第11話 辺境国家の第四王子➃
エドヴァルドは言いつけられた宿題も忘れて離宮を抜け出した。
タルヴォが迎えに来ない時はこうして勝手に出て行ってしまう。
衛兵は巡回しているものの門番は常駐していないし、壁は何ヵ所か穴が空いているので彼なら簡単に抜け出せてしまう。
目的地は貧民窟。
好奇心旺盛な年頃なのでタルヴォにもあっちは駄目だと連れて行って貰えなかったが勝手に来ている。
暗い路地裏に足を踏み入れると、さっと蟲が散って行く。
黒くてかてかした蟲でカサカサとひび割れた塀の向こうへと逃げていった。
固まって黒い絨毯のようだった大量の蟲が消えると後に残ったのは犬の死体。
エドヴァルドにはもう見慣れたもので黙って足を進めたが、臭気にはなかなかなれない。牛のふんやら小便やら、ネズミの腐臭やらで鼻がもげそうだった。
「おう!来たかエド。食いもんは?」
ゴミの山を漁っていた貧民の少年がエドヴァルドに気付いて声をかけた。
「御免、今日は駄目だった」
エドヴァルドにも分別はあるので自分が王子であることは黙っている。単にエドとだけ名乗っていた。
「そうか、今度は頼むな。近所の人がお産で体力になるものが必要なんだ」
「じゃあ何か貰ってこようか」
「いや、今度でいいよ。それより瓶を拾ってこい」
偉そうな口ぶりだったが、この辺のガキ大将だったのでエドヴァルドは気にしなかった。
「瓶?どうするの?」
「犬の小便を集めるんだ」
「集めてどうするの?」
「質問の多いやつだなあ」
呆れられたが、聞かないと協力も出来ない。
「いいか、ここだけの話しだぞ」
「うんうん」
自分は特別な存在だという優越感はあったが、エドヴァルドは普通の少年にも憧れていた。何せ腹違いの兄弟以外に親しい男の子はいない。近しい存在では従兄のパラムンがいたが、病気がちで滅多に会えなかった。
父、ベルンハルトが嫁いだティーバ公の子で最近王の侍医に見せる為に城内に滞在するようになっている。
「犬の小便はな、薬になるんだ。傷口を洗うといいんだって、ファウナの施術士が話してるのを盗み聞きしたんだ」
「ほんとに?ぼくはそんなので洗いたくないなあ」
「別に自分が使わなくても売ればいいだろ」
「でも・・・僕らみたいな子供から買ってくれるの?」
「俺は買ってくれる奴に心当たりあるから、お前が集めて来い。いいな」
「わかったよ、オセ」
エドヴァルドはそんなわけで瓶を探しに出たが、空き瓶がそうそう転がっているわけでもない。再利用されるので転がっていれば下町ではすぐに拾われてしまう。
エドヴァルドは貧民街を出て街中の酒場近くに移動することにした。
◇◆◇
エドヴァルドは途中、ノリッティンジェンシェーレの神殿があったので立ち寄って行く。
「どうかぼくに弟が出来ますように」
シセルギーテに甘やかされた末っ子だと思われるのが悔しくて、エドヴァルドは弟が欲しかった。大地母神の大きなお腹を撫でた時に周囲の女性からくすくす笑われたが、次にエドヴァルドはトルヴァシュトラの神殿に向かった。
そこではちょうど一人の男が神官から叩きだされている所だった。
ちなみにその男は全裸である。
「あ、ムスクルスおじさん。どうしたんですか?」
トルヴァシュトラの生まれ変わりを名乗る下町でも有名な男だった。
自分こそがトルヴァシュトラであるからして偽物の神殿など行った事はないと放言していたのに何故ここにいるのかエドヴァルドは疑問に思った。
「うむ。余こそが雷神トルヴァシュトラの生まれ変わりなのは皆も承知の通りであるが、この不道徳な神殿は余と似ても似つかぬ像を祀っていると聞いた。故に天罰と教訓を与えに来たのである」
「天罰って?」
「この美しい裸身と似ても似つかぬ偽物を壊して、本物の美を教えてやろうというのである」
そういったムスクルスはフンフンっと筋肉を見せつけるポーズを取った。
立派なものがブランブランしていたので女性がキャーっと悲鳴を上げて逃げ出し、周囲の男が布切れを投げつけた。もちろん腰に巻けというのである。
騒ぎを聞いて衛兵も姿を見せたのでエドヴァルドはすたこらさっさとその場を後にした。衛兵は貧民窟は放置しているが神殿街は警備にくる。中には顔を知っている者もいるので連れ戻されてしまう。
◇◆◇
瓶を求めてうろうろしているエドヴァルドは街角でまた知った顔を見つけてしまった。慌てて顔を伏せて通り過ぎようとしたが、目があってしまい声をかけられた。
「おや、少年。迎えに来てくれたのか」
「え、ああ、そうです。キャスタリス先生」
「すまないな、すっかり遅刻してしまった。つい友人達との議論が白熱してな」
キャスタリスは知人の学者達とそこで何やら議論をしていた。
「何を話していたんです?」
「うむ、まずはこの蟻を見よ」
「蟻?」
エドヴァルドが視線を足元に向ければ蟻が隊列を作って歩んでいる。彼らはこれを見て議論していたようだ。
「そう。蟻だ。非常によく統制が取れているが言葉も無くどうやって彼らは意思疎通を取っているのであろうか」
学者達の意見は女王蟻は何らかの魔術を使えるに違いないとか、これらは個体の集まりに見えるが、実は群れで一つの生物であり意志もひとつしかないのだという意見も出していた。
「しかし、私は違うと思う。以前から観察していたが群れの中のいくらかは隊列に加わらず、巣に食糧も運ばずサボっている連中がいる。女王の出す何らかの命令が絶対とは思えない。そこで群れからはぐれた連中を除いて、ひとつの巣をつくらせた。しかしまたサボっている連中がいくらか出てしまったのだ」
他の学者からは「なんだ、お前実験したんなら先に言え」とキャスタリスは文句を言われている。
「そうなんですか、ところで先生昨日と口調が違いませんか?」
「私はこれが常である。昨日は例外であった」
王妃の前で少しは改めていたようだ。
「こいつは同盟市民連合のイナテア出身だからな」
エドヴァルドの疑問に他の学者が答えた。
「市民連合出身だと何かあるんですか?」
「王制に反対していて帝国からも締め付けを食らっているが、特別に出国を許されているんだ。面倒を起こせば強制送還というわけさ」
「はぁ」
エドヴァルドはよくわからないという感じの声で返事をした。
「この少年はまだ周辺国や政治体制を理解していない。宿題は終えたのかね?」
「まだです」
「では共に行こうか」
ここから逃げ出すのは難しそうだ、とエドヴァルドは観念したが諦めきれない事がある。
「でもぼく仕事があるんです」
「仕事とな」
他の学者はまだ7歳にもならないのに立派なもんだと褒めている。
「子供の仕事はよく食べて、よく学び、よく寝て大きくなる事だ。それより大事な事かね?」
「友達を助ける為に犬の小便を集めて売らなければいけないんです」
言ってから秘密だったと気づいてはっと口元に手をあてた。
「犬の小便など集めても売れまい。何か勘違いをしているのではないか」
キャスタリスは問い詰めて話さなかったのでエドヴァルドは仕方なく口を割った。
「本当かな?傷が悪化こそすれ治るとは思えないが」
「ぼくは嘘なんかつきません!」
「いや、君ではない。その友人とやらだ。北の方の同盟都市では犬の小便を染料に使うと聞いた事がある。製法は秘匿されているので材料の一部だとは思うが、非常に高価な染料となるそうだ」
擦り切れるまでずっと同じものを着続ける貧民には夢のような大金が手に入るという。
「じゃあ聞いてみます」
「いや、ファウナの神殿は近い。聞いてみるとしよう」
他の学者らも面白がってついていった。
◇◆◇
「傷口の治療薬の製法は東方職工会のお達しで秘匿されています。私達も加盟していますので決してお話しできません」
ファウナの神官兼医者は肯定も否定もしなかった。
キャスタリス達は質問攻めにして追及を重ねた。しかし口を割らない。
「では重傷者を使って試してみよう」
「うむ、検証だ!」
学者達は大いに盛り上がっている。神官に罪悪感が出て来たのか慌てて止めた。
「止めて下さい!卑怯ですよ!!」
「では、教えて貰おう」
キャスタリスらは迫る。
神官はひとつ溜息を吐き、ファウナの神像に詫びてから答えを出した。
「確かに、真の治療法を隠すためにいくらかの嘘をつく事は職工会にはあります。そうしなければ民間で勝手に治療法が広まり、誰も神殿に寄進するものがいなくなるでしょう」
「じゃあ、買い取ってくれないの?」
友人が騙されたと知ってエドヴァルドは愕然とする。
「いいえ、もともと私達は買い取るなどという話しはしていません。医薬品は決められた業者から納品されます。私達が医療知識を広めれば納品が止まります。だから絶対に口外しないでください」
「では、いったい誰が犬の小便など集めるよう指示を出したのであろうか」
「存じません」
そりゃそうだと学者達は納得しファウナ神殿を後にした。
結局好奇心旺盛な学者達はエドヴァルドに協力してバケツに犬の小便を集めた。
野良犬やら犬を飼っている人やらの散歩に付き合い、すかさず溜め込んだ。彼らが金を出して酒を買い、飲み干して移し替えてエドヴァルドに渡してガキ大将のオセに譲った。
学者達はオセを追跡してある染物師まで辿り着き、子供を騙して大金を掠め取り、さらに職工会の決まりに違反して製法を漏らしていた事を突き止めた。
◇◆◇
「いいのか?こんなに貰っちゃって、500オボルくらいはあるぞ」
オセは渡されたお金に驚いた。
皮袋一杯の銅貨が入っている。
「いいよ、ほんとはもっと儲かってたらしいよ。ぼくたち騙されてたんだよ」
「へへっ、ありがとな王子。おかげで小麦粉が二袋分は買えるぜ」
「・・・知ってたの?」
エドヴァルドが王子であることを知ってて偉そうな態度を取っていたらしい。
「さっき、お前んとこの奴隷に坊ちゃんを騙して食べ物を貢がせないでって怒られちまった」
「なーんだ」
エドヴァルドの周囲の人間には全部バレバレだったらしい。
「知ったっこっちゃねーよと言ったけど、お前んとこも結構貧乏らしいな?」
「滅多に肉は食べられないかな。あってもスープにいれて戻す為の干し肉だし」
「マジかよ!俺らでも時々石あてて鳥捕ったり、ネズミ捕って食べたりしてるのによ!」
なんだか同情されてしまった。
他の子供達も集まって来てエドヴァルドに生き方を教え始めた。
「蛙食べた事ある?結構美味しいんだよ。あとこの草は食べられるけど、向こうのは駄目。うちのお爺さん食あたりして死んじゃった」
今までエドヴァルドに貢がせてきて悪いと思ったのか少年少女達が次々とやってきてそれぞれの知識を教え込んだ。
「いやー、悪かったな。お前から取っちゃった分、奴隷の食いぶち減っちゃうもんな」
エドヴァルドは貧民街の子供達との仲が深まり、貧民街でも特に危険な所、大丈夫な所を教えて貰った。気を付けないと地元の子供でもさらわれて売り飛ばされる事があるようだ。
◇◆◇
その日はキャスタリスとあちこち走り回っていたので講義はお流れになってしまった。帰宅するとエドヴァルドは奴隷の少女に訊ねてみる。
「ねえ、シア。ひょっとしてぼくの後つけてたりする?」
「・・・坊ちゃま。スーリヤ様もおちいさいころはたいそうわんぱくだったそうですよ?」
シアははっきり返事しなかったが、結局母の手のひらの上だった。
スーリヤに誤算があるとすれば奴隷の常識の範疇でエドヴァルドに危険がないよう見守っていたので危険な貧民街にまで出入りしているとは思わなかった事だ。