プロローグ(前編)
「お客さん、困ります!」
歓楽街の往来で客を呼び止めた警備員の声に、道行く人々が何事かと振り返った。
リビドの町に唯一ある王立劇場の前だった。
カネにモノを言わせる貴族や豪商たちはともかく、庶民にとっては滅多にない娯楽であるだけに、ドレスやタキシードで着飾った客も多い。が、ドレスコードはないため、たとえ旅装束であっても警備員に見とがめられることはないはずだった。
騒ぎの中心にいるのは金髪の青年だ。
少しくたびれた外套を着ているが、その上からでも、引き締まった体躯をしているのが一目でわかる。
劇場のエントランスをくぐろうとしていた青年は、蒼氷の目をすがめた。
「……何だ」
鼻筋の通った整った顔立ちに似合わぬ不機嫌な声音に、呼び止めた警備員が半歩、引いた。が、職務を思い出して咳払いをする。
「当劇場は、奴隷の連れ込みはご遠慮いただいております。他のお客様のご迷惑にならないよう、劇場の裏手におつなぎになってください」
その言葉に──
青年剣士の背後に半ば隠れるようにくっついていた少女が、びくりと肩を震わせた。
どこにでもいそうな十代半ばの少女だった。秋物の外套とスカートの下からのぞく鋼鉄の足枷がなければ、の話である。
本来、両脚の枷をつないでいるはずの鎖は半ばから断たれて両脚に巻き付けてある。
半ばから断たれた鎖を、警備員は不審に思って眉根を寄せた。
……が、鎖が断たれていようがいまいが奴隷には違いない。
「……アスター、私……」
少女がセミロングの髪の先を指先でもてあそんで、視線を泳がせる。顔色が蝋のように青くなっていた。その横で──
青年が身体をかがめて、深く沈み込んだ。一瞬のうちに鋭く踏み込む。
「ひぃ……っ」
「ア、アスター!?」
警備員自身の悲鳴と、少女の慌てた声が重なった。
剣を抜き放ったのかと思った。
日頃、亡者と戦っている歴戦の剣士に、劇場の警備員が敵うわけがない。
(──! やられる……っ!)
腰を抜かした警備員に、けれど、いつまで経っても衝撃は訪れない。
(…………?)
おそるおそる目を開けると、突きつけられていたのは紙だった。
アスター・バルトワルドという名の青年が、メルという少女の保護者になるという内容の証文。ご丁寧に、カルドラ聖堂長の署名と印まで連なっている。
「……は? か、紙……?」
「文句があったら、カルドラ聖堂長のイリーダ・アルゴールに言え。……通るぞ」
青年は何事もなかったかのように劇場に踏み込んでいく。
警備員の方を気の毒そうに見る少女が後ろに続いた。
あとには魂が抜けて放心したような警備員が残された。
☆☆
劇場の中は、まるで別世界だった。
緋色の絨毯が敷かれたエントランスホールの広々とした空間には、華やかなドレスやワンピースで着飾った人々の色彩が行き交う。
飲み物やサンドイッチを提供する売り子たちですらきっちりと正装してたたずんでいて、路傍の行商人や売り子たちの活気づいた客引きに慣れているメルは目を白黒させた。
「堂々としてろ。中に入ったら誰も何も言ってこない」
(……それはアスターがいるからじゃ……!)
──とは言えない。
それでなくても、腰に剣をさげた旅外套の青年に気安く声をかけられないだろう。
が、それを差し引いても、メルよりもアスターの容姿の方が目を引くのは確かだった。
輝く金の髪や悲しみを溶かした蒼氷の瞳。外套の下にのぞく四肢は引き締まって、亡者との戦いをくぐり抜けてきたことを物語る。
さっきから他の客たち──主に着飾った女性たち──がチラチラと目をやっては、心なし頬を赤らめてそらしていた。
アスターは、気にしたふうもなく平然としている。
(すごい。こんなきらびやかなところでも全然気後れしてない……。そういえば、アスターって故郷にいた頃は王子様の家来だったんだっけ)
そんなことを、ふっと思い出したメルである。
ノワール王国で王子クロードに仕えていたアスターは、武門で名を馳せたバル卜ワルド家──ようするに名門貴族──の出身だった。世界各地にはびこる亡者どもに対抗する葬送部隊のエースで、純白の戦乙女ルリア・エインズワースとともに「防国の双璧」と謳われていた。
それも二年前までの話である。
二年前、アスターの祖国だったノワール王国は滅んだ。城の中まで亡者に蹂躙され尽くした最期だったという。
生き延びたアスターは、主人クロードを捜してあてどなくさまよい──見つけて、また喪った。
リビドの廃鉱での一件からひと月余り。
一時期はひどく落ち込んでいたアスターだったが、今ではこうして普通に過ごせるようになってきている。
……不意に、胸がいっぱいになった。
(…………よかった)
自分が生きているのかどうかも実感がもてず、闇雲に亡者との戦いに向かっていたアスターも、この頃は穏やかな表情を見せるようになっていた。
主君だったクロードの想いを知り、過去と決着をつけて、アスターなりに前を向こうとしている。そのことが、一緒に過ごすメルにも伝わってくる。
そんなメルの心の声をなぞる形で、アスターが言った。
「……よかったな」
「え?」
「観たかったんだろ、舞台」
「う、うん……!」
「?」
心の中を読み取られたかと思ったメルは、バクバクと脈打つ鼓動をそっとなだめた。
劇場内の店で、メルの足枷にちょっと驚いた顔をした売り子から──アスターがにらみを効かせたので何も言わなかった──劇場名物だというトウモロコシの実の炒り菓子と飲み物を買って、指定された席についた。
舞台にはえんじ色の緞帳が降りて、観客たちが舞台俳優たちの登場を今か今かと待ちわびている。
劇のパンフレットを食い入るようにして見つめているメルを、アスターがしげしげと見た。
「読めるか?」
「パルメラさんのところで勉強してるから少しは……!」
「……」
アスターが、普段からこの集中力を勉強に向けてくれれば……という顔をした。
メルは咳払いでごまかした。
「アスターが舞台観るのに付き合ってくれると思わなかった」
「そりゃあな。あんな顔されたら……」
「え?」
「……いや。ほら、始まるぞ」
開演ベルが鳴り響いて、メルはいそいそと舞台に向き直った。
観客たちの拍手に包まれて、舞台の幕が上がる。
※※作者より※※
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