93左近の改名、新たな人生の始まり(現代、左近のターン)
明智光秀と、松永久秀の結託によって囚われの身となった左近と月代は、明智家家老、斎藤利三の屋敷からより警備の堅い水城坂本城の座牢へ移送されようと牛に曳かせた牛車へのせられた。
左近は牛車で移送のかたわらに、飛ぶ鳥を落とす勢いに立身出世の階段を駆け上がる明智光秀の領内を見聞しておこうと考えた。
坂本城は陸路、水路の交通の起点であるとは前に書いた。
それ以外にも、明智光秀の築く坂本は戦国の最先端を行く織田信長の領国、家臣団においても先端を行く。
近年の発掘調査によると、中国から輸入されたと考えられる青磁、青白磁、白磁などの陶器。瓦、甕、碗、鉢、擂鉢、天目茶碗、銭貨、鏡、刀装具、鋲など、当時の光秀の富裕をあらわす遺物が発掘されている。
(参考文献:vol.7歴史道 【完全保存版】真説!明智光秀伝より抜粋)
その資金力を生かして、家臣団も光秀の血縁の
1一門衆、明智光忠(従兄弟)
2出身の美濃(岐阜県)の娘婿の明智秀満、斎藤利三、溝尾少兵衛、藤田伝五
3坂本のある西近江(現在の滋賀県西部、大津市)猪飼昇貞、磯貝久次、山岡景佐
4山城衆(現在の京都府)、佐竹出羽守
など充実をみせている。
明智光秀は、綺羅星の活躍をみせる織田家家中においても、頭一つ、二つも、三つも抜けている軍団である。
左近は、月代とともに牛車で護送されながら、明智光秀という男をもっと知りたくなった。残念ながら左近の興味は光秀の人間的魅力というよりも、その理知、頭脳への興味だ。
明智光秀は、美濃恵那明智の小領主、明智光綱の嫡男として生まれる。
父、光綱の姉妹が、美濃のマムシとあだ名される領主、斎藤道三に嫁ぎ、後の織田信長の正室となる濃姫こと、帰蝶姫を生んだ。
光秀と、美濃の領主、斎藤道三は縁者である。
光秀は、若い頃より、この稀代の切れ者斎藤道三の薫陶を直接受けて成長した。
この、人生の師、斎藤道三の思考を骨の髄まで学んだことによって、綺羅星の将星輝く織田家においても光秀は群を抜く活躍を見せている。
左近をのせた牛車はやがて、織田信長のいる今浜城を中心とする琵琶湖の水路と、京の都を結ぶ、居城坂本城へ着いた。
「明智殿は、陸と水路の利権を握られておるのか」
と左近は呟いた。
「ほう、小僧、日向守殿(明智光秀の事)の国造りが見えるのか?」
と、左近へ監視の目を光らせる斎藤利三が尋ねた。
「道中、坂本の町を拝見いたしたが、坂本の町づくりはワシの知るどこより機能的で進んでおる。織田殿の政策でだれでも町にやってきて商売をやってよい領内の楽市楽座で、人を集め、道を集め、銭を集めておる」
「ほう、よく見ておるの」
「それに、斎藤利三殿の指揮する兵卒はじめ、町の辻にたち警備をしている兵の規律の正しさは、明智殿の軍律が細部にまで行き届いておる照明であるの」
「ほほう、そこまでみえるのか」
すると、斎藤利三はなにやら思案して髭を摩りだした。
「のう、若造、生きたくはないか?」
「突然、なにようでございます」
「お主、ワシに使えぬか?」
「ワシに内蔵助殿の家臣になれと」
「そうじゃ、もちろん、ただで家臣にするわけには行かぬ、どうやら、お主と嶋左近の妻、月代は深い仲のようでもあるし、月代には、人質としてここに留まってもらう」
「では、ワシはどうすればいいので? ただの家臣としての重用ではなかろう」
「そうじゃ、お主には使いを務めてもらう」
「どんな使いで?」
「松永弾正殿の帰参を日向守殿の仲立ちの使いとしてワシについて参れ、成功の暁には、晴れてお主と月代を見逃してやろう。どうじゃ?」
「断れば?」
「死あるのみ」
「ならば、引き受けざるをえなかろう」
「よし、お主と月代の身柄はワシが日向守殿へ申してなんとかいたそう。しかし、お主の名じゃが嶋左近では通りが悪かろう今日よりお主は……」
そこへ、坂本城へ乗り付ける船が渡し場へ乗り付けた。
「そうじゃのう、姓は……渡辺。名は勘兵衛はどうじゃ」
「渡辺勘兵衛にござるか」
「どうじゃ、良い名であろう」
「分かり申した今日よりワシは、渡辺勘兵衛として生きもうそう」
「よし、話は決まったこのまま、ワシについてきて日向守殿へ話をつけよう」
その日、斎藤利三の助言で、左近は戦国の渡辺勘兵衛としての人生を歩みゆくこととなった。
――翌日。
坂本城の船着き場に旅支度の斎藤利三と、左近改め、渡辺勘兵衛の姿があった。
二人を見送るように、幽閉を解かれた月代が見送りに来ていた。
「カケルくん、わたしは、明智光秀の娘、お玉様の腰元として、あなたが帰って来るまで使えることになったわ」
「そうか、それはよかった」
「カケルくん、わたし待ってるから絶対無事に帰ってきてね」
勘兵衛は、返事はせずにコクリと静かに頷いた。
「勘兵衛、別れは告げたか、では、織田信長が待つ今浜城へ向かうぞ」
「はっ!」
そうして、明智家家老、斎藤利三が家臣、左近改め、渡辺勘兵衛は、今浜城へ向かう船に乗り込んだ。
船は、穏やかな琵琶湖の飛沫を受けながら静かに走り出した。
つづく