第30話 『朝とご飯と団欒と』
顔を洗い、着替えをし、髪を軽く整え、慣れた足取りで食堂に向かう。この前探索したときに地図を頭に叩き込んだため、迷うことはなかった。たまに廊下のループから抜け出せなくなることはあるが。
「ちわーす! ……って」
そこには見慣れた顔ぶれが揃っており、ちらりとタツキを認めただけで食事を開始する。リラの言った通り、食事はすでに後半に差し掛かっていた。朝の定番メニューを皆一心に食している。もちろんそのメンバーの中にはフレシアもおり、パン的な何かを頬張っていた。
「これはこれは。随分と遅い起床だったね、タツキ君」
「足りない頭を何とかしなきゃなんねぇからな」
「うむ、いい心がけだ」
「それより、遅刻の罰で飯抜きとか言わないよね?」
まさかすでに食べられてしまったのではと、嘆くお腹を宥める。するとフレシアが小さく笑って自分の隣の椅子をポンポンと叩いた。
「ほんと、タツキは朝から元気ね。心配しなくても誰も食べたりしないわよ。リクが一切れ味見したぐらい……あ」
「別に朝は得意じゃないよ? フレシアの顔が見れたから元気になったんだ。時にフレシア殿。聞き捨てならないことをぽろっと漏らしたな」
タツキの言葉に反応し、体がびくりと震えた少年を視界に捉える。
「リクくぅうん? どうゆうことか説明してもらおうかぁ!?」
「ひぃぁっ」
どっかりと席に座るやいなや、臭いセリフを誤魔化して少年を睨む。タツキの眼力に怯んで変な声を出したのはリクだ。軽い挨拶程度の脅しなのだが。
いじり甲斐のある少年は、何で言うんだというように顔をしかめたあと、強がって鼻を鳴らした。
「フンッ! オマエが起きるのが遅せェのが悪いんだろ!」
「こら、リク。そんな言い方だめでしょ」
「で、でもよ……」
「でもじゃない。悪いことしたらごめんなさい、だよ? じゃないとわたし、リクのこと嫌いになっちゃうかもな〜」
「……っ! わ、悪かったよ」
チョロ男め。恋心がだだ漏れすぎる。涙目になって頭を下げる素直な少年に思わず笑って許しそうになる。お母さんポジションのカルトはリクにとって最強の切り札だ。カルトが策士家なのも有力的だった。
それこそ互いが家族以上に大切な存在なのだろう。恋人未満なのは見たとおりだが、間に立ちはだかる壁は高そうだ。
「麗しい家族愛に免じて許してやるとするか。あ、フレっちにはお礼としてこれを進呈しよう。今後とも料理の警備をよろしく頼むぜ」
皿に寄せられた一品を掬い取り、フレシアの皿にのせる。まだ食べたことのない料理だったが、シンの作るものだ。美味しいに違いない。
「え、いいの? 口が滑っちゃっただけなのに」
「いいっていいって。美味しいモン食べて笑ってほしいし」
笑うという言葉に少々粘りを感じるが、顔には出さない。クロークの側に使えるルイの視線がこちらに向いた気がした。昨夜のことが思い出される。
「あ、ありがとう。タツキって優しいのね」
「ここにもチョロシアがいた!?」
どうやらフレシアの好きな料理だったらしい。頬を染めてお礼を言う彼女が予想以上に嬉しそうで、こちらも釣られて幸福を感じる。そして別の料理を口に運ぼうとし、動きを止めた。
「あのさ、クロさん。やっぱり食べる前に『いただきます』がないと落ち着かないんだけど」
食器を一旦皿に置き、変わらない態度で上座に腰掛けるクロークを見た。既に食事は終えている様子だ。
「ふむ、我としては勝手にしてくれといいたいところだが。言うべき理由でもあるのかい?」
「あるもあるある、大アリよ! この絶品料理は何人もの手で作られてるんだからな! 材料を一から作って育ててくれた人、その工程で失われた命。そんでそれを炒めて焼いて提供してくれる人々等々。……どうだ、食のありがたみがわかったろ? その感謝を込めた言葉がイタダキマスだ」
全て祖父に教えられたことだった。些細なことに感謝し、尊ぶこと。多くの命の上に生が成り立っていることを知っておくこと。祖父がいなければ空腹で死の間際をさまよう羽目になっていたタツキだ。ありがたさは余計によくわかった。……初めの食事では言いそびれてしまったけど。
祖父は自分の大事なところをたくさん造ってくれた。今となっては手放しがたい懐かしい思い出ばかりだ。――――だが、祖父に会った場所を思い出せない。俺はいつも、じいちゃんとどこで会っていたんだ?
「そうね。私もありがとうって気持ちは大切だと思うわ。タツキの話を聞いてると本当にそうだなって……」
「だろだろ!? さっすがフレシア・エンジェル! みんなもそう思わないか?」
心から尊敬の眼差しを向けてくるフレシアに気分が良くなる。今は「えんじぇる……?」と首を傾げてしまっているけれど。調子に乗ったタツキは、手を大仰に広げて更に賛同を求めた。
「そうだな……オレは悪くねェと思うぜ。タツキにしてはまともなこと言うじゃんか」
「おっ、リクも――」
「わたしはなんとも思わない、かな。みんな生きるためにやってることだもん。それに食べられる方が悪いに決まってるよ。弱い、死ぬ。強い、生きる。これが世の常でしょ? だからわたしはご飯を食べる。簡単なことよ」
カルトはそう冷たく言い切ると、既に命がたたれた弱者にナイフを突き立てる。彼女の言ったことは冷厳な事実だ。
そのまま刺した獲物を口に運び、唇についたソースのようなものを舌でちょろりと舐めた。そしてこちらに向かって淡く微笑む。……中々の迫力だ。表情がどこか色艶めいている。
「カル……。な、ならオレ様もさっきの言葉は撤回させてもらうぜ。オマエの言葉はカルには届かなかったみたいだからな」
カルト信者のリクが手に持つフォークをタツキにぶらつかせて意見反転。その横では、カルトがナイフを一直線にこちらにむけている。目には強い意志が宿っており、それはカルトの生き方そのものを表しているのだと悟った。それほどシビアな世界で生きていたのだ。恐ろしく倍率の高い生存競争を勝ち抜くために。
「えらく安直な考えだな……。喰われる方だって死にたいわけじゃねぇんだ。弱いやつにも生きる権利ぐらいあるだろ?」
「その権利を守る力がないなら同じことだよ」
「……っ」
きっぱりとした返事。何を言っているんだとばかりに蔑んだ視線。
タツキの言葉は一つとして彼女に届いていない。とろんとした瞳が開かれるときはあるのだろうか。この世の終わりの時でも、一人で勝手に悟りを開いて冷静に終わりを迎えていそうだ。……隣には従順な犬がいるだろうが。
「じゃあ保護者組に聞いてみるか。ハルはどう思う?」
三人の掛け合いを朗らかに笑って見ていた少年に話を投げる。いきなり指名された本人は驚いて肩を揺らした。やはり一番まともな意見が期待できる人物だ。
「え、僕……!? そうだなぁ。これからは一生ご飯を食べないでおこうと思ったよ。僕なんかの為に命が浪費されるなんて可哀想だからね」
「この子が一番まともじゃなかった!!」
期待を見事に裏切られて絶叫。
爽やかな笑顔で何を言っちゃってるんだ、この少年は!
タツキの言っていることで自責的になってしまっている。逆効果だ。隣でリクが、「ほらな」という顔をしてきたことに苛立つ。
「ちゃんと飯は食えよ!? いただきますさえ言えばチャラになるから!」
失った命はもう戻ってこないが、感謝をすることはできる。そう熱弁して故郷の挨拶を根付かせようとした。今更だが異文化交流はとても大事だと思う。
「え? 家畜共に感謝なんて必要なの?」
「カルるんはもちっと柔らかい言い方にしようね!? 感謝するしないはそれぞれだけどさ」
「ケチつけんじゃねェ。カルが言うことは全部正しいんだからよォ」
「僕はカルを見ていると、自分の価値が薄まるのを感じるよ…」
「なんかカルるん信者多くね!?」
濃いメンバーに翻弄されながら、当初の目的を思い出す。危ない危ない。気を抜くとネガティブ道まっしぐらのハルと同じ道に進みそうになる。
二人の信頼を勝ち取っているカルトは、相変わらずとろんとした目でこちらを見ていた。
「カルトの信念は分かった。リクの信仰も分かった。ハルの信頼も分かった。けどな、いただきますはもっと重みがあって、重要な言葉なんだぜ」
「なにが重要なんだよ。今から食べますって挨拶みたいなモンだろ」
利益があるかないかと言われればない。
だがそう言ってしまうのは嫌なので、みくびってくるリクに意味ありげに笑いかけて親指を立てる。特に意味はない動作だったが、一応興味は持ってくれたようだ。二人とも神妙な顔で頷き返してくれた。カルトは興味なさそうに座ったままだ。
気づくと他のメンバーそっちのけで四人のみの談笑となってしまっていた。フレシアは黙々と料理を味わっている(食べる前に小さくいただきますと言っていたのが可愛らしい)。
「そういや猫様は?」
いつも憎まれ口を叩く彼女は隣にいない。あんなに料理を楽しみにしていたのに不思議な事だ。食欲より優先するべきことがあったのだろうか。
「ナトリアル様は自室で私用を片付けております。お食事は既に配膳済みですので気になさる必要はありませんよ」
「ああ、ご飯はちゃっかり食ってるわけね」
昨晩のことを全く気にしない素振りでルイが告げる。その視線の先はタツキの目の前にあった。どうやら未だ手をつけられていない料理が冷めるのが気になるらしい。苛立ちを鋭い視線で表している。立ち通しのストレスもあるのか、早くしろという無言の催促が止まない。だが、いただきます案が通るまで料理を口にするわけにはいかないのだ。―――譲れないプライドが、そこにある。
「食べる前は『いただきます』。食べ終われば『ごちそうさまでした』。これ常識なり。自分の都合で命奪ってんだぜ。そのくらいの慎みは必要だと思うんだ。どうだ、結構理にかなってる言い分だろ?」
自分でも何故こんなに熱心に挨拶について説いているのか分からない。たかが食事前の一言。はたから見ればかなりどうでもいいことだ。おそらく食べ物の有り難みを人一倍知っているからだろうが…。
「……タツキに言われると、なーんか素直に褒めたくないんだよね」
「おぉい、カルるんひでぇな!? さっきからゴネてると思ったら、俺のせいだったの!?」
「あったりめェだろ! オマエが言うと全部嘘っぽいんだよ!」
「ふーん。で?」
「カルと態度がちげぇえええ!!」
フォークを天に掲げて叫ぶリク。つつけばつつくほど実に面白い反応を見せてくれる少年だ。それにカルトは遠回しにタツキの言い分を理解してくれたらしい。後はそれを認めてもらうだけだ。
「つっても、儀式的に言うだけじゃあ意味がない。きちんと礼儀を正し、心を込めて唱えるんだ。さんはいっ」
「唱える……イタダキマス、イタダキマァス……。イタダクッ!」
「暗っ! 恐ろしいほどに暗いよ! ナイフが! ナイフが妙にあっちゃってるから!」
カルトはブツブツ唱えると、そのままナイフを肉らしきものにぶっさした。肉汁がテーブルに飛び散るのをハルが拭う。そして咀嚼。何とも幸せそうに命を貪っている。その容赦のなさに苦笑いしつつ、はっきりと自分の意見を述べられるカルトを羨ましくも思った。
「まぁちゃんと言うだけ言ったからよしとしよう。んじゃ次、リクの番な」
「えっオレ!? ……言わねーけど?」
指名を受けたリクが、髪の毛とともに大きく飛び跳ねる。猫目の瞳孔が小さくなったり大きくなったりしているのが見えた。
「カルるんは言ったのに、か?」
「いやカルも……そのぅ……」
「いただきます」
渋るリクの横で、綺麗に手を合わせて礼をしたのはハルだ。優しげな光を宿す睫毛を伏せ、頭を垂れる。顔というか、雰囲気が美少年だった。
そのままナイフとフォークを上手く使って肉料理を切り裂き、口に運ぶ。一連の動作に無駄はなく、見ている者まで背筋を正してしまう。本当に真面目で優秀な奴だ。『唯一の常識人』の肩書は伊達ではない。……行き過ぎたネガティブ要素を抜けばの話だが。
「ちっ。……イタダキマス」
ハルに感化されたのだろう。思春期真っ盛りのリクも舌打ち一つでようやくその言葉を口にした。顔が真っ赤なところから相当恥ずかしがっているのが分かる。……本当に素直じゃない。
――ツンデレ中二混じりのリクと、ネガティブ好少年のハル、そして毒舌系陽キャラのカルト。
バランスがいいのか悪いのか分からない三人だ。その割にはお互いのことをすごく大切に思っている。些細なことでも連携がとれており、話がずれているようで噛み合っているのだ。この三人にどんな過酷な過去があったかはしらないが、今の三人を見ているとただの近所に住む子どもにしか見えない。石を投げてこないだけはるかにマシだ。
「……ほんとになぁ」
「おや、どうしたんだい? 何か感慨深いことでもあったかな?」
「なんでお前が会話に入ってくんだよ。関係ねぇだろ。……んじゃ、いただきます」
口を挟んでくるクロークが煩わしく、他の子供たちに習って朝食に手を付けた。
関係ないと突き放すのは相手がクロークでも心苦しい。嫌いな相手だからといって傷つけていいわけではないのだ。仮面で表情が見えない分、何を言ってもいいと勘違いしそうになってしまう。
しかしクロークだって人の子。喜怒哀楽ぐらいあるだろうし、悪意をぶつけられれば傷つくに決まってる。今、仮面の向こうはどんな顔をしているのだろうか……。
「ん、これとっても美味しい。ほら、タツキも食べてみて?」
遅行の罪悪感に苛まれていたタツキを救ったのは、またしてもフレシアだった。
手を止めたタツキに食事を促す。屈託なく笑う彼女に、降参とばかりにスプーンを握った。彼女自身気を利かせたつもりは無いだろうが、その一言で力が抜けてしまった。
フレシアはある料理の一品の虜になったらしく、大きな目を爛々と輝かせている。よほど気に入ったのか、その液体をスプーンで掬い、タツキの口元にまで運んでくる始末だ。さすがにこれはアウトだと思い、鋼の精神で欲求を押しとどめたが。
「フレシアはやっぱりフレシアなんだな」
「あ、今馬鹿にしたでしょ」
「ノンノン! フレシアはいつでも可愛いってこと!」
「ま、またそんなこと言って……。もう構ってあげないからね」
「かまってちゃん……くん? まぁいいや。そういう俺みたいな生物はな、無視すればするほどその依存度が増す性質なんだよ」
タツキの持論では、人間は皆かまってちゃんだ。常に側にいてくれる人を求め、自分を肯定してくれる人を好む。
愛情の裏返しは無関心。つまり絶対に勝てないものが孤独だ。この世に孤独死という言葉があるように、人は一人では生きていけない。他者との関わりが絶たれた時、そこに解放感なんてものはない。
口を使う機会がなく言葉を失い、
共有してくれる相手がおらず自我を失い、
合わせる人がいない為協調性を失い、
独りしかいない故にやがて常識を見失い、
壊れ、壊れ、壊れ、壊れ、壊れ、壊れ、壊れ、壊れ、壊れ、壊れ、壊れ、壊れ、壊れ、壊れる。
―――『自分』という存在を保てなくなる。その境地に達してなお自分を貫ける人こそ、この世で《異常者》という烙印を押されるのだ。
「それはちょっぴり分かるかも。私だって無視されるのは寂しいもの」
「ははっ。寂しい、ね……。ま、君には俺がいるからな。独りぼっちになんか絶対にさせねぇ」
「……なんか、複雑」
――そんなフレシアの引き気味の笑顔で、朝の一幕は閉じられたのだった。




