第一章-beginning-
本サイトでは初投稿の小説です。
拙文ですが、少しでも興味を持っていただけたなら、目を通していただけるとありがたいと思います。
X78年、リヒャル大陸 スカッジ王国 南方 アデルの森
平時は緑が生い茂り、鳥たちのさえずりの調が聞こえる穏やかな森である。
しかし、その日の森には、その「穏やかな」という形容はおおよそ似つかわしくないような空気が流れていた。
「ぶるるる…」巨大なイノシシが目をぎらつかせながら唸っている。
この森に居を構える大型の魔物、「トラスト・ワイルドボア」。性格は凶暴かつ好戦的で、目に見えていて動いているものは大概、獲物か敵だと思い込んでいるという。先日も、森を通行中の馬車がこのイノシシによって破壊され、多くの人的な被害も生んでいる。
その恐るべき魔物が睨み付けているのは、武装した討伐隊…ではなく、たった一人の若い女性であった。若い女性といっても洒落な服に身を包んだ可憐な淑女などではなく、くたびれて傷み切った黒いコートに身を包み、刀剣を一振り携えた、背の高い女剣士であった。端正でしかしマニッシュなその顔には、過度な恐れも過度な気のゆるみもなく、ただ斬るべきものを眼前に見据えている。
硬直状態といったところか。魔物は、突進の準備であろう、足をわずかに折り曲げて鼻息を荒げており、女剣士は呼吸を整えながら剣の柄に手をかけ、足をダッシュの形に開いている。両者ともに動くタイミングを見計らっているのだろう。冷たく、硬質な静寂が、場の空気を支配している…
先に駆けだしたのは、魔物の方であった。ぶぉぉぉ、と吠えながら剣士の方へ突進していく。剣士も遅れて動きを見せるが、その動きは魔物のただ突っ込むだけのそれとは違った。
魔物の巨体が自分の身に当たる寸前でタイミングを合わせて身体をずらし、それとほぼ同時に抜刀し魔物の脇腹を斬りつけるというものであった。
「ぷごぉぉぉ…」魔物は口とわき腹から血を吹き出しながら間の抜けた断末魔を上げ、どん、と大きな音を立てながら地面に倒れた。
「ふぅ、これで最後か…」
一瞬の命のやり取りに勝利した女剣士は、緊張を解いて剣を鞘に収めた。
「おう、こっちもあらかた片付けたぜ。」
女剣士の後ろ側から、別の声が聞こえてくる。振り返った先にいたのは、全身を真っ黒な体毛で覆った狼か猟犬に似た生物。世に『ブラック・ドッグ』と呼ばれる不吉の精霊で、知能は人の言葉を話せる程高く、気性は至って大人しいがふつう人と馴れ合うことは極めて少ないという。
「やあ、クロ。こっちもさっき最後のを片したとこ。これだけ倒しときゃぁ、あのおっさんも文句は言わないでしょ。」
『人語を操る真っ黒な犬』という奇怪で、ややもすれば不気味にすら見えるような存在に、女剣士はしかし年の近い兄弟にするような調子で返事をする。クロとそう呼ばれた不吉な犬は「そりゃ、十分すぎなぐらいだろ、セシルよ。きっと報酬もはずんでくれるって。」と、剣士と同じくらいの軽い調子で返した。
女剣士…セシルとクロはギルドに所属する用心棒だが、彼らはギルド加盟前の幼少期から出会い、ともに行動していて、現在ではこの通り常に二人(正確には一人と一匹)で組んで仕事をしている。彼らの主な仕事は、依頼を受けて、魔物や盗賊を退治したり、危険な地帯を通る際の護衛を請け負ったりすることであり、いうまでもなく危険が伴う仕事である。この場合、一人よりは二人で行動する方が当然リスクも軽減でき、効率も上がる。また、その際の相方も、緊急時に連携できるという意味で信頼関係を築けている人物が最も好ましい。そういった意味では、セシルとクロのように既に絆が深まっているコンビは最適なのかもしれない。
「そうだな。とっとと報酬受け取って、パスタでも食べて…」
セシルは言い終わる前に、はじかれるように顔の向きを変えた。方角は大体南西の方だ。
「悲鳴…女の子か?」
「なんだ、なんか聞こえたのか?」
クロの問に返事を返すまでもなく、セシルは向き直った方向にそのまま駆けだす。
「うぉい!ちょっと待てよ!何なのか教えろって!」
クロは、突然駆け出した相棒の背を、抗議の声をあげながら大慌てで追いかけていった。
セシルとクロが向かった先では…
いかにも悪党といった風体の男たち3人が下卑た笑い声で談笑していた。
「これで、依頼達成だな」
「女一人から指輪ふんだくってこい、なんてちょろすぎ。これで1000万ゴールドとか、こんな旨い話他にはねぇぜ。」
「これに加えこの女を売り飛ばせば…ははは、とんでもねぇ額の金になるぜ」
男たちが囲んでいるその中心には、一人の少女が倒れていた。
その少女の顔立ちは、温室で丁重に手入れされた白百合のように美しく、それでいて少女らしいあどけなさも残る、絶妙なバランスで設計されており、肩まで伸ばしたブロンドの髪もまた、晴天の中の向日葵のように輝いている。そして、純白のワンピースに包まれた肢体は細身ながらも胸には程よい形と大きさのふくらみが確かに存在した。そして、その細い右手には、小さな蒼い水晶が埋め込まれた白金製の美しい指輪が埋め込まれていた。男たちの中の体格の良い一人は、その少女を無造作に肩に背負いこみ、引いてきた馬車に戻ろうとする。
「さぁて、そろそろずらかんねぇと魔物が…」
「待て」
男の言葉を遮った声は黒いコートを着込んで、フードを目深に被った背の高い女のものであった。
「こんな魔物の出るかもしれない森で何をしている?」
その言葉を聞いて男たちは警戒をあらわにした。その女の言葉には、自分たちへの心配や忠告の意図はなく明らかにいぶかしむ気配があったからだ。何せ彼らは気絶した少女を抱えている。疑わしい要素しかない。それに加え、その女は腰に剣を帯びていて、しかもかなりの手練れらしい。鈍感な男たちだが、そのことはかろうじて感じれたようだ。
「あぁ…それは…だな…」
言い訳を必死で考える男たち。その狼狽が逆に疑惑を強めているとも知らずに。
「そうだ!おっ、俺たちギルドのモンでさ!」
突然、男の一人が声を上げる。髪を黄土色に染めている爬虫類顔の人物だ。
「その…商会からの依頼で、果物取りに森ん中入ってたんだ。そしたらこの娘が魔物に襲われてぶっ倒れてたんだよ。」
額に汗して早口でまくしたてる黄土髪の男。それに仲間たちが同調する。
「そうそう、それで俺たちが魔物を追っ払って保護してやろうとだな…だから俺ら怪しいもんじゃねぇって。」
全身をピアスやアクセサリーで飾っている、髪を逆立てた男が言うと、フード女は一度息をつき…
「そうか…では指輪ふんだくるとかその娘を売り飛ばすとか物騒なことを言っていたのは…どうゆうことかな?」
男たち一同は、一気に顔を引きつらせた。こいつ、俺たちの会話聞いてたのか!いつから!?一体どこから!?とにかくこのままじゃまずい!
「やれ!やっちまえ!」
少女を抱えている体格の良い男がテンプレートどおりの小悪党な台詞を吐き捨てると、残り二人の男が襲い掛かってきた。しかし、フード女に攻撃を仕掛けるまでもなく、
「うわッ、なんだ!」
どこからもなく黒い霧のようなものが辺りを覆い男たちの視界を遮り、動きを止める。その隙を逃さず、駆けだしたフード女は、アクセサリー男にはうなじへの手刀を、黄土髪男には股間への蹴りをそれぞれ見舞った後、最後の一人の正面に迫り、
「てめぇ、何も…ぐぁっ」
丁度、鳩尾に当たる部分を的確にとらえ、重い一撃を加える。男がうめき声をあげながら腹を抱え崩れ落ちるのに伴い、その肩から滑り落ちた少女をさっと抱きかかえた。と、同時に素早くその身を翻し、全速力で駆けだした。
霧が覆っている一帯を抜け出し、少し離れたところへ出ると、
「まぁ、ここまで来れば大丈夫だろ。」
と、被っていたフードを脱ぐ。フード女の正体はセシルだった。一応、憲兵には連絡を入れ、捕縛してもらう予定だが、誘拐犯があの三人で全員とは限らない。一人でも逃がしてしまった場合のリスクを考えると顔が割れるわけにはいかなかったのだ。
「クロ、もういい。出ておいで。」
「ったく、無茶ぁしやがるぜ。」
クロも、しかめ面をしながらどこからもなく現れる。彼は任意の物を見えなくしたり、幻を生み出したりする、幻惑魔法を得意としている。先ほどの黒い霧は、クロが魔法で生み出したものだったのだ。
「お人よしもいいがよ、そんな慈善であんなことばっかやってたら身がもたねえぞ」
「別に考え無しに助けたわけじゃない。恩売っとけば後々得するかもしんないだろ。」
クロの批判を煙たがるようにセシルが言い放つ。
「どーだかな、そん時ゃ姫を助けることしか頭になかったんだろ?セシル王子よ。」
この黒い毛むくじゃらの相棒には即興の弁解は効かず、軽いからかい交じりの指摘とともに返されてしまった。セシルは一瞬で日に焼けた顔を紅潮させた。
「放っとけるわけがないだろうが!あの娘、どっかに売られるかもしんなかったんだぞ!もしそうなったら…」
中途半端に言葉を切り、ふいに顔をクロの方から逸らしたセシルは、
「あんな目に遭うのは、あんな思いすんのは、あたしらだけで十分だってのに…」
暗い面持で呟く。その顔には、「困っている人は放っておけないから」以上の感情が見て取れる。その顔を見たクロは「そうさな」と、皮肉ではない同意を示した。と、脈絡もなく思い出したように言い出す。
「ところでよ、この娘介抱するにしてもよ、ずっと抱えているわけにもいかねえだろ?どうすんだ?」
「あぁ、まぁ宿屋で、部屋のベッド貸してもらうしかないかな。」
スカジ王国 アデル区市街
セシルたちは、例の少女を介抱するため、アデル区有数の大商人で今回の魔物退治の依頼主であったバルム卿の邸宅のベッドを借りていた。そして、バルム卿の邸宅である、城にも見える豪邸の客間で、セシルは館の主である、高価そうな服を着たふくよかな中年男と面会していた。セシルの傍らには、ブラック・ドッグのクロが座っている。
「すみません、無理を聞いていただいて。」
「いえいえ、あなたがた『ヴァナディス・ヘア』には、日ごろお世話になっているのですから、ベッドをお貸しするくらい大したことではございません。」
依頼主に迷惑をかけるのは不本意であったが、町の宿屋は運悪く全て埋まっていた。街の一般人に部屋を借りることも考えたのだが、セシルが少女を抱えてきたことが騒ぎになり、うわさが広まってしまう可能性に気付いたため、自分たちのギルドとの信頼のため、少女のことを秘密にしてくれることを期待できるバルム卿に頼ることを思いついたのだ。
「しかし、あの女の子何者なのです?この街では見かけないし…」
バルム卿は、さすがに訝しんだらしい。声を潜めて尋ねた。
「わかりません。ただ、彼女が目を覚ましたら、気になることは全て聞いてみたいと思います。」
そう答え、セシルが客間を出るべく、椅子から立ち上がり、クロがそれに続いて椅子から飛び降りたとき、
「あっ、旦那様、セシル様。」
急いだ様子のメイドが客間に入ってきた。バルム卿が要件を伝えるよう促すと、息を整えてから用意した要件を伝えた。
「あの女の子、目を覚ましました。」
「ん….ここは….」
少女が目を覚ましたとき、彼女の身体を受け止めていたのは冷たい森の土ではなく、いかにも高級そうな柔らかいベッドだった。自分は森にいたはずでは?いま、自分はどうなっているのか。戸惑いながらもひとまず状況の整理に努めた。
「えっと…あたし、森であの人たちに襲われて…」
だめだ、そこからが思い出せない。少女の小さな口から思いため息がこぼれる。一体どうすればよいのかわからない少女は、憂鬱の沼に沈みかけていたが、すぐに現実の声に引き上げられた。
「目を覚ましたって本当か?」
突然の声に振り向くと、剣を携えた女性と、真っ黒な犬が、メイドに連れられて部屋に入ってきていた。
「だっ、だれっ、なんですか?」
上ずった声で少女が叫ぶ。突然の来訪者への、驚きと警戒が声に表れる。
「あの、あなたは…」
「別に怪しい者じゃない。あたしはセシル・ムラカミ。『ヴァナディス・ヘア』ってギルドで用心棒やってる。」
メイドの声を遮って、セシルが名乗る。
「この黒いのは、クロ。こう見えてあたしの大事な相棒だ。」
「おう、よろしく…って、どういう意味だ『こう見えて』って」
セシルがクロの紹介を勝手に済ませ、抗議を聞き流している間に、メイドが説明を請け負う。
「あの~、セシル様とクロちゃんは、気絶してるあなたを助けてここまで運んでくれたんですよ。」
その言葉に少女の警戒が解ける。
「そうなんですか…」
「あの…あたし、コレットといいます。その…助けてくれてありがとう…ございます…」
コレットと名乗った少女の言葉に、セシルは思わず顔を紅潮させた。森でクロに声を荒げた時とは別の意味で。
「別に、例を言われるほどのことじゃない。通りがかったついでだ。」
「素直じゃねぇの」
その態度を鼻で笑ったクロに、黙れというように軽く小突いた後、セシルは咳払いをし、切り出した。
「さて、これからどうするか、決まっているのかな?」
コレットが目を伏せた。追われるようになってからその日暮らしで逃亡生活を過ごしてきたらしい。
「もしよかったら聞かせてくれるかな?君が狙われてる理由…その指輪のこととか」
びくりとしたコレットが、ふいに右手をかばう。
「あぁ、別に指輪が欲しいわけじゃないよ。ただ、君が何で狙われてんのか、はっきりさせたいだけ。君がこれからどうするか考えるためにもね。」
コレットは、やはり口を堅く閉ざし、セシルから目をそらす。そう言って近づいてきた人たちに、何度騙されたことか。その言葉を信じることに、二の足を踏んでしまう。
「信じてもいいんですか?」
「約束は破らない。あたしにも矜持はある。」
その言葉を受けたコレットは、恐る恐るセシルの顔を見る。しばらくの間、部屋は沈黙に包まれる。コレットは、注意深くセシルも目を見つめていた。その人の目は本当に真剣だ。真剣にあたしの話を聞いて、あたしのことを考えようとしてくれている。
「どうして…そんなにあたしのこと…」
「そうだね、放っておけなかったってとこかな。あたしも捕まってひどい目に遭ったことがあってさ、君が同じような目に遭いかけてたから。」
嘘でも言えそうな理由。でもこの人の言葉はきっと違う。ずっと追いかけられて、騙されていたからこそ目を見れば分かった。この人はあの人たちと違う。この人を信じてみよう。そう決心したコレットは、ゆっくりと切り出す。
「これ、母の…形見なんです。あたし、父を早くに亡くして、先月まで母と暮らしてたんですけど、その母が亡くなる前に、これをあたしに託してくれたんです。『これをもって遠くへ行け』『絶対に誰にも渡しちゃだめだ』って。それからなんです。さっきみたいに襲われたり、狙われたりするようになったのは…」
セシルはコレットの言うことを理解したかのようにうなずき、
「反撃する手段は、なかったのかい?」
「いえ、魔法は母に習って少しだけですけど、それも治癒系で...武術は全く…」
セシルは、「そうか」と答えた後
「他には、何か言ってなかったのかい?」
と問うが、コレットは、「いいえ」と首を振っただけだった。
「自分で、何か調べたりは?」
「逃げた先で、街の職人さんや質屋の方に鑑定してもらったり、もしたのですが…」
「何も収穫はなかったと」
ため息をつくセシルに対し、コレットはばつが悪そうにうなだれる。セシルが自分のために親身になろうとしているのに、自分は何もできていないことが後ろめたくなっていたのだ。
「すみませんセシルさん…あたし…」
「別に責めてるわけじゃない。」
セシルはあきれ気味に言い放った後、指輪を改めて見せてもらうことにした。表社会の物とは限らないし、セシルもさほど知識があるわけではないが、モノならいくつか知っている。まあ、言ってしまえば駄目で元々というものだった、のだが…
「これって…記録用の魔法結晶?」
「なんだってそんなもんが…?」
セシルと、隣にいたクロは思わず顔を見合わせた。一体なぜ彼女がこんなものを…?
魔法結晶そのものはそう珍しいものではない。照明用や発火用など、日用品としてのものなら市場に行けばふつうに取引されており、値段もそう高いものではない。しかし、記録用のように特殊なものとなると、話は変わる。これらの特殊な効果を持つ魔法結晶はみだりに利用されることを防ぐために、特別な立場の人間が特別な認可や手続きを踏んだうえで手に入ることとなっている。ふつうは一般人の手に入るようなものではない。使う人間といえば役人か、大商人か、裏社会の人間かそんなものだろう。流通も少ないため、普通の街の職人が知らないのも無理はない。
しかし、コレットの母親、あるいはその人に関わりのある人間がそれを入手し、何かを記録している。そして最終的にコレットの手に渡り今に至っている…
セシルはそのことを問いただそうとしたが、それよりも先に、下が騒がしいことに気付く。
「クロ、その娘見ててくれ。あたし下見てくるから。」
さて、セシルが異変に気付いたそのころ、バルム卿は自らの牙城の一階にいながら、捕虜となったようなひどい気分を味あわされていた。バルム邸に押しかけてきた白い外套の集団は、剣やら槍やらを突き付けて、無理やり交渉の場を作らせたのだ。
「それで、交渉というのは?」
引きつった笑顔を浮かべるバルム卿の問に、白外套の連中のリーダーなのであろう、眼鏡をかけた中年男が一見慇懃な口調で答える。
「えぇ、この館に連れ込まれた少女をこちらに渡していただきたい。応じていただければそれなりの対価は払いましょう。」
「少女ですか?一体何のことだか?」
少女の保護と秘匿をセシルと約束していたバルム卿は何とか嘘とばれないように気を付けつつ隠し通そうとするが
「こちらの申し出を拒否したり…まして嘘で隠したりするようでありましたら、あなたの館もこの街も壊してしまってもよいのですがねぇ。」
無茶苦茶である。何が交渉か。ただの脅しではないか。とにかく屋敷と街を守るためにも何とか丸く収めようと思考を巡らせるが、どう考えようとも、焦りと恐れが邪魔をして妙案にたどり着けず、そのせいで余計に焦りが生じ、悪循環に陥ってしまう。それによって思考力を奪う計略だったとすれば大当たりというものだろう。
思考力の限界になっていた卿にとって、二階から降りてきたセシルの姿は、希望の光であった。
「騒がしいと思ったら、見慣れない客人ですね。どちら様ですか?」
「あぁ、わたくし、ゴードンと申します。彼らは部下の兵士です。我々が探している女の子がここで介抱されていると聞いてここに伺ったのですが…ご存じありませんかね?」
セシルはこの白い外套の集団に見覚えがあった。革命集団『フェンリル』、実際には見たのはこれが初めてであったが、大陸各地での大規模な破壊や殺戮行為で新聞を賑わせていて、その中には「国軍を全滅させた」などという話も存在する。それを聞いた時は流石に冗談かと思っていたが、用心に越したことはない。慎重に行くべきだ。
セシルは、弱り切った館の主を客間から退出するよう促し、ゴードンに向き直って切り出した。
「知っているが、教える前にいくつか質問に答えていただこう。」
「何ですかな?」
ゴードンの態度は相変わらず慇懃そのものだが、表情に翳りが見える。白い兵士達にも動揺がちらつく。聞かれたくないことがあるのだろうか。セシルは構わずに会話を続けた。
「まず、目的はあの娘そのものではなく、あの娘の指輪だろう。なぜ、たかが指輪一つにそこまでこだわる?」
「どうしても答えねばならぬことですか?」
「どうしても知っておきたい。」
ゴードンを含めた白外套どもは狼狽を隠し切れなかった。ただゴードンの方は、結構早く立ち直り、質問に対して奇妙なほど素直に答えた。
「それが秘密兵器につながるからですよ。」
「兵器か。その設計図が、魔法結晶に記録されていると。」
「ご明察ですな。われらが崇高な目的のため!そのデータがどうしても必要なのですよ。」
それを聞いたセシルは、目の前の白外套の連中に対して、取り繕いもせずに眉を顰めた。彼女の辞書によれば、自らの存在や思想を「崇高な」だの「神聖な」だのと表現する者に、大抵、ろくなやつはいないというのだ。
「その目的というのは?」
セシルは次の質問を投げかけた。どうせろくなものではないだろうが、と心の中で付け加えながら。
「世界を浄化する。われらが主導者、ロキ様の名のもとに。」
世界の浄化?あの破壊活動のことか!やはりろくな目的で動いてはいないらしい。秘密兵器とやらがどれほどのものかは知らないが、とっとと指輪を渡してしまって丸く収める、というわけにはいかないようだ。セシルはため息一つついてから強い口調で自らの答えを言い放つ。
「質問は以上だ。生憎だけど、そんなテロ活動に協力するわけにはいかない。秘密兵器とやらはあきらめてもらうよ。」
その答えを聞いたゴードンは薄く笑い、
「そうですか、残念ですねぇ」
と、外套のポケットから薄緑色の四角い水晶を手に取る。が、その瞬間、何か黒い影のようなものが、その水晶に当たり、そのままゴードンの側を通り抜ける。水晶を砕く、ぱりんという音とともに。
「通信用結晶が!」
ゴードンが叫ぶのをよそに、黒い影は彼の後ろ側の壁に子気味良い音とともに突き刺さる。驚いた白装束たちが振り向くと、その壁からは鍔の無いナイフの白刃と赤い柄が伸びていた。見ると、刀身に黒い炎のようなものが揺らいでいる。
「要求を拒否れば街を破壊する、っていう話はさっき聞いたよ。あんた自分のやることペラペラしゃべりすぎじゃない?」
淡々と言い放つセシルを前にゴードンは、プライドに傷をつけられた感じ、わなわなと体を震わせる。そして…
「やれ!目にものを見せてやれ!」
怒りのあまり丁寧さもかなぐり捨てたゴードンが乱暴に叫び、それに合わせて白外套たちが武器を構えセシルに迫る。怯むこともなく剣の柄に手をかける。
まず、丁度近場にいた剣を持った兵士が斬りかかるが、間一髪で刃をかわし、間合いを詰めたと同時に剣を抜き切り伏せた。次の兵士は槍で襲い掛かってきたが、セシルは空いた左手にその槍の穂先をつかむ役割を与えた。離せと怒鳴りながら槍を引っ張る兵士には、先の剣士のように一太刀見舞ったのち、お望み通り槍を離してやった。三人目の兵士はゴードンの左側を守っていた男で、ボウガンを放って攻撃しようとしたが、彼も一矢報いることは叶わなかった。セシルは飛んできた矢を紙一重でかわし、魔法結晶を壊したのと同様に投てき用のナイフを投げて兵士の額を貫いた。
「うぅっ!?」
目の前の女剣士の予想外の強さに思わず立ち止まり、おびえを見せ始める白い外套の兵士達。しかしゴードンだけはまだ怒りから覚めないようだ。
「下がれ、役立たずの臆病者どもめ!俺がこいつを殺してやる!」
吠えたゴードンは自らの武器であるレイピアを抜き放つと、一気にセシルとの距離を詰めるや否や容赦のない突き技を披露した。怒りに身を任せて打ったとは思えない程無駄のない動き。セシルも完全にかわし切れず、左頬に赤い線のような傷が刻まれる。この男の力量を見誤ったようだ。流石にあの三人のようにはいかないか!
「どうした小娘、さんざん人をコケにしといてこの程度か。早く構えろよ。」
ゴードンが目を血走らせながら再び構えを取る。一方のセシルも先ほどの攻撃に怯む様子も無く体勢を立て直し、ゴードンの方に向き直る。
「『この程度』で勝てると思ってたけど、見通しが甘かったか。」
そうつぶやくと、剣を寝かせるように持ち替え、平な腹の部分に左手を添える。その瞬間に剣の刃を黒い炎のようなものが覆った。剣を魔力で覆うことで切れ味と強度を強化する技『黒剣』。
セシルの方にも変化が現れた。日に焼けた顔が黒い蔦のような紋様に覆われ、目の白い部分が黒く染まる。術者の五感を高め、相手の行動、周囲の状況を正確に予測する『天識』。ともに通常の魔導士には、知らない者も多いほどの珍しい魔法だった。
その光景に兵士たちの間に幾度目かの動揺が走り、ゴードンもまた怒りを忘れ驚く。
「こいつ!まさか…」
「ここからは…『この程度』とはいかないよ。」
セシルは言い終えた刹那にゴードンに斬りかかり、ゴードンが間一髪で斬撃をかわす。先ほどとは丁度逆の構図となる。そのままゴードンは何度も斬りかかろうとするが、全て紙一重で避けられてしまう。埒が明かぬと感じた。ゴードンは距離を置きつつ初撃と同様の渾身の突きを放つが、セシルは今度はかわそうともせず、タイミングを見事に合わせゴードンの刺突を自らの剣ではねのけた。レイピアの刀身が柄のある部分から切り取られ、空中に舞い飛ぶ。地面に刺さる愛刀を見る隙すらなく、黒い刃はゴードンの首筋に迫った。
「終わりだ、両手を上げて跪け。」
ゴードンは抵抗しようとしたが、セシルに腹を殴られると腹を抱えて大人しく跪いた。そしてほかの兵士達にも、ゴードン同様、武器を捨てさせ同じように両手を上げるよう言い渡し、今度は全員が従った。いかに狂気的思想の集団といえども、一人で兵士を3人も瞬殺し、自分たちの司令官であるゴードンをも剣で破ってしまった相手に自分の身も顧みず突っ込むほどの狂信者はいなかったようだ。その辺りは賢明な判断といえるだろう。
セシルは表面上降伏している白装束連中から目を離さぬように気を配りつつ、客間の向こうに立っていたバルム卿とメイドたちにクロたちを呼ぶことと、縄を数本を用意し、他の使用人を何人か連れてくるように頼んだ。顔も目も元の色に戻っていた。
「終わったみてぇだな。」
二階で待機していたブラック・ドッグのクロと、狙われていた少女コレットがメイドに連れられて降りてきた。
「お待たせ、問題はなかったか?」
「はい、誰も入ってきたりはありませんでした。」
「問題はなかったが…この娘何度もそわそわするから大変だったぜ」
セシルは、クロとコレットに一連の事情を説明し、集まった使用人たちに『フェンリル』の兵士達を憲兵に引き渡すための拘束の手伝いを頼む。
「母さんの形見がそんな危ないものだったなんて…」
流石にというべきか、コレットが複雑そうな顔を見せていた。自分が母から託され、追われながらも護ってきたものが殺戮のための兵器だったのだ、当然すぐに割り切れることではない。セシルとクロは同情的に彼女を見つめる。しかし、セシルは結果的にはこれでよいだろうと考えていた。とらえた『フェンリル』の兵士を憲兵に引き渡し、奴らが狙っていたコレットの指輪も厳重に保管するように依頼する。そうすれば、少なくともコレットが狙われる理由もなくなる。街を破壊するため街中に放ったとされる兵士もしょっ引いてもらえればとらえられたという情報も奴らの本部に知られないだろう。当分指輪そのものも狙われることもあるまい。
そのためにも、とにかくこいつらを逃がさぬようさっさと拘束しなくてはならない。メイドから縄を受け取り、主犯格であるゴードンを拘束しようと後ろに近づく。するとゴードンが突如くくくと笑い出した。
「さっきの『天識』の術で分かりましたよ。お前…『アルベリヒ』のモルモットですね?」
突然の言葉に周りの使用人や白外套の兵士はざわつき、顔を見合わせる。セシルの過去を知っているクロが腹立たし気にゴードンを睨み、コレットも嫌な気配を感じたのかセシルを心配そうに見つめていす。セシルは返答こそしないが、明らかな動揺を見せていた。ゴードンは構わず続ける。
「やはりか、『天識』を使えるものなどそいつらしかいない。何故分かったって思っているでしょう?我々『フェンリル』も研究に関わっていたのですよ。だからあの研究所のことは何でも知っています。」
「それがどうした?あたしを動揺させて隙を作ろうっていうんなら狙いは大外れだぞ。」
そう言いつつも彼女は手や声を震わせ、腕を縛るペースも遅くなっていた。その様子を確認したゴードンは、ほくそ笑みながらゆっくりと、とどめの一言を放った。
「ずっと気にかけている想い人の行方を…知りたくないですか?」
その一言で完全にセシルの手は作業を止め、その代わりにゴードンの襟首をつかみ、強かに床にその体を叩き付けた。
「セ、セシル様!?」
「おい、セシル!乗せられんな!」
隣にいた執事やクロの静止の声もセシルの耳に入らない。
「何故知っている…貴様らが…マリオンのことを…!」
セシルはゴードンを睨みつけ、声を荒げる。ゴードンは、それに臆する様子もない。
「いいのですか?動揺して隙を作ってしまっても。」
セシルが気付いた時にはすでに手遅れになっていた。ゴードンは中途半端に結ばれた縄をいつの間にか解いていた。彼はその体勢のまま、自身を掴んでいたセシルの腕を肘で打ち、彼女による最後の拘束が緩んだすきに素早く飛び退った。
「何故知っているかって?言ったでしょう、我々も『アルベリヒ』の研究に関わっていたと!だからこんなこともできるんですよ!」
言うが早いか、ゴードンは自らのコートを脱ぎ去り、筋肉質な裸体をあらわにする。そして夜陰のように黒く、まがまがしい輝きを放つ結晶をどこからもなく取り出し、見せつける。そして、彼はその結晶を見せつけた後、おもむろにその結晶を口に放り、飲み込む。その瞬間、体中の血管が浮き彫りになり、その目が紫色の光をたたえる。
その彼の様子を見ていたものの反応は三者三様であった。周りのメイドや執事たちは何が起こっているのかといったような表情で、跪いていた兵士たちはわなわなと怯え意味もなく顔を見合わせながら、セシルとクロはそんな馬鹿なと呟き、激しく狼狽しながら。コレットはそんなセシルを心配するかのように見つめていた。
「はははははは」
ゴードンが狂ったように笑ったかと思うと、彼の絶叫とともに全身の筋肉が風船のように膨らみ、全身の皮膚が紫色に染まる。漸く彼の絶叫が収まると、そこには、辛うじて人の形をとっている筋骨隆々の紛れもない怪物が涎と殺気を迸らせて立っていた。
「肉体強化系の魔法結晶…?あの研究所は…あの時、師匠達が完全につぶしたはず…貴様らは…あそこの研究を復活させたのか!」
セシルがゴードンに向かって声を荒げる。その顔は冷や汗と恐れで塗られていた。クロも同じく毛を逆立てて唸り声をあげている。目の前の怪物の血走った眼は殺意の対象しか目に入らない様子だ。
「ンははははハハハ、そうともさ、われらが利用するために拾ったのさ、この圧倒的な破壊の力を欲してなぁ」
そう叫びながらゴードンは巨大な腕を持ち上げる。察知するや否や、セシルは剣を抜き放ち、峰を黒い炎で覆ってかざす。そして、紫の拳と黒い剣がぶつかり合う。セシルは、辛うじてその剛腕を受け止めていた。しかし、さしもの腕利き用心棒にも限界があった。強度が上がっているはずの刀身にひびが入ってきている。このままではつぶされる。その考えがセシルの頭をよぎった瞬間、黒い影がゴードンをめがけてとびかかってきた。
「ぐあっ!腕がぁ!」
「へへっ、さすがに全部はもってけねぇか。」
「犬ッコロが!」
ブラック・ドッグのクロがゴードンの腕に喰らいつき、その一部を食いちぎっていったのだ。ゴードンは痛みにのたうち回り、その腕をセシルの剣から離れさせる。黒い毛むくじゃらの相棒に助けで重圧から解放された女剣士は、怪物の引付を彼に任せ、すぐさま飛び退いて次の行動に移る。戦えない者を離れさせることだ。
「『フェンリル』の兵士とバルム卿を連れてこの屋敷から急いで離れて。街の人たちにも避難を呼びかけるんだ。」
最年長の初老の執事がうなずくと、セシルにかばわれながら、屋敷の使用人たちは拘束された兵士達を連れすぐに客間から離れた。コレットがためらいがちに客間から離れようとすると、ゴードンが応戦していたクロを無視し、襲い掛かってきた。クロに食いちぎられた腕が、なんとすでに元通りとなっている。
「何てことだ!こいつ…」
「小娘!逃がさんぞ!指輪をよこせ!」
「させるかよ!『ブラインド』!」
クロが叫ぶと、ゴードンの足が不意に止まった。幻術の一種『ブラインド』。一定の時間、視界を封じることができる。
「なんだこれは!?何も見えない!」
「いまだ、早く逃げろ!」
コレットはその言葉を聞き、急いで客間から退出する。これで後方に憂いは無くなる。セシルはすぐに『天識』で五感を強化する。黒い紋様が顔に浮かぶ。
「サンキュー、クロ。これであとは...」
「目を封じたところで…俺を止められると思ったか!」
なんとゴードンは見えないのも構わず、拳を振りかざした。たまたまか、狙ってか、セシルのいる前方だ。素早く察知すると、セシルはゴードンの拳を見切り、かわして後方のクロの方へ転がり込む。
「大丈夫か、セシル」
「あぁ、それよりあいつの腕、もう治ってるよ。自然治癒力まで強化されてるのか…」
「しかも目が見えなくてもでたらめに攻撃してくるとはな、俺では動きを封じられんようだ。どうしたもんか…」
「何こそこそ話してやがる?」
ゴードンが二人の方に振り向いた。すでに『ブラインド』は解け、視力が回復している。そして、次の攻撃を仕掛けるつもりで構えている。
「クロ!来るぞ!」
「ウアァァァ!」
叫ぶと同時に、ゴードンの突進がセシルとクロを襲う。ゴードンの巨体が壁にぶつかり、その壁が粉微塵に崩れ、街がその先に広がる。二人は間髪でかわしたが、当たっていたら即死だっただろう。しかし、街に出てしまった以上のらりくらりと避けてばかりもいられない。この怪物を好き勝手暴れさせるわけには…
「なんだ貴様ら、ちょこまかと逃げてばかりか…」
ゴードンが体を後ろに向けた途端、クロが何倍にも巨大になっていた。ゴードンの視線はずっと上にあるクロの頭に向く。
「こいつどうなって…ぐぁ!」
ゴードンが左胸に異変を感じたとき、そこにダガーが深々と刺さっていた。そして前を向くとクロが元の姿で立っていた。その向こうには右手を伸ばした姿勢のセシルも。
「こんな簡単な手に乗ってくれるとはね」
「おのれ….」
ゴードンが血を吹きながら睨み付ける。セシルの投げたナイフは彼の心臓を正確にとらえていた。
「貴様ら….こんなもんで俺を殺せると思ったか?」
「なっ!?」
ゴードンは左胸に刺さったナイフを無理やり引っこ抜き、それを無造作に投げ捨てる。空いた胸の穴はみるみるうちに塞がっていく。こいつ、不死身だっていうのか!?あの結晶の力はここまでできるものなのか!!
「くくく…またちょろちょろ避けられても面倒だ、確実につぶしてやる!」
ゴードンはそう言いつつ、全身に力を入れ、さらに筋肉を肥大化させる。そして間髪入れず、真正面のクロと距離を詰め、拳を振るう。クロは上に飛びかわそうとするが、その瞬間にゴードンは拳から蹴りに切り替えた。それに対応しきれずまともにその蹴りを受けてしまったクロは、何とか地面への激突は免れるものの、肋骨を腹の骨を何本も折られ、立ち上がって反撃に転じることができなかった。口に血を含ませ、倒れ込むクロに、セシルは反射的に首の向きを変え声を上げる。
「クロっ!大丈夫か!?」
「馬鹿野郎!よそ見すんな!」
クロの一喝で前を振り返ると、ゴードンが眼前に迫っていて、すでに頭の上で両拳を合わせて振り下ろそうとしている。かわすのでは間に合わない、そう判断し、『ブラック・ソード』をかけた剣をぶつけ相殺しようと剣を構える。ゴードンの拳が振り下ろされるタイミングに合わせ、セシルの剣が突き出される。しかし、切っ先が拳に触れると、セシルの剣が、ゴードンの重量と拳の圧力とに耐え切れず刀身にひびを広げ、ついには砕け散ってしまう。そして、ゴードンは拳をわずかに浮かせ、瞬間で振り下ろしセシルに叩き付けた。散々壁を破壊され、残骸となった応接室に土埃が舞う。
「がぁっ、ぐはぁっ!」
「セシルっ、ぐうっ…」
床のひびの中心に倒れるセシル。とっさにガードし、直撃を免れたものの、その拳の衝撃はかき消せるものではなかった。激しくせき込み、吐血するセシル。彼女の髪も血に濡れ、色が少し変わっている。『天識』も解けていた。骨を損傷し、彼女もすでに立ち上がることは不可能だった。嘲るようなゴードンの笑い声と足音を何とか耳がとらえる。
くそったれ、ここがあたしの死に場所ってか。せっかく糞みたいな実験から逃げ出して、師匠と出会って自由になれたってのに。やり残したことがある、あいつの、マリオンの行方だってもう少しでつかめそうなのに。ここまでだっていうのか。
セシルが首を上向けると、ゴードンが眼前に迫っていた。頼む、動いてくれ、叶うわけないと思いつつ、自分の体に願う。思い込み故か、散々血が体から離れた所為か、ふっと、体の痛みが和らいでいくのを感じた。
「さんざん人をコケにしやがって、後悔しても遅ぇぞ。」
ゴードンの声が耳に入った。とどめを刺そうと右腕を持ち上げているのが見えた。とどめのあの拳が来る。そう思っていると、突然黒い霧が辺りを覆った。ゴードンが、一瞬驚いた後、うめきながら膝をついた。間違いない、クロの幻術だ。倒れ込んだような音がする。おそらく腱を噛み切られたのだろう。しかしクロは先ほどゴードンにやられて立ち上がれなくなったはず。セシルが戸惑っていると、急に体が引っ張られるのを感じた。誰かが腕を引いて立ち上がらせたのだ。痛みはなぜかほぼ完全に消え去っていた。骨も治っているようだ。状況を読めないまま、手を引かれるがままに走っていく。
「ここまで来れば、ひとまず大丈夫でしょうか。」
ようやく霧の覆った一帯から脱出したセシルが目にしたのは、自分と同じように、満身創痍の状態から回復していたクロと、逃げだしたはずのコレットだった。細い路地裏に逃げ込むと、セシルは言葉がまとまらないままコレットに問いかけた。
「コレット…なんで君が…」
「この嬢ちゃん、丁度あぶねぇ時に駆けつけてくれてね、ケガ治してくれたおかげで何とか俺もあの霧を出せたってわけだ。」
そうか、確かに回復系の魔法は使えるといっていた。折れた骨を完全に治すほどとは、思ってもいなかったが…
「さっきのは助かったが、さすがに無茶だったんじゃないか?一歩遅かったら君だって…」
「勝手なことしてごめんなさい。でも、放っておけなかったんです。あたしの、母さんの形見の指輪のせいで、この街が荒らされるのを、セシルさんやクロさんが傷つくのを。」
気弱な印象しかなかったこの少女の言葉にセシルは目を見張った。この娘いつの間にこんなに強く…
「あたし、戦うって決めたんです。この街を守るためにも、あたし自身のためにも。」
セシル反対しようとした。セシルは、本音を言えばこの少女を巻き込みたくはなかった。戦える自分とクロだけで解決したかった。しかし、コレットのその目を見れば、半端な覚悟ではないことが読み取れる。職業柄様々な人間を見ている自分にはわかる。それに自分が何を言ったところでそれに先ほど自分が彼女に助けられたことには変わりはない。結局、無茶はするなとしか言いようがなかった。
「さて、戦うつったところでどうするよ。こいつ心臓ぶっ刺しても死にやしねぇ。」
クロが現状に対して毒づく。セシルは、一度息をついてから言葉を吐き出した。
「対抗策がない、わけでもない。博打になるけどな。」
その言葉に、今度はクロが目を見張る。
「お前っ、アレ使うってのか!?まだ開発途上の技じゃねぇか!」
「手段を選んでられる状況じゃないだろ。今はこれしか手がない。」
ゴードンはすぐにセシルたちを追ってくる。あの屋敷と大して離れていないここもすぐにかぎつけられるだろう。攻めにいくしかないのだ。
「コレット、無茶はするなといった側でなんなんだが、君にも協力してもらう。」
コレットは強くうなづいた。
セシルの予想通り、ゴードンがすぐにかぎつけてきた。どこだ、どこに隠れた。ゴードンが回りを見まわしていると、そばの路地裏から人影が歩み出てきた。なんと、彼らが血眼で探している指輪の持ち主、コレットだった。
「ほう、これは驚いた。自分から出てくるとはな。」
ゴードンの巨体を見上げ口を開くコレット。右手に指輪を載せ、見せつけている。その腕は緊張と恐怖故か震えていた。
「今すぐこの街から手を引きなさい。狙いは私の指輪、ただそれだけのはずです。」
努めて強い口調を形作るコレット。ゴードンはそんな彼女に全くひるまずふてぶてしく言い放つ。
「そうはいかねぇ、奴は俺をコケにした。あの女と犬ッコロを殺さねぇと俺の気が収まらねぇ。」
「そうですか…この街から去る気がないならこの指輪は破壊します。そうすれば、少なくとも私を狙う理由は、この街にいる理由は無くなるはずです。」
「何っ!!」
コレットの思わぬ言葉にゴードンが青ざめる。指輪が手に入ら無くなったとなれば、組織内での自分の立場は危うくなる。いや下手を打てば… 本当に壊される前に、この娘を消さなければ。ゴードンは拳を振ろうとする。しかし
「待って、その人は私ではありません!」
後ろの物陰から、なんとコレットがもう一人姿を現す。
「殺すのなら、私にしなさい。」
ゴードンが戸惑っていると、前方の路地裏からまた、もう一人コレットが現れた。最初に表れたコレットをかばうように。そして、その向こうの路地、民家のベランダ。何人ものコレットが次々と現れ、こう言う。本物のコレットは自分だ、と。ゴードン当初戸惑っていたが、しばらく冷静になってから気づいた。これは幻だ。あの犬の作り出した実体のないまがい物だ。
「何人も作り出したのがあだになったな。あんなものが現実に起こるはずがない。」
と心の中で呟いた。しかし、本物はどこに?まぁ、こいつらをまとめてつぶせばわかる。ゴードンは再び拳を握り、口角を上げた。と、その時、ゴードンの目の前にいた何人ものコレットが一人を除きふっと姿を消した。そして、本物のコレットの側に立っていたのは凛然とした面持ちの、ゴードンにとっては憎らしい黒コートの女剣士だった。
「『ミスティルティン』、あたしの魔力で作った、魔力を打ち消す技だ。」
数分前、路地裏に逃げ込んだセシル、クロ、コレットはゴードンを倒すための算段を立てていた。セシルは、隠し持っていた対抗策について説明する。
「対魔導士用に独自で開発してた技なんだけど、魔法結晶で強化しているなら無力化できるはずだ。」
コレットが「それならなぜもっと早くに使わなかったのか」と言いかけたが、セシルは「ただし」の言葉で遮った。
「これには二つ問題がある。一つは発動にちょっと時間がかかる。普通の強化より魔力を練らないといけないからね。二つ目は、これが一番問題なんだけど、これは未完成の魔法でね。成功するかどうかもわからない。博打になるって言ったのはそれでだ。」
コレットが、ちらりとクロの方を見た。クロは完全にあきれていた。ため息すらついている。コレットはもう一度セシルの方を見た。
「もし、失敗したら…どうなりますか?」
「作戦はおじゃん。下手すりゃ全員死ぬ。」
「でも、それしか方法は無いんでしょう?」
セシルは、静かに頷いた。コレットは、それに賭けましょう、と強く言う。クロもあきれながらも、何もしないよりはと結局賛成した。セシルは、静かに考えた作戦を説明した。
「最初っから、こいつ本物だったのか。」
ゴードンが忌々しげにコレットとセシルをにらむ。後ろにはクロが立っていた。
「はなから騙し切る気はないよ。ちょっと隙を作ればよかったからね。」
セシルの考えた作戦はこうだ。まず最初に本物のコレットが本物の指輪を手にゴードンの前に現れ、「指輪を壊す」という脅しの言葉を放つことで彼の動揺を誘う。彼は、短気でしかも面目にこだわる質があるようだ。立場が危うくなるようなことがあれば、十分に動揺するはずだ。そしてクロが最初のデコイとして現れ自分がコレットだと発言する。そして三人目に魔力を練っているセシルが幻術でコレットに化けて現れ、どれが本物かをわからなくする。そしてあちこちに次々とコレットのデコイを作りだし、本物の存在自体を疑わせせる。その隙に賭けだといった秘策の準備を進めるというものだ。
ゴードンが歯ぎしりをしながら唸っている。
「貴様ら…どれだけ俺をおちょくれば…!!」
「安心しろ。騙しあいはもう終いだ。ここからは…」
セシルが右手でナイフを抜き、人差し指と親指とで挟む。
「あたしが死ぬか、貴様が死ぬか…」
そうすると、ナイフが真っ黒に変色し、黒い霧のようなものに包まれる。
「どっちかだ」
そして、その手には影を切り取ったような黒く禍々しい短剣が握られていた。
「こいつ…ぶっつけ本番で成功しやがった!」
ゴードンの後ろにいたクロが驚いていた。コレットもその禍々しい刃に目を惹かれていた。そしてゴードンもまた…
「コレット、離れてろ。」
「はっ、はい!」
コレットがその指示に従ったことを確認すると、セシルは『天識』を施し、ゴードンに突進する。ゴードンも拳を振り上げ雄叫び上げながら突っ込んでくる。二人の距離が数センチほどになったとき、ゴードンがストレートを放った。セシルはそれとほぼ同時に身をわずかに傾け、それをかわし、ゴードンの懐に飛び込んだ。そして…
「終わりだ。」
黒い刃がゴードンの胸部を貫いた。心臓を正確に捉えている。ゴードンは瞳孔を開き、血の泡を吹きながら何か言おうと口を動かしている。セシルが『天識』を解除し短剣を抜いた。今度は傷が再生することなく、ゴードンの巨体は前のめりに倒れた。
「おのれ…こ…むすめが…」
ゴードンはそれだけ言うと二度と声を出さなかった。
「やっと、終わったか...」
セシルがゴードンの屍の側で息を吐いた。手にあった黒い短剣はいつの間にか消えている。相棒のクロが彼女のもとへ歩み寄る。コレットも安心したように笑顔を向けていた。
「セシル!ったく、ヒヤヒヤさせやがって!」
「うるさいな、お前だって大概…」
セシルの体が不意に崩れる。離れて見守っていたコレットが慌てて駆け寄ってきた。
「セシルさん!?」
慌ててセシルの体を支えるコレット。彼女の治癒では、傷は防げても体力までは回復しなかった。彼女は
「心配しないで、ただの貧血だから…」
そう言いながらセシルは自らの意識を手放し、体を支えることを放棄した。
セシルはかつて生態兵器だった。
『アルベリヒ魔道研究機関』、世界中にいくつもある闇の秘密結社の一つ。法の網をかいくぐり、軍事国家や犯罪シンジケートに売り込むために非合法な魔法研究を重ね、十歳にもなるか否かという歳の子供を各地で誘拐し、兵器として改造・調教する非人道的なプロジェクトにも手を出しており、その結果多くの子供たちが未来を奪われ、命を失った。
当時9歳であったセシルも被検体としてそこにとらわれ、虐待同然の改造実験を受けていた。被検体の子供たちにとって大人は自分たちを虐げる独裁者でしかなかったことだろう。しかし十年前、子供たちのリーダーであった彼女の他、十数名の子供たちが大人たちに反発、生態兵器としての力を発揮し、クーデターを決行。何人かの犠牲を強いられながらも脱出し、子供たちは追っ手をかわす中で散り散りになり、セシルは盗みを働きながら街の地下に暮らすようになった。
セシルはその暮らしの中で親を亡くしたばかりのクロと出会い、そして『ヴァナディス・ヘア』のマスターである師匠と出会った。当初は被検体であったトラウマから人間不信となり反発し、命すら狙っていたが、師匠とギルドの温もりに触れ更生。セシルによって存在を公表された『アルベリヒ』は彼女の師匠らを中心とした討伐隊によって壊滅した。師匠のもとで力をつけたセシルはともに用心棒としての仕事の傍らともに脱出した子供たちを探す活動を続け、その全員の無事を確認した。ただ一人、彼女の相棒で弟分でもあった少年、マリオンを除いては。
病院に運び込まれたセシルが目を覚ましたときには、今回の事件はあらかた片づけられていた。この街に攻めてきた『フェンリル』の兵士は検挙され、ゴードンの遺体も回収された。コレットもセシルの思惑通り憲兵に保護されることになりそうだ。バルム卿の屋敷はさすがにすぐにはどうにもならないようだ。セシルはベッドに寝転がりながら、その大まかな事情をクロから聞いていた。クロも床に伏してくつろいでいる。
「なるほど、大体終わったってわけね。あとはバルム卿に縁切られないかだけど…」
「それよか憲兵への言い訳だろ、屋敷のことはあのデカブツの所為にしときゃいい」
それもそうか、とセシルが嘆息する。身に降る火の粉を払うためとはいえ4人も殺しているのだ、あとで事情聴取を受けることになるだろう。うまく言わなければ自分まで犯罪者となる。それはどうあっても避けなければ。と、不意にセシルが話題を変える。
「ところでさ、あいつの言ってたこと、聞いたか?」
「どのことだ」
「マリオンのこと」
クロが首をわずかに上げ、セシルの方を向く。口ではどういうことかといいながら、大体言わんとしていることは予測がついていた。
「あいつは、マリオンの居場所を知ってるようだった。奴らの組織を追っていれば、マリオンの居場所をつかめるかもしれない。だから『フェンリル』を追う。」
彼女の意見はやはりクロの予想通りだった。クロはゆっくりと体を起こして彼女を見る。
「クロ、お前はどうする?気が乗らないならあたし一人でも…」
「ついていくに決まってんだろ、相棒。俺も、あいつらのやりたい放題は気に食わねぇしな」
その言葉にセシルはわずかに笑みを浮かべる。
「サンキュー、相棒。頼りにしてる。」
クロが、「頼ってくれなきゃ俺が心配で参りそうだ。」と笑った。セシルも「どういうことだ」と返す。子供の些細な喧嘩のような憎まれ口のキャッチボールがしばらく続いた。
翌日、セシルは退院し、バルム卿と市長に今回の騒ぎのことを詫び、憲兵の事情聴取を受けた後は、そのまま街を出るつもりでいた。幸い担当の憲兵は話の分かる人物で、聴取は滞りなく進んだ。事情聴取を終え、セシルが帰ろうとすると、不意に憲兵が呼び止めた。
「どうしました?質問にはちゃんと…」
「そうじゃない、君が保護したあの少女がこれを渡してくれとな。」
そう言って憲兵が取り出したのは、一通の手紙だった。コレットが書いたという。セシルはさっそく封を破き中身を取り出す。
『セシルさん、クロさん。
この度は、私を助けて下さっただけでなく、そのあとのことまで相談に乗って下さり本当にありがとうございます。本当は直接会って話すべきだと思ったのですが、故郷に送ってもらうことになっていて、一刻も早く出発しなければいけないので手紙という形にし、憲兵さんに届けてもらうことにしました。
さて、これからの私がどうするかについてですが、故郷に戻った後、もう一度魔法を修行し直してセシルさんと一緒に戦えるようになって戻ってこようと思っています。それまで私は、正直に言って指輪に関する事実からも逃げてばかりいました。でも見ず知らずのセシルさんが私のために命がけで戦ってくれているところを見て、自分も何かできるんじゃないかって思うようになったんです。あなたが暗い過去を経験して、その過去と決別しようと今も戦ってることを知ってからは一層そう思っています。だから、今度は私がセシルさんのことを助けられるくらい強くなって、セシルさんの過去と一緒に向き合えるようになりたいです。
本当にありがとうございました。お体に気を付けて頑張ってください。
コレット・フェリエ』
「なぁクロ、お前あのことあの娘に話してたのか?」
「どうしても、って言うんでね。」
セシルの鋭い視線を飄々とかわすクロ。セシルも面倒くさそうにため息をついてから、改めて憲兵に目を向ける。
「あたしからもコレットに伝えといてください。『あたしの方も君に助けられた。感謝している』って。」
セシルとクロは街を発った。激しい命のやり取りと、一人の少女との短い交流を経て、見つけ出した手がかりを追うために。自らの過去との折り合いのために。この日王国の空は穏やかな日差しに包まれていたが、その日差しは、果たして剣士の行く末が明るいことを指し示すものなのだろうか…
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。
続編も一応予定しているので、何とか時間を作って執筆出来たらなと思っています。




