『図鑑』
俺は、携帯に映った名前を見て、慌てて電話に出る。
「もしも」
もしもしと言い切る前に、
『太陽君、よかった!? 無事だったのね! 』
莉々朱さんの慌てふためく声に、俺は驚く。
「だ、大丈夫っすよ。その、どうしたんすか?」
「昨日、あれから帰って君の言った言葉を考えてたの。もしかしたら、あなたが何か危ないことするんじゃないかって。その……私とのデートのために、無茶するんじゃないかって。気が気じゃなかったわ。何度もあれから電話したんだけど、君は全くでないから心配したのよ」
俺は履歴を見ると、昨夜から今朝まで莉々朱さんからの着信が何件もあった。
ちょうど深夜の見回りのため、音が鳴らないようにマナーモードにしてたからか、全く気づかなかった。
「すんません、その気づかなくて」
「そんなのいいわ。私、君を止めるべきだったって、後悔したわ。朝起きてすぐニュースを見たの。行方不明者はでなかったって言ってたけど。だけど、もしかしたらって思うと……」
心底心配そうな莉々朱さんの声に俺は慌てて
「莉々朱さん、その、昨日は俺、適当に言っただけで。あれから帰って眠ってただけっす。ほら、それで電話に出れなかっただけですし。第一、そんな物騒な事件を、ただの高校生の俺が何とかできるわけないっすよ」
俺は真実を伝えるわけにはいかず、何とか誤魔化す。
「そう、よね……」
「そうっすよ! 」
俺は努めて元気な声を出すと、莉々朱さんはどこかほっとしたようにため息をつくと、
「うん、わかったわ。それと……君との約束、叶えてあげなくちゃね」
俺は一瞬何のことだかわからず、聞き返す。
「え、それって……」
「二回目のデート。君が言ったじゃない、もし事件が今日で終わったらって」
「あ」
怪物との戦いで、頭から完全にすっぽ抜けていた。
「私、楽しみにしてるからね。連絡、待ってるわ」
莉々朱さんとの電話が切れると、俺は脳が停止するも、段々と心臓が高鳴ってきて大声を出す。
「うっひょおおおおおおお、おい聞いたか!! ヒル子! 」
『聞こえておるのじゃ、まったく、本当にお主は…円』
呆れたように言うヒル子を無視して
「うっし。今度こそ、俺の考えたナイスなデートプランで」
『まあ、待つのじゃ』
ヒル子が水を差してくる。
「なんだよ、ヒルコ。俺を止めようとしたって」
『誰も止めるとは言っておらぬ。お主があの姫と遊びに行くことをの。だが、我はお主に言わねばならぬことがある』
嫌な予感がして聞き返す。
「なんだよ」
『もう一夜でよい。我らで街を見回りするのじゃ。これで、怪物が出てこなければ、おそらく当分はおとなしくしているはずじゃ』
ヒルコの言う通りだったが、せっかく盛り上がった気分が氷点下まで下がっていく。
「それは……わかってるけどよお」
不満げに俺が言い返すのを止めて、
『我もわかっておる。お主が昨夜、死にそうな目にあい、あの怪物に脅える気持ちも。だが、もう一晩だけでも様子を見るのじゃ。もしもあの怪物が行動を起こさなければ、奴も当分はこちらを警戒して動かんと見てよいじゃろう。何故なら、昨夜はこっちも危ない目にあったが、あ奴にとっても誤算であったはずじゃ。まさか邪魔するものが現れるとは思っておらんかったはずじゃからのう』
ヒル子の言う通りだった。
せめて今夜あいつが現れなければ、あの負け戦にも意味があるということになる。
「っち、わかったよ」
俺が不承不承頷くと
「ふむ。それでよい、あとは」
とヒル子が言いかけた直後、不意に頭上にある店の屋根辺りから、不穏な唸り声が聞こえる。
俺が嫌な予感をして上を向いた直後、何かが顔にぶつかってくる。
「痛ってえええ! レグルス、またてめえか! 」
レグルスが俺の頭に乗り、髪から背中に下り、そのまま俺のシャツをひきちぎろうとしてくる。
『そうじゃ、エルピスのことじゃ。昨日、レグルスがお主の元に来たのは、偶然ではあるまい』
俺は背中に掴まっているレグルスを何とか引き剥がそうとしながら、
「エルピス? 」
『うむ。おそらくエルピスがレグルスをお主の元に遣わしたのじゃろう。どうやって我らが戦いに行くのを知ったかは謎ではあるが。じゃが、そのおかげで、お主は生きて帰ることができたのじゃ。エルピスに会いに行き、お礼を言うべきじゃ! 』
エルピスにはどこか神秘的なところがあり、何らかの理由で俺が戦いに行くのを知ったのかもしれない。
具体的な想像はつかないものの、そう言われてみればそうかもしれない。
「わかった、わかった! エルピスに会いに行くから! だからやめろお! 俺のお気にのシャツがちぎれちまうだろうが! 」
それでようやく許してくれたのか、レグルスが俺の服を噛むのを止め、鼻息荒く唸りながらも、俺から離れる。
俺は服を見て、どこかちぎれてないかと見るも大丈夫そうであった。
「よし、なら善は急げだ! 行くぜ! 」
俺は自転車に飛び乗り、レグルスが俺の自転車の前かごに乗ってくる。
俺はエルピスのいる森に向かうべく自転車を走らせる。
自転車を漕ぎながら、せっかくエルピスに会いに行くなら、お礼に、エルピスが喜ぶようなものでもプレゼントしたい、と思ったものの。
「何を持ってきゃいいんだ」
前回のケーキは喜んでいたように見えるが、毎回同じものを持っていくのも味気ない。
「なあ、ヒル子。エルピスは何貰ったら、嬉しいんだろうな? 」
『我もわからぬ』
「ちっ」
『だからこそ、想像してみるのじゃ。それも、お主の役目であるのではないか? 』
エルピスが喜ぶものってのが、未だにわかってはないが、試しに俺は想像してみる。
森の中で独り佇むエルピス。
超然とした雰囲気をもった謎めいた少女っていうのがエルピスの印象だけど、どこか寂しそうにも見える。俺の勘違いかもしれねえが。
「俺だったら、何もない場所にいるなら、時間をつぶせるもんがあればいいなって思うけどよ」
『なら、それでよいではないか』
「つってもよお」
橋を渡り、高鷲町に戻って来た俺は、そこから公園に向かおうとした時、俺の目にある店が映る。
「そうか……見つけたぜ! 」
俺は、公園に向かう前にその店に寄ることにした。
公園に着く。
怪物との戦い以来、夏休みだというのにすっかり人気のない公園の中央、噴水近くのいつもの場所で左手のイマジナイトをかざし、現れた渦にレグルスと一緒に飛び込む。
森に入り、そこから歩いて、エルピスのいる黄金樹の下に到着する。
先導するように唸りながら前を歩いていたレグルスは、エルピスを見つけると、一目散に駆け出す。エルピスへ飛びつくと、エルピスはレグルスを抱き、頭を撫でる。
地面に下りたレグルスは腹ばいになると、エルピスに会えたのが嬉しそうに草むらで転がる。
「よっ。エルピス。元気だったか? 」
俺の問いかけに、エルピスは相変わらず無表情のまま、頷く。
俺は地べたに座り込み、リュックの中を開ける。
「今日は、こんなもの持って来たぜ」
エルピスは座り込んだ俺の近くまで来ると、リュックを興味深そうに見る。
俺が取り出したのは、大判の図鑑だった。動物、魚、昆虫、果物、花といった図鑑をずらっと並べる。
「図鑑ってやつだぜ。古本屋で買ったもんだから、ちょっとぼろっちいけど、十分見れると思うぜ」
エルピスは傍にちょこんと座りこみ、俺が並べた図鑑にじっと目をやる。
「昨日のお礼ってわけじゃねえけどよ、ずっと一人で森の中にいるのは、退屈だろ。だから、まあ暇つぶし程度にはなるかなって思ってな」
エルピスは目の前にたくさん並べられた本を見つつ、俺を見上げる。
「そうか、見方がわかんねえか。ほら」
俺が一冊、手に取りめくる。
そこに映っていた動物の写真が気になったのか、じっと見る。
「ほら、好きなだけ見ていいぜ」
俺に促されると、小さな手で地面に並べられた大きい図鑑を一枚一枚、めくり始める。
エルピスは最初はそおっとめくっていたのが、どんどんめくりだす。
カラーの写真がふんだんに乗った図鑑をエルピスはお気に召したのか、そのうちに、地面から両手で持ち、一心不乱に胸に抱えて読み始める。
『ふむ。どうやら、気に入ったようじゃの』
「ああ。よかったぜ」
俺は一安心し、草むらに寝転びながら、莉々朱さんとのデートプランを考える。
果たして、どんな場所がいいのか。
「確か東京から来たって言ってたからなあ。こっちにしかないもんがいいよなあ」
そんな都合のいいデートスポットがあるのか。
俺はヒル子に聞こうとしたが、
『我に聞いても無駄じゃ。それに、今度はお主独りで考えるのじゃろう? 』
「んなこと、わかってんよ」
頼りたくなるが、俺は我慢して考える。
そのうち、昨夜の戦いの疲れのせいか、何だか瞼が重くなる。
森を流れる心地よい風、そして風に揺れる葉の音に誘われて、気づいたら俺は目を閉じてそのまま意識が落ちてゆく。
肩に軽く何かが触れ、俺は目を開ける。
エルピスが、寝ている俺の頭の傍で、俺の肩を軽く揺すっていた。
「悪い、寝ちまったみてえだ。どうした? 」
俺は起き上がると、エルピスが両手で図鑑を持って、俺にある写真を見せてくる。
「これ……」
俺は寝ぼけ眼でその写真を見る。
「そりゃ、クジラってんだ。魚……いや魚じゃねえ、哺乳類か。まあ、海に住んでる生き物だぜ」
俺の答えに、エルピスが頭をかしげる。
「海? 」
「ああ。そうだって……海ってわからねえのか」
俺が尋ねると、エルピスは首を振る。
「そうか。ちょっと貸してくれ」
というと、エルピスは俺に図鑑を渡し、俺はページをめくり、エルピスに海の写真を見せる。
「これが海ってんだ」
それはどこかの南の島を映した写真だった。
どこまでも続いてそうな砂浜、空からの光に照らされ、煌めく波打ち際、そして遠くからでも魚が見えるくらい透き通る海。
その写真を、エルピスは食い入るように見る。
「これが、海……」
「そうだぜ。俺の住む場所も海に面してるんだけどよ、海っつうのはめちゃくちゃ広いんだぜ! なんせ、地球の半分以上だっけか、海だからな! 」
俺が両手を大きく広げて、大きさを伝えるも、よくわかってないような顔だった。
「まあ、そうだよな。見てみないとわかんねえよな」
『ほほう。そんなにでかいのか、我も気になるのじゃ!』
ヒル子が驚いたように言う
エルピスは想像もつかないのか頭を小さく揺らしながら、再び写真を見入る。
そんなエルピスを見ていて不意に頭の中に電流が走る。
「そうだ! 」
俺が大声を上げ立ち上がる。
『なんじゃ、いきなり。大声を上げおって』
「思い付いたのさ、絶好のデートスポットがよお! 」
俺が笑うと、図鑑を見ていたエルピスが不思議そうに俺を見上げる。
「ありがとな、エルピス! 」
エルピスの頭を撫でると、何のことかわからないように、エルピスは小首をかしげる。
レグルスはエルピスの傍で我関せずと、サッカーボールをひたすら転がし、一緒にどこかへ転がっていった。
俺は早速、携帯を手に取り、莉々朱さんの電話番号にかけると、一秒もしない内に莉々朱さんが出る。
「太陽君。待ってたよ! どこに連れてってくれるのかな? 」
弾むリリスさんの声に
「莉々朱さん……」
俺は深呼吸して、勇気を出して叫ぶ。
「海、行きましょう!! 」




