、探して来てくれ」
「は・・・」
一応家族という事で残していたが、ベルンハルトは早々にアイラクリオ公を追い出した。
「申し訳ありません、気を使って頂いて」
「いえ、最近は外国人に厳しくあたるようになって来てしまいまして。義母上には申し訳ありませんが、あまり我が国に寄らない方が御身の為です」
「今年も娘と孫に新年の祝いを送りましたが、返事がありませんでした。そんなに具合が悪いのですか?」
年が明けて三ヶ月経ち、スーリヤの病状は益々悪化していた。
もはや面皰どころではない、生きながら皮膚が腐って行くような有様だった。
世話をしていた侍女や医者にまで感染して何故か周囲の者達の方が早々に病死してしまった。感染した者達は体のあちこちに腫瘍が出来、顔は醜く爛れてしまう。
中には発狂して自殺してしまった者もおり、スーリヤの離宮から次々と使用人は逃げだした。
王宮の宮廷魔術師や侍医達は診断結果から業病と仮定した。
前世の業が何らかの要因で現れる、通常の病とは違うものである、と。
感染した人間の症状がまちまちで数日で死んでしまう者もいれば何週間も苦しみ続ける者もいるのは前世の業の差だとした。
「妻は初めて会った時から神々への奉納舞を日々欠かしていませんでした。私は業病だという迷信を信じませんが、彼女だけが未だに意識を保っているのは長年の奉納に対する神々のご加護かもしれません」
ベルンハルトはそう言いながらも、苦しみが長く続く拷問のようなものだとも考えていた。むしろ罰ではないのか、何の恨みがあるのかと神々に問い詰めたい気持ちだった。
歯切れ悪く、苦しい表情のベルンハルトを見てヴァルカの王妃も病状の深刻さを悟った。
「・・・何という事でしょう。何か解決策は?」
「折よく帝国から学者であり魔術師でもある方をエドヴァルドの教師として呼んでいたので、ほうぼうに問い合わせて貰っています。それとフランデアン王が名医を派遣して下さる事になりました」
外国人であるスーリヤがまともな医療を受けられていないのではと思ったヴァルカ王妃もそれを聞いてひとまず胸を撫で下ろした。
ベルンハルトは前回シャールミンに会った際はそこまで酷くないと思ったのだが、帰国してみると離宮から出てくる続報はどんどん悪化していった。
帝都に呼び出されたイーデンディオスに、後から皮膚の病に詳しい者を寄越してくれるよう頼んでいる。
「そこまでして頂けていましたか、有難うございます。わたくしどもに何か出来る事はないでしょうか?」
「感染を防ぐ服の提供を職工会の医療部門から提供されるまでに大勢の使用人が死んでしまいました。シセルギーテも妻の世話をする為に帝国騎士を正式に辞めました。申し訳ないのですが、これ以上我が国の者どもはスーリヤの住む離宮の面倒を見るのは嫌だ、と職場を放棄している状態です」
「分かりました。ヴァルカから忠実な者達を派遣しましょう。トゥーラは無事ですか?」
「幸い彼女は無事でした。今もスーリヤの世話をしてくれています」
ヴァルカ王妃リーラは自分の乳の出が悪かった時にスーリヤの乳母となってくれた古い友人の無事を不幸中の幸いと喜んだ。
ひとまず遠目にでも娘の姿を確認したいというリーラをベルンハルトは止めた。
もとの美しく健康的な舞姫の姿だけを老いた母親には覚えていてもらいたかったのだ。ああまで変貌してしまってはもはや命が繋がっても元の姿に戻れるとは思えなかった。
渋るベルンハルトと押し問答していた所にアイラクリオ公が戻って来る。
「エドヴァルド様は街に遊びに出たそうです」
「ちっ、あいつめ。メッセールに探しに行かせろ」
母が苦しんでいる時に薄情な息子だとベルンハルトは舌打ちした。




