20話 偽善の濃度
ーーノートの所在。
それが彼女のバッグの中だと気づいた時にはもう遅すぎた。
「私もトーイレ。どこにあるんだっけ?」
そんなことを言っていた彼女が階段を降りて向かった先は勝手口だった。
これで逃げられでもしたらーー まさに一巻の終わりだ。
「待って...」
息を切らして彼女を呼び止めるが返事はない。そうこうしている間にもう玄関を出て、彼女はあっという間に外へと飛び出した。
陸上部にも匹敵するその足の速さはやはり折り紙つきでグングンと距離がひらいていく。
もう駄目だ、そう思った瞬間に半分刺さったようにして入っていたノートは偶然にもコンクリートの上にパタッと落下した。
焦った彼女は拾いに戻るが僕が距離を詰めるには充分な時間だった。
「ねぇ! はあ....はあ...。 どうして....こんなことするんだよ」
本当は聞きたくなかった。わかりたくもなかった。
僕の部屋であの時ーーお茶も飲まずに彼女が一生懸命何をしていたのか、その答えをもう僕は知っている。
「盗まれたノート」と「逃げていく彼女」この二つの事実さえあれば部屋に侵入した「目的」は誰にでも想像がつくだろう。
だからこそ、聞かずにはいられない。
僕との距離を詰めて来た理由が本当にノートを奪うためだけだったのか、あの見せてくれた笑顔はみんな偽善だったのか。
冴えない僕では到底、彼女とは釣り合わないのかもしれない。だから、本当に 全部が全部 向けてくれた笑顔が「嘘」ではないと胸を張っていうことはできなかった。
そして、もし嘘であったならと考えた時、酷く胸が苦しくなった。信じていた人に裏切られるのはこんな気持ちなのか、身を切られるような思いになんとか目を伏せて耐えた。
納得のいく理由が欲しかった。黒崎さんにはノートを奪わなくてはならないわけがきっとあるのだと信じて。
そして、返って来た言葉を聞いた時、あれが本物だったのか、嘘だったのか、それを判別することは僕にはできなかった。
「私だって、本当はこんなことしたくなかった...でも、こうでもしないとーー天宮くん、あなたはきっとまたあの世界に来てしまうから」
小さな唇を手のひらで覆い、彼女は涙をこらえていた。
「ごめん、変なこと言って。これは返す」
ノートを潤の胸に押し付けて、水たまりも気にせず黒崎さんは走り出した。
これがーー昨日あった潤の悲嘆な記憶の全てだ。
キーンコーン、カーンコーン。
授業の終わりを告げる鐘がなった。
「おいっ! 潤。もう、1限終わったぞ。なにボーッとしてんだよ」
「あ、ああ。すまん。え〜と、次は何だっけ?」
「数学だ、数学! それも俺がキライな数Iだよ。ってことで、今日もノートよろしくな」
ノート!? 昨日のキーワードについ反応してしまったが、すぐにいつものノートを見せてくれという面倒な依頼のことだと理解に及びいつも通り一度は拒否をする。
「やだよ。ってか、西村、お前学校に何しに来てんだよ」
「先生に居眠りで呼び出されたお前がそれ言うか? それに窓の方を見てみろ。相変わらず、彼女は堂々と寝ているぞ?」
「...確かに」
昨日あんなことがあったというのに、まったく呑気なものだ。それでも成績はトップレベルなのだから、まったくタチが悪いとしか言いようがない。
「わかったよ。あとでまたノート貸してあげるよ」
またしてもこの黒髪ツンツン頭にYesの返事を返してしまった。ここまで西村とは高校2年間の付き合いだが、相変わらず数学に限ってはやる気がまるで皆無で、ノートをLIVEで取る行動力は一向にないままだ。
あまりに一緒にいすぎたせいで最近話す話題が尽きかけていることを考えれば、ノートの貸し借りは1つの話題提供としては有難くはあるのだけれど。
そうして「あの異世界ノート」が送られて3日目の学生の業務は終了し、帰宅した。
ベッドに背中を預け、ノートを見上げる形でめくるとやはり1ページ目は「ルールの説明」。
そして、次は1日目の冒険。
アルマに対する罪悪感と敵討ちが頭から離れずもう一度あの世界に戻ることを決め、その準備として「1日目の冒険」から目が覚めてすぐに実は書き慣れない文章で「城の外」に対して色々記述した。
そもそも最初はメモ書きだったこともあり、唯一存在していた物は中世ヨーロッパにいかにも建っていそうな壮大なお城。
登場人物としては勇者の仲間としておそらくアルマ。
名前はわからないが確かにいたお姫様。
そして、設定にはない黒服の執事ことトイフェル。
一応蛇足かもしれないが、設定にない人食いスライム。
たったこれだけだ。スライムを抜かせば、勇者含め総勢4人ということになる。
これではどうあがいても変幻自在のスライムなど倒せるはずもない。
「それならスライムを倒せる武器なり、助けなりを自ら用意すればいい」
そして、1日目を終えて用意したものが「街」である。
華やかな活気のある街を描けば、当然武器なんかも売っているだろうし、おきまりのギルドなんかもきっとあるはずだ。
という、浅はかな思考。
「街」のアイデアは悪くなかった。だが、城内から街に出られなければなんの意味もない話な訳であり、結果2日目の冒険ではアルマと二人揃ってスライムに食い殺され、無残な死体が城内で1泊する羽目になったのだ。
もうセーブポイントがスタート地点だと分かっている。
もう魔法が使えないと分かっている。
もう死んでも現実に戻るだけだと分かっている。
「が、もう死ぬつもりはない」
強い意志で決意を言葉にして、「ノート」を机の上に置いた。新しい物語に望んだ未来が描かれることを信じて。
時間は深夜に突入し、潤の意識が深い闇に落ちたことを合図にノートは淡い青色の光に包まれて新しい物語は動き出した。




