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赤眼の彼が、異世界支配してみた  作者: ひよこ丼
第一章 『死始と死別』
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第29話 『激突』





「っはぁー。安らぐぅ〜」


 現在いるのは念願の自室。ふかふかのベッドに体を預けているところだ。

 入浴も食事も済ませ、窓から見える景色もすっかり黒く染まっていた。ところどころ瞬いているのは星だろうか。久々に見た輝く欠片がぽつりぽつりと置かれている。


 二階の端っこに位置するこの部屋を選んだ理由はいくつかある。まず一つ。クロークから離れた部屋が良かったからだ。できれば一階に住みたかったが、一番下は使用人しか使わない決まりらしい。つまり女子塔の一階はリラとルイ、男子塔の一階はシンが使っているのだ。独り占め反対と唱えるも、誰にも相手にされずに終わった。


「こんな広い部屋、文句のつけようがないしなぁ」


 聞いた話によると、一階部分は位が低い者が住み、階を跨ぐことに偉さが上がるらしい。それに合わせて部屋もグレードアップしていく。最上階で胡座(あぐら)をかいているであろう憎き仮面を浮かべ、枕に顔を埋める。



 二階のここもそれなりに広い。初めて起きた豪華な客室には及ばないが、椅子と机があり、ふかふかなベッドがあり、クローゼット類まである。異世界にもトイレは存在するのだが、何と一部屋に一つ便所が設置してあるという親切具合だ。わざわざ危険な旅に出ないで、ずっとここで引きこもっていたいぐらいの完全設備である。 

 使用人部屋はここより簡素な造りらしく、タツキが一階を望んだ時フレシアに強く咎められた。


「『タツキは恩人なんだから、一番上じゃなきゃだめだと思う』、なーんて可愛いこと言っちゃってさぁ……」


 全く似ていない声真似。

 フレシアの発言がタツキの身を心から案じてのものだったため、素直に妥協して二階にしたのだ。それでもフレシアは不満気だったが、天井を超えた先にクロークがいると思うと寝付けないと言うと黙った。

 元々誰もこのフロアには住んでいないらしい。となるとリクは三階部分か。……ちょっかいを出しに行きたい所だが、残念ながらそれは不可能だ。


「自分の部屋を『意識』できるのは自分だけ………か」


 晩餐の場で、この屋敷には不思議な『効果』がかけられていることを教えてもらった。例えば防音効果。部屋でどれだけ叫んでも外には漏れ出さない。秘密事や恥ずかしい事をするには便利だが、緊急事態の際にはどうするのか。それを聞くと、『察知効果』も付いているのだと言われた。危険が近づけばクロークがいち早く気づき、防ぐ。元よりそんな危ないことはないらしいが。


 今回は『認識阻害』の部類だ。自室を決めた本人なら迷うことなく部屋に向かえるが、本人以外だとそうはいかない。一度その部屋がタツキの部屋だと理解されても、もう一度このフロアに来た時には忘れている。忘れているより、その部屋がタツキの部屋だと『認識できない』のだ。どの扉だったか記憶できない。記憶を初期化するのに近い。なんて便利な能力だと感心する反面、使い方を間違えれば恐ろしい結果を招くというリスクがある。例えば、人の記憶を簡単にいじることができるなら………


「失礼します、お客様。ではなくツキ」


「んぁえ!!?」


 背中を預けていたベッドから転がり落ち、髪をガシガシ掻きながら扉を開ける。開けた扉の隙間からは無表情のメイドが覗いていた。……やっぱりか。恐怖より先に納得する。


「タイミング良すぎるだろ―――ルイ」


「愚問ですね。あ、決してこの部屋の濃い哀愁が外まで漂ってきたわけではありませんので。ご安心下さい」


「そんなに哀愁濃かったかな!?」


 人形のような顔が、やれやれと一息。

 しばしの躊躇いの後、小さく開いた扉をすり抜けて部屋に入ってきた。小柄なルイは猫みたいに身軽だ。


「そんな嫌そうな顔で来られてもな……で、方法はともかくなんで来たんだ? もしかして寂しくなったとか?」


 鼻を摘んでタツキから一番遠い場所に立つルイに、変わらない態度で笑いかける。自分も元いたベッドに戻って腰掛けた。


「薄っぺらい笑顔でルイを見ないでください。それに、もし、例え、万が一、窮地に立たされるようなことになったとしても、ルイがツキを頼ることは絶対にありえません」


「そんなに強調されると心の抉られ度も上がるんで、オブラートに頼んます……」


「あ……ぅ」


 きっぱりと断言され、本気で落ち込む。

 ルイが何かもごもご言ってるが、きっとまた憎まれ口を叩こうとしたのだろう。


 相変わらずの辛辣態度に頬をかいて苦笑。もうすでに慣れてしまった。それに、ルイはどれだけ追い詰められても、タツキ以外の人間にだって頼らない気がする。全部一人で何とかしてきたタイプだ。見合った力がある分、助けを求める場面自体がなかったのかもしれないが。


「ん? その手に持ってるものは?」


 何とかしてやりたいとは思うが、無力なタツキには何もできない。相手を助けたいと思えば反対の結果をまねいてしまう人間なのだ。いつだって自分は疫病神で、悪魔なのだから。


「―――手を出しなさい」


 反射的に両手を前に出す。

 忠犬か、とツッコもうとした所で、手にいきなり重みを感じた。ベッドに座っていたところなので、腕だけでその重力に耐える。……本だ。何冊かの本をルイが投げ寄越したらしい。奇怪な行動を取った彼女は、唖然とするタツキを冷えた目で見ると言った。


「それで少しは言語について学ぶといいわ。文字を書くなんて基本中の基本。生きてく上で必ず必要になってくることだから。ちなみに子供でも出来ることよ」


「助かるけど、敬語モードオフになってるぜ?」


「当然よ。これは仕事じゃないから」


 それならルイの善意ということだろうか。口に出すと否定されるのは分かっていたので、黙って好意に甘えておく。


「そーなのか……って、結構あるな」


「も、文句があるなら返して頂戴」


 いきなり言葉の棘が増したように感じる。いや、何かを隠す為に早口になっているようにも思えた。その頬が微かに火照るのを見て、風邪だろうかと心配になる。異世界人が風邪を引くのかはわからないけれど。


「ツキには足りない知識が圧倒的に多いのよ。これぐらいしなきゃ、外ですぐに野垂れ死ぬのがオチね」


 眉を立てて説教するルイに、反論できずに黙り続ける。


「一冊目が見本で、二冊目が練習用。三冊目以降はフレシア様達も学んでらっしゃる知識の代表的なものよ」


「そりゃいたれりつくせりなことで……」


 渡された本をひとまず机へと運び、パラパラとめくる。地図で目にした文系と同じだ。内容は全然理解できなかったが、ルイの言うとおり一冊目は一文字ずつ規則正しく並ぶ本、二冊目はマス目だけの白紙、三冊目からは異様に分厚くなっていた。この本が読めるようになれば、世界の謎の紐も自然と解けていくだろう。


 知識を深めたい。

 文字を書けるようにしたい。

 この世界について知りたい。

 そう思っていたタツキにぴったりの教材だった。小学校時代を思い出して新鮮だ。


「淹れてほしいなら紅茶を淹れてくるわよ。もし肩が凝ってるなら言いなさい。他にも何か私にしてほしいことがあるなら、特別にやってあげてもいいわ」


「それは何でも……?」  


 想像に胸を踊らせ、ごくりと喉を鳴らす。遠回しなルイの優しさが心に染みた。


「―――厭(いや)らしい。まるで煩悩に満ちた獣ね」


「べべべ別にそんな本能丸出しの意味で言ったわけじゃねぇよ!?それより、なんでお前がこんなことしてくれるんだ? 頭でもぶった?」


「たまたま私の機嫌がいい。それだけよ」


「いやいやいや! 言っちゃ悪いが……柄じゃねぇよ」


 タツキが抱いているルイの人物像は、機嫌がいい悪いに関わりなく他人に厳しく、何でもするわ的発言は絶対にしない。ましてやタツキには。クロークやフレシアならまだ許容範囲かもしれないが、他人域を抜け出せないタツキに対する温情は無いはずなのだ。それなのに、今タツキの目の前にいる彼女は『絶対にない』はずの事をしている。……何かあったのだろうか。


「もしかして見返り目当てか? だったら期待外れだぜ。珍しい相貌なのは認めるけど、別に俺は隠れ商人じゃねぇんだ。金目の物も珍品も持ち合わせちゃいない」


 手をひらひらさせながら無一文をアピール。その仕草をルイは黙って見つめている。特にこれと言った反応もない。その様子だとタツキの考えは間違いだったようだ。


 いきなり『認識阻害』を突破されて部屋に押入れられ、物を投げてタツキに渡す無遠慮さ。ここまではまだいつものルイで、対応の雑さには既に慣れていた。

 でも、タツキのことが気にいらないなら、なぜわざわざ部屋にまで入って情報を教えようとしてくれたのだろうか? 

 何冊もの本を持つのは(一般的女子には)重いだろうに、なぜ苦労して運んできてくれたのだろうか? 

 それに、昼間とは少し態度が違う気がする。前のルイなら絶対に茶を淹れるなどと言わなかった。

 なぜ?普段の彼女と全然結びつかない。……理由が、分からない。


「人の善意を正直に受け取らず、あまつさえひねくれた解釈をするなんて……とんだ性悪男だわ。――詮索するだけ無駄よ。さっき言ったとおり、ただの気分だもの。ふと誰かに恩を売りつけたいと思って、たまたま丁度いい相手があなただっただけ」


「本音ちら漏れしてんだけど、それってもしかしなくてもツンデっ……ぐぇ!!」


 ツンデレとしか思えない発言を指摘し、お礼に鳩尾キックを食らう。胃から逆流しそうになったものを飲み込み、涙をためて犯人を見やる。その顔は赤一色だった。恥辱に震えているのか、タツキと同じく涙目になっていた。『ば、ばかぁ……!』というセリフがぴったりだなと、場違いな感想を漏らす。

 容赦無い蹴りに丁度いい場所にあったベッドに倒れこみ、悶絶。瀕死レベルに痛い。部屋の隅からここまで一瞬で移動するとは、恐るべしルイ様。当の本人は少しだけだが無表情の仮面が崩れ、困ったような顔をしていた。やはり見間違いではなく顔が赤い。夢でも見ているのかと目をこすると顔をそらされた。


「し、仕方ないじゃない……! 私も何がしたいのかっ……!」


「――――」


 完全ツンデレキャラと化したルイを、痛むお腹を抑えながら凝視する。いつの間にか一人称が、自身の名から《私》へと変わっていた。

 手を赤い顔に当て、恥ずかしがっている様子は普通に可愛い。…だが、さっきのキックの後ではプラマイゼロだ。か弱く見せかけての激強ギャップは求めていない。


「………見ないで」


 顔を覆っていた片手をタツキに向かって突き出し、林檎顔を隠す。――もしかして、照れているのか。好かれているなんて微塵も思っていなかったのに…この反応はなんだ。少女漫画で見たぞ。

 それに、ルイは自分の感情を持て余しているように見えた。いきなりの変化に首を捻りながら、再び思う。――可愛い。感情を表に出したほうが、絶対に。


「うーん……」


「もしかして、私の記憶が間違っているというの…?」


 ルイはタツキに対する態度に負い目を感じていたのだろうか。ルイの意味深な言葉が届かないぐらい長考しても、それ以上の答えは得られない。もしそうなら―――


「ごめん、俺はお前のこと勘違いしてたってことになるな」


 へらっと笑い謝るタツキを、顔を真っ赤に染め上げて睨むルイ。いつもなら怖気づくところだが、今は違う。彼女が本気で怒っていないと分かったからだ。

 分かってしまうと、常に冷めた目をし、一切の感情を押し殺して業務に徹する彼女が不憫でならなくなってくる。本当はただの女の子なのに。それも人一倍強い腕っ節と、人一倍優しい心を持った。


「勘違い?何を…」


「お前が実はすげぇあったかい奴だってことをだよ」


「なっ……!」


「本当に悪かった。結局俺は外面しか見えてない大馬鹿者だったんだ」


「……そんなことは」


 真面目くさって謝罪をすると、ルイの目から急速に興奮が引くのを感じた。自虐的になり小さくなるタツキを、今度は本気で心配そうな目で見つめている。  

 本音をぶつけ合えば人は変わる。証拠に、初対面時と比べルイはかなり丸くなっていた。


「……ルイがここに来たのは、フレシア様に頼まれたからなの。あなたが抱いている『私』はその程度よ。間違ってなんかないわ」


「そんな分かりやすいツンでさえ、俺は分かってやれなかったんだ…」


「ツ、ツンっ!?何かすごい屈辱的な名称を付けられた気がするわ」


 腕を組み、体重を壁に預けての余裕ですよポーズ。その割には必死にタツキを気遣ってくれている。分かりやすい優しさに気づかないほうが馬鹿だ。


「無理しなくていいんだ。お前が何を必死に守ろうとしているのか知らないけど、そのためにずっと頑張り続ける義務はねぇよ。適度に頑張って適度に休憩。これ、楽しく生きてくための秘訣だぜ。ルイだって絶対笑顔のほうが可愛いよ」

 

 ここで決め台詞と爽やかな笑顔。セリフはいかにも主人公って感じの気障(きざ)なもの。それでもタツキの本心には違いない。だから、真っ直ぐな言葉は必ず相手に届くと信じて疑わなかったのだ。きっとルイだって―――――


「馬鹿言わないで」


「は?」


 そんなタツキの妄想を木っ端微塵に打ち砕く、氷のように冷ややかな声。


 現実(リアル)ではそううまくは行かないらしい。

 分かってた。あぁ分かってたよ。ちょっとだけ期待した俺が馬鹿だっただけだ。うまく行くのはあくまでも漫画の中でのお話。それに、〔イケメンに限る〕という大事な後付があるのがお決まりだ。

 今の状況は、ルイの心を掴むはずが逆に怒らせるという最悪なものだった。拒否の言葉をつきつけられ、思わずため息を繰り出す。納得できないまま、答えを求めるように彼女の顔を見た。


 短髪メイドは小さい身体を震わせ、顔中の表情筋を総動員し――――笑っていた。まるで悲しい時に見せるような…引き攣った笑顔だ。泣いているのか笑っているのか、一見判断に迷う。悲しみを表しているのか喜びを表しているのかわからない笑顔とは…それはもはや笑っているとは言わないだろう。

 整った眉は垂れ下がり、上がった口端はぴくぴく動いている。下手くそで――不器用な笑い方だ。そして、タツキが初めて見たルイの笑顔だった。幸せいっぱい元気いっぱいの、心から望んだ笑顔をするフレシアとは違う。無理矢理にひねり出し、人に言われて嫌々作った…そんな笑顔だ。作り笑いよりさらに酷い。こんなルイを見たいわけではないのに……。


「軽々しく言わないでよ!あなたにルイの何が分かるっていうの!?今私が何を思っているのか知りもしないくせに!!!」


「あぁ分からないさ!だからってお互いいつまでも相手の距離感探りしてちゃ進まないだろ!?こっちは知かりたいって思ってんだ!」


 いきなり気持ちを叫ばれ、思わず反発する。そこに一切の思慮はない。

 感情任せのそれは子供の戯れ言にすぎなかった。自分がひどく幼稚なことを言っていることが分かる。だが、譲れない。ルイの言葉に疑問があれば、すぐにその点を上げて否定し、追求してしまう。タツキという存在を間違ったまま記憶してほしくなかったのだ。


「あなたは何も語らないのに?」


「………それは」


 語れないだけだ。


「ほら、何も言えないじゃない。所詮口だけだなのよ」


「……っ」


「いいわ、望み通り見せてあげる。私の汚いとこ、醜いとこ、穢れてるとこ、全部」


 釣り上がり、心なしか光っているルイの両目には理性が宿ったままだ。ならタツキのやることは一つだけ。ルイの綺麗じゃない一面もちゃんと見る。自分は見せない部分を曝け出してくれる彼女に負い目を感じながら。


「あなたは私を、『笑おうとしない冷徹女』とでも思っているんでしょ?でも私は『笑えない』だけ。笑おうとしたことがない――?とんだ屈辱ね。でも笑顔を認知されない人間(わたし)は、この世で爪弾きに合うのよ」


「………!」


 激情に声を荒げ、最後に深く傷ついた目で下を向いた。

 口にしている内容は彼女にとってはすごく大事なことなのだろう。だが、タツキにとっては無縁の苦しみだ。楽しければ笑うし、悲しければ笑わない。時折営業スマイルや挨拶で使う偽の笑顔みたく、笑顔なんて簡単に捏造できる。むしろ無駄に笑顔を浮かべ続けて疲れるぐらいだ。だからルイが『笑顔』がコンプレックスなことも、触れて欲しくない傷口だということも考えようとしなかった。元から選択肢にさえなかった。

 面白くないから笑わない。ただそれだけのことだと思っていた。……言われてみれば、ルイの満面の笑顔は想像つかない。いつも垂れた冷たい目をしている印象しかなかった。要はそれが間違いなわけだ。


 ただ、ルイの辛さは想像がつく。他人にとってはどうでもいいことを、自分だけ深く考えて堕ちていく恐ろしさ。それに近いことを常に体験済みなタツキは、ルイの怒りの一片が分かる気がした。おそらく、「何だそれだけか」と言われることをルイは最も嫌うだろう。自分が大切に抱えているものを、よく知りもしない人が手を出した結果、落ちて割れてしまった。そんな感覚だ。そしてきっと、ルイはその辛さをもう経験している。だから頑なに自分の心を閉ざし、周りに助けを求めなくなったのだ。彼女の心の扉は今、鎖でがちがちに縛られている。

 だが、人に一番言われたいことの想像が付かない。認められたいのか、受け入れられたいのか、叱って欲しいのか、笑わせてほしいのか…。


 自分が口にした無責任な言葉が過去にある限り、今のタツキには黙ることしか出来ない。漫画から抜き出したような台詞が足を引っ張る。

 何が『本音をぶつけあえば人は変わる』だ。少しも本音なんか言ってないくせに。タツキが言ったのは所詮綺麗事。その綺麗事を無神経にルイにぶつけて自分に酔って自己満足して――大馬鹿者だ。ただ自分の本音を曝け出して否定されることを恐れていただけだ。


 憤慨するルイにかける言葉が見つからない。人との対話にカンニングペーパーも、それに見合った正解もないのだ。


「人に笑顔を向けなければ、不審がられて気味悪がられる。そして勝手に恐れて遠ざかっていくの。残された私は怒っていると決め付けられて、冷たい女だと噂される。そんな私に誰も近寄ったりしないわ」


「それは……」


「それは、何?何なの!?空っぽなあなたに分かるはずないでしょう!楽しくもないのに笑うリラ姉には人の輪が出来るのに、楽しくても笑えない私の周りには誰もいない!…それなのに、同じように笑うことが苦手なシンは、いつだって無条件に愛を受けてる」


「………」


「笑うことが普通なの?笑わないとだめなの?笑うことさえできれば、多少の失敗は許されるの!?笑わなければ許されないの!?笑えば私も…認めてもらえるの?」


「………」


 ――怒(いかり)。それは姉弟を憎んだものでも、不条理な世界を呪ったものでもない。もし向ける矛先が定まっていたなら、心の迷いはいくらか軽減されていただろう。気持ちの処理場の見当がつかないから感情を撒き散らすことしかできないのだ。周りに相談できる相手がいないこともその行いを加速させている。つまり不器用なのだ、この少女は。


「人一倍笑うのが下手だから、人一倍努力して自分を認めてもらおうとしているの!……それなのに、頑張り続ける必要がないとか適度に休みさえすればいいとか………。私の存在価値を認めさせないつもりなの!?」


「ちがっ……!」


 まくし立てて平静を乱したルイに、偽りの言葉は通じない。人から借りた言葉なんてなおのこと。表面上は落ち着いたとしても、内心は静かではないだろう。ただの綺麗事として捉えられてしまう。

 自分の中でルイを納得させる言葉を探す。…いや、それも純粋な自分の言葉ではない。ルイに必要な言葉を考えて喋るだけで、借り物の言葉には変わりないのだ。


「どうせあなただって、何だその程度の悩みかって思ってるんでしょ!?」


「それはちげぇええええええ!!!」


 危惧していた質問に間髪入れず返事する。防音効果に甘えて思いっきり叫んだ。肺が一気に酸素を失い、体力不足のタツキは息を荒くする。肩で呼吸をし、足を大きく開いて体幹をしっかりと保つ。


 顔を真っ赤に染めて怒りを顕にするルイを見つめる。言うべき言葉は決めていない。否定したのは違うと思った、ただそれだけ。恐らく肯定すれば最後、ルイは二度と心を開こうとはしないはずだ。彼女は他人の無関心を、タツキは他人の関心を恐れている。だから。


「ルイが本気で悩んでることなんて、俺にだって分かる!こんなに全部さらけ出されて気づかない奴の方がどうかしてるだろ!だからその上で言わせてもらう」


「……?」


「―――お前はアホかっっ!!!自分に下す評価を端っから間違えてるんだよ!なんでそうネガティブな方向にばっか考えるんだ!?馬っっっ鹿じゃねぇの!!?」


 叫びに合わせて本の積み重なった机を勢い良く叩いた。高ぶった感情が大きな音に還元され、乗っていた本が上に飛ぶ。何冊かがタツキの足元に音を立てて落ちた。――そんなこと、今はどうだっていい。


「ば、ばかって…!だって私は――ルイは!!!」


「いーや馬鹿だね!大馬鹿モンだ。…そんで俺も馬鹿だ。ルイの100万倍は馬鹿な自信がある。笑顔が大切なのは認める。あぁ大事で大切だよ。社交辞令としては常識中の常識だ」


「ほら」


「でも、だから何だよ?俺みたいな取り柄のない奴が笑ってたって、なんの役にも立たないだろ?…お前は枠の中で生きてて楽しいか?俺は嫌だ。だから馬鹿なりに楽しもうとしてるんだ。自分の人生ぐらい自分で決める。それを止める奴も反対する奴も知ったこっちゃねー。それに人生の成功者はな、大抵がルールブック無視して行動起こしてんだぜ?」


「……はみ出し者は必要ないわ」


「だから私は追い出されないように必死に頑張ってきたんですぅ~ってか!?おいおい、冗談だろ!?もし本気でそう言ってんなら偉人共に謝れよ。他人の視線を馬鹿みたいに気にして、自分の信念を捻じ曲げて。そうやって妥協した道を歩いてるにすぎないんだから」


「っ―――!!いい加減にっ…!!」


 双方の抑え切れない感情がぶつかりあい、弾き合い、相手の心を抉りとる。古傷をナイフで刺し合っている感覚だ。感情に身を任せて声を上げるたび、相手の顔が悲痛に歪む。その顔に数ミリの後悔を感じるが、発した言葉は止められず、刃となって突き刺さる。


 挑発めいた、だが核心を突いているタツキの言葉に、怒りより動揺が勝る様子で声を張り上げるルイ。――お前に何が分かる。強い意志の宿った瞳がそう言っている。だがここまできて引き下がれるタツキではない。


「俺だって同じだよ!どうしようもなく弱くて、力もなくて、惨めで…馬鹿で仕方がない。救いようのない人間だって自分でもよく分かってる。生きてる価値も無いんじゃないかって本気で思うよ」


「………」


 自分の言葉で心がぼろぼろに傷つけられたって、酷い罵声を浴びたって、不思議と何も感じなかった。今は自分よりルイだ。


「俺は子供(ガキ)の頃からいらない存在だった。きっとその時の記憶もいずれ思い出すだろうな。正直怖いし知りたくねぇよ。だけど向き合わなきゃ進めないんだ」


「………」


「運命レベルで呪われてる俺と違って、お前は絶対に同類なんかじゃないよ」


「……た、例えそうだとしても、今の状況は変わらないわ。ルイが屋敷で働けるのはクローク様の温情のおかげよ。街に溶け込むことなんてできないわ」


「本当にそうか?笑わない奴なんてどこにでもいるだろ。口数が少なかったり、毒舌だったり。俺の国じゃ冷徹キャラは重宝されてるぜ」


「そうかもしれないわね。……でもそれは、それだけが理由だったらの話よ」


 …………。 

 他にも理由があるのか。まぁ予想はしていたけれど。笑顔だけが理由で自分の人生でさえ脇役になるなんてルイらしくない。

 ――ならなぜルイは、笑顔に関することしか触れなかったのだろう。触れて欲しくなかったのか。でもそれだと、タツキが今まで語ってきた全てが夢空想になる。


「考えてもさっぱり分かんねぇ…。お前は一体、何を抱えてるんだ?」


「あなたに話す義理はないわ。ただ、今までのルイの言葉が事実だという確証がないことを覚えておくことね」


「―――」


 焦るタツキと違い、すっかり冷静を取り戻したルイに頭を抱えたくなる。

 諭でねじ伏せて解決なんてことを望んでいたわけじゃないが、本当に本音をぶつけ合えば自ずといい方向へ向かうと思っていたのだ。

 最後にはとびきりの笑顔を見せてもらってのハッピーエンド。一番いい終幕の仕方はそれだろう。むしろありがちで鉄板だ。アニメでは使い古されたパターンなのに。……またアニメ脳が侵食してくる。

 それが実際にあった話ではないことぐらい知っていたが、この世界ならそれもアリだろうと思っていたことも事実だ。


 ――それがこの有り様だ。

 ルイの思っていることを全部聞きだしたつもりだったのは、本当につもりなだけだったのだ。実際は違う。大事なことは最後まで言わず、本来の悩みは別にあるという。タツキに話したのはあくまでも仮にすぎない。もしかしたら全て虚言かもしれないのだ。全く、相談者(?)に何たる仕打ちだ。これでは自己満足に浸るただの馬鹿だ。


「何だか散々訳のわからないことを喚いていたようだけど、それこそ無意味ね。煩いだけだったわ」


「………」


「一人で熱くなっちゃって、馬鹿らしい。ルイに悪態をついたのもいただけないわね」


「………」


「戯れ言が終わったようなら、私はもう行くわ。その本は読んだらリラに渡して頂戴」


 ルイが壁から離れ、ドアノブに手をかける。黙り続けるタツキを一瞥し、少し眉を垂らして出て行った。タツキは下を向いて溢れる感情を押し止めていたため、その一瞬の表情の変化には気づいていなかった。


「…くそっ。人の気も知らねぇで」


 ぶつぶつと文句を零す。一人部屋に取り残されたタツキは、そのまま貧乏揺すりをしながら朝日を待ち続けた。




※――――――――――――――――※




「―――はぁ」


 少年の部屋から出た黄緑メイドは、ため息を一つして座りこんだ。困ったことに足の力が抜けていて、立とうとしてもうまくいかない。しばらく試すうちに、まぁいいかと諦めた。どうせ人は来ないのだし、タツキさえ出てこなければ特に問題はない。そしてそれは、先ほどのやり取りから絶対にありえなかった。

 背を扉につけたまま、上に取り付けられた水晶をぼんやりと見つめる。まだ感情の整理ができていなかった。


「勝手なことばかり言ってくれたわね…」


 少年の必死な顔が頭に浮かぶ。何故そんなに必死になるのかルイには分からなかった。所詮他人のことなのに。そのせいで似合わないことをしでかしてしまった。声を荒げて感情を剥き出しに迫ってくる少年に、思わず自分も素の対応をしてしまったのだ。敬語を崩すなんてメイド失格なのだが、彼の前だけなら大丈夫だろう。あの少年が告げ口するとは思わない。…たぶん。


 大声を出したのは何年ぶりだろうか。初めて自分の感情というものを持てた気がする。

 火照る体を両腕で抱きしめ、再度ため息。一つだけ、名前が分からない感情があった。彼を前にすると動悸が速まり、胸が苦しくなるのだ。何かの病気だろうかと勘繰ったが、熱があるわけでも、気持ち悪いわけでもない。むしろ心地よいのだ。これは過去の記憶が蘇って以来だ。幼い頃、タツキはルイを助けた代わりに重症を負った。それは本当にタツキだったのか、そして本人が当時のことを覚えているかは謎だが―――

 また胸が痛んだ。おそらくこれは、恩ある相手だからという理由だけではない。故に、自分が抱く汚い悩みを彼にぶつけることは出来ない。

 もし話して失望されてまったら?拒まれてしまったら?もう気高く振る舞うことも叶わなくなるだろう。この胸の苦しみは本物の苦痛に変わるのだ。それだけは嫌だった。


「――――でも」


 そのせいで少年を傷つけてしまった自覚はある。自分の身可愛さに彼の良心を犠牲にしたのだ。なんで、と訴えかけてくる黒目に心を乱された。

 抱えているものを問われた時、いっそ胸の内を全部吐き出してしまおうかと思った。だが、やはり気丈に振る舞うことしかできなかった。冷たい態度を取り、酷い言葉を放ち、突き放す。側にいて欲しいと思う気持ちとは反対に。 


 昔から素直になれないのだ、私は。汚点だと分かっているが、どうしても直せない。笑顔のこともそうだが、他人にできても自分にとって苦手なことはだれにでもある。ルイの場合、笑う必要性を感じたことがないからだが。心から幸せを感じた時、取り繕わない本当の笑顔ができるのだろうか。

 実は社交辞令程度の笑顔ならできる。疲れるからやらないだけで。それに、どこか虚しい気がするのだ。


「………っ」


 目尻が熱くなるのを感じ、膝に顔を埋うずめた。こみ上げてくる感情を言葉にできず、丸まることしかできない自分が惨めに思える。どうせなら思い切り泣いてやろうと決めたが、何故か涙は流れなかった。






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