第25章8話 何者にもなれなくて
──泣いて、る……?
肩を負傷したピエールは、その傷の痛みも一時忘れるぐらいあっけにとられてリデラートを見つめていた。
目の前で、髪をツインテールにしたメイド服の少女の目から、涙がぽろぽろ流れている。
「……なんで……っ。涙なんか……! どうし、て……」
消え入りそうな声だった。
それまでの憎しみをこめた叫びなど、想像もつかないような弱々しい声音。まるで素のままの彼女が出てきたようで、だから、ピエールは「あぁ」と思う。
……思えば、彼女はずっと悲痛なさけびをあげていたのだ。
──おまえがノワールの実験体だなんて認めない!
──おまえの方がホンモノだなんて!
──それなら私は何のために生み出されたっ!
──何のためにここにいる!
──おまえなんかっ……!!
身勝手な理由で生み出され。
みずからの存在の理由を、否定され。
行き場のない悲しさややるせなさを、どこにもぶつけることができず──……その矢先に、ピエールが現れた。
彼女が「ノワールの実験体」だと思い込んだ、いわばもうひとりの自分が。
「怖いよな……自分のカタチわかんないのは」
「……っ! 知ったような口を……」
「毎日がただ惰性で過ぎてくみたいで……。流されて、結局、どこにもたどり着けないような気がしてさ」
「…………?」
泣きながら、メイド服の少女──リデラートはいぶかしげにピエールを見る。ピエールも、彼女に同情する気なんかなかった。
ただ──
彼女のさけびが、ふっと、自分と重なったのだ。
──オレは、メルみたいにはなれない……。
「オレもさ、ほんとはメルみたいになりたかった。夢に向かって一生懸命がんばってるのがうらやましくて。自分がカラッポで、何もないような気がしてさ……」
「…………」
独白のようなひっそりとしたつぶやきに、リデラートは目をみはる。ピエールはあきらめにも似た気持ちで、彼女を見ていた。
「オレは逃げ出したから……」
「逃げ出した……?」
「うん、学校。本当は行きたかったけど……」
ピエールは苦笑する。
本当は……──
ニコラスたちと笑っていたかった。
商人になんかなりたいわけじゃなかった。
自分が何をしたいのか、わからなくなった。
オレは、いったい何なんだ?
何のために生まれてきたんだろう?
何のために生きてるんだろう?
わからなくて。
わからないなりに、生きていくしかなくて。
でも、どこか自分が不完全で、半身をもがれたみたいにおぼつかなくて。
……そんな感覚さえもいつしか麻痺していくのが恐ろしかった。
自分という存在が、世界にとってはどうでもよくて。何も為せない自分が、ただ消えていくみたいで怖かった。
「夢を追いかけるメルがうらやましくて。温かい家庭にいるニコラスがねたましくて。でもきっと、そういうことじゃなかった。あんたを見ててわかった。──オレ、誰かになろうとしてたんだ」
「…………」
「でも、それって考えてみたらおかしな話だよな。オレは、オレにしかなれないのに。周りの芝生見て勝手にうらやんで、さ。オレはオレにしかなれないのに……」
今になって思い出す。
メルの台本がなんで破れてたのか。あのときは知らなかったけど、今は知ってる。……舞台の稽古で、嫌がらせ受けてたってこと。
奴隷上がりだったメルが入っていくには、やっぱり舞台の世界は厳しくて。きっと楽しいことばかりでもなくて。でも……──
それでもメルはなんでもないみたいに笑うのだ。
苦手だった文字の読み書きも、教えてもらうぐらいに。
その強さが──……まぶしかった。
「何を勘違いしてるのか知らないけど、私、は……──」
リデラートは視線をさまよわせる。
「私は反魂の術で生み出された失敗作だ。生きてて未来もあるおまえとは違う! ノワールの実験体にならなかったら、私に意味なんて──」
「じゃあさ、今から始めてみない?」
「……え……」
何を言ってるんだろう、という顔をリデラートはした。
ピエール自身、今まで自分を散々痛めつけてきた相手にこんなことを言うなんて……と思う。けど、気付いてしまった。
──相手が、自分と鏡映しだったことに……。
「オレ、気付いちゃったんだよ。本当は商人になりたいわけじゃないんだって。そうしたら、やってらんなくなっちゃってさ。普通に学校行ってるヤツらがうらやましくて。あいつらばっかりうまくいってるような気がしてた。なりたい形なんかわかんなくて、闇雲に不安になって……ふにゃふにゃの粘土みたいでさ」
大人から見れば、可能性がいっぱいあるということなんだろう。けれどそれは、時として苦しいことでもある。自分が何者でもないと、思うのは。
この世界から、自分だけ切り離されているみたいで。……この先の未来もそうだったらと思うと、怖くてたまらない。
それでも、何かになりたくて必死にもがいてる。
平気な顔で、毎日を生きながら、必死に……生きてる。
「オレもさ、ちょっとずつ探していこうって思う。自分のやりたいこと、好きなこと、嫌なこと、やりたくないこと。オレは、オレになっていけばいい。不格好でも何でも。オレはこれでいいんだって思えるまで……だからさ、」
リデラートに向き直った。
根本的に間違ってしまった出会いを、はじめからやり直すみたいに。
今、初めて出会う十二歳の少女に向き合うように……。
「あんたも自分のこと、ニセモノだなんて言うなよ。オレはメルのニセモノになんか出会った覚えないから。ちゃんとリデラートっていう女の子と……ここから出会いたい」
リデラートは目をみはる。……まじまじと、対峙している少年を見た。
明るい茶髪にアイスティー色の瞳。真っ赤に染まった肩口をかばいながら、それでも、リデラートのことを凜と見つめる少年を。
「…………ぁ……」
頬が朱に染まった。
実際には、そんなことはないのかもしれない。もとより死体であるリデラートに血はめぐっていない。死に化粧で血色はよくしてあるけど、それでも、頬が赤く染まるなんて気分の問題で……。
「……ひぇっ!」
「?」
「──ありえない。ありえない。ありえない」
「…………え。何が……?」
──ありえない。
つい数時間前まで足蹴でボッコボコにしてた少年が、かっこよく見えるなんて……!
……というリデラートの心のさけびは、幸か不幸かピエールには届かない。
なぜか赤くなってうつむいてしまった少女をいぶかしげに見ながら、ピエールも思った。
初対面が初対面だっただけに、今まで怖い印象しかなかったけど……。
(……。よく見たら普通にかわいい女の子……だよな?)
リボンでまとめた赤毛のツインテールも、その下のスッキリとした顔立ちもかわいらしい。急にドギマギしてきた。ぽり……と無意識に頬を掻いて。
(い、痛つつ……)
動かした右肩の痛みに顔をしかめた──さっき、リデラートに短剣で指されそうになっていたメルをかばって負った傷。そのメルは魔術の術式に巻き込まれたまま、無傷で祭壇に横たわっている。
「……なぁ。メル起こすの、手伝ってくれよ。魔術? 発動してるみたいでオレじゃわかんねぇんだよ。あんたになら──」
ピクリ、と顔を上げたリデラートが言った。
「そんな暇はない。──もう囲まれてる」
「……え……?」
振り返ったピエールが目にしたのは──……自分に迫りくる亡者どもだった。
「う……うわぁぁぁっ!?」
「ちっ……!」
リデラートが体重を乗せた蹴撃を放つ。
先頭にいた亡者が悲鳴をあげながらもんどり打って倒れた。
「死にたくなければ私の後ろにいて。……約束は守ってもらう」
「……約束?」
「私が私らしくなるように、責任とってもらう」
「責任──って、誤解されるような言い方やめて!?」
もって回った言い回しに、ピエールは状況を忘れてツッコんだ。リデラートは忌々しげに顔をゆがめている。
「本当はこんなメイド服も大嫌いだ。なんだこのツインテールは。ミニすぎるスカートは! これもみんなあの幼女趣味なド変態赤毛伯爵のせいだ!」
「き、嫌いなんだ……? 似合ってるけど……」
リデラートは、また頬をほんのりと染めた。
「手始めに、私が私の好みを見つけるの手伝ってもらう」
「そんなショッピング的な意味合いで言ったんじゃないけど!?」
「いいな、それ。亡者どもを倒してショッピング……」
そんな物騒なデートの約束は嫌です……!
……とピエールは言えない。言える状況でもない。
いくら死体人形といえど、魂送りもない現状で、無限に再生する亡者相手に戦うなんて……。
十二歳のメイド少女は不敵に笑む。少しだけこわばった笑みで。ピエールと祭壇を背後にかばって臨戦態勢に入った。
「…………約束、生きて守ってもらうから」
ピエールとリデラートの視線の先──
神のいない礼拝堂を亡者どもが埋めつくしていた……。




