21-2
「回りくどい事はやめようよ。君が欲しいのはこっちだろう? フラム・リドリー?」
ぱっと手品のごとくその手にしていた小さな本を消すと、トーキィは懐を探った。
そこから、真っ黒な装丁に赤い字でタイトルが書かれた本を見せる。題字は潰れ、文字が書いてあるらしいという事しか伺えない。
何処となく重厚感を放つそれに、エイミーは自然と生唾を飲み下していた。
「それは……?」
恐る恐る尋ねると、トーキィはにっこりと笑う。
「何だろうね、エイミー?」
「そいつの物語だ」
あっさりと告げたフラムに、トーキィが頬を膨らませた。
「ちょおっと、君はどこまでもムードを壊してくれるね。面白くないなあ、もう。ここはできるだけ引っ張って、彼女をやきもきさせるところでしょう?」
「知るかよ」
吐き捨てるように告げられた、流石のトーキィもむすっと不貞腐れた。
「あーあ、やだやだ。興醒めしちゃった。だから君が嫌いなんだよ、フラム?」
「はっ! 安心しな。てめえに好かれようと思ったことは、一度としてないからな」
「なら、もうさっさと終わらせてしまおう? 僕も、君と話すのは楽しくないもの」
つんっとそっぽ向いた様子は、完全に拗ねた子供だった。
もちろんそんな彼の様子に、フラムが気遣いを見せる事も、筈もない。唯一エイミーが、二人の間で眉尻を下げながら伺っているだけだ。
そんな彼女を見定めたトーキィが、悪い事を思いついたように唇に弧を描いた。
「物語のお終いと言えば決まっているよね。
『こうしてエイミーは、悪いいたずら者を倒して、見事、女の子の自分を取り戻すことが出来ました。めでたしめでたし』ってね」
「え、待っ……」
そう言うや否や、トーキィは真っ黒な装丁の本をエイミーに投げてよこした。
二度目とあって、慌てる事無く掴んだ。しかし、手の表面の水分を奪うようなざらりとした手触りに、首筋の産毛が立ったのが解った。
表紙はやはり、読む事どころか、元がどこの言語のものだったかも推し量る事は出来なかった。
恐る恐る中身を伺うも、まるでインクの中に沈めたかのように、中の紙まで真っ黒だ。
手に持って重みをわずかに感じる程度のハードカバーは、彼女を圧倒した。
渡されたものをどう扱えばいいのか解らなくて、そっと視線を上げた。
「私にこれを、どうしろって言うの」
「本当はねえ、綺麗に背表紙から剥がしてもらったあとに、丁寧に丁寧にバラバラにしてもらった方が、僕も気分がいいんだけどねえ。生憎、隣がそれを許してくれなさそうだから、適当に破っちゃって?」
「でも、それは……」
あまりにも気が引けた。
エイミー自身に、彼を恨むような感情はない。人を揶揄った楽しむような性悪さには不快にさせられても、その程度に過ぎない。
「あはっ、ほんと、君はやさしーね? でもさあ、フラムにどうにかされるよりも、君にやってもらった方が僕も気分もいいし?
それにどうせ、それは僕の写本。壊してもらったところで、今、君の目の前にいる僕が姿を消すだけさ。本体は別のところに居るし、代わりもついでにいくらでもある」
そうだよね、と。珍しくトーキィはフラムに振った。
フラムは忌々しそうに舌打ちす。
「現状は、な。だが、必ずてめえは捕まえて、然るべき場所に戻ってもらうさ」
「モグラたたきがお好きな君は、そしたら暇になってしまうね」
「馬鹿言え。手のかかる奴がいなくなれば清々する」
「酷いよねえ。長い付き合いの筈なのに、この言い草ってあんまりだと思わない?」
尋ねられても、エイミーには正否だけでは応えられない問だった。
「迷うなら、こちらに渡せ。あんたが責任だの申し訳なさだの、感じる必要はないからな」
差し出された手を伺って、エイミーはその手に目を落とした。
委ねれば、つつがなく彼は片づけてしまうだろう。だが、それだけでは何か困ると、もの寂しさがあった。
その正体に、間もなく気が付く。ぱっと顔を上げて、彼女がどうするのか伺っている目と合った。
「トーキィ、君には感謝している。ありがとう」
まさかそんな事を言われるとは思っても居なかったのだろう。きょとんとした表情が、言葉の意味を図りかねて首を傾げる。
「え、なんで?」
「さあ。ヒーローが活躍するには、悪さをするいたずら者も必要だって事だよ」
ただ、エイミーには理由をそれ以上言うつもりはなかった。不思議そうにしたトーキィは、それならそれでいいかと早々に肩を竦めた。
「物好きだねえ」
「さあて、悪い子には、そろそろお暇してもらおうかな?」
まだ苦笑しているトーキィに、エイミーが今度は笑いかける。
適当なページを開いて、背表紙を断つように力を入れる。
紙の束を手でちぎるような行為をしようとしているにしては、その手ごたえは女の力でもどうにか出来るほどに、あまりに軽かった。
「それじゃあバイバイ」
びりっと軽い音を立てて、真っ黒なその本は真っ二つに断ち切れた。
途端、目の前の姿も同じように肩から腰に向かって破け、ふっと幻のように消えた。
手にしていた筈の本は、火にあぶられた煤のごとく、ハラハラと散って消え、跡形も残らなかった。
呆気なく、すべてが終わった。
散った煤が風に攫われていくのを、彼女は見送る。少しだけ、寂しさだけが残った。
「これで、よかったのかな」
ぽつとこぼれた問いに、フラムは答えなかった。
「帰るか。……送ろう」
代わりに、静かに声をかけてきたフラムを振り返ると、やはり眉間に皺を寄せていた。
そこで漸く気が付く。何か言わんとしている様な、それでいて、何と言えばいいのか解らないような。どうも、彼女への接し方に迷っている様子だ。
それが彼なりの気づかいから、どうにか声をかけようとしてくれているのに、慣れていないせいで困っているのだと解った。だからこそ、思わず笑ってしまう。
「頼むよ、フラム」
仏頂面は横柄に頷くと、さっさと背を向けてしまう。エイミーは思わず、その背中に向けて肩を竦めて苦笑した。




