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そら来たぞ、とエイリオはにやりと笑った。そんなエイリオに、フラムも呆れる。
「茶化すなよ。
本の虫が真実を知ったとは露知らず、クソガキは荒れ果てたその場所の向こうから、いそいそとやってきた。クソガキはそいつを見つけたと同時に嬉しそうに笑った。けれども、本の虫は――――」
「嘘をつかれて怒った?」
「いいや。静かに泣いた」
エイリオが意外そうに眼を見開いていると、フラムはもう一度頷いた。
「騙されたと知った本の虫は、泣いたんだ」
「どうしてまた」
「やかましく勧めてくるような話が本当にあるならば、世界は本よりもずっと、面白いのかもしれない。そう、希望を持ってしまったから」
「はは! そんなのただの、引き籠りの言い訳じゃないか」
思わず笑い飛ばしたエイリオから、フラムはそっと目を反らす。
「そうかもしれない。でも本の虫は、お話みたいな事実は現実では起こり得ないって、誰よりも深く理解していた。だからこそ……。
いや、まあそれはいいさ。
本の虫は、その場にいる事に耐えられなくなって、図書館に逃げ戻った。もちろん、クソガキも慌てて後を追った。本の虫を傷つけたかった訳じゃない、一緒に外に行きたかったんだってな。でも」
一息切った姿に、エイリオも息を呑んだ。
「クソガキの声は本の虫に届かなかった。
図書館に駆けこんだクソガキが見たものは、風もないのに千切れた本が舞っていた。追いかけるクソガキを、本の虫の元にたどり着かせまいと、行く手を阻んでいたんだ。
それだけじゃない。紙面に納まりきらなくなった文字たちまでもが、意思を持ったかのように、一斉に散ってクソガキの視界を奪っていった。
クソガキはついに、本の虫と本当に話したかった事を話す事も、会う事すらも出来なかった。
それどころかそれ以来、クソガキが図書館から出た形跡も見つからなかった。
そいつらが姿を消した後、図書館のあったその場所には、巨大な男や虹を運ぶ蟻が現れたと言う。
それからだ。嘘をつくと本から文字が逃げ出して、嘘は誠に、嘘つきは攫われると言われている」
締めくくったフラムに、エイリオは首を傾げた。
「つまり、その本の虫が……トーキィ?」
「いや、クソガキの方だな」
「え? どういう事?」
てっきりと口にしようとしたエイリオに、フラムは抑揚もなく告げた。
「本の虫が読んでいた沢山の本が、その時文字をなくした。その無くした文字を補い、もう一度本の虫に会う為に、他から文字を漁り、物語を奪う存在になったと聞いている」
「そう」
エイリオにも、思うところがあり口を閉ざす。噛み締めるように逡巡して、はたと気が付いた。
「で、なんで君が、その寝物語の主人公を追いかけているんだい?」
もう一度覗き込んでくるエイリオを胡乱に見る姿からは、出来れば忘れ去ってくれと言わんばかりである。
「言っただろ。放っておくと、あいつは物語を得るためにロクな事をしないから」
「それは聞いたよ。
そういう義務感じゃなくてさ、それでも君がわざわざ追おうと思ったきっかけとかさ、あるんじゃないかな。
……ちょっと? そんな面倒くさそうに煙に撒こうとしないでくれよ。中途半端は逆に気になってしまうよ」
期待に満ちた眼差しを向けられた、フラムの表情が引きつるのを見逃さない。エイリオがじっと待つと、観念した様子で溜め息をついていた。
「頼まれたんだ」
「誰に?」
「本の虫に」
「またまた。はぐらかさなくても、笑ったりしないよ」
「……ほらな」
フラムは露骨に冷笑した。
「だから、言っているだろ。元はただの寝物語だった。けど今は、ミラージュが現れた事で、実現した」
「ん?」
きっぱりと言われ、エイリオは記憶の中で照査した。堂々巡りをしている様な感覚に、頭を悩ませる。
「卵が先か鶏が先かの話に聞こえるのは、私の気のせいか?」
「気のせいだ。――――ああ、塔が見えたな」
フラムが顎をしゃくった先に、平野に佇む塔が遠くに見え始めた。一度それにつられてみたものの、エイリオはじとりとした目を隣に向けた。
「……仕方がないから、誤魔化されておこうか」
「そいつはいい」
横柄に頷かれて、面白くない。窓に肘をかけ頬杖をつくと、故郷の景色に思い馳せた。




