第26話 最古の王国の妖精王子②~合流まで~
コンスタンツィアを喧嘩する前、フィリップは父の命令に従って巡礼者を保護する旅に出ようとした矢先に二人の家庭教師が去るという話を聞いた。
「え?イーデンディオス老師はこの国を離れてしまわれるんですか?」
「申し訳ない王子。イザスネストアスからも頼まれましてバルアレス王国の王子の教育を引き受ける事になりました」
「まー、王子はもう学院に入ったし我々がここにいる理由もなかろ」
「でも、父の顧問としての役割もあるじゃありませんか。イザスネストアス老師も離れるおつもりですか?」
「儂は諸国漫遊の旅に出るだけじゃがの。隠居した老人の趣味じゃ、止めてくれるなよ」
「はい、止めません」
あれ、止めてくれないのか?とイザスネストアスは肘が滑ったような滑稽な動作をした。
「もともと老師は気紛れに何処かに旅に出ていたじゃないですか。でも弟の教育は引き受けてくれないのですか?」
「この国の教育者も育ってきた。シュテファン王子は大丈夫じゃろ」
イーデンディオスは自分の師と弟子の会話をにこにことして眺めている。初めて来た時は風習の違いに何かと面食らうことも多かったが、フランデアンも10年で大分変った。
伝統を残しつつも近代化を成し遂げ始めている。民間の学校も次々と開校し、人も集まり、発展がさらなる発展を呼んでいる。
「外海側や難民が流入している南部はかなり発展から取り残されているようです。陛下のご友人の国ということもありますし、今後もフランデアンとは関わることになると思いますよ」
イーデンディオスは安心させるようにフィリップに言い含め、フランデアンを後にした。しかし結局イーデンディオスは次に教育を引き受けた国に骨をうずめる事になる。
◇◆◇
「じゃあ、ヴェイル。私は妖精宮に寄って曾祖父に会ってくるから先に行っていてくれ」
「承知しました。ツヴァイリングの門でお待ちしますが、フランツ殿は?」
「僕もナリンとフィリップ殿下と一緒に行ってくるよ」
国内とはいえ一人旅はさせられないのでヴェイルが確認した所、イーネフィール女公の長男フランツがフィリップと旅を共にすると聞いて安心した。侍女役のナリンもいるがむしろトラブルメーカーになりそうだ。
フィリップ達が立ち寄る妖精宮は神代に森の女神達が暮らしていた世界樹の化石を元にしている宮殿だ。先祖代々妖精の民達が守り、神喰らいの獣を封じる為の犠牲となった女神達の帰還を待っている。
人間と妖精の民の境界線上にある都市からは一日と離れていない為、それほど長く立ち寄るわけではない。
彼らが妖精宮につくと曾祖父や祖母、それに妖精の民のゲルドが待っていた。ゲルドはフードを被って人間の子供に見えるような旅装をしている。
曾祖父のヴォーデヴァインは帝国の高位貴族の娘が近くまで巡礼に来ると聞いてちょっと警戒している。
「フィリップ。知っての通り帝国人は古代にやって来て儂らと激しく対立した。最終的に手打ちはしたが、1,000年の間に彼らは神の姿を忘れてしまった。彼らが少しばかり変わった事を言っても尊重しなければならないよ?」
「はい、よくわかっています。ひょっとしたら向こうもそう思っているかもしれませんね」
「おお、さすがは我が孫。なんて優しい思いやり」
「お父様、フィリップは孫の子ですよ」
ヴォーデヴァインの間違いに祖母のマルレーネが突っ込みを入れた。
「う?うむ、わかっておる」
フィリップの父、シャールミンが子供の頃から既にヴォーデヴァインはしわくちゃのお爺さんで100歳を遥かに超えていた。妖精の民の寿命は長いので今も鹿に乗って元気に森を巡回しているのだが、少しばかり呆けている。
「さてさて、若様、ナリン。妖精宮に入ってクーシャントに挨拶しましょ。匂い忘れられたら食べられちゃうかもしれませんよ」
ゲルドが妖精宮に誘うが、それに素早くフィリップとナリンが突っ込みを入れる。
「彼は忘れないよ」
「1年くらいで忘れてたら5,000年前の女神様達の匂い憶えてられないでしょ」
そりゃそうだ、と納得し妖精宮に入る。
内部には昔の神像が多数あり、異形の姿が多い。
腕が四本生えた巨神、鳥の翼に下半身は蜘蛛で上半身は女性の奇怪な姿もある。
フィリップは忘れないようにひとつひとつ指さし確認していく。
帝都の万神殿にある神像とは大分姿が違うので名前と姿形を一致させるのが大変だ。
「えーと・・・向こうはトルヴァシュトラ様であっちはシレッジェンカーマ様」
「カーマに様付けなんていらないよ!」
マルレーネがぷんぷんしている。
「あー、エーゲリーエ様に毒を盛ったから」
妖精の民が語り継ぐところ、神代末期に神々の内輪揉めで、神々の時代が崩壊する原因になった出来事のひとつだ。帝国側では大神ノリッティンジェンシェーレの妹が争いを引き起こしたとは伝えられていない。お互いこの点では見解の相違があり1,000年も戦う事になった。最終的に帝国ではアイラクーンディアという嫉妬の女神による犯行だとされ、神聖期に全世界に伝えられた。
「マルレーネ様、尊重、尊重を忘れてはいけませんよ」
「フン!帝国の人達が戻って来た時、これ見て自分達で壊そうとしたんですからね!シェーレのむっつのお乳見て」
マルレーネが指さすそれは人と同じような容姿なのに、乳房が六つある女神の像だった。たくさん子供を産んで育てられるように豊穣の女神には独特の特徴があった。それは人間の視点だとどうしても歪で異形に見えてしまう。
フィリップはそんちょー、そんちょーと繰り返すナリンにくすっと笑い、クーシャントに挨拶も済み、妖精宮を後にした。
◇◆◇
「え、待ち切れずに旅立ってしまったんですか?」
フィリップはヴェッカーハーフェンの市長からダルムント方伯令嬢の行先を聞いて吃驚した。一日違いだったので、急いで追いかけねばと思ったが、すぐ南の神殿領に行って数日以内に戻る予定だというのでこの場で待つ事にした。
市長のいう通りダルムント方伯令嬢はすぐに戻って来た。
「どう見ても巡礼衣装じゃないですねえ」
ナリンは呆れている。
「あちこちでお偉いさんに会うから正装してるんだろう」
フランツはナリンに控えるよう指示した。妖精の民は人間社会の上下関係に対してかなり緩い感覚を持っている。
「わかってますよーだ」
イーッと歯をむき出している所は母親のエリンに似ている。
そんなナリンにフィリップは苦笑して諫めた。
「ナリン、あれはただの正装じゃない。服全体が、身に着けている小物も全て魔術装具だ」
フィリップも祖母に作って貰ったが、精霊が自分を覆って守ってくれる『お守り』を持っている。帝国にも様々な付与魔術の技術があり、ダルムント方伯令嬢は全身にそういった小道具を身に着けていた。他に三人女性がいたが、身に着けている魔術装具から可憐な赤いマズバーンの花をあしらった刺繍の黒と赤のドレス姿の女性がダルムント方伯の孫娘コンスタンツィアに違いない。
コンスタンツィア嬢は決して太っているわけではない。ないのだが・・・やはり痩身が多い東方圏の女性と比べると立派な体格をしている。
身に着けている魔術装具への警戒もあってついついフィリップはその姿に注目してしまった。先日大地母神の像を見て意識したばかりなので、特に胸の部分が気になった。
そしてあまりにも長く注目し過ぎたせいでコンスタンツィア嬢から突っ込みを入れられてしまった。
「坊や、そんなにみつめられてもまだおちちはあげられないわよ?」
と。
◇◆◇
フランデアン王子フィリップは初対面の女性にいきなり「そのドレスの下、どうなってんの」げへへなどと言い放つ人間ではない。しかしながら無遠慮な視線を胸元に送ってしまっていたのは事実だ。
事実である以上女性から非難の眼差しを向けられても仕方ないのだが、「坊や」呼ばわりにはカチンとくる。何度も分断の歴史がある帝国と違ってフランデアン王国は神代からずっと続いているのだ。最古の国の王子が女性に「坊や」「マセガキ」呼ばわりされて黙っていては沽券に関わる。
「おませ?そのドレスの下が段々腹になってるのか疑ったんだが、それが『おませ』になるのか?」
二人の口喧嘩はナリンがぷっと吹き出して笑ってしまったせいでさらに悪化した。
セイラは取りなそうとしたが、途中で匙を投げて兄に任せた。
コンスタンツィア嬢が許してくれてもおともの女性陣はフィリップを許さず、自己紹介はやり直しとなる。
ホテルもコンスタンツィア嬢とは別の場所を選び、市長主催のパーティもキャンセルになった。フランツが憔悴した表情でフィリップに勘弁してくれと泣いて頼んだ。
「市長が勝手に企画してただけだ」
「でも一度は承諾してたし、記者も来る予定だったんだよ?口喧嘩は大勢に見られてるし何書かれるか」
「知った事か、書かせておけばいい」
フィリップはその日酷く腹を立てて誰の言葉も聞かなかった。
聞いてくれないのでナリンとゲルドがすぐ側で聞こえよがしに会話をする。
「あーあ、これで戦争ですね。フランデアン対帝国。さて今回はどちらが勝つのか」
「ナリンちゃん、貴女があのタイミングで吹き出すから・・・。あきらかにあの時コンスタンツィアさんの目の色変わったよ」
面白がるナリンと諫めるゲルド。
「えー、わたしのせい?フィリップ王子に侮辱されるのは許せても下賤な侍女に笑われるのは許せないってゆーの?なんて身分差別!革命だ!火の手をあげろ!!」
「ちょっとー、ふざけないでよ。それ市民連合のツキーロフの台詞じゃん」
ナリンとゲルドは聞こえよがしにふざけているが、統治者の子としてはあまり冗談ではすまない。ここ百年くらいで反王制、反帝国の市民戦争は二度起きていていずれも大きな被害が出ている。
ソファーで窓の外を眺めながら怒りを鎮めていたフィリップは二人に顔を向け直す。
「ナリン、ちょっと待った。頭が冷えた。洒落にならないからやめてくれ。今回の件は僕が全面的に悪かった」
「おや、どういう風の吹き回しですか?ピトリヴァータの渦巻ですか?ガーウディームが強風を吹かせましたか?」
「いや、ほんとに茶化すのは無しだ。明日謝りに行く。君は何も喋らなくていいから後ろで頭を下げるんだ。さもなくば帰国してくれ」
フランツもうんうんと頷いている。自分の説得よりナリン達のおふざけの方が頭を冷やさせた事には納得いかないが、今は結果が全てだ。




