10 新しい恋(最終話)
オリーブは未だ平常心に戻れないでいた。
逃げ出したのはいつもと違う異性との予期せぬ接触に驚いたからだ。他意は無い。
なのに。驚いただけだというのに、未だ心臓は痛いくらい打ちつけていて、ヴェルドに抱き上げられた、あの時の比ではないのだ。
おかしい。
いつも通りに過ごせば、いつもの自分に戻れるはずだと思い掃除を始めたが、それは一向に収まる気配がない。
「見つけた」
背後から掛けられたシトロンの声に、ドキリとする。
「い、いつものお茶ですよね。少々お待ちください」
ちょうど休憩の時間だ。
シトロンと顔を合わせられなくて、オリーブはそう言って簡易キッチンに入る。
(彼は五つも年下で、弟みたいなものなのよ。
それに彼は私の理想には全然当てはまらない)
心の中でそう繰り返しながらお茶を淹れる。
「今日のお茶はちょっと渋いな。これって、オレを意識して動揺してるってこと──」
少し喜色混じりのシトロンの言葉に、オリーブは青ざめた。
「え!?私、蒸らし時間を──お待ちください。今すぐ淹れ直します!!」
慌ててキッチンに戻ろうとするオリーブの手を、テーブルに腰掛けたままのシトロンが掴んで引き留めた。
そのゴツゴツした意外と大きな手に、先ほどジェードから守ってくれたときの背中を思い出す。
そう、オリーブの理想には程遠いはずなのに、何故か大きな安心感を与えてくれたあの背中だ。
そしてつられて思い出すのは、“過度な接触”──。
(わ、私ってば、折角落ち着いてきたのに──!!私より五つも年下の彼に何を──)
傍目から見れば全く落ち着いてないのだが、そんなことを思いもしないオリーブは真顔でその手を放してもらおうとシトロンを見た。
「っ!」
オリーブが言葉に詰まる。
簡単なことだ。
──シトロン様、むやみに女性に触れてはいけません。
いつも通り、そう言えばいいだけ。
なのにオリーブを見つめる彼の雰囲気が、何もかも見透かしたような視線が、余裕さえ感じるその微笑みが──彼のすべてが『可愛らしい弟』の範疇から逸脱していたのだ。
「君は──」
いつもの愛称ではない呼び掛けに感じる物足りなさに、オリーブは気付かないふりをする。
これが、正しい形なのだ。
「頭で色々考えるタイプだね。言葉が足りないって言われたことがあるだろう?」
シトロンのその言葉に、オリーブは辺境を出た日にエボニーに言われたことを思い出した。
『オリーブさまには次に恋するとき、気持ちを言葉にすることをお勧めします』
(こ、恋じゃないわっ!彼は五つも年下なのよ!!)
「でも大丈夫。オレには君の気持ちが手に取るようにわかるから、そんなことは気にせず、安心していい」
「え?あの・・・」
「今の君は、オレのことを意識して、取り乱している」
シトロンはオリーブの胸の内を知ってか知らずか、そんなことを言ってきた。
意識──?五つも年下の男性を?
オリーブはシトロンを見ていられなくなり、思わず顔を伏せた。
「あとはオレが年下だということを気にしているし、オレの体型が好みと反することを言い訳にして、可愛らしい弟だと思い込み、平常心を保とうとしている。──当たっているだろう」
(違うわ。本当に弟のようだと思って・・・なのに今日のシトロン様はどうしたというの・・・!)
シトロンは満面の笑みを浮かべると、伏せられたオリーブの顔を覗き込んだ。
いつもの穏やかな彼女とは違う。
真っ赤に染まった顔は、シトロンを意識し、動揺している証拠だ。
そして、シトロンは彼女を落ち着かせるように優しく語りかけた。
「そもそも、君の年齢は会ったその日に知っていたよ。そもそも人を年齢で好きになるわけではないのだけれどね。君のことは調べさせてもらったんだ。
もうそんなに成長しないと思うから、君を隠してあげられるくらい大きな身体は、手に入れることは出来ないけれど、君が安心できるまで抱き締めてあげることは出来るし、まだ知らなくていいけどオレには君を守るだけの力も覚悟もある」
引き留めるためにシトロンに掴まれたはずの手。その指がオリーブの細い指に絡まり、その端正な顔貌からすっと微笑が消えた。
その年下とは思えない真剣な瞳に射貫かれ、オリーブの息が止まる。
シトロンの囁きには不穏な言葉が混ざっていたけれど、オリーブにそれを気にする余裕などなかった。
(やっぱり、リブにはこっちのオレの方が効果的らしい──)
シトロンはそんなオリーブの様子に心の中で口角をあげた。
シトロンは侯爵家の後継になるため、直にこの宿舎を出なければならない。
その時、ここにこんな状態のオリーブを置いていくつもりはないのだ。
「だから安心してオレのことが好きだと認めて楽になれ──オリーブ」
その言葉に宿る響きは、懇願ではない。
彼が口にする名も、愛称ではない。
慣れ親しんだ気安い雰囲気でもない。
深く絡み合った指と指、不意に低い声で囁かれた自身の名前。
これまでオリーブがどんなに夢見ても与えられることがなかった愛の言葉──。
顔を上げたオリーブが、その瞳に揺れる雫ごとシトロンの腕に永遠に捕らえられるまで、あと少し──
(おしまい)
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***Debby




