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第三話 イエ

「君は《世界》を知っているかい?」


 唐突に訊かれる。

「は? 世界ってこの世界のことだろ? そんなの知っているよ。簡単さ、この間違った世界のことだよね。この、闇と混沌に満ちた青い蒼い世界のことだよね」

 僕は答える。

 当然のように、分かっていて、知っていて、それが必然のように答える。

 だが、少女はこれを首を振って、否定する。


「違う、ちがうよ。君は間違っている」

「どこがっ! どこが間違っていると言うんだ。この腐り果てたこの世界がどう間違っていると言うんだっ!?」

「ああ、そうか。悪かった、確かにそれは一理あるかもしれない。では、言い方を改めよう。君は間違っていない。それはまた事実だからだ。でも、考えたことはないか? 世界というのは本当に一つだけかい? もし、この世界よりはるかに暮らしやすく簡単に生きられる世界があるなら君はどうする?」

「移り住むに決まっているだろ。でも、それはできない。存在しないものに移ることなんてできない」

「それがもし、可能だとしたら?」

 見つかってもいないものに移動することなんてできない。 意味が分からない。こいつは何を言っている。

 

「それは……どういう意味だ」


 少女はニッと口を歪ませ、口を開くのだ。


「無いものを有るものにすればいい。答えは簡単だ。世界を作ればいい。新しい世界を」


 と。


        * * *


 先に結論を言おう。


 美衣の家には簡単に辿りついた。

 彼女の家は、両親にそこそこの収入があるのか、このあたりではあまり見ない一軒家だった。三角屋根に赤い瓦がのっているそれは、どこかで見たことのあるような、どこでも見られるような――言い方は悪いが――庶民的な建物だった。

 僕と美衣はそこの前にいた。それも歩き出してほんの数分もかからずに、だ。

 信じられるか? あれほど僕はどこにもたどり着けなかったのに、この少女の家にはこうして来れている。

 ……いったいどうなっている。

 訳がわからなかった。何を起こっているのか理解できなかった。

 頭を悩ます間もなく、美衣との会話もなく案外に簡単に着いてしまった。

「着い、ちゃったね……」

 美衣も驚いているようで、目を見張ったまま僕を見る。口はあんぐりと開いていて、おかしな汗まで掻いている。

 これほど早く到着してしまって、僕をからかっていたのかと考えてはみたが、この様子からそのようではないことは明らかだった。

 僕と、この美衣という少女に何が起こっているのか。

 まったくもって謎だ。謎すぎる。

 彼女が帰れるということはもうわかった。

 だが、問題がまだもう一つある。

 僕たちは同じ問題を抱えていたのだ。もう一つの問題が解決したとしても、まだ残っているのだ。

 それは、今度は僕が家に帰れるか? ということだ。

 ――もし、帰れなければどうする。このまま、美衣の家にお世話になるか? だが、彼女にも家庭がある。いきなり、娘が見知らぬ男を連れてきたとして、彼女の父が背中に不動明王を発現させるのではないのか。

 ま、まあ詳しいことは帰れなかった時に考えよう。

 そうだ、そうしよう。

 僕はまだ死ねない……。

「それで、今度はあなたの家に行くんだっけ?」

「そうだ。次は僕のアパートだ。ここから……そうだな、三分ほど歩いたところにある」

 これは、僕と美衣がどちらかの家に行く前に決めていたことだ。

「へえ、結構近いんだねー」

 美衣は顔を覗かせてくる。

「それなら、簡単に着くね」

「……そうだな。しょっちゅう来る気か?」

「来てほしいなら」

 ――何だ? こいつ、こんな為りしておいてビッチか?

 影薄いとか言っておいて、やっぱりそんな気がしないのはそれのせいなのか?

 はぁあ……。

 長いため息をついて、そんなことどうでもいいか、と頭を振る。

 美衣が不思議そうに僕を眺めてくるが気にしない。

 だが、何か変な考えているな的な目で僕を見始めたので慌てて切り出す。

「さあ、僕の家に行くぞっ」


 言ってものの数分、こちらも容易に着いてしまう。

 本当にどうなってんだよぉおおおお、と皆眠りはじめて虫とそよぐ風の音しか聞こえない真夜中の空に向かって叫びたくなる。

 だが、相手からすればお前の方がどうなってんだよと言わざるを得ないだろうから諦める。

 そんな、変な葛藤に苛まれていると、美衣がーー

「本当に近いんだね。これからは遊びに来よー」

 なんて言い出して。

「何なんだよ、もう……」

 あまりに堪えきれず、それでも小声で文句を唱えた。

「そうだね、何なのかな。ワケわかんないね」

 そう言って、笑っていられる美衣、お前も訳がわからないのだが。

「もう、家に帰れることはわかったんだし君は帰れよ」

「え、送ってくれないの?」

 明日の仕事のこともあるし、早く飯を食って風呂に入って眠りたいのだが、そんな僕に気づかない美衣。

「こういうのは男が送ってくれるものでしょ?」

 何故か当然のように言ってくる。

 まあ、確かに夜道を女一人で歩くというのは危険だ。だが、この子に限ってそれは……。

 だが彼女の一言で僕の思考はストップする。

「じゃあ毎日来るよ?」

 いや、待て。なぜそうなる。

 だが断れば、毎日この子が家に転がり込んでくる。それはあってはならない。

 別に僕の部屋に何かがあるという訳ではない。

 だが、毎日来られるのは非常に面倒だ。

 だから、僕は渋々同伴を承諾する。

 すると、美衣は先ほどの笑みを浮かべて、何故か僕の手を取ってきて。

「改めてよろしくね、フーさん」

 僕は肩を竦めてから、

「ああ。これで僕の家に来ることはないよな?」

「……う、うん」

 少し間があったことに少しの疑問を浮かべたが、それも杞憂だということにした。

 歩き出す。

 美衣の家に向かって歩き出す。

 僕の家から三、四分だ。

 それで彼女との関係も終わる。そのはずだ。さっきの応答から美衣はそのように考えていないようだが、僕はそのつもりだ。

 僕はこの小学生に見える少女には興味はないのだ。

 いつも、いつまでも僕に住まうのは暗闇だけなのだ。それ以外はあり得ない。

 だからこそ、僕は早くこの子を自宅へ送り届け、またこのアパートへと戻ってきたいのだ。

 …………………………。

 そういえば、これほど家に帰りたいと思ったのはいつ以来だろうか。

 いつもは仕事で夜遅くに帰ろうが帰らまいが、どうにも思わないのだが、今日に限ってはそれが強く鮮明に感情になる。

 僕が実家にいる時は、家に帰りたいと願うことはなかった。今もそうだ。実家なんかに帰りたくはない。

 どうせ帰ったところで、やれ成人なんだから働けだの部屋から出ろだの......引きこもることを許されない。

 引きこもることは善ではない。ただ悪でもないのだ。善悪を決めるのは自分自身なのだ。

 僕はたまに引きこもることは許されると思っているのだが、僕の両親はそうではない。

 そうではないのだ。

 大人になったのだから、しっかりと、社会人らしく生きろとうるさい。

 なんだ、しっかりとは。なんだ社会人らしくとは。

 訳のわからないことを言うな。

 故に僕は家を出て独り暮しだ。それに帰省もあまりしない。したとしても、正月程度だ。それ以外にはない。

 する必要がないのだ。

 何故金がかかることをわざわざする必要があるのだ。もっと金銭的に物事を考えろよ。

 なんて、下らない妄想に浸る。

 すると、空気がまったく読めないのであろう美衣がそれを訊いてくる。

「ねえ、フーさんは実家に帰ったりしないの?」

「しない」

「一度も?」

「ああ、何故する必要がある。金の無駄だろ」

「そうかな? 親御さんはあなたのことを心配してるはずだよ?」

「夜中に出歩いている君が言えることか?」

 言うと、「確かに」

 えへっと笑みを浮かべる。

 よく……。

 よく笑うやつだ。

 それが、愛想笑いなのか本当の笑みなのか僕には区別がつかないが、彼女は両方を使っているのだろう。

 そんなことを話しているうちに、美衣の家の前に着く。

「さあ、帰れよ。お嬢様」

 玄関が先ほどとは違って明かりを灯している。彼女の両親が美衣の存在がないことに気付いたのだろう。

 それを皮肉ると、彼女はムッと口を尖らせる。

「帰りますよ、王子様」

 なんだそれは。張り合っているつもりか?

 笑って返してやると、彼女の機嫌はさらに斜めになる。

「と、まあ帰れてよかったな」

「うん……そうだね」

 さっと、踵を返して家への帰路につこうとする。

 長かった。

 さすがに腹がぐるるるぅうううう、とまるで獣のように鳴る。空腹で栄養分を欲しているのだ。そりゃ唸りもするだろ。

 昼間に空腹を感じてから、時間は軽く十二時間を超えていた。

 今から帰っても、本当に何もすることなく、いつもの生活習慣を行って明日を迎えるのだろうな、とこれまでのことを何でもなかったことのように思い込もうとすると、まだ家の中へと戻っていなかったのか、美衣の声が後方から聞こえる。

「今日はありがとう。感謝しています、フーさん」

 それに僕は足を止めて、振り返る。

「ああ、こっちこそありがとう」

 言うと、笑う。

「いえいえ。あ、あの……おやすみなさい。あと……ま、また」

「はい。おやすみ。さようなら」

 美衣はやはりまた僕に会うような挨拶をしたが、僕はそれを拒んだ。もう、誰が……こんな思いをしてたまるかと。

 だが、僕の瞳に映る彼女の顔はまだ笑っていて。

 しかし、どこか寂しそうな気がして。そして、どこか悲しそうな気がした。

「……いや、気のせいだ」

 僕は自分に言いかけたのだった。


 

 その数日後、僕はまた家でゴロゴロと暇をつぶしていた。

 休日は何もすることがないのだ。退屈なのだ。

 さて、どうやって時間をつぶそうかと思い、買いためていた小説を読み漁る。だが次第にそれも飽きてきて、また暇になる。そんな時間をいくらか過ごした頃。


 ――ピーンポーン。


 何故か僕の部屋のインタホーンが不意になる。

 僕はここに住んで一年ほど経つが、近所付き合いというものをしたことがない。たまに玄関前ですれ違った時、会釈や挨拶をするくらいで、煮物が多く出来上がったから差し入れする、といったようなモノは一切ない。

 だから、宅配便か新聞の押し売りだろうとインターホンについているカメラモニターから相手を確かめる。だが――

「誰もいない?」

 いたずらか?

 そう思って、先ほど座っていたソファに戻って、携帯ゲーム機を手にする。そしてその電源を入れる。

 瞬間。


 ――ピーンポーン。


 先ほどと同じ音が僕の部屋に響き渡る。

 いったい何なのだと再度、モニターを見るがやはり誰もいない。

 いたずらか?

 いたずらにしちゃしつこいな。

 そう思って、僕は玄関へと向かう。

 本当に誰もいないのかと確認するために。もしかすると、相手があまりに小さすぎてカメラがとらえきれないということもあるかもしれない。しかし、それはほとんどありえない。インターホンを押せる人間がそれほど小さい訳がないからだ。

 では誰だ。何が目的だ。

 そう思って、ドアを開け、

「誰だっ! 迷惑なんだよ」

 と言ってやる。

 それに、ひぅっと怯える声が返ってくる。

 ああ、やはりいたずらか。

 僕は泣く子をあやすように優しく言うが、

「さっさと家に帰……」

 それも途中で止まる。

「ああ、君か」

 ドアの前に立っていたのは美衣だった。

 どうして、彼女がカメラに映らなかったのかはわからないが、彼女がそれをしていたのは事実そうだったから、

「あのな、インターホンを押して姿を隠すというのはどういう用件だ?」

 言うと、彼女は黙る。

 美衣は答えなかった。何かを我慢するように、何かをため込むように、ずっとずっと顔を伏せ、口を閉じたままだった。

「……おい、黙ってちゃ何もわからんだろ。何か言えよ」

「あ……」

 ――あ?

「あの……お願いがあってきたんですっ!」

「は、お願いだあ? 君、謝罪という言葉を知らないのか?」

「し、知ってます。知ってますよ、馬鹿にしないでください。隠れた……? ことは謝ります。すみませんでした」

 何故疑問系? この子は隠れていたことに自覚がなかったのか?

「それには、訳があるんです。どうしても聞いていただきたいお願いがあるんです。それにこの訳も含んでいます。どうか聞いていただけませんか? わたしのお願い」

 何だ? 何を美衣は必死に僕に説いているんだ。

 だが、まあそのお願いを聞いてやらんでもない。叶えるかどうかは後々決めればいいのだからな。

「わかった。……それで、君のそのお願いとやらは何だ」

 美衣はまた何かを堪えるような表情をする。

 それから、覚悟を決めたように……ごくりと、喉を鳴らす。そして、美衣の口はゆっくりと開かれた。


「わたしを……成仏させてくれませんか?」

  


 

速筆でかきました。

訂正箇所ところどころあるかもしれないです。

あれば、教えていただけるとありがたいです。


いかがでしたでしょうか。

やっと、あらすじ通りになってきましたね。いやあ、長かった。

次回からは美衣をどうやって成仏させるのかを考えていきます。


では、次回もよろしく!

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