1 新しい職場
「メイズ伯爵令嬢、色々手配して頂きありがとうございました」
「いいえ。お礼ならキャナリィ・ウィスタリア侯爵令嬢にお願いします。私は頼まれただけですから」
学園生の時に住んでいたとはいえ王都は辺境より雑多な印象で、正直オリーブは不安でいっぱいだった。
しかし王都に着いた途端、このクラレット・メイズ伯爵令嬢が現れ、宿の手配に仕事先の手配と、あれよあれよと言う間に整えてくれたのだ。
「あぁ、でもキャナ様はブラッシュ辺境伯令嬢に頼まれただけなので礼は不要だと申しておりました」
世話になったのにこう言っては何だが、オリーブはこのメイズ伯爵令嬢のお堅いところが少々苦手だなと思っていた。
かなり年下のはずなのに、海千山千の古狸と対峙している気分だ。
ウィスタリア侯爵令嬢の話題になった時だけみせる表情の柔らかさがなければ、オリーブは緊張で満足に会話が出来なかったかもしれない。
これで将来この国一番の規模を誇る商会の跡取り娘と言うのだから分からない。あのエボニーも商会の娘だと言っていたが、この様に無表情で客商売が成り立つのだろうかと心配になる。
しかし、たとえ礼は不要だと言われても、そういうわけにはいかない。
これから住み込みで働くことになるオリーブは自由が利かないし、このクラレットもキャナリィ・ウィスタリア侯爵令嬢も学園の三年生であるため、会うことはほとんどないだろう。
レィディアンスにお礼の手紙を出す勇気はまだ持てないが、キャナリィには落ち着いたらすぐにお礼状をしたためようとオリーブは思った。
*--*--*
「ここが新しい私の職場・・・」
メイズ伯爵令嬢に手配してもらった馬車から降りたオリーブは、高い塀に囲まれた目の前の大きな建物を見上げ、思わず呟いた。
王国騎士宿舎──主に貴族出身の戦術や剣術などに長けた者が集う王国騎士団の、その中でもまだ若い独身の騎士が生活を共にしている宿舎である。
基本的に貴族の後継は騎士にはならない。その為、王国騎士団に所属する者は“貴族”と言っても二子や三子が占める。
彼らは継ぐ爵位は無いものの、高給取りで将来的に騎士爵を賜る可能性があるため独身の女性にそれなりに人気がある。
そんな彼らの生活の補助──とはいっても家事や洗濯は下働きがするため、騎士の利用する共用スペースの掃除や、お茶の提供が主な役割だ──をするために雇われる「侍女」という職業はかなり人気がある就職口だ。
しかし「王国」の名を冠するだけあって、宿舎の中とはいえ機密情報が全くないとは言えない。その為宿舎で働く者の中でも騎士と直接接触する職種の者は、皆身元の確かな貴族でなければならないと決められている。
もちろん働き手も貴族家の二子や三子が多く、良縁を求めて就職する者も少なくない。
休憩中なのだろうか、ちょうど騎士たちと飲み物やタオルを持つ令嬢らが語らっている姿が遠目に見えた。
「──細いわね」
それに若い。
エボニーに言われた「新しい恋」。
適齢期は過ぎようとしているが、オリーブだって未婚の令嬢だ。王都での就職口が王国騎士宿舎の侍女に決まったと聞き、少しも期待していなかったと言えば嘘になる。
しかし、辺境の騎士に比べ王都の騎士は──市井で流行っている小説の言葉を借りれば『細マッチョ』だ。筋肉隆々の男性を好んでいるわけではないが、オリーブは抱きしめられたら守られているのだという安心感を持てる程度には大きな身体の男性を好んでいる。
──そう、ちょうどヴェルトのような・・・。
そう思い、自嘲気味に笑う。
「こんにちは。新しく採用になった方ですか」
もう手が届かなくなってしまったヴェルトの幻影を振り切り、オリーブが宿舎に向かって歩き出そうとしたとき、後ろから声を掛けられた。
「え?」
振り返ると、そこには騎士服に身を包んだ少ね──いや、青年が満面の笑みを浮かべて姿勢よく立っていた。
オリーブよりは背は高いが、ヴェルトのように見上げるほどではない、辺境の男たちに比べると随分小柄な、端正な容姿含め、可愛いという言葉がぴったりな男だった。
とても笑顔を返せるような心境ではなかったが、これから長い時をここで過ごさなければならない。折角声を掛けてくれたこの青年に嫌な思いをさせてはならないと、オリーブは無理やり笑みを作った。
「はい、今日から侍女としてこちらでお世話になります」
「はは、お世話になるのは俺たちの方ですよ。オレ、シトロンって言います。あなたのお名前をお聞きしても?」
「──オリーブ・マルーンと申します」
「かわいい名前ですね?オリーブって、呼んでいいですか?」
突然そのようなことを言われ、オリーブは驚いてしまった。
(初対面なのに名前で呼ぼうとするなんて!)
一体どういうつもりなのか。その後も初対面だというのに、この青年はグイグイ話しかけてくるのだ。
長くヴェルトに片思いしており、あまり男性と接した経験の無いオリーブはこのあり得ない提案に目を白黒させた。
「だっ、駄目に決まっています!!初対面の女性になんてことを──!失礼しますっ!」
オリーブはそう答えるとトランクを抱え、建物へ逃げ込もうとした。
が──
「ここでお会いしたのも何かの縁。お手伝いしましょう」
気が付いた時にはオリーブの重いトランクは、既にシトロンの手の中だった。
*――*――*
目をギラギラさせ、まるで肉食獣──。
シトロンが宿舎勤めの侍女に持っている印象がそれだ。
騎士はその業務内容から婚期を逃す者が多い。
その為独身者の集まる宿舎に婚約者のいない貴族令嬢を侍女として雇い入れるのは、騎士の婚姻率を上げるための苦肉の策だということは理解している。
そんな背景から、はじめから騎士に見初められることを目的としてやってくる令嬢がほとんどであるということも、分かってはいるのだ。
その日も自分たちの仕事を放置し、暇さえあればお目当ての騎士の訓練を見学している令嬢たちに辟易し、休憩時間になった途端に訓練場を離れたシトロンは、重そうなトランクを抱えて宿舎に向かう令嬢を見つけた。
小柄で華奢な彼女は、どこか心細そうな瞳を伏せ、トボトボと歩いていた。
これまでやって来た侍女志望の令嬢の誰とも違う。
そんな彼女がふと視線を休憩中の騎士とそれに集る侍女たちに移した。
(あぁ、彼女も婚約者探しの令嬢か・・・)
シトロンがそう思って立ち去ろうとした。
しかし彼女は何かを呟くと、諦めたような表情で再び宿舎に向かって歩き出したのだ。
これまで宿舎に侍女希望でやって来た令嬢とは何かが違う。
胸に湧き起こるのは淡い期待。
(彼女はこれまでオレが出会ってきた令嬢とは違うのかもしれない──)
だけどそんな想いとは裏腹に、「彼女だって騎士に声を掛けられれば媚びるような笑みを浮かべるのではないか」。そんな、落胆を恐れるが故の予防線を準備している自分もいる。
シトロンはそれをはっきりさせるために彼女に声を掛けることにした。




