Karte.1-1
真新しい街並みにはそぐわない「幽霊坂」なんていう名前の道を一つ曲がり、ちょっとだけ時間に取り残されたような古ビルの一室にそのクリニックはあった。「当院は完全紹介制となっておりますので、病院よりの紹介状のない方はお断り申し上げます」と、敷居の高い文言が記された重い扉を開けると、現れたのは予想に反して映画に出てくる漢方薬局のような部屋だ。意外さに驚いてあたりを見回すと、受付に青白い肌と対照的に真っ赤に染めた唇をした、妙に蠱惑的な受付嬢がいて、ぞんざいな態度で紹介状を受け取りながら言った。
「佐久間さんですねぇ。お待ちしておりましたぁ」
面倒くさそうに語尾を伸ばしながら話す受付嬢に、顔に出さないように苛々しつつ、手渡された問診票に記載していく。悪夢による睡眠障害が専門というだけあって、問診票の内容は今まで行ったことのある病院とは大きく異なるものだった。
Q1.いつから悪夢を見始めましたか
Q2.ご自分で思うきっかけはありますか
Q3.最初に見た悪夢を覚えていますか
Q4.共通する印象・モチーフ・場所などはありますか
Q5.…
こんな感じで質問が12ほど並んでいる。悪夢を思い出すこともストレスになるので、無理に回答する必要はない旨も書き添えられた問診票に、内心で評価を上方修正した。人材採用の趣味は悪いが、確かに専門病院なのに違いない。
「書くのは大変だと思いますけど、本日は佐久間さんだけですのでぇ。ゆっくりご記載ください」
他人事ながら、そんなことで商売が成り立つのか心配になる。同時に「ものすごく高いのでは?」と不安になったのが顔に出たらしく。
「大丈夫ですよぅ。ちゃんとした病院から患者さんを紹介されているんですから。ボッたりしませんって」
と嗤われた。赤くなっているであろう顔を隠すように、そこだけ明るい窓辺のカウンターで黙々と問診票に書き込みをしていく。概ね書き終えたころには、結構な時間が過ぎていた。
「それでは、こちらのお部屋へお入り下さぁい」
通された部屋は柔らかな緑を基調とした、一転して近代的な部屋だった。薬臭かったロビーとは違う、すっきりとした香りがしている。
「佐久間さんですね。奥のカウチへどうぞ」
入り口近くの机に腰かけていたのは。眼鏡をかけた市松人形のような女医だった。促されるまま、奥の方にあるカウチに向かう。その間の一挙手一投足を眺められているようで落ち着かない。
「最初に、現在の状態を確かめさせて頂きます」
そういうと女医は立ち上がってカウチのそばに誂えられたスツールに腰を下ろした。その背後にクリップボードと筆記用具を持った受付嬢が控えている。ただの受付嬢ではなく、看護師だったようだ。女医は左手と右手の両方の脈を交互にとり、爪の様子を見て、手の甲をつまみ、舌のあちこちを確認する。そのままカウチに横たえられて、腹を押さえる。合間に体調に関する質問を答えていく。生活習慣について、体質について、食欲、便通、肩こりの状態、足のむくみ…。
「いつになったら夢の話になるんだろう、ってお顔ですね」
笑い含みの声がちょっと気まずい。またしても表情に出ていたなんで、私はそこまで顔に出やすい人間だっただろうか。ちょっと悔しくなって言ってみた。
「いえ、こういうのは問診票に書くようにすれば早く終わるのにと思って」
「それが一般的なのは承知してます。私も普通に医学部を出て病院でインターンしてましたから。
ただ、見てお分かりだと思うんですが、ここは東洋医学を基本にしたクリニックなもので。
東洋医学では問診を非常に重視します。内容もですが、お声を聴くこと自体も大事なんですよ。
ご面倒かもしれませんが、お付き合いください」
そういうものなのか、とちょっと納得する。言われてみれば、漢方とか東洋医学とかに接するのは初めてだったりする。こんなに1人1人に時間をかけて診察しているのだとしたら、紹介制も予約診療も当然なのかもしれない。
「はい、大体のことはつかめたと思います。それでは夢の話をお聞きしましょうか」
そういわれたときには、診察室に入って30分近くが過ぎていた。
…困った。漢方医にかかりに行かなくては。