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『使者』

 こちらに向かって歩いてくる男だけが、現実の景色から切り離され、歪に浮かび上がる。


 八月の真夏の季節にもかかわらず、上下の黒のスーツで揃え、磨き上げられた革靴が鈍く光る。黒いコートが波打つように揺れる。

 

 黒の長髪をなびかせ、男が近づいてくる。


 浅黒い肌に目鼻立ちの整った、外国の映画俳優のような顔に笑顔を貼りつかせている

 

「やあ、こんにちは」


 男は俺の前までやってきてにこやかに微笑む。


 低い声を響かせ、親し気に声をかけてくる


 俺は声を上げようとするも、身体が固まっている。


「私も色々なところを旅してきたが……この地の日差しも中々なものだ。こうも暑いと困ってしまうね」


 そう言いながらも、男の顔には汗もなく、涼し気な口調からは全く暑さを感じていないように見える。


『太陽! 何をしておるか。 こやつから離れるのじゃ! 』


 ヒル子に言われた通り離れようとするも、俺は指一本、体を動かすことができない。


 細身の体だが身長は二メートルはあるだろうその男は、俺を見下ろしつつ、笑みが大きく広がり歪む。


 俺は何とか体を動かそうとするも、意思が体に全く伝わらない。


「ふむ。君を少々高く見積もりすぎたかな。この程度とは。それとも……」


 男の両の眼の瞳孔が広がり、妖しく光る。脳髄が揺らされ、俺の意識が朦朧としだす。


 目の前の男が俺の首に向かって左手を伸ばす。


『ええい、太陽! しっかりせんか! 』


 ヒル子の叫びと同時に、左手のイマジナイトが熱を帯びる。


「熱っちい! 」


 火傷しそうなその痛みを感じた瞬間、俺は体の自由を取り戻したことを悟る。


 止まっていた息を荒く吐き、俺は目の前の男の左手を払う。


「てめえ、何しやがる!」


 男は驚いたように目を丸くする。


「ほう。これは驚きましたねえ 」


 俺は左手を顔の前まで持ってきて、イマジナイトで変身しようとすると、男は両手をおどけたように上げる。


「おやおや待ちたまえ……誤解をさせてしまったようだが、ここで君とやりあおうという気はない」


「どの口がほざきやがる! 」


『そうじゃそうじゃ! 何を言うておるか、こやつは! 明らかに太陽を殺そうとしとったではないか! 』


「今日は君に伝えたいことがあって来ただけだ。八剣太陽君」


 両手を上げ続け、何もしかけてこない男を前に、俺は警戒しながらも


「……てめえ、なぜ俺の名前を」


「勿論、君は重要人物だからだ。そう、それは君が思っている以上にね。女神の守護者よ」


 男は見定めるように、眼を細める。


「昨日の私からのメッセージは受け取ってくれたかね? 」


 男の言葉の意味が分からず戸惑うが


『こやつ、もしや……』

 ヒルコの言葉で俺も気づく。

「メッセージって……昨日の怪物は、てめえの仕業か!」


 俺が叫ぶと、男は涼し気に


「ああ。その通りだ。勿論殺すつもりなどなかった」


『白々しい! よくもいけしゃしゃあといいよるわ! 』


「一体どの口でそれを言いやがる! 」


「昨日だって、無事倒せただろう? 」


 男は軽く笑みを浮かべる姿に、俺が怒りのまま叫ぼうとしたその時だった。




「君は死ぬ」



 唐突に告げられた言葉に俺は固まる。医者が告げる余命宣告のように。


「な、何を……」


「このまま戦い続ければ、君は遠からず死ぬことになる、そう言ったのだ」


 俺の脳が、目の前の男の言葉を処理しきれずフリーズする。



「君は、自分が何を相手にしているのかを理解していない。まあ、無理もない。ただの人間である君は巻き込まれたようなものだろうからね。だが、このまま君が戦い続ければ、そう遠くない内に、君は思い知ることになる。自分自身が何を相手にしているかを……」


 俺は唾を何とか飲み込む。


「……それは、脅しか」


「脅し? いいや忠告さ。元々君はこの戦いに何の関係もない。君の正義感は人として素晴らしいものだと思うがね、それで無駄に命を失ったら元も子もない。そうは思わないかね? 」


 目の前の男の言葉の一つ一つが、俺の心を恐怖で締め付ける。


「我々が欲しているのは、あれだけであって、君の命ではない」


「あれって……エルピスのことか! 」


 エルピスのことを思い浮かべ、俺は何とか気力を振り絞り、声を上げる。


「ふむ、エルピスというのか。そうだ。今、あれの居場所さえ君が教えてくれたら、我々は今後一切君に関わらない。君だけではない、君の暮らすこの世界にも、一切手をだすことはしない」



「教えるわけねえだろうが! エルピスをてめえらに渡したら、神話世界を支配して、次は現実世界に攻めてくるっていうのによお! 」


 俺の言葉に、男は興味を示したかのようにまばたきをする。


「ほう。あの老いぼれが君にそういったみたいだが、我々にそういうつもりはない。あれさえ手に入れば、この世界に用はないのだ」



「何度言われようが、てめえの言うことなんざぁ、信じられるかよ! 」


 意地になって俺は言い返す。


 此処でこいつの言うことを素直に受け入れるわけにはいかねえと、直感が俺に告げる。


「ならば、君はあれについて何を知っている?」


 男からの問いかけに一瞬面食らうも


「それは……エルピスがお前たちにとっての天敵なんだろ? だからあの子を捕まえて殺すつもりなんだろうが」


 俺の言葉に、男は目を丸くすると、その顔に笑みが広がっていき、腹を抑えて笑いだす。


「何が、可笑しい!」

 

 馬鹿にされたと思った俺が叫ぶと、


「なるほど、そうか。あいつは君にそうやって説明したのか。いや、失礼。少々滑稽でしてね。彼のやりそうなことだ」


 なおも笑い続ける男は


「であるならば、なおのことだ。君はこの戦いからは手を引き給え。私はこれでも君のことを高く買っている。人の身でありながら、我々の眷属を斃しうることができた、君のことを」



「だが……」


 微笑みを浮かべるその顔の動向が開き、瞳が魔の色を帯びて光る。


「これ以上深入りをすれば、必ず君は後悔することになる」


 脅迫じみた物言いに、何とか言い返そうとする前に男は背を向けて歩き去る。



「君とはこれが初対面だからね。考える時間をあげよう。私も鬼ではない、というのかな、この国の言葉では」



 立ち去ろうとする男に向けて、俺は一歩踏み出して叫ぶ。


「待ちやがれ! わけわかんねえことばっか言いやがって! 」


「ふむ。ならば、これはサービスだ。君が呼ぶエルピスについて、ノーデンスには隠していることがある」


「一体何を……」


「尋ねてみたまえ。そうすれば、あの老いぼれは君が思っているような存在ではないことがわかるはずだ」


 男はそう言うと、俺に背中を向け横断歩道を渡りだす。


「では、さらばだ。太陽君。願わくば、君と二度と会うことが無いことを期待しているよ。君のためにもね」


 去っていく男に向けて、俺は叫ぶ。


「てめえは何者だ!? 名前くらい名乗りやがれ!」



 俺の叫びに、横断歩道の真ん中で男が首を微かに振り向く。



「私に名は無い。ただのメッセンジャーに過ぎないのだから」


 そう言うと、男は今度こそ振り返ることなく立ち去っていった。


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