もう現実逃避していいですか?
ー時間は少し巻き戻るー
ユークリッド・コンフリートが着任地を目指して登山を開始してから数時間後。
「………………………………………」
第5竜騎士団第一隊長 アルフレット・ノワールは騎士団長の部屋を前に緊張していた。朝からこうでもないああでもないと隊長格と副隊長格が寄り集まって指摘された行軍予定申請書の書き直しがようやく終わったのだ。緊張でプルプルと紙を握る手にも力がこもる。自分達は決して筋肉で作戦を練ってはいないと思ってはいる………いるがそれでもやはり騎士団における隊長格でも副隊長格でもその腕が重視される。ようは何が言いたいかといえば騎士団の隊長と副隊長は“脳筋”の持ち主が多い。必然的に事務処理が苦手な人間の集まりなる。
ーこの脳筋どもが!!ー
寝不足の酷い顔をした団長が自分達が必死の思いで仕上げた書類を元にした打ち合わせ中に怒声をあげたのは記憶に新しい。
ー演習の目的がなんで、農作物保護なんだよ!ー
血走った目で内容を一読した相手が自分達を言葉の刃で突き刺した昨夜の出来事はまだ忘れられない。冬眠明けの熊や野獣に魔獣は夏を前に活性化を迎える。毎年の慣例だと何の疑問も抱いていなかったのに………。はぁとため息を吐くと覚悟を決めて部屋をノックする。すぐに返る“入れ”の声にノブを回したアルフレットは部屋に入って眉を潜める。
「昨日も起きてたのか?」
そこではここ数日変わらない体勢の上司が浮かない表情で紙をめくっている。
「有り難いことに仕事がつきないからね」
アルフレットの気遣うような声音に顔を上げたレイはふぅとため息を吐いて顔を上げる。
「悪い、なんか報告があったから来たんだよな?」
「疲れてる所に悪いな」
「ん、読むわ」
恐る恐るレイの前に持ってきた書類を差し出すと読んでいた書類を横において自分の持ってきた書類に目を通す。その間がもたないと目を天井に向けて覚悟を決めていたアルフレットに声がかけられる。
「アルフ………そういえば昨日、街に例の副団長がついたらしい」
「例の副団長が?」
アルフレットの問い返しに書類を読みながらも頷く。
「んで、今えっちらおっちら山を登ってるらしい」
「………山を?」
レイの言葉にん?と疑問を感じたアルフレットは聞き間違いかと聞き直す。
「山を登ってるのか?」
「ああ。昨日の夕刻、閉門時刻近くに下についたらしい。で、一泊して今日上がって来てるらしいぞ」
「あの道を?」
「そ………あの道を………」
『………………………………………』
深い沈黙が二人の間に流れる。鍛えた人間でも行くなら馬を使う距離を歩いてくる人間が色んな意味で気になる。
「ちなみにさ………聞いて………身一つで来てるんだって」
「な…っ……………」
読んでいた書類から顔を上げてどこか遠い所を見るような瞳をしたレイの言葉にアルフレットも押し黙る。貴族の人間を何度か迎えた事はあるが、身一つでくる奴はいない。馬車で自分の荷物類を運んでくるが常識だ。押し黙ったアルフレットにレイは激しく訴える。
「なぁ………お貴族様には王都からのこの距離も日帰り旅行かなにかなの!」
涙目の訴えにアルフレットも天井を仰ぐ。
「頼むから俺に聞くなよ!」
もたらされる第5竜騎士団の待ちに待った救世主がーダメ臭ーを発している事実が二人を打ちのめす。
ーユークリッド・コンフリートー
コンフリート家の次男坊。魔術師学園を首席で卒業した逸材。そんな人間が辺境も辺境の第5竜騎士団への異動内示を了承したと聞いて小躍りしたのは遥か彼方。彼について調べれば調べるだけ疑念が深まるのだ。しかも移動には自家馬車ではなく、乗り合い馬車に鞄一つで乗り込んだというのだ。ちなみに山道を歩いてくる選択で最後まで信じて疑わなかった変人説が有力化してしまった。この様子だと怖いものみたさの冷やかしだろう………。完全に来たとしともすぐ帰るつもりだ。それなら来るな………お貴族様万歳だ!もう何日もつかな………の次元だ。つぎつぎと突きつけられる現実にレイは頭を抱える。
「もう俺、俺の副官が計算が出来て文字が書けたらぴちぴちの若いやつじゃなくても………出会ったらすぐ逃げ出したくなるぐらい足が臭くてもおっさん臭漂わしててもいいと思いだした………な、キウイ!」
わ~と一通り喚いたレイは自分の腕の中の物体を力任せに抱きしめる。
“キュイ”
その声に応えるように可愛らしく鳴く猫ぐらいの大きさの緑色の物体を上司が抱きしめるのにアルフレットは目を瞬く
「………わざわざ喚んだのか?」
行儀悪く片膝を立てた上に顎を乗せた上司が自分の腕の中に抱える緑色の物体はー竜ー。普段は自分の魔力を媒体に喚ぶ大事な半身。アルフの指摘にレイは自身の腕の中の物体を抱き締める。しっとりとした感触が荒んだ自分の心を癒してくれる。
「悪いかよ!俺の荒んだ心を癒してくれるのはキウイのひんやりした手触りなんだからな」
「気持ちは分かるけどな…………」
魔力の消費が半端ないのでそう簡単には呼べない筈の存在を手触りのためだけに喚ぶ上司にアルフは突っ込む。レイは腕の中の物体を抱き締めるとそのひんやりとした首に顔を埋める。
「今の俺にキウイの感触がどれだけ癒しになると思うんだよ!」
「現実逃避すんな………」
自分の半身を抱き締める上司にアルフは容赦なく突っ込む。自分の半身に同意するように鳴くキウイにも目眩を覚える。こんなにも簡単に竜を出し入れし、たいして堪えた様子もなく長時間竜を顕現出来る少年にため息が溢れる。溢れんばかりに魔力があるから出来る所業にいつも驚く。
ー竜騎士ー
自分の半身たる竜を魔力を糧に異界から喚び出す。竜騎士と魔術師の魔力はそもそも違った流れを感じているらしい。魔術師は自らの外にある魔力を感じて魔術を行使するが竜騎士は自らの内にある魔力を糧にする。それだけの違いかと言われているが、竜騎士は外の魔力を感知するのが苦手なので魔術は使えてもよくて初級。反対に魔術師も召喚することは出来るがそれはより低級のもの。それぞれに特徴と違いがある。他国とは違いエルバート公国では国を上げて魔力のある人間を国が育成する制度が整っているためか竜騎士になれる人間も他国に比べて多い。他国にはない武力を持つことで侵略するものを打ち払っている。ちなみに魔力を使うには集中力も体力も精神力も必要なので“ひんやりした手触りに癒される”ために竜を喚び出すのは目の前の少年ぐらいた。アルフレットが若き上司のスペックの高さについて嘆息するなか、レイは自分の半身をただ抱きしめる。切ない現実から逃げ出したくとも………。
ー………現実は無情にもやってくるー
遠くから近づいてくる足音にレイは埋めていた顔を微かに上げて扉をみやる。アルフレットも疲れた表情を扉に向ける。こんなタイミングで近づいてくる足音にもう嫌な予感しかしない。だが………。コンコンと扉は無情にも叩かれる。
「お忙しい所に失礼いたします!ご報告します!ユークリッド・コンフリート様が到着されました!いかがいたしましょう!」
『………………………………………』
扉越しに報告される現実にレイ・アルフォードは顔を青ざめさせる。道端で魔獣に遭遇する方がこれから直面する現実よりもどれだけましだろう。
「………もうやだ………もう嫌だ!こんな職場!放棄してやる放棄!」
腕の中に癒しを抱き締めながらレイ・アルフォードは突きつけられる現実にただ絶叫した。
ー団長室で絶叫が響き渡るそれよりも少し前………ー
ユークリッド・コンフリートは優雅に接待を受けていた。
「それでは失礼致します!」
「ありがとうございました………」
号泣事務員が一礼をして部屋を出ていくのを見送ったユークリッドは扉が閉まるなり、ふうと息を吐く。机にはティーカップと茶菓子が用意されている。ぐるりと部屋を見回すと案内された部屋の家具は一流のものが揃えられており、一目で身分の高いものを案内する部屋だと分かるほど綺麗に整えられているのが分かる。
「………………………………………」
部屋を観察し終えたユークリッドは茶菓子と湯気を上げるティーカップが置かれた机に近づくと椅子に腰をおろした。
“とりあえずは歓迎されているんでしょうか”
なぜ………あんなにも左遷された相手をこんなにも歓迎しているのかは分からない。分からないがひとまず、自分のために用意されたティーカップに手を伸ばす。さっきの号泣青年は“すぐに責任者が来ますので!”と自分を案内だけすると“仕事に戻ります”と礼をして去っていった。ちょうど良い温度で淹れられたお茶は香りがいい。その横に置かれた茶菓子にも思わず手が伸びる。殺伐とした場所を予想していたユークリッドは思いの外、居心地のよい空間にホッとする。まだ上司に挨拶もしていないのに用意されたお茶と茶菓子を飲み食いするなんてと思う反面。麓から歩いて来た体は香りの良いお茶と甘い茶菓子の誘惑には勝てず、手が伸びる。木の実が練り込まれた焼き菓子は甘ったるいぐらいに甘いが今の疲れた体にはちょうどいい。一枚だけと思いながらもついつい二枚、三枚と手が伸びる。どれぐらいそうしていたのか………ユークリッドが用意された茶菓子とお茶を全て消費して一心地ついた頃。カツカツと歩いて来る音が聞こえだし、部屋の前で止まる。すぐさまコンコンとノックされる音にユークリッドは居ずまいを正す。
「どうぞ」
入室を促し、ユークリッドも座っていた場所から立ち上がる。扉が開くと同時に微笑みながら礼をする。
「初めましてユークリッド・コンフリートと申します」
先手必勝とばかりに頭を下げる。その行為に驚いた表情をした相手も頭を下げてくる。自分よりも身長の高い相手は優雅に一礼して顔を上げる。
「この度は第5竜騎士団への着任ありがとうございます。遅くなりましたが、この団で第一隊の隊長を努めさせて頂いております。アルフレット・ノワールと申します」
そこには団長室で突きつけられた現実から逃避したいと案内役を上司から押し付けられた第一隊長の姿があった。
いつもお読みいただきましてありがとうございます。誤字脱字がありましたら申し訳ありません。次回ようやくこの物語が動き出すスタート地点に
たてそうです。