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『海』


「海だーーーーーーーー! 」


 青空の下、波打ち際で、莉々朱さんは両手をメガホンにして、海に向かって叫ぶ。



「ほら、太陽君もっ! 」


 莉々朱さんがはしゃぎつつ、手招きで俺を呼んでくる。


 俺は砂浜を通り過ぎる団体旅行に来た老人達や、幼い子供を連れた家族の旅行客の視線を感じ、


「いやー。その……」

 としり込みしてると、莉々朱さんは頬を膨らませ


「なにー、お姉さんだけに恥ずかしい思いさせる気? ほら! 」


 莉々朱さんの誘いに、俺はどうにでもなれ、と横に並ぶ。


 莉々朱さんが俺に向かって言う。

「行くよ、せーの! 


「「海だーーーーーーーーーーー!!」」


 声が木霊し、海と空へ飛んでいく。


 叫んだあとの爽快感で、莉々朱さんと俺は顔を見合わせ、吹き出し、笑い合う。





 俺と莉々朱さんは海に来ていた。


 昼に街の中央のバス停で待ち合わせた俺たちは、バスに揺られて三十分。


 海に面した砂浜から見える美しい景色で有名な観光地である、桂浜まで来ていた。





「ふふふ、こんなに綺麗な砂浜、見たことないわ! 」


 波打ち際を舞台に、打ち寄せる波と戯れながら、莉々朱さんは躍るように跳ねていた。


 純白のワンピースが日の光を浴びて、虹色に輝く。


 両手を頭の麦わら帽子に沿えて、向日葵のような笑顔を俺に見せる。


 それは、まるで地上に舞い降りた天女だった。


 一枚の絵画のような、非現実的なその光景に呆然としながらも、一生忘れることのないように目に焼き付ける。


「ねえ、太陽君も、おいで! 」


 招かれるまま俺は莉々朱さんの下に向かうと、莉々朱さんは屈んで、両手で掬った水を俺にかけてくる。


「な、なんすか! 」


 莉々朱さんは、何度も笑いながら、俺に水をかけてきて、俺も負けじと水を掬って投げ返す。





「ねえ、あの建物って? 」

 

 二人で波打ち際から砂浜を歩いている途中、莉々朱さんが指さした先を見る。

 松の並木の真ん中に、クリーム色の建物が見える。


「ああ、あれは水族館っすよ」


 と言うと、莉々朱さんの眼がキラキラと光りだす。


「行くわよ! 」


 駆けだす莉々朱さんに遅れないように俺は着いていく。

 二人でチケットを買い、水族館に入る。


「可愛いー!! 」


 莉々朱さんは目を輝かせ、目の前のペンギンに向かって、カメラを押しまくりながら、黄色い声を上げていた。


「こんなに近くで見れるなんて、本当に最高ね! 」


 莉々朱さんはうっとりとしながら、眼をハートにしてペンギンを見ていた。


「ここ、餌やりもできるみたいっすよ」


 脇にかかっていた看板を見て言うと、莉々朱さんの目の色が変わる。


「もちろん、やるわ! 」


 莉々朱さんはハンドバックから財布を取り出し、一目散にスタッフに声をかけ、餌をもらってくると、


「ほーら、お食べ―」

 と魚をペンギンに振ると、ペンギンが寄ってきて、その魚を食べる。


「可愛すぎるわよ、もう! ほら、君も!」

 とひたすら餌を上げまくり、俺も横で餌をやる。



 莉々朱さんが満足するまでペンギンに餌をやった次の場所へ向かう。


「ふふ。くすぐったいわ」

 莉々朱さんは、ドクターフィッシュが体験できるコーナーで、水槽に手を入れてくすくすと笑っていた。


 俺は莉々朱さんの横につき、同じように水槽に手を入れ、その感触に驚く。



 莉々朱さんと水族館を周りながら、俺は莉々朱さんの手を見る。


 莉々朱さんと手をつないでみたい。


 女の子と手なんて繋いだことない俺にとって、手つなぎデートなんてドラマや映画でしか見たことない。


 だけど、今ならできるかもしれない。


 だが、もしこれで嫌がられ手を振り払われたら、もうお終いだ。


 そんな堂々巡りの思考をしていると


 『もう大丈夫じゃと思うがのー』


 ヒル子が欠伸をしながら、眠そうに言う。


 「どうしたの。太陽君、急に止まっちゃって」

 莉々朱さんが眼の前で不思議そうに俺を見上げる。


 ええい、やるっきゃねえ!


「あ、あっちにオットセイがいるみたいっす。案内、しますよっ! 」

 と看板の方を指さし、俺は左手を莉々朱さんの右手で握り、歩き出す。


 振り払われるかとびくびくしていたが、不意に俺の左手が強く握られる。


 莉々朱さんが俺の横に並ぶと


「一緒に行きましょ」


 と言って、莉々朱さんは微笑んだ。


 俺は、嫌われてないことに安堵しつつ、並んで歩き出す。


『だから、言うたじゃろうが』

 ヒル子が如何にも可笑しそうに呟く。


 莉々朱さんと一緒に水族館をまわりながら、トド、アシカやオットセイが寄りそう姿を眺め、ウミガメに餌をやり、変な深海魚の標本を見て驚く。



「なんで水族館なのに、カピバラさんがいるんだろうね? 」

「た、確かにそうっすね」

 柵の中で、のんびりと昼寝をしているカピバラを見ながら、莉々朱さんは不思議そうな表情を浮かべ、頭をかしげる。




「どうしたの? 何だか疲れてる? くまもできてるし」


 と莉々朱さんが俺の顔を見て少し心配そうに言う。


「いやあ! その、今日の莉々朱さんとのデートが楽しみで眠れなくて! 」

 莉々朱さんを心配させないよう、大声でははは、と笑いながら頭をかくと


「それじゃ、居眠りしちゃう暇ないくらい、楽しまなきゃね」

 と莉々朱さんは俺の右腕に、両腕を絡ませてきて、俺の心臓が跳ね上がる。


 このままじゃ俺の心臓は爆発するに違いない。


『全く……ようがんばるわい。お主は』


 ヒル子が呆れ声を聞きながら、昨夜のことを思い出す。


 


 莉々朱さんに海に行こうと電話した後、家に帰った俺は、再び深夜に街へ向かった。


 ヒル子の言う通り、念のため街を見回るべきと俺も思ったからだ。


 だが、流石に一人では気が重かった俺は、エルピスのいる黄金樹の森から出る際、レグルスに頼むことにした。


「なあ、レグルス。もう一度、街を回るんだけどよ。着いてきてくれねえか? 」


 レグルスはめんどくさそうに欠伸をする。


 何とかレグルスを連れて行こうと、俺は転がっていたボールを拾い、今度は別のボールをあげることを身振り手振りジェスチャーで伝えようとする。


 レグルスは不満げに唸りつつも、エルピスを見あげる。


 エルピスが頷きレグルスの頭を撫でると、仕方なさそうに、ゆっくりと俺のリュックに潜り込む。




 夜中に再び街に出た俺は、昨日ほどではないにしろ、警察の警戒がある中、街の中心から、失踪の現場、そして怪物と遭遇したあの神社まで向かった。


 携帯でラジオを聞きながら、見回る。

 

 レグルスは背中のリュックの中で、眠そうに唸っていた。


『ああは言ったものの、ようやるではないか』

「てめえが言ったんじゃねえか。それに……やるっきゃねえだろ」

 強がったものの、俺は内心びくつき、怪物が出てこないことを祈っていた。


 睡魔に耐えながら、夜明けまで見回ったが、怪しげな場所で怪物に出くわすことはなかった。


 七時過ぎ、朝飯を食べるために寄ったファミレスのテレビで事件が起きていないことを知り安堵した俺は家に帰ると、待ち合わせの昼に間に合うよう目覚まし時計をセットして、仮眠をほんの少しだけとる。


 昼前に家を出て、待ち合わせ場所まで向かい莉々朱さんと合流した。





 水族館を一通り見終わった俺と莉々朱さんは水族館を出ると、俺のお腹が鳴る。

 

 莉々朱さんが口元を押さえて笑う

「お腹空いたんでしょ? お昼食べない?」

「う、うっす」


 二人で水族館の近くにあった観光客向けの店が入っている建物へ向かう。


 そこにあった飲食店を見ると、列ができていたので、一緒に並び、十五分程待った後、二人で店に入る。


 メニューを見て莉々朱さんが驚く。


 「見てみて! 貝のラーメンだって! 初めて見るわ!」

 と驚いていた。

 「莉々朱さんもラーメンとか食べます? 」


 「大好きよ! 醤油、みそ、豚骨何でも好きよ! 私、独りでも普通にラーメン屋行くもの」


 俺と莉々朱はメニューを見て、注文する。

 

 運ばれてきたラーメンとシラス丼のセットを二人で食べる。


「へえ! 貝のだしが効いてて、とっても美味しい! 」

「旨いっす! 」


 俺がシラス丼を頬張っていると、莉々朱さんが笑う。


「な、なんすか? 」


 莉々朱さんが向かいの俺まで身を乗り出し、細い指で俺の頬に触れ、電撃が走る。


「お魚、もーらい」

 

 と言うと、莉々朱さんが口に入れる。


 その指を口に含む仕草に、俺は鼻血が出そうになるのを何とかこらえる。


 お昼を食べた後、近くにあった銅像を二人で見上げる。


「近くで見るとすっごい大きいわね」

「っすね」


 二人で松の並木道を歩きながら、砂浜に戻ると、


「あそこにあるのは、何かしら? 」

 砂浜の端から見える小高い岩山を見て、莉々朱さんが尋ねる。


「あれは神社っすよ。パワースポットで有名だそうです」


「へえ。気になるわね。行ってみましょ! 」


 砂浜を歩き、岩場へと繋がる橋を渡り、岩山の階段を上ると、岬の上にある神社へたどり着く。


 神社の小さな祠の前で、莉々朱さんは手を合わせ、眼を閉じて、祈る。


 俺は莉々朱さんが祈り終わるのを待って 

「その、何を祈ったんすか?」


 と尋ねると


「内緒」


 と悪戯っぽく笑みを浮かべる。


 そしてそのまま、海を眺める。


「ほんとうに……綺麗ね……」


「ここから見える景色は、最高だって、そのおすすめされてて」


 と言うと、くすっと笑って

「ちゃんと、調べてくれたのね」


 俺は何だか恥ずかしくなって、ただ頷く。


「こんなに綺麗な景色見るの、生まれて初めてかも」


 莉々朱さんはそう言うと、俺に向かって微笑む。


「連れてきてくれて、ありがとね。太陽君」


 その淡い渚のような微笑みと涼やかな風鈴のような声に、俺は思わず


「当たり前っすよ。なんてったって」


 好きだ、と言いかけた俺は、慌てて口を閉じる。


「なんてったって? 」


 莉々朱さんがにっと笑みを浮かべて、俺の胸に近づいてくる。


「いやあ、その」

 俺は頭をかきながら、視線を逸らす。


「ふふふ」


 莉々朱さんと俺は、並んで柵の前で立ち、海を眺める。



 沈黙が漂うも、気まずさはまったく感じない。


 ただ、いつまでもこの時間が続いて欲しい。





 

 夢のような時間は、あっという間に過ぎていった。


 莉々朱さんは両腕をあげて、伸びをする。


「それじゃ、下りよっか? 」

「っす」



 莉々朱さんと俺は急勾配の階段を俺が先頭になって降りる。

「ここって、その、結構急なのね」

「そうっす。だから」

 気をつけてください、と言いかけた直後、海からの強風が吹いてくる。


「きゃっ」

 風が吹き、莉々朱さんがバランスを崩してよろけそうになる。

 

 俺は柱を左手で掴んで、慌てて上から倒れてきた莉々朱さんを胸で抱きとめる。


「あ、ありが……」


 俺の胸元で、莉々朱さんが顔を上げ、莉々朱さんの眼と俺の目が合う。


 莉々朱さんの瞳に俺が映るくらい近づく。


 莉々朱さんの瞳が揺れている。


 焦った俺はしどろもどろになる。


「だ、大丈夫っすか? 」

 

「う、ううん。なんでもないわ! 」


 莉々朱さんは慌てて、俺の胸元から離れると


「ほら、後ろつかえてるみたいだから、早く降りましょ! 」


 何だか上ずっている声をあげて莉々朱さんが言う。






 気づけば、空が段々と赤くなっていく。


 黄昏色の空が、海を照らしていた。


 莉々朱さんは砂浜にしゃがみ、俺に向かって手招きする。


 俺は莉々朱さんの横に体育座りをして、莉々朱さんと一緒に砂浜に並んで海を眺める。


「あっという間だったね」

 不意に肩に吐息と一緒に重さを感じる


 莉々朱さんが俺の肩に頭を乗せていた。


 俺は緊張で唾を飲み込み固まっていた。


 

 穏やかな沈黙の後、俺の肩から離れた莉々朱さんが俺の顔を見る。



 真正面から、莉々朱さんの瞳が宝石よりも輝く。


 瞳の奥の光が、俺の目をとらえて離さない。


「ねえ、太陽君」


「は、はい!」


「あなたといると、本当に、楽しいわ。まるで、幼い頃に戻ったみたいで……笑って、はしゃいで……」


 俺は莉々朱さんの言葉を黙って聞く。


 思い出を辿るような莉々朱さんの表情が曇る。




「私、明日には帰らないといけない」



 その言葉で、この夢のような時間が、何処かへ去ってしまったことに気づく。


 



「……それは、その、仕事っすか」


 何とか言葉を振り絞る。


「ええ。本当はもっと早く帰らないといけなかったんだけどね。マネージャーに無理言って伸ばしてもらったの。結構怒られちゃった」


 悪戯を見られた子供のような無邪気な笑みを浮かべる莉々朱さんを、俺は黙って見ることしかできない。


「明日の夜の飛行機で東京に戻って、明後日から仕事。声優、薔薇園莉々朱としてのね」


 両手を伸ばし、莉々朱さんは立ち上がる。


 俺はしゃがんだまま、それを眺める。


 このまま、もう、莉々朱さんは……。


 俺は俯くと、頭に優しく触れられる。


 見上げると夕陽の光を浴びて、莉々朱さんが俺を撫でている。


「泣いてるの?」


「な、泣くわけないっす」


 俺は目を擦り、立ち上がり、莉々朱さんから顔を隠す。


「恥ずかしがらなくてもいいのにね」


 俺は莉々朱さんの笑い声を背中に受けながら、夕空を見上げる。


「こっち、向いて」


 俺は言われた通り、莉々朱さんの方を向くと、両手を背中に回し、莉々朱さんが言う。



「あなたの夢を、教えて」





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