22.黄昏時の隣人は去る
広大な大地に伸びる一本の舗装された道が、淡々と続く。
にわかに星の数が増して来た夕暮れ色に照らされて、色調の失せる最後の瞬間を彩っている。
フラムの運転する紫電石車内は、至って静かなものだった。
どうにかしてでも会話をするほど、盛り上がるような話題もなかったせいだ。あるいは、エイミーがずっと遠くの空に視線を留めたまま、黙り込んだせいもあるかもしれない。
随分と長い事そうしていたから、少しばかり居心地が悪かったのだろう。何気なくフラムが付けたラジオからは、微かな砂嵐と共に、ピアノの独奏がしっとりと奏でている。
「……そういえば」
ふと、エイミーは振り返った。なんだと言わんばかりに、視線だけがちらりとこちらを伺う。
「私とはぐれた時、貴方一体どこに居たの?」
エイミーとしては何気なく聞いてみただけだったものの、彼にとってはそうでもなかったらしい。チッと彼女に聞こえるか聞こえないかくらいの音で舌打ちしたのを、エイミーは聞き逃さなかった。
「悪かったな。あんたが勝手に走り出すから、見失ったんだよ」
溜め息と共に告げられた言葉に、エイミーは眉を吊り上げる。
「もしかして……フラム。方向音痴?」
「しばくぞ。てめえが攫われたんだろ」
「私が?」
予想していなかった言葉に驚かされて、思わず目を瞬かせた。面倒くさそうな顔をされても、聞かずにはいられない。
フラムは仕方がなさそうに、肩を落とした。
「心当たりは有るだろ。あんたにどうしても、見て欲しかったみたいだったから」
そこまで言われれば、心当たりも有った。あっと声を上げた彼女に、ほら見ろと言わんばかりだ。
「そう、それで……。それは、その、父の愛馬が迷惑かけたね」
「構わないさ。お蔭でミラージュが隠れている場所が解った」
元々そのためにあんたは居たんだから、とまで言われては、流石のエイミーも眉を寄せた。
「私は撒き餌だって言いたいの?」
「確認するまでもなくそうだろ。実際、あんたの協力が無かったら、俺はあいつにたどり着けなかった」
「あ、そう」
どことなく面白くないと感じて、唇を尖らせてしまう。そんな彼女に、フラムは仕方がないだろうと開き直った。
「あいつはあんたの記憶に残っている場所に逃げた先で、そこに残ったまま放置されていた、あんたのご両親の『物語』も拾ったんだろうよ。
何が厄介かって、つながりのある物語程、あいつにとって逃げやすいものはない。だから、一度あんなに近くに居たのに、気が付けなかった」
「……両親の『物語』が、回収されていた?」
「ああ」
「故人の記憶が物語同様に襲ってくるなんて、聞いていないよ?」
「悪かったって言ってるだろ。普通は有り得ねえよ。
けど、だからこそ、あんたのところの愛馬が迎えに来たんだろうな」
「悪いなんてひとっことも言われた覚えないけどね。まあいいや」
でも、と感嘆の溜め息が零れていた。
「なら尚更、彼もきちんと弔ってあげないとなあ」
あのまま何もない場所に野晒しにしておくのも可哀想だからねと、苦笑した。芋づる式に、やらなくてはいけない事が口を突く。
「まあまずは何はともあれ、戻ったらすぐにでも父と母をこんな目に遭わせたあの商人たちを捕まえるべく、根回しをしないとだ」
「はは、何だか嬉しそうだな、あんた」
「まあ、ね。状況は全く嬉しくなんてないんだけど……。
せめて、一矢を報いてやるつもりではいるよ。やられっぱなしは、どんなことでも我慢できない性質でね」
「負けん気が強いこった」
「褒め言葉として有りがたく頂戴するよ」
エイミーが挑戦的に笑いかけると、フラムも吊られたのか、険しい表情が一瞬緩んだ。思わずじっと、見てしまう。
「君もそうしていたら、少しは親しみやすいのに」
「あ?」
気が付くと、考えていた事がそのまま口から出てしまった。途端に、不機嫌そうな表情が蘇ってしまう。あまりにも転身が速いから、エイミーは噴き出してしまった。
「いや、何でもないよ。気にしないで」
「誤魔化しても聞こえてるぞ」
「ふふふ。さあて、帰ったら取りあえず、口うるさい同僚の口封じに、なにか手土産を用意しないとなあ。何がいいか……」
凄むような低い声を躱して、エイミーはまた遠くに視線を戻した。
「ああ、君にも世話になったからね。お礼しなくちゃだ。甘いものとか好きかな」
「礼が欲しくてやった事じゃねえ、言っただろ、俺は俺の仕事をこなしているに過ぎないってな」
わざとらしく振り返ると、返って来た答えは予想の範疇だった。しかし、ここで引けるエイミーでもない。
「そうだとしても、私がお礼をしたいんだ。君が無理やりながら私をこの地に導いてくれたから、私は私を取り戻そうと思う事が出来た。その事を感謝してもいいだろう?
受け取ってくれるくらい、別にいいじゃない」
「ミラージュが引いた今、あんたと会う理由も必要もねえよ」
「全く、素直じゃない男だなあ、君は。ここまでカタブツだと最早病的だね。カタブツと言うか、冷血漢って言った方がよさそうだ。人の心を一体どこに置いて来たんだい?」
エイミーが焚き付けても、今度こそフラムの表情は変わらない。その頑固さに辟易としながら、思わず溜め息を零した。
「本を読んでどきどきとか、わくわくとかどうのって言ってたけど、君自身はそういう経験あるのかい? フラム」
じっとりと伺うも、黙りこくったフラムから答えは得られそうにない。
この様子だと、当人が例に挙げていた気持ちの動きもあまりなさそうだと、判断するのは容易かった。
「君って奴は、女の目線から見ても可愛くないね」
つまらなそうに外に目を向けながら呟くと、しれっと鼻で笑われるだけだった。
「そいつは行幸。ほら、もうつくから少し黙れ」
「やれやれ。ほんと君は、横暴だね」
気まずさとは違う、軽口を言い合える気軽さが、今度はあった。
にわかに建物が現れた。故郷と比べて、見上げることが出来るほどの大きな建物が増えてくる様子に、漸く自分の街と定めた場所に戻って来たのだと実感する。エイミー自身、ほっと息を吐いていた。
「ほらよ」
やがて、紫電石車はゆるやかに停車した。
そこは、彼女にとって最早馴染みとも言える仕事場だ。未だ明かりの灯るそこに、誰が残っているのかなんて考えるまでもなかった。
「ありがとう、フラム」
お礼を言いつつ降りていたら、背後で人の気配があった。
「ルフロッテ!?」
「ニコラ――――ぐうっ!」
振り返ると同時に、全身に衝撃が走る。首元を締めにかかって来た姿に一瞬息が詰まった。
「無事でよかった」
「や、め……!」
きつく抱きしめられて、あまりの苦しさに背中を叩く。すぐにはっとしたニコライは、ばつが悪そうにその腕を離した。
「あ、悪い」
「ちょっと、少しは加減してっていつも言っているよね?」
ぱっと離されたものの、まだ圧迫されている様な感覚にエイミーは腕を擦る。同時にニコライの言葉の違和感に気が付いた。
「……心配した、って?」
「当たり前だろ! 男になるなんて誰が想像つく?
思うところがあるなら、ちゃんと言え。何年一緒に居ると思っているんだ! 少しは頼れ、このバカ!」
ヒヨコ豆でも丸々飲み込んでしまったかのような変な顔をするのは、今度はエイミーの番だった。思わず、フラムの方を振り返ってしまう。
どう説明したらいいのか解らなくて、助けを求めかったからだ。
だが、フラムはフラムでフォローを請け負う気はないらしい。ひょいと片眉を吊り上げただけで車に乗り込んでしまう。
「ちょっと、フラム・リドリー!」
「精々がんばれ。
ああ、それと。もう、阿呆な事は考えるなよ」
ひらひらと手を振ると、自分は関係ないと言わんばかりの態度を取る。
その口ぶりは、まるでエイミーが全面的に間抜けだと言わんばかりだった。
「ちょっと君ね、前にも言われていたけど、女性に向かって阿呆は無いでしょう? 言われなくても、もう大丈夫だよ」
思わずムッとして答えたら、フラムは唇の端を吊り上げて微かに笑った。
「じゃあな」
「ああ。君にも世話になった。ありがとう」
紫電石車はすぐに出された。別れの余韻なんて無い。
後日改めて伺うからと言い添えたにも関わらず、結局取り合った様子もなかった。その頑固さに、エイミーは肩を竦めた。それもまた、彼らしいと言えばそうかと思ってしまう自分が可笑しかった。
そして、長い一日が終わった。




