エピローグ
物憂げな表情でティーカップを傾ける友人が、エリオットは愉快でならなかった。
「どうしたと言うんだい? 全て君の望んだとおりになったじゃないか」
すると友人は心底嫌そうな顔を作って、足を組んだ。高貴な彼には信じられないが、今日はあまりの不機嫌で貧乏ゆすりがやまない。
自分の顔を見たくないのならうちに来なければいいのにとも思うが、ここへ来なければ彼はうっぷんを晴らせないのだろう。
「私は失念していたのだよ、友よ」
「何をだい?」
「君に義兄と呼ばれることがいかに不快か、想像もしたことがなかったので恐ろしいことだ。最悪の気分だよ」
めらめらと瞳の内に燃える炎は怒りと言うより嫉妬の色をしている。
エリオットは、こんなに感情的な彼が面白くて面白くて、もうしばらくとぼけることにする。
「そりゃあ、僕と君の妹は心から愛し合っていて、ほとんど結婚も決まっているのだから、僕は君を義兄さんと呼ぶのが普通のことだよ」
「ほとんど決まっているではなく、ほとんど決定させたの間違いだろう。思えば君は昔から、私の欲しい物や大事な物を奪っていくな」
友人は指を折って挙げていく。
学校での最優等の称号。寮での監督生の地位。そして果てには、大事に大事に可愛がってきて最愛の妹。
妹のことを言ったところで、友人の瞳は今度は悲しみに揺れた。
「今日は私の誕生日だった」
「ああ、知っているとも」
だから、君が訪ねてきてそうそうワインと祝いの言葉を贈ったじゃないか、と言うと、友人はそれについては礼を言ってきた。
「しかし君、私が妹からプレゼントをもらった時の気持ちがわかるか」
「それは嬉しかったろう? 先週の僕の誕生日にも彼女からプレゼントをもらってね。一生懸命自分で編んだマフラーはあまりの上達ぶりに驚いてしまったよ。それは幸せなひと時だったけれど、また僕の方が年をとってしまったのは痛い。なにせ君の妹は若い」
ジョロジョロジョロと、変な音がした。
水が落ちる音だ。
雨でも降って来たのかと思えば、それは友人がカップを傾けすぎて紅茶が床にこぼれる音だった。
僕は掃除も自分でしなければいけないと言っているのに。染みを抜くのは面倒くさいんだぞと小言を言ってみる。
「君はあの子が自ら作った物を貰ったと言うのか……!」
「それと一緒にチョコレートケーキも作ってくれたね」
「う……ぐ……っ」
獣の様なうめき声をあげる友人を見てつい声を出して笑ってしまった。
「ちなみに私がもらったのは……っ! 万年筆だ……っ!!」
「実用的でいいじゃないか」
拳を握った友人は、それをテーブルに叩き落すのかと思うと途中で止め、何を思ったか自分の額に叩きつけた。
気でも狂ったかと心配になる。
「エリオット……っ! あれは……っ、あてつけか……っ! うぬぼれるな、あの子の理想の男性像は私だ……、そうに決まっている……っ!」
「君のその自信はどこから生まれてくるのだろうね」
彼が何を嘆いているかなんとなく想像はつくが、あえて自分から言ったりはしない。
「君……、いや、貴様は、私の誕生日を口実に利用しあの子のプレゼントにまで介入してくるとはどういうつもりだ……! 私の気持ちが君にわかるはずもないだろうな。『今年のプレゼントは私と……エリオット様と、二人で選んだの……』と頬を染め恥じらうあの子を見た私の気持ちがわかるか。何故めでたい日にまで妹を奪われたことを再確認しなくてはならない……!」
「利用できるものを利用するのは当然だよ、親友。僕は根っから善人なわけじゃない。君の妹にさえ善い人、優しい人と認識してもらえればそれでいっこうに構わないからね」
額に当てていた拳は、膝の上に勢いよく落とされ、エリオットは痛そうだなと顔をしかめる。
「君がそういう人間であると忘れていた」
「それはまったく、うっかりしていたね、義兄さん」
「やめろ」
ちらりと時計を見ると、もう日付が変わりそうだった。
エリオットの様子に気づいた友人は、冷静さを取り戻し、少し申し訳なさそうにする。
「明日は早いのか? 日曜日だろう」
「ああ。明日は大事な約束があるんだよ」
もう回復して、彼女も大分遠出できるようになった。ずっと保留にしていた約束をようやく果たせる。
「最高の散歩コースをプレゼントする約束なんだ」
「そうか。そういえば私の妹も明日は散歩の予定が入っているらしい。そして私も明日は大事な仕事があるので、そろそろ帰るとしよう」
明日は日曜日なのに、君は仕事かい? なんて野暮なことは言わない。この友人にも子爵家の跡取りとは別に一人の男としてやらなければいけないことが残っているだろう。
「では、今夜は義兄の春を祈りながら眠るとするよ」
「余計なお世話だな。……エリオット」
なんだい? と肩をあげて答える。
「ありがとう。君には感謝している。それと」
妹をよろしく頼む。
そう言った友人は少し泣きそうに微笑んで帰っていった。