83松永弾正久秀の理想と、娘の理想(左近のターン)
火柱あがる朝護孫子寺虚空堂へ、槍を構えた松永久秀の一隊が乗り込んできた。
「蜜虎はおるか、顔を出せ! そろそろ、表へ出て来ぬと焼け死ぬぞ!! 」
バタンと虚空堂の扉が開き、中から、炎と煙に耐え切れず、読経を投げ出して、僧侶が這い出てきた。
「おお、ゾロゾロと、這い出て来おったぞ」
松永久秀は家来から弓を奪い取ると、這い出て来た僧侶へ狙いをつけた。
シュパン!
松永久秀の放った矢は、虚空堂を逃げ出した僧侶の胸に刺さる。
「松永弾正殿、蜜虎大僧正以外には手を出さぬのが約束にござります」
と、光龍権大僧正が、苦言を呈す。
松永久秀は、悪びれもせず、
「左様であったか、すまぬ、戦の作法と、寺の門徒の作法は違うによってな、許せ」
シュパン!
松永久秀は、光龍の苦言は、歯牙にもかけずに、二の矢を放って、僧侶の命を奪い取る。
「弾正様……」
「なんだ、光龍?! 」
光龍は、さらなる苦言を、松永久秀に進言しようと思ったが、久秀の獲物を丸呑みにしてしまう蛇眼に睨まれ、居竦むらんだ。
「いえ、ワタクシは、これから下山して下で待っております」
と、言い捨てて光龍は、炎の上がる殺戮の虚空堂へ背を向けて、山を下って行った。
松永久秀は、殺戮の光景に、居たたまれず逃げだす光龍へ、視線を捨てて、
「ふん、裏切り者めが! 」
と、言い捨てて、ペッ! とツバを吐いた。
炎に包まれる虚空堂は、今にも、屋根へ炎が移り焼け落ちそうに黒煙を上げている。
しかし、虚空堂の中からは、今だ高らかに蜜虎大僧正の大音声の読経が続いている。炎を纏い、ただ一人となって、蜜虎大僧正の読経の勢いは増している。
「蜜虎め、ワシには命を賭しても、屈せぬという、ことか」
左近は、山へ身を隠し、虚空堂を焼き討ちにする松永久秀を、大樹を力一杯叩き拳に血を滲ませることでしか、憤りを晴らすことが出来ない。
(蜜虎様……)
やがて、蜜虎大僧正の読経がやみ、炎に包まれた虚空堂の屋根が落ちた。
「いまいましい、蜜虎もこれで静かになったか」
と、松永久秀が、惜別の感想を漏らすと、
「おおっ、アレは?! 」
焼け落ちた虚空堂から、顔も袈裟も真っ黒にした蜜虎大僧正が姿を現した。
ボロボロの姿の蜜虎大僧正であったが、背筋は真っすぐに正し姿美しく、視線は真っすぐ松永久秀に向けられている。
蜜虎大僧正は、一歩、また、一歩と、松永久秀の元へ歩みを進める。
「松永弾正久秀様、ご依頼の施餓鬼供養、終えましてございます」
と、言い放った。
「蜜虎よ、このような惨状になってまで、お主は、あくまで施餓鬼供養をただ、行っただけだと申すのか」
「仏の供養は、坊主の務め、ただそれだけのことにございます」
「とぼけるな、蜜虎よ、ワシは聞いたのだ、お主が、ワシに逆らう輩を匿っておると」
「はて、それは、誰にございます? 」
「それは、嶋左近じゃ」
「はい、かつてワシの弟子にそのような者は居りましたが、今は、どこでどうして居りますものやら、はてさて、見当もつきかねます」
「とぼけるな蜜虎、昨夜、お主と嶋左近の密談を聞いた者が、ワシに付文を届けに参ったわ! 」
「おお、昨夜のことでございますか? 」
「そうじゃ」
「それならば、ワタクシは確かに、弟子の左近に似た者に会いました。しかし、ワタクシの知る左近は、五尺(一九〇センチメートル)の偉丈夫、しかし、昨夜、ワタクシを訪ねた青年は、四尺を少し超えたくらいでありました」
「なに?! 昨夜、お主が会ったのは、嶋左近ではないと申すか! 」
「はい、ワタクシは目がかすんでおりますゆへ、はっきりしたことは申せませんが、ワタクシの知る嶋左近は、ワタクシのはるか頭の上から声が聞えまする。が、昨夜の青年は、ワタクシと同じくらいの背丈であったように思います。きっと、あれは、戦場で命のやり取りをする弟子の左近めの魂を、仏さまが導いてワタクシに会わせてくださったのでございましょう」
「あくまでお主が、昨日、匿ったのは嶋左近ではないと申すのか? 」
「そのようでございます。それに、松永弾正様は、ワタクシと左近が会うことになにか支障がございまするので? 」
「遠からず戦った椿井城の戦で、ワシは一人の男を取り逃した。あれ程の強者はこの大和においては、嶋左近を置いて他にあるまい」
「さよう、大和の国の強者は嶋左近を置いて他にはありますまい。しかし、その嶋左近一人を取り逃したところで、どれほどの問題がございましょう」
「いや、ワシは左近の仲間の女を生け捕りにした。女は生娘で、これを織田家へ舞い戻る手段に使おうと思うておるのじゃ」
「松永弾正さま、再び、織田家へ舞い戻るのでございますか? 」
「ああ、ワシは戻るよ、何度でも、時運がワシに味方して、ワシの理想が叶えられるまで」
「理想にござりますか? 」
「ワシには理想がある。足利の将軍を見限ったのも、これから、三好三人衆を見限るのも、すべて、ワシが生きて居る間に、天下を鎮めるため。そのためならばワシは、乱世の梟雄のそしりもうけよう」
「天下を鎮めるためならば、一人の娘は、犠牲にして構わぬと?! 」
「娘の犠牲?! 」
「娘にも、理想はござろう。愛する男と家を持ち、子を蓄え、成長を見守り、そして、安穏と毎日をおくる」
「その安穏の毎日を作るため、ワシは、戦っておるのじゃ」
「誰の安穏のためにございますか、娘はその為に理想を汚されます。それは、松永弾正様お一人のための安穏でござろう」
「ええい、蜜虎よ、あくまでもワシに逆らうか! 」
すると、蜜虎大僧正は、まるで、松永久秀の思いをすべて抱きしめるかのように、黒煙に巻かれて真っ黒になった袈裟を大の字に広げた。
(よいか、左近よ、お主の探す娘は織田家へ参るぞ、しかと、娘の理想と身を守ってやるのじゃ)
松永久秀は、腰から刀を引き抜くと、袈裟切りに、蜜虎大僧正を斬り下げた。
つづく