第18話 『おお素晴らしき世界よ!』
地図を目にしたタツキは、たっぷり数十秒固まっていた。
――初めて見る世界の形。ざっと分けると、五つの大陸と数々の国、そして無数の小島で出来ているようだった。この広大な世界のどこかに、フレシアが生まれ育ったという森があるのだろう。
「うげぇ……」
ここでまた問題が起きる。
ナルセ・タツキが今まで積み上げてきた全てを駆使しても、記載されている文字が読めなかったのである。どの漫画でも見たことのない文字列だ。
異世界だから当たり前だって? そう割り切れるものなら割り切りたい。言語一つ覚えるのがどれだけ大変なのかを、英語が苦手なタツキはよく知っていた。
最も危惧していた文字の違い。ありがちなパターンで可能性は高かったが、いざ目の前にするとギブアップ宣言をしたくなる。タツキの知識レベルは本当に幼児並になったのだから。
更に不幸なことに、和訳がないので見比べて規則性も掴むこともできない。世の異世界転移者たちは、どうやってこの壁を乗り越えたのだろう。システム的な何かが言語を合わせてくれるというウマウマ機能はないのか。
「――早く適応しなきゃな、この世界に」
自分にしか聞こえない声量でぽつりと漏らした。小声でも口にすることで現実味が湧き、途端に重みが増してくる。
誰も自分を知らない世界。誰一人知り合いがいない世界。常識が全く通じない世界――……。
そんな異質な世界で、タツキは一人で生きていかなければならない。助けを乞うことも命懸けの行為なのだ。
ーーーあまりに無謀で酷な運命。天才的な頭脳も魔剣もチート能力も何一つ持ち合わせていない一般ピーポーに、異界を生き抜けというのだから。自分に主人公補正がされていないことなど分かっている。
孤独。
胸がギュッと締め付けられるような感覚だった。……だが、懐かしい気もする。
「―――何を今さら」
生まれかけた感情を一笑。
そうだ、タツキは常に孤独と共にしてきたのだ。祖父の存在がそれを和らげてくれていたが、一人の時間のほうがずっとずっと多かった。今更世界ごと塗り替えられたところで支障はない。これは特別な環境下で育ったタツキだからこそできる考えでーーー
「ぇ?」
今、何を考えていた? 俺がずっと独りだった? じいちゃんに助けられた? 特別だった?
そんなはずない。
俺にはいつでも味方してくれる母さんと父さんがいたし、友達だって少なからずいた。それに、じいちゃんは俺が小さい頃に死んだはずでーーー。
「タツキ? ねぇ、タツキってば!」
「………! フ、フレシア……悪い。何だった?」
「タツキがいきなり黙っちゃったから、どうしたのかなって。大丈夫? 疲れちゃった?」
そう言って、白く透き通った手がタツキのおでこに伸ばされる。いくらフレシアからいい匂いがしても、伸ばされる手が細くて綺麗でも、その方向での期待はしない。フレシアが善意で熱を計ろうしてくれるのを分かっていたからだ。そう、これはフレシアの優しさ。何の意味もない。期待するな。動揺するな。目指せ平常心。落ち着け俺の心臓。
「わっ、熱い! やっぱり熱があるんじゃない!」
「ち、ちが……! 子供扱いされてるみたいで恥ずかっただけだって!」
落ち着かせようした心臓は更に鼓動のスピードを上げ、目を瞑って考えを遮断しようしたのに頬が熱い。
「だめです! 部屋に戻ってちゃんと寝なきゃ!」
母さんみたいだな、とフレシアの物言いに苦笑する。世話焼きなところも、他人の心配ばかりするところもそっくりだった。
「ノンノン。俺の身体の強靭さなめんなよ? 最後に風邪引いたのは小学生なんだぜ。それも低学年」
「しょう……がくせい?」
「あー、とにかくちっちゃい頃ってこと」
異世界に学校はない。世界の広さを知っても、何となくそう確信していた。ここに住む人たちには縛られることが似合わない。自分達で物事を学び、自由に人生を謳歌する。そんな人達から、遊びたい盛りの若者達を学校という狭い檻に詰め込み、苦痛を強いるという発想はないはずだ。
それでも世界が成り立つことを知ったら、必死に勉強してきた奴らが泣くと思うが、タツキにはむしろこっちの人々のほうが賢く見える。潰れるはずだった個性が生きて、世界が明るくなっているのだから。
「本当の本当に大丈夫なの? 無理してない?」
「本当の本当にへーきだっての。ちょっと変なこと考えてただけさ」
「変なこと……?」
「あ、別にそういう意味じゃないからな!?」
「変態ですね」
「変態だわ」
「変態だったんですか」
使用人からの一斉射撃。最後に水色髪の少年が加わったせいで、ダメージは倍増だった。フレシアが意味を理解していないだけマシか。
「……ん〜」
思考を現在の状況に戻す。
異世界召喚。異世界転移。異世界転生。
異世界といえばもはや鉄板ネタだ。それほど驚くシュチュエーションではない。だがどれもが所詮はアニメの中のファンタジー話。なのに実際、タツキは異世界にいる。
頭がテンパる展開だが、生憎異世界に対しての教養はある。後はこの世界を知り尽くすだけだ。生きていく覚悟はとっくの前にできている。そもそも死ぬべき定めだったのだ。それが神の気まぐれか生かされた。なら余生だと割りきって、この異世界ライフを満喫してやろうじゃないか。
「《ヴェンザー大陸》って言ったよな。この屋敷はその西の端にあるわけだ」
異世界知識ならラノベや漫画でたっぷり学んだので、設定や常識に素早く適応できる自信はある。
文字は読めないが、ありがたいことに現在地マーク(らしきもの)が書かれていたので大体の方向はわかった。
そう、異世界は常に死と隣り合わせにある。
アニメの中では何度も死を見てきたし、主人公が瀕死になることなんて当たり前だった。ただ、タツキには修羅場を生きていける自信がないので、事前に察知し回避する技術が求められる。ーーーやってやろうじゃねぇか!
「そうさ。北にはエルフの住む森、東に進めば《ザラン帝国》にたどり着く。――地図は読めるのかい?」
クロークの言葉が、ふいに冷たくなった。声がわずかに低くなり、鋭さを増す。嫌な汗がタツキの頬に伝った。
常に人間の裏の裏を覗こうとしてきたタツキにはわかる。コイツは自分を疑っている。
「状況完璧理解した俺は最強だからな。……けど、残念なことに俺はその手の教育は受けてねぇ」
遠回しに文字が読めません宣言をする。
更に鋭くなる疑いの視線を笑顔でかわし、不穏な空気を無理やり掻き消した。初対面の人の心をつかむ為に必要なのは、信頼と好感。今ここで領主様に目をつけられれば、死亡ルートは確実だ。そうわかっている分、妙に相手に好かれようと振る舞う様子が、クロークに対して逆効果なのは知る余地もない。
「文字の教養はない。そう受け取るのが正しいんだろう」
「……バレちったか」
「それで、無論我が納得できる理由は考えてあるんだろうね」
「お、俺田舎出身でさ。知ってる文字と違うんだよ」
「文字が違う……。ふむ、奴隷区出身というわけではないのか。なら、一体君はどこから来たんだ?」
別世界の地球という惑星にある日本からです、とはさすがに言えない。
けれど、これ以上田舎出身で通すにも限界がある。文字が読めないのは一般的に見ても大問題だろう。
「わ……かんねぇ」
無言が一番効果的なのかもしれないが、とりあえず答えなければ首を切られる気がした。タツキの言葉を聞くなり思案に暮れるクロークは放っておくことにする。
「なぁフレシア。地図に書いてあることを教えてくれないか」
「いいわよ。えっとね、これが私の住んでいた森で、こっちが帝国、その向こうはダンジョンになってて――――」
フレシアの説明は、現在地であるヴェンザー大陸から始まり、他の大陸へと広がっていった。話を聞けば聞くほど世界に引き込まれていく。異世界万歳。ダンジョンなんて、聞いただけでワクワクしてしまう。
北西には氷の森林があるノーズン大陸、
東には火山地帯のチキガ大陸、
南には冒険者が集うソルトルス大陸、
ーーーそしてそのオマケみたいに浮かんでいるのが、ヴェンザー大陸である。他の島々と比べるとかなり小さく、変な形をしている。
「この真ん中のやつも大陸なのか?」
最後の大陸と思われる、丸い小さな孤島を指差した。
地図の中心を陣取るその島は、ヴェンザー大陸を除いた三つの大陸が繋がっている。何やら細かい字がたくさん書かれていた。
「当然よ。 リハール大陸には、世界を統べる《創造主様》が住んでいるんだもの。だから、この土地に住めるのは上流階級の貴族だけ……。私みたいな下級層には夢のような場所だわ」
「創造主、ね…。もしやフレシア、そこに住みたかったりする? ソイツが超絶イケメンで一目惚れしたとか!?」
地図を指先で撫でる姿が羨んでいるように見え、ついそう聞いてしまった。
本気で焦るタツキに、フレシアは困ったようにふにゃりと笑う。
「それはないわよ。創造主様のお姿を拝見できるのも、ごく一部の選ばれた人だけなんだから」
「なら実際に見たことないのか。クロさんも?」
「ああ。皇帝に謁見することは、それなりの爵位か権力があれば難しくないんだけどね。創造主様となると、もはや伝説上の存在ーーー《神》の部類に入るのさ」
考え事をしながらも、ちゃんとタツキたちの会話を聞いていたのだろう。即座に分かりやすい説明が返ってきた。
「神様、ね……。会ったことある?」
「あるわけねェに決まってんだろ! いるかも分かんねェんだぞ! やっぱバカだな!」
「創造主サマと神サマは違うのかぁ……」
神が外界に干渉しているか否かは物語によって異なる。常識外れをリクに噛み付かれることで、神様降臨説は否定された。
「冗談に決まってるだろ。洒落の分からないガキだな……って何食ってんだ!!?」
いつの間にか彼の手には食後のデザートが握られていた。あの美味な焼き菓子である。さっきとはまた違う甘い匂いがプンプンし、食欲がそそられる。タツキは爆発しそうな食欲を必死で抑え込み、地図に目を向けた。
「見たことないなら、その創造主とやらが存在するかどうかも分かんねーじゃん。実はパチモンだったりするかもよ?」
「「………!!!」」
「タツキ、取り消して! それは禁句よ! 《創造主様は称えるべき存在であり、その栄光を疑うことは決してあってはならない》………って、教えられなかった?」
「……ぁ」
カルトが素早くタツキを止めにかかる。
部屋中に緊張が走ったのが分かり、頷くこともできない。口が乾いてしまった。思ったことをすぐ口に出す性格を直そうと、強く心で誓った。
「ペ、ペル……」
「《ぱちもん》……が何か分からないし、報告するほどではないだろう」
その一言で、ピリついた雰囲気がふっと和らいだ。
どうやら危ない橋を渡ったらしいということはわかる。パチモンなどといった遠回しの言葉を使ったことが幸いしたらしい。
「命拾いしたにゃんね。世間知らずのタツにゃんには何のことかサッパリかもしれにゃいけど〜」
机に上体を乗せ、だらけた状態のアンが言う。タツキがどうなっても気にしないといった風体だ。むしろタツキの窮地を楽しんでいた節もある。
「あっぶねー! もう少しで《魔大陸送り》だったぜ、オマエ!」
「マタイリクオクリ? 栗の一種か?」
「あン? ふざけずに聞きやがれ。魔大陸――――別称《死体廃棄所》。迎えが来たら死ぬしかねェんだ」
「はぁ!? 刑重すぎだろっ!」
会話の中で死刑になることがあるなんて、クソルールすぎる。この世界では人の命をゴミ程度にしか考えていないんじゃないかと思う。
「つまり、創造主を否定したり、侮辱したり、敬わなかったりする奴は全員死んじゃえってルールがあるんだな?」
「平たく言ってしまえば。そしてその場にいた者には、それを報告する義務がある」
「げ、密告かよ……。その報告が虚偽のものだった場合は?」
「当然証拠は必要さ。この部屋は高価な魔導具が埋め込まれていてね。会話を記録することなど造作もない」
ーーーガチで俺、危なかったんだな。
勝手なルールを作った創造主を一発殴ってやりたい。知らない人からしたら地雷みたいなものじゃないか。
「それで、リクが言ってた魔大陸に送られるってのはどういうことだ?」
「言葉通りの意味だっての。地図にない大陸に連れて行かれてオワリだ」
「何だ、ビビらせんなよ。船でも使ってそこから出ればいい話だろ」
「それは無理でしょ。《魔大陸》には魔獣や魔物がうようよしてるし、なんたって《黒凶徒》の基地があるって言われてるんだよ? 逃げる用意をしてる間に死んじゃうって」
カルトがケラケラ笑って告げる。口から菓子の欠片がぽろぽろとこぼれ落ちた。
無人島をイメージしていたのが、一気に寒々とした雰囲気に変わる。森は枯れ、湖は干上がり、辺りをはびこるのは獰猛な魔獣たち。黒凶徒……も、危険な存在なのだろう。
……確かに生きていける気がしない。
「送還されて帰ってこれた奴はいるのか?」
「………」
「ノー、か。いや待て。ならなんで、お前らはそんなに詳しく知ってるんだ? 魔大陸ってやつを」
「創造主様がそう言ったからよ」
フレシアがきっぱりと言い放った。
つまり、行ったこともなければ見たこともないわけで。《創造主》とやらが作った空想の話かもしれないのだ。
「なら確証は―――」
「バカ! それ以上言ったら、マジでオマエの目で確かめることになるぞ!」
リクに止められ、自分の失言に気づく。
魔大陸説を否定するということは、創造主の言葉を否定するということと同義。つまり盟約に反するわけだ。何度反省しても直らない性格が恨めしい。
「ありがとな、リク。助かった」
「べ、別に……。自分の筋を通しただけだぜ」
素直じゃない恩人に礼を言う。
今回ばかりはからかう要素がない。
「これ以上話すとボロが出そうだから、話題変えよーぜ。そういや、まだ君の紹介を聞いてなかったよな」
フレシアの故郷を知るために地図を出したというのに、タツキはそれも忘れてさっさと畳んでしまった。




