竜×人/名前
■47. 失名 ■
夢を見ていた。温かい夢だ。
僕はお母さんの腕に抱かれ、今と同じ様に微睡んでいた。
城のあちこちが炎に包まれる中、彼女は僕に言った。
「貴方はどうか生き延びて」
彼女は涙を流しながら、僕を地下室に閉じ込めた。
僕は、僕も、わんわん泣いた。
わんわん泣いて、ぎゃーぎゃー叫んで、やがて、疲れて眠ってしまった。
夢の中で眠るって、なんか変なの、なんて思っている内に、僕はしゃぼん玉の中にいた。
真っ暗闇の中をふわふわと浮かんで、今にも弾けて割れそうだ。
でも、しゃぼん玉の柔らかさは眠るのに最適だった。
……また眠るの?
そうやって僕はずっとずっと眠る夢を見ていた。
僕は夢の中で夢を見て、その夢の中でまた夢を見た。
だから、起きるのにも少し時間がかかったようだ。
何度起きても、どれだけ朝を迎えても、結局は夢だった。
いい加減、夢なのか、現実なのか、よく分からなくなった時、強い光が僕の瞼をつんざいて、そうしてやっと僕は永い永い眠りから目を覚ましたんだ。
僕は最初、お母さんが起こしてくれたとばかり思っていたけど、違っていた。
お城の地下室で僕を起こしたのは、僕らとは少し顔の違う人間の兵士。瞳も丸いし牙もない。
たしか、お父さんは"どれい"と言っていたっけ。
それが何なのか、よく分からなかったけど、きっと僕を起こしてくれたから、いい人達だと思った。
「こんなところに、なんで子どもが?」と驚く兵士に、僕は時間を訊ねた。
だってどれだけ眠っていたか分からなかったから。
すると、彼らは酷く歪んだ顔で僕を見た。
少し首をかしげたけど、僕はすぐに合点がいった。そうだ、確か、どれいさんと僕らは、話している言葉が少し違うんだった。
その後、彼らは僕を王様の下に連れて行くと言った。
僕はそれを聞いて、お父さんのところに連れて行ってくれると思ったけど、違った。
僕が連れて行かれたのは、どれいの島だった。
そう。王様は王様でも、どれいさん達の王様のことだったのだ。
玉座の間で彼は白い髭を撫でながら、興味深そうに僕の全身を眺める。そして何やら他の大人とごそごそ話をすると、やがて嬉しそうな顔で「今日から飼おう」と言った。
「僕はペットじゃない!」と叫んだけど、彼は笑って相手にしなかった。そうだった、話が通じないんだった……諦めよう。
すると、王様は赤毛の女性を連れてきて、僕を指さしながらその人に言った。
「ルン。お主の初仕事は、この子の面倒だ」
「分かりました。任せてください。子どもの扱いには自信があります」
「うむ。期待しておる」
そんなやり取りがあって、僕はなにも分からないまま、彼女に手を引かれて玉座の間を後にした。
彼女の手はお母さんと同じくらい温かかった。
「ねぇ。お父さんとお母さんのところには連れてってくれないの?」ダメもとで僕が訊ねると、彼女は目をパチクリさせた。やはりダメだったみたいだ。
「君、そう言えば、名前ってなんと言うんですか?」
そう訊ねられて、僕ははっとした。
僕の名前、そう言えば、なんだったっけ?
僕は長い夢の中に名前を置き去りにしてしまったようだ。
■48. 無名 ■
僕には名前など無かった。
「お前」という人代名詞、或いは「でくのぼう」・「馬鹿」・「出来損ない」というのがもっぱら僕を表す記号だった。
そんな僕に名前をくれたのは、カロンだった。
彼女は、僕を使用人として買った貴族の娘で、南部の人間にしては珍しい、雪のように白い肌の綺麗な少女だった。彼女はその見た目のせいで外出を禁じられており、朝から晩まで、ずっと部屋で過ごしていた。
同じくらいの年の僕らが仲良くなるのに、さほど時間はかからなかった。
僕には馬の世話番の仕事があったけど、隙を見てはサボって彼女の部屋に脚を運んだ。彼女の部屋には沢山の本があったのは理由の一つだが、それでも一番は彼女が居たからだった。
家族など居らず、物心ついた時から使用人として働かされていた僕は、その頃酷く心が擦れていて、彼女の無垢な性格はとても愛おしく、また羨ましくもあった。
「ねぇ。馬丁さん。いい加減、お名前を教えてくださらない?」
ある日の夜、部屋で本を読んでいた僕に彼女は言った。僕の寝床は屋敷の裏にある小屋だったけど、満月の夜はこうして二人で会っていた。理由は、ランプを点けなくても月明かりで本が読めるから。
「言ったじゃないか。僕には名前なんてないって。それに、名前なんて必要ないだろう?」
「いいえ。馬丁さんは沢山居ますけど、貴方は世界に一人しかいませんわ」
「そんな事はないさ10万عもあれば、奴隷はもう一人買える」
僕はそう言ったけど、彼女は中々納得してくれず、遂に頬を大きく膨らませて、「もういいですわ。私が勝手に決めて構わないってことですのよね?」と無理やりなことを言い出した。僕も意地を張って、「どうぞ勝手にすればいいさ」なんて鼻を鳴らした。
すると、彼女は本棚の一番目立つところにある本を取って、パラパラと勢いよくページを捲った。その本の名前は『ブラン川の歌』と言った。建国の使命に生きる騎士の半生を綴った抒情詩で、当時の僕でさえ知っている読み物だった。
「『ルシス』!貴方は今日から、ルシスですわ!きゃあ、かっこいい!」
「それって、主人公の騎士の名前だろう!?かっこ悪いよ!」
「いいじゃありませんの。ルシス、ルシス。ルシス………」
嫌がる僕を面白がるように彼女は頬を赤らめながら、何度も僕の名前を呼んだ。
「ああ、いやだ嫌だ。そんな大層な名前、僕には似合わないよ」
僕は恥ずかしいやらなんやらで顔が熱くなり、その日は逃げるように彼女の部屋を後にした。
「あら、ルシスったら、何処に行きますの?」
窓から壁をつたって外に出た僕に彼女は言った。
「今日はもう寝るよ。明日は、もっといい名前を考えておいてよね」
そそくさと小屋に帰る途中、その日はいつもより月が明るく見えた。
結局、その名前が一生、僕に付いて回ることになるなんて、その時の僕は考えもしていなかった。




