第四話:仮面の権力者と、密室の罠
1
「……選挙買収、裏金、そして現職市議会議員の失脚。ねえ愛先生、これって一歩間違えたら、私たちが『国家権力』に消される案件じゃないですか?」
いつもの「蜂の巣」執務室。蜜嶋綾は、川崎市議会の重鎮・神崎茂に関する膨大な相関図をホワイトボードに描きながら、ガタガタとペンを震わせていた。
「消される? 面白い冗談ね。私を誰だと思っているの、綾?」
蜂須賀愛は、神崎の政治資金収支報告書を冷徹な目で見つめながら、優雅に紅茶を口に含んだ。
「神崎茂。表向きは『市民の味方』を公言するクリーンなベテラン政治家。だけど、裏では市内の建設業者から多額のキックバックを受け取り、選挙のたびに地元住民を公職選挙法違反の闇に引きずり込んでいる。……法律を自分の財布代わりに使っている奴は、私の最も嫌いな人種よ」
「でも、相手は警察や検察の幹部とも繋がっているという噂です。今回告発しようとしている内部告発者の元秘書さんも、怯えきってホテルに隠れている状態で……」
その時、ドアが開いて猶が上品な足取りで入ってきた。手には、今朝届いたばかりの格式高い封筒が握られている。
「愛、綾ちゃん、お喋りはそこまでよ。どうやら、向こうから先手を打ってきたみたい」
猶がテーブルに置いたのは、最高級ホテルのスイートルームで行われる『神崎茂・政治資金パーティー』の招待状だった。ただし、そこには直筆でこう書き添えられていた。
――蜂須賀愛先生。一度、二人きりで「今後の川崎の未来」についてお話ししたい。
「二人きりで、ですか!? これ、完全に罠ですよ! 呼び出されて、スキャンダルを捏造されるか、物理的に口を封じられるかに決まってます!」
怯える綾を余所に、愛は招待状を指先で弄びながら、冷酷で美しい笑みを浮かべた。
「いいじゃない。獲物が自ら『蜘蛛の巣』……いいえ、私の『蜂の巣』に飛び込んできてくれるのよ。丁重にその羽を毟り取ってあげるわ。――綾、パーティーのドレスコードに合わせた、最高に『趣味の悪い仕掛け』を用意しなさい」
2
川崎市内の超高級ホテル。煌びやかなシャンデリアの下、政財界の大物が集うパーティー会場の片隅で、愛は黒いイブニングドレスに身を包み、圧倒的な存在感を放っていた。
隣には、慣れないドレス姿でガタガタと震えながら、特製のアタッシュケースを抱えた綾が控えている。
「蜂須賀先生。よくぞお越しいただいた」
大勢の取り巻きを従えて現れたのは、白髪交じりの紳士的な男――神崎茂市議だった。その目は笑っているが、奥にあるのは冷徹な権力者の光だ。
「お招きいただき光栄です、神崎先生。それで、私と『未来の話』とは何かしら? 私の時間は高いのだけど」
「ははは、単刀直入でいい。……では、少し静かな場所へ移動しましょう」
案内されたのは、最上階にある完全防音のVIP特別応接室だった。神崎が目配せすると、部下たちが綾を部屋の外へ締め出そうとする。
「ちょっと、私はパラリーガルで……!」
「構わないわ、綾。そこで待っていなさい」
愛の一言に、綾は「ひゃいっ」と頷き、部屋の外に残された。扉が重々しく閉まり、室内には愛と神崎の二人だけになる。
神崎はソファに深く腰掛け、葉巻に火をつけた。
「単刀直入に言おう。元秘書が君のところに持ち込んだ、我が事務所の『裏帳簿』。あれを今すぐ私に渡し、告訴を取り下げろ。……そうすれば、君の事務所に今後の川崎市の公認弁護士としての地位と、現在の十倍の報酬を約束しよう」
「あら、ずいぶんと分かりやすい買収ね」
愛はクスリと笑った。
「断ればどうなるのかしら?」
「断る? 君は賢い女だ、そんな選択はしないはずだ。……仮に断った場合、君の最愛のパラリーガル、蜜嶋綾だったかね? 彼のスマートフォンの履歴から、大量の『機密情報漏洩』の証拠が警察に見つかることになる。もちろん、すべて我が方で用意した“本物”の偽造データだがね。一発で実刑、彼女の人生は終わりだ」
神崎は醜悪な本音を剥き出しにし、勝ち誇ったように笑った。
「いくら有能な弁護士でも、身内の犯罪までは防げまい? 力なき正義など、権力の前では無力なのだよ」
完璧な密室での脅迫。神崎は愛が絶望に顔を歪めるのを期待していた。
しかし、愛はゆっくりと髪をかき揚げ、鈴の鳴るような声で笑い始めた。
「くふふ……、あはははは! 面白いわ、本当に面白い。神崎先生、あなた政治家を長くやりすぎて、脳みそまで退化してしまったの?」
「何だと……!?」
愛はドレスの胸元から、小さな、しかし妖しく明滅するデバイスを取り出した。
「力なき正義が無力なら……『圧倒的な証拠』の前では、あなたの権力なんてただの紙屑よ。――綾、聞こえているわね?」
応接室の大型モニターが、突如として砂嵐を起こし、次の瞬間、現在の室内の映像が映し出された。そこには、神崎が「裏帳簿の隠滅」と「綾への冤罪工作」を堂々と語る姿が、完璧な音声と共に再生されていた。
「な、何だこれは!? この部屋は電波遮断が完璧なはずだ!」
神崎が驚愕して立ち上がる。
その時、応接室の重厚な扉が、外から勢いよく開け放たれた。立っていたのは、アタッシュケースから無数のコードを伸ばし、ノートパソコンを高速で叩いている綾だった。
「ふ、ふふん! 先生のドレスのブローチに仕込んだ『量子暗号化式』の超指向性レーザーマイクと、私の特製ポータブル中継器をナメないでください! ジャミング電波の周波数を逆探知して、わずかな隙間からこのホテルのメインサーバーに直接データを流し込ませてもらいましたぁ!」
恐怖で涙目になりながらも、綾はオタク特有の早口で、狂気的な技術力を誇示した。
「そして神崎先生」愛は一歩、神崎へと歩み寄る。その琥珀色の瞳は、冷酷な絶対零度の光を放っていた。「この動画、現在進行形で、あなたのパーティー会場の全モニター、さらには大手動画配信プラットフォームで『生配信』されているわ。視聴者数は、今この瞬間に30万人を超えたところよ」
「ば、馬鹿な……! 中止しろ! すぐに配信を止めろ!」
神崎は顔を真っ青にし、携帯電話を取り出そうとしたが、その手はガタガタと震えてボタンを押すことすらできない。
「手遅れよ。あなたの支持者も、あなたから金を貰っていた建設業者も、今頃一斉に証拠隠滅のために逃げ出しているわ。――表舞台で偉そうに踏ん反り返っていた働き蜂が、女王の逆鱗に触れたらどうなるか、その身でじっくり味わうことね」
愛は神崎の目の前に、告訴状を叩きつけた。
「明日、地検の特捜部があなたの自宅に回るわ。精々、檻の中で自分の『未来の話』でもしていなさい」
3
夜、嵐が去った「蜂の巣」法律事務所。
「乾杯! 川崎の巨悪を一人退治したわね、愛、綾ちゃん」
猶が、特製のカツサンドと高級ビールをテーブルに並べ、二人を労った。
「当然の報いよ。権力に胡坐をかいて、他人の人生を弄ぶような羽虫は、叩き潰されて当然だわ」
愛はドレス姿のまま、優雅にビールグラスを傾けた。
「うう、本当に心臓が破裂するかと思いました……。もしハッキングが1秒でも遅れてたら、私、本当に逮捕されて前科者になるところで……ああっ、でも愛先生のために命をかけるの、なんだか癖になりそうです……」
ソファで燃え尽きている綾が、危険な笑みを浮かべている。
「相変わらず気持ちの悪い女ね、綾。でも、今回の仕事は完璧だったわ。褒めてあげる」
愛が綾の頭を、ヒールの先で軽くツンツンと突くと、綾は「ひゃんっ!」と歓喜の声をあげた。
「さあ、お母様、綾。休んでいる暇はないわ」
愛は、すでに新しく届いていた「次の獲物」のファイルを広げた。
「次は、川崎の医療界。大病院の医療ミス隠蔽と、それに加担する製薬会社の黒い噂よ。人の命すら金に変える悪党たちが、私たちの巣の周りで蠢いているわ」
愛は冷酷に、そして誰よりも美しく、夜の街を見下ろして微笑んだ。女王蜂の次の標的は、すでに決まっている。




