おわりとはじまり
ユリは森に住む女の子。気づいた時にはひとりぼっちだった。森の外はおそろしいけど、森にいれば、精霊や動物たちが守ってくれるからなんの心配もない。
ただひとつだけ。
明らかにこの森とは違う、不思議な思い出があるのはどうしてだろうと思いつつ……。
そんなある日。ひとりの行き倒れの老人と彼女は出会った。
ひとは死んだらどうなるか、どこへ行くのか。
それは遠い昔から語られてきた命題である。
生まれて死に、また生まれては死ぬ。この世に生きとし生ける全ての者にとって死は最大の、そして永遠の謎。なぜなら経験してしまったら最後、それがどんなものであるかを生者に語る事ができないから。
その日に亡くなったその人も、やっぱり、そんな無数の人のひとりだった。
どこにでもいそうな、どこにでもありそうな死だった。
目立つ事もなかったし、他殺などでもなかった。あまり知人などもいなかったようで騒ぎにもならなかったが、それゆえに本当に静かな終焉だった。
そして、それで終わったはずだった。
空の一角に、小さな亀裂があった。
それは人の目には見えない亀裂だった。
もし見える者がそこにいたら、それが何か別の場所への接点だと気づけたかもしれない。その亀裂の向こうには真っ逆さまの、どことも知れない異郷の風景が見えていたのだから。
その亀裂に、風に吹かれて何かが引っかかった。
それは、その人が亡くなったその時、その人の身体からこぼれた何かだった。
人の目には亀裂同様、それは全く見えないようだった。綿菓子か雲のようにフワフワと揺れているのだけど、道行く人々の誰も亀裂同様、それにも気づく事はなかった。
ゆらゆらと、それはしばらく揺れていた。
だけど何かの拍子にひっかかっていた所が外れたのか、それは亀裂の向こう側に、するっと吸い込まれるように音もなく、静かに落ちていった。
しばらくしてから、亀裂はゆっくりと閉じて、そして消えた。
閉じたあとには何もない、ただの空だけが残された。
ぶううん、と、何も知らないどこかのクルマの走る音がしていた。
◆ ◆ ◆ ◆
深い深い森。
どこから続いているのかも、どこまで続いているのかも知らない、巨大で深く、暗い森。
内部には獣道以外のまともに道もなく、そして、有象無象の動植物、そして有象無象の魔物たちがそれぞれの生活を送っている。そんな生活がいったい何万年、いや、もしかしたら何億年続いているのか。
そんな、深い森の奥底の一角。
一本の巨大な木。どこか樫に似ているが、その巨大さはまるでそれ一本で森そのもの。高さはそれほどではないが横にも大きくひろがり、また根本に至っては、中に穴をあけて大きな大都会の街道を通せるほどにも大きく広い。そしてその巨体の随所では、さまざまな生き物たちが住み着き、日々の暮らしを謳歌している。
その根本のところに、一本の小さな足が転がっていた。
いや、正しくは、その足は木の根本のウロから見えていた。中で誰かが寝ているようだが、入り口から足がはみ出しているあたりで、どのような寝相なのかは語るまでもなかった。
足は本当に小さい。子供か、そうでなければ女性のそれだろう。
「……」
その足の持ち主は、すやすやと静かな寝息をたてていた。
すさまじいばかりの美少女だった。こんな森の奥にいるとは思えないほどに美しく繊細で、また、汚れを一切寄せ付けないような、一種特有の雰囲気を持っていた。
夜の闇のような漆黒の髪は、どこからか入る光を照り返して天使の輪を作っている。寝相の悪さのせいか髪は乱れているが、元々の手入れがいいのか不潔さはカケラもなく、流れるように美しかった。若干黄色みを帯びた肌色は白すぎず黒すぎず、シミのひとつもない。
ただ、身にまとっている衣服は粗末だった。
汚れはないのだが、かなり古びたものだった。よくわからない茶色い繊維で織られたもので、しかも貫頭衣の一種と思われる原始的な代物だった。おまけに細部はボロボロで、かなりの歳月使われていたものと思われるそれを、これまた簡素な紐で腰のところを縛っていた。
と、そんな時だった。
一羽の鳥が、パタタターっと羽ばたいて降りてきた。
大きなインコ、いや、オウムといった雰囲気のその鳥は、少女の足元に着陸すると、トットットッと歩いて少女の横に移動した。そして翼をピロッと求愛のように広げると、少ししわがれた声で喋った。
「サリ、朝だ、サリ。ケーッ!」
「……ん」
サリと呼ばれた少女はピクッし反応した。そして、もぞもぞと動いたが……起きる気配はない。
どうやら、二度寝を決め込んだらしい。
だがオウムの方も黙っていない。
「サリ、朝だネボスケ、サリ。ボケボケーッ、ケー」
「うるさい」
「ッっ!?」
そのオウムの声は途中で途切れた。少女の腕が突然に彼を襲ったからだ。
あわてて距離をとったオウムは、少女に文句を言い始めた。
「サリ、危ない、寝ボケ、野郎!」
「……うっさい。あと、サリじゃなくてサユリ」
ゆっくりと開いた焦点のあわない目で、少女……サユリは文句をいった。
「ザ・ユーリ」
「違う」
「サユ」
「リはどうしたのリは」
「サーリ」
「途中を飛ばさない」
「リー」
「どこの人?」
「うー……めんどい、サリ、おはよう」
「ったくもう……おはよう。……あと野郎じゃない」
「?」
オウムはどうも「サユリ」がうまく発音できないようだった。
このオウムに限らないが、この森にいる者はなぜか『サユリ』をうまく発音できない。サリとかサリーと呼ぶ者が最も多くてその次がリー、それもダメだとチビとか幼子。
なんとかしてほしいと思うサリー、もといサユリである。
とりあえず目が覚めてきたのでサユリが起き上がると、同時に周囲にぼんやりと光が走り、いろいろなものが動き出した。
まず、漂ってきた光がサユリをシュッと包み込んで……それが晴れると、寝ている間についたらしい汚れやら何やらが綺麗になくなっていた。
次に、天井から蔓草みたいなものが伸びてきてサユリの髪をいじりだす。みるみるうちに魔法のように髪が整えられ、まるで見えないデザイナーが整えたような可愛らしいツインテールが完成する。
「うん」
いつもどおりの不思議な朝。
イーっと口をあけて歯を覗かせると、すかさずそこにも光がシャワシャワと。
思わず、口がスーっとして笑顔になった。
「んっ!」
サユリはゆっくりと立ち上がった。
布一枚の簡素な服だけ、それ以外はなんの荷物もない身。
こんな森の奥に少女というべき歳の女の子がいるには不自然極まりない格好だが、サユリは全く気にしていなかった。何しろ彼女はこの森の中に、いくつか季節が巡るくらいの年月は暮らしていたのだから。
どこから来たのか?知らない。
どこで生まれたのか?知らない。
親は?知らない。
サユリという名前だって、頭のどこかにひっかかっていたものを名乗ったにすぎない。
だけどサユリには、そんな事どうでもいいと思えた。
小さなあくびをして、背伸びをする。
周囲を見るとさっきのオウムはもういない。サユリが起きた事で安心してどこかに行ったのだろうか?
そしてサユリ周囲には、小さな光の塊がフワフワといくつも飛んでいる。
「えっと、じゃあ今日もお出かけかな?」
口に出してそう言うと、光の塊たちから声が響いた。
『きょうは、ひがしに』
『ひがしで、おしごと』
「ウンわかった、連れて行ってね!」
『いいよー』
『よし、いこう』
小さな光がサユリのまわりをクルクル回った。
サユリは微笑み、その光を連れたまま歩き出した。
森の中は深い。
そして様々な生き物が、それぞれの生活をしている。
「おはよー」
「……」
立派な角の雄々しいシカが顔をあげ、ああ、オマエかと納得したように再び草を食べ始める。
どこからか虫の声が聞こえて、そして小さなリスのような生き物が枝から枝へと走り、飛んで移動していく。
薄暗い、だけど豊かな森の風景だった。
その中を、サユリはのんびりとマイペースで進んでいく。
さらにしばらく進むと、唐突に景色が開けた。
そこは原始的な村っぽい場所だった。
ただし全体のサイズが小さい。明らかにお子様サイズのサユリですら足りないと思えるくらい、村全体が小さなスケールでできている。
サユリはそんな、不思議な子ども村のような風景にも驚かない。
それどころか、
「おはよー」
にこやかにサユリが声をかけたのは、何やら小さな緑色で小さな角のある子鬼たち。
そう、ゴブリンだ。
ゴブリンたちは村の中心で朝の収穫物らしきものをわけあっていたが、サユリに気づいてオオと反応した。
「サリだ」
「サリがきた」
「サリ来タか。ちょうどよかっタ」
サユリの顔を見た途端、何匹かのゴブリンがパタパタと寄ってきた。
「よくきたサリ。さぁこっち来い」
「ウン」
ゴブリンたちはサユリを普通に出迎えていた。そして村の中心に誘導する。
そこに積み上げられた収穫物を見たサユリは、思わず唸った。
「すごいねえ!今朝も豊かだね!」
「ウム、今日は特にイイ。ありがたイ事。皆、無事食べられル」
それは、色とりどりの果物や木の実の山だった。バナナの葉と思われる大きな葉っぱが何枚か広場に置かれ、その上に広げられている。
おそらく一部は干したうえで貯蔵するのだろう。
「すてきだね。待ってね、今、祝福するからね」
そう言うとサユリはひざまづき、祈りを捧げた。
サユリの周囲にいた白い光がゴブリンたちの糧食のまわりをフワフワと飛んだ。すると、その光に誘われるように糧食たちが光を帯びて、ぼんやりと輝いた。
「オォ」
「オォ」
ゴブリンたちも頭をさげた。祈っているようだ。
少しして、サユリは頭をあげた。
「ウン、おわったよー」
「オォ」
「感謝スル」
「ウンウン。みんななかよく平穏でありますように」
「オー」
「オォ!」




