二
ドスドスドスッーーー
ギシギシーーー
廊下に大きな足音が響き床が軋みだした。
「落窪!!」
ヒステリックな声をあげながら40代ほどの女性が現れた。
白と茶色の混ざる髪を背に流し、紫や赤の派手な色味の着物を何枚も重ねて着ている。
細長の目元は皺がよってキツい印象を醸し出し、への字に曲がった口元が彼女の機嫌を示している。
北の方、父の本妻にして私を疎んでいる継母だ。
「一枚の着物にいつまでかかってるんだい?
グズグズやってサボろうなんて、なんて根性曲がりなんだろうね!」
いつもの調子でヒステリックに騒ぐ北の方に対し無言で頭をさげる。
下手に口を挟んでも無駄なことは学習済みだ。
お義母様、また皺が増えますよ。
なんて考えつつ北の方の言葉を聞き流していたが、隣の阿漕が毅然と立ち上がって反論し始めた。
「北の方様、昨日の分はもう出来上がってます。
姫様はサボっていたのではなく、三の君様が新たに追加された物を仕上げていらっしゃるだけですわ。」
「ふん。阿漕、お前はまた落窪のところで油を売っているのかい。
お前は三の君付きにしたはずだよ。
どうせ落窪が泣きついたんだろうがね。
私に従えないなら出てってもらうことになるからね!」
「どうぞ、三の君様がお許しになるならそうしてください。」
さすが阿漕、余裕の返しだ。
北の方が憎々しげに睨んでいる。
阿漕はできる子なので三の君に気に入られているのだ。
「くっ。本当に生意気な。」
北の方の手の中の布がギチギチに引っ張られて破れそうだ。
や、やばい。
「あ、あのっ!お義母さま、私に何か用事があったのでは?」
北の方に握られた布が無残な姿になる前に、と慌てて二人の話題をそらす。
「ああ、ふん。着物が出来てるならさっさと持って来るんだよ!
それと、終わったなら丁度いい。三郎君の笛袋をこれで作りなさい」
そう言ってギチギチに引っ張っていた布を私の前に落とした。
「お前は仕事がないとすぐにサボろうとするだろうからね。いいかい、くれぐれも手を抜くんじゃないよ!」
私に命じてスッキリしたのか、北の方はそう言うとまたドタバタと足音を響かせながら去っていった。
「あのやろう、また仕事増やしやがったわ。」
「あ、阿漕、口調が変わってるわよ」
「あら、失礼しました。」
舌打ちでもしそうな勢いで吐き捨てた阿漕はニコッと綺麗な笑みを私に向けてくれた。
「でも、大丈夫なの?
お義母様にあんな風に言って…」
「大丈夫ですわ。三の君は私を気に入っておりますし、あの方のワガママは激しくて、実の母である北の方ですら止められませんから。」
「そう。阿漕が辞めさせられないならよかったわ。」
阿漕は私を気にかけてくれる唯一の人だ。
いなくなってしまったら生きていける気がしない。
「私が姫様を置いて辞めるなどありえませんわ。
本当はあんなワガママの三の君なんかより、姫様にお仕えしたいのに。」
「私は阿漕に時々でも会えればそれでいいわ。
三の君のところなら新しい着物もお菓子ももらえるでしょう?
私のところにいても何もしてあげられないから、むしろホッとしているのよ。」
「…姫様」
私の着物や調度品は、ほとんど北の方に取り上げられてしまった。
食事も1日1回、下働きの者と同じ質素な食事が出されるだけだ。
仕えてくれる女房に着物やお菓子を分けて世話してやるのは主人の役目だ。
私ではできないばかりか、むしろ阿漕が厨房から色々ともらって差し入れてくれなければ、とうの昔に栄養失調で死んでただろう。
阿漕には感謝してもしたりない。
「姫様。今はこんなですが、私がいつか必ずこの状況を改善させてみせます。
姫様を“落窪”なんて呼ばせません。
奥様からもらった、千桜様という素晴らしいお名前があるんですもの。」
「ありがとう阿漕」
落窪は北の方が私につけたあだ名だ。
床の落ち窪んだ部屋に住んでいるから、と。
ーーー千桜
お母様がつけてくれたその名前を誰かに呼ばれる日が来るなど、到底想像できなかった。